2008/06/30 21:04:04
明治34年6月30日、虚子は舟弁慶を謡いました。
正岡子規の『墨汁一滴』によると、見舞い客が帰った後、虚子が舟弁慶を謡ったとあります。
『墨汁一滴』は、明治34(1901)年1月16日から7月2日まで、新聞「日本」に途中4日休んだだけで、164回にわたって連載されました。
『墨汁一滴』(正岡子規)
羯翁〔かつおう〕の催しにて我枕辺に集まる人々、正客不折を初として鳴雪、湖村、虚子、豹軒、及び滝氏ら、蔵六も折から来合されたり。草庵ために光を生ず。
虚子後に残りて謡曲「舟弁慶」一番謡ひ去る。
(六月三十日)
見舞い客のうち、
不折は、明治・大正・昭和期に活躍した日本の洋画家、書家の中村不折(なかむら ふせつ)〔1866~1943年〕のこと、
鳴雪は、明治・大正期に活躍した子規門下の俳人内藤鳴雪(ないとうめいせつ)〔1847~1926年〕のこと、
湖村は、明治・大正・昭和にかけて活躍した漢学者、漢詩人の桂湖村(かつら こそん)〔1868~1937年〕のこと、
豹軒は、中国文学者で和歌を子規に師事した鈴木虎雄(すずき とらお)〔1878年~1963年〕のことと思われます。なお、豹軒は漢詩のときの号とのこと。彼は、戦後も活躍し、1958年に文化功労者に選ばれ、1961年に文化勲章受章しています。
滝氏と蔵六が誰なのかは、私にはわかりませんでした。ご存じの方があれば、お知らせください。
正岡子規の『墨汁一滴』によると、見舞い客が帰った後、虚子が舟弁慶を謡ったとあります。
『墨汁一滴』は、明治34(1901)年1月16日から7月2日まで、新聞「日本」に途中4日休んだだけで、164回にわたって連載されました。
『墨汁一滴』(正岡子規)
羯翁〔かつおう〕の催しにて我枕辺に集まる人々、正客不折を初として鳴雪、湖村、虚子、豹軒、及び滝氏ら、蔵六も折から来合されたり。草庵ために光を生ず。
虚子後に残りて謡曲「舟弁慶」一番謡ひ去る。
(六月三十日)
見舞い客のうち、
不折は、明治・大正・昭和期に活躍した日本の洋画家、書家の中村不折(なかむら ふせつ)〔1866~1943年〕のこと、
鳴雪は、明治・大正期に活躍した子規門下の俳人内藤鳴雪(ないとうめいせつ)〔1847~1926年〕のこと、
湖村は、明治・大正・昭和にかけて活躍した漢学者、漢詩人の桂湖村(かつら こそん)〔1868~1937年〕のこと、
豹軒は、中国文学者で和歌を子規に師事した鈴木虎雄(すずき とらお)〔1878年~1963年〕のことと思われます。なお、豹軒は漢詩のときの号とのこと。彼は、戦後も活躍し、1958年に文化功労者に選ばれ、1961年に文化勲章受章しています。
滝氏と蔵六が誰なのかは、私にはわかりませんでした。ご存じの方があれば、お知らせください。