2009/11/30 22:31:11
怪談は、夏だけのものではありません。
今日は11月の最終日。すっかり寒くなり、暖房の恋しい季節になりました。
怪談といえば、夏の納涼のイメージが濃いですが、寒い季節の怪談もたくさんあります。
今日は、11月末が舞台の怪談を紹介します。
『夜釣』(泉鏡花)
これは、大工、大勝のおかみさんから聞いた話である。
牛込築土前の、此の大勝棟梁のうちへ出入りをする、一寸使へる、岩次と云つて、女房持、小兒の二人あるのが居た。飮む、買ふ、摶つ、道樂は少もないが、たゞ性來の釣好きであつた。
また、それだけに釣がうまい。素人にはむづかしいといふ、鰻釣の絲捌きは中でも得意で、一晩出掛けると濕地で蚯蚓を穿るほど一かゞりにあげて來る。
「棟梁、二百目が三ぼんだ。」
大勝の臺所口へのらりと投込むなぞは珍しくなかつた。
が、女房は、まだ若いのに、後生願ひで、おそろしく岩さんの殺生を氣にして居た。
霜月の末頃である。一晩、陽氣違ひの生暖い風が吹いて、むつと雲が蒸して、火鉢の傍だと半纏は脱ぎたいまでに、惡汗が浸むやうな、其暮方だつた。岩さんが仕事場から――行願寺内にあつた、――路地うらの長屋へ歸つて來ると、何かものにそゝられたやうに、頻に氣の急く樣子で、いつもの錢湯にも行かず、さく/\と茶漬で濟まして、一寸友だちの許へ、と云つて家を出た。
留守には風が吹募る。戸障子ががた/\鳴る。引窓がばた/\と暗い口を開く。空模樣は、その癖、星が晃々して、澄切つて居ながら、風は尋常ならず亂れて、時々むく/\と古綿を積んだ灰色の雲が湧上る。とぽつりと降る。降るかと思ふと、颯と又暴びた風で吹拂ふ。
次第に夜が更けるに從つて、何時か眞暗に凄くなつた。
女房は、幾度も戸口へ立つた。路地を、行願寺の門の外までも出て、通の前後を眗した。人通りも、もうなくなる。……釣には行つても、めつたにあけた事のない男だから、餘計に氣に懸けて歸りを待つのに。――小兒たちが、また惡く暖いので寢苦しいか、變に二人とも寢そびれて、踏脱ぐ、泣き出す、着せかける、賺す。で、女房は一夜まんじりともせず、烏の聲を聞いたさうである。
然まで案ずる事はあるまい。交際のありがちな稼業の事、途中で友だちに誘はれて、新宿あたりへぐれたのだ、と然う思へば濟むのであるから。
言ふまでもなく、宵のうちは、いつもの釣だと察して居た。内から棹なんぞ……鈎も絲も忍ばしては出なかつたが――それは女房が頻に殺生を留める處から、つい面倒さに、近所の車屋、床屋などに預けて置いて、そこから内證で支度して、道具を持つて出掛ける事も、女房は薄々知つて居たのである。
今日は11月の最終日。すっかり寒くなり、暖房の恋しい季節になりました。
怪談といえば、夏の納涼のイメージが濃いですが、寒い季節の怪談もたくさんあります。
今日は、11月末が舞台の怪談を紹介します。
『夜釣』(泉鏡花)
これは、大工、大勝のおかみさんから聞いた話である。
牛込築土前の、此の大勝棟梁のうちへ出入りをする、一寸使へる、岩次と云つて、女房持、小兒の二人あるのが居た。飮む、買ふ、摶つ、道樂は少もないが、たゞ性來の釣好きであつた。
また、それだけに釣がうまい。素人にはむづかしいといふ、鰻釣の絲捌きは中でも得意で、一晩出掛けると濕地で蚯蚓を穿るほど一かゞりにあげて來る。
「棟梁、二百目が三ぼんだ。」
大勝の臺所口へのらりと投込むなぞは珍しくなかつた。
が、女房は、まだ若いのに、後生願ひで、おそろしく岩さんの殺生を氣にして居た。
霜月の末頃である。一晩、陽氣違ひの生暖い風が吹いて、むつと雲が蒸して、火鉢の傍だと半纏は脱ぎたいまでに、惡汗が浸むやうな、其暮方だつた。岩さんが仕事場から――行願寺内にあつた、――路地うらの長屋へ歸つて來ると、何かものにそゝられたやうに、頻に氣の急く樣子で、いつもの錢湯にも行かず、さく/\と茶漬で濟まして、一寸友だちの許へ、と云つて家を出た。
留守には風が吹募る。戸障子ががた/\鳴る。引窓がばた/\と暗い口を開く。空模樣は、その癖、星が晃々して、澄切つて居ながら、風は尋常ならず亂れて、時々むく/\と古綿を積んだ灰色の雲が湧上る。とぽつりと降る。降るかと思ふと、颯と又暴びた風で吹拂ふ。
次第に夜が更けるに從つて、何時か眞暗に凄くなつた。
女房は、幾度も戸口へ立つた。路地を、行願寺の門の外までも出て、通の前後を眗した。人通りも、もうなくなる。……釣には行つても、めつたにあけた事のない男だから、餘計に氣に懸けて歸りを待つのに。――小兒たちが、また惡く暖いので寢苦しいか、變に二人とも寢そびれて、踏脱ぐ、泣き出す、着せかける、賺す。で、女房は一夜まんじりともせず、烏の聲を聞いたさうである。
然まで案ずる事はあるまい。交際のありがちな稼業の事、途中で友だちに誘はれて、新宿あたりへぐれたのだ、と然う思へば濟むのであるから。
言ふまでもなく、宵のうちは、いつもの釣だと察して居た。内から棹なんぞ……鈎も絲も忍ばしては出なかつたが――それは女房が頻に殺生を留める處から、つい面倒さに、近所の車屋、床屋などに預けて置いて、そこから内證で支度して、道具を持つて出掛ける事も、女房は薄々知つて居たのである。