謡曲黒白段・夢中運動の事
地下鉄の中で謡を覚えていますが、…。
私は、能の地謡を通勤の地下鉄の車内で覚えていますので、『謡曲黒白談』の4番目の短編「夢中運動の事」に登場する男性のことは他人事とは思えません。
私の場合、最初に謡本のコピーで詞章を覚え、その後、稽古のときの録音を聞いて節を確認しています。
『謡曲黒白談・夢中運動の事』(夢野久作)
電車の中なぞでよく見受けるが、分別盛り以上の年輩で一廉の服装をして髯なぞを生やしている人が、夢を見るような眼付で天の一方を睨みつつ、お経の化け物見たいな声を高く低く出しながら、手や足を痙攣的に動かして拍子を取っている御仁がある。知らぬものは一寸驚くが、これは狐付きでも何でもない。謡曲の第三期中毒者で、些しも危険の恐れのない発作症状を今現わしているところなのである。謡曲中毒もここまで来ると既に病膏肓に入ったというもので、頓服的忠告や注射的批難位では中々治るものでない。丁度モルヒネだの阿片の中毒と同じで、止めようと思ってもガタンガタンが四楽に聞こえ、ゴドンゴドンが地謡いに聞こえて、唇自ずからふるえ、手足自ずから動き、遂に身心は恍惚として脱落し去って、露西亜(ロシア)で革命党が爆裂弾を投げようが、日本で政府党が選挙に勝とうが、又は乗り換えを忘れようが、終点まで運ばれようが委細構わず、紅塵万丈の熱鬧世界を遠く白雲緬邈の地平線下に委棄し来って、悠々として「四条五条の橋の上」に遊び、「愛鷹山や富士の高峰」の上はるかなる国に羽化登仙し去るのである。
南無阿弥陀仏もよかろう。アーメンも面白かろう。天理教の蒟蒻躍り、静坐法の癲癇舞踊、皆それぞれ相当の境界があろう。けれ共世の中にこれ位高尚で、玄妙で、無害で楽しみの深い境界に容易に到達し得る宗旨は滅多にあるまい。拙者は大方の諸君が一日も早くこの宗旨に帰依して、九段の本山の大会に随喜渇仰の涙を以て臨んで、用いて尽きず施して足らざる事なき大歓喜の至楽を享けられむ事を希望して息まぬものである。
久作が『九段の本山』と呼んでいるのは、東京・九段の靖国神社の能楽堂のことと思われます。
靖国神社能楽堂は、芝能楽堂が明治36(1903)年に奉納され移築されたもので、東京最古の、そして、日本初の能楽堂です。
というのも、明治14(1881)年に芝公園内に完成した芝能楽堂が、“屋根付きの建物の中に能舞台を設置する”という能楽堂という形式で作られた最初の能舞台だからです。
しかし、知らず知らず地下鉄の中でブツブツいっているかもしれないと思うと、恥ずかしくなります。
私は、能の地謡を通勤の地下鉄の車内で覚えていますので、『謡曲黒白談』の4番目の短編「夢中運動の事」に登場する男性のことは他人事とは思えません。
私の場合、最初に謡本のコピーで詞章を覚え、その後、稽古のときの録音を聞いて節を確認しています。
『謡曲黒白談・夢中運動の事』(夢野久作)
電車の中なぞでよく見受けるが、分別盛り以上の年輩で一廉の服装をして髯なぞを生やしている人が、夢を見るような眼付で天の一方を睨みつつ、お経の化け物見たいな声を高く低く出しながら、手や足を痙攣的に動かして拍子を取っている御仁がある。知らぬものは一寸驚くが、これは狐付きでも何でもない。謡曲の第三期中毒者で、些しも危険の恐れのない発作症状を今現わしているところなのである。謡曲中毒もここまで来ると既に病膏肓に入ったというもので、頓服的忠告や注射的批難位では中々治るものでない。丁度モルヒネだの阿片の中毒と同じで、止めようと思ってもガタンガタンが四楽に聞こえ、ゴドンゴドンが地謡いに聞こえて、唇自ずからふるえ、手足自ずから動き、遂に身心は恍惚として脱落し去って、露西亜(ロシア)で革命党が爆裂弾を投げようが、日本で政府党が選挙に勝とうが、又は乗り換えを忘れようが、終点まで運ばれようが委細構わず、紅塵万丈の熱鬧世界を遠く白雲緬邈の地平線下に委棄し来って、悠々として「四条五条の橋の上」に遊び、「愛鷹山や富士の高峰」の上はるかなる国に羽化登仙し去るのである。
南無阿弥陀仏もよかろう。アーメンも面白かろう。天理教の蒟蒻躍り、静坐法の癲癇舞踊、皆それぞれ相当の境界があろう。けれ共世の中にこれ位高尚で、玄妙で、無害で楽しみの深い境界に容易に到達し得る宗旨は滅多にあるまい。拙者は大方の諸君が一日も早くこの宗旨に帰依して、九段の本山の大会に随喜渇仰の涙を以て臨んで、用いて尽きず施して足らざる事なき大歓喜の至楽を享けられむ事を希望して息まぬものである。
久作が『九段の本山』と呼んでいるのは、東京・九段の靖国神社の能楽堂のことと思われます。
靖国神社能楽堂は、芝能楽堂が明治36(1903)年に奉納され移築されたもので、東京最古の、そして、日本初の能楽堂です。
というのも、明治14(1881)年に芝公園内に完成した芝能楽堂が、“屋根付きの建物の中に能舞台を設置する”という能楽堂という形式で作られた最初の能舞台だからです。
しかし、知らず知らず地下鉄の中でブツブツいっているかもしれないと思うと、恥ずかしくなります。


