2008/11/16 23:02:11
名古屋は雨の朝でした。
今朝は冷たい雨が降っていました。秋の雨の朝は、寂しい気持ちになります。
そんな気持ちを感じさせる中原中也の『修羅街輓歌』は4連で構成されています。今日紹介するのは、最後の4です。
『修羅街輓歌』(中原中也)
IIII
いといと淡き今日の日は
雨蕭々と降り洒ぎ
水より淡き空気にて
林の香りすなりけり。
げに秋深き今日の日は
石の響きの如くなり。
思ひ出だにもあらぬがに
まして夢などあるべきか。
まことや我は石のごと
影の如くは生きてきぬ……
呼ばんとするに言葉なく
空の如くははてもなし。
それよかなしきわが心
いはれもなくて拳する
誰をか責むることかある?
せつなきことのかぎりなり。
“蕭々”という言葉で多くの人が思い出すのは、司馬遷の『史記』「刺客列伝」の荊軻の
風蕭々として易水寒し
壮士ひとたび去ってまた還らず
という言葉でしょう。
中也も当然そのことを知っていて、この言葉を使ったのだと思いますが、その意図は私にはわかりません。
今朝は冷たい雨が降っていました。秋の雨の朝は、寂しい気持ちになります。
そんな気持ちを感じさせる中原中也の『修羅街輓歌』は4連で構成されています。今日紹介するのは、最後の4です。
『修羅街輓歌』(中原中也)
IIII
いといと淡き今日の日は
雨蕭々と降り洒ぎ
水より淡き空気にて
林の香りすなりけり。
げに秋深き今日の日は
石の響きの如くなり。
思ひ出だにもあらぬがに
まして夢などあるべきか。
まことや我は石のごと
影の如くは生きてきぬ……
呼ばんとするに言葉なく
空の如くははてもなし。
それよかなしきわが心
いはれもなくて拳する
誰をか責むることかある?
せつなきことのかぎりなり。
“蕭々”という言葉で多くの人が思い出すのは、司馬遷の『史記』「刺客列伝」の荊軻の
風蕭々として易水寒し
壮士ひとたび去ってまた還らず
という言葉でしょう。
中也も当然そのことを知っていて、この言葉を使ったのだと思いますが、その意図は私にはわかりません。