2008/09/23 19:20:41
夕暮れの硫黄山は少し不気味でした。
日も暮れてきたので、摩周観光文化センターからその日の宿泊地の川湯温泉に直行する予定でしたが、途中、川湯温泉の3kmほど手前にある硫黄山の駐車場がまだ開いていたので、硫黄山に立ち寄りました。
硫黄山〔いおうざん〕は、標高は512mの活火山で、アイヌ語では“アトサヌプリ”と呼ばれています。
アトサヌプリの名は、アイヌ語の“アトゥサ(裸であるの意味)”と“ヌプリ(山)”に由来するとのことです。
溶岩と硫黄に覆われて、木が生えていない姿はまさに、裸の山でした。
車を降りると、硫黄の独特な匂いが駐車場を覆っており、山では硫黄の噴煙がゴウゴウと音を立ててあちこちから立ち上っていました。

現在、落石の危険性があることから立ち入り禁止となっているとのことですが、山の中腹には、安政年間に小噴火した跡があり、アイヌの人たちがこの崖に熊を追い落としたことから「熊落とし」と呼ばれている深さ約50メートルにもなる火口跡があるそうです。
数か所噴気を上げている場所に近寄ることができました。

なお、硫黄山では、明治時代に大規模な硫黄の採掘が行われていたそうです。
明治10(1877)年、明治政府の許可を得た釧路の網元・佐野孫右エ門が採掘に乗りだしたことが発端とされ、その後、採掘権は、函館の銀行家を経て、安田財閥の祖・安田善次郎に移ったそうです。
明治19(1886)年には約14,000tを採鉱して北海道一の硫黄鉱山になり、明治20(1887)年には硫黄山から標茶町までの38kmの間に、北海道で2番目の安田鉱山鉄道が開通し、大量採鉱、大量輸送を実現したそうです。
しかし、その大量採掘の結果、たちまち硫黄資源は枯渇してしまい、明治29(1896)年7月には採掘を休止し、鉄道も同年8月1日に幻のように消えてしまったとのことです。
[2008年9月6日(土):北海道川上郡弟子屈町にて]
日も暮れてきたので、摩周観光文化センターからその日の宿泊地の川湯温泉に直行する予定でしたが、途中、川湯温泉の3kmほど手前にある硫黄山の駐車場がまだ開いていたので、硫黄山に立ち寄りました。
硫黄山〔いおうざん〕は、標高は512mの活火山で、アイヌ語では“アトサヌプリ”と呼ばれています。
アトサヌプリの名は、アイヌ語の“アトゥサ(裸であるの意味)”と“ヌプリ(山)”に由来するとのことです。
溶岩と硫黄に覆われて、木が生えていない姿はまさに、裸の山でした。
車を降りると、硫黄の独特な匂いが駐車場を覆っており、山では硫黄の噴煙がゴウゴウと音を立ててあちこちから立ち上っていました。

現在、落石の危険性があることから立ち入り禁止となっているとのことですが、山の中腹には、安政年間に小噴火した跡があり、アイヌの人たちがこの崖に熊を追い落としたことから「熊落とし」と呼ばれている深さ約50メートルにもなる火口跡があるそうです。
数か所噴気を上げている場所に近寄ることができました。

なお、硫黄山では、明治時代に大規模な硫黄の採掘が行われていたそうです。
明治10(1877)年、明治政府の許可を得た釧路の網元・佐野孫右エ門が採掘に乗りだしたことが発端とされ、その後、採掘権は、函館の銀行家を経て、安田財閥の祖・安田善次郎に移ったそうです。
明治19(1886)年には約14,000tを採鉱して北海道一の硫黄鉱山になり、明治20(1887)年には硫黄山から標茶町までの38kmの間に、北海道で2番目の安田鉱山鉄道が開通し、大量採鉱、大量輸送を実現したそうです。
しかし、その大量採掘の結果、たちまち硫黄資源は枯渇してしまい、明治29(1896)年7月には採掘を休止し、鉄道も同年8月1日に幻のように消えてしまったとのことです。
[2008年9月6日(土):北海道川上郡弟子屈町にて]