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今日は、独歩忌です。

わが国の自然主義文学の先駆者として知られる国木田独歩は、今からちょうど100年前の明治41(1908)年の今日(6月23日)に神奈川県茅ヶ崎の結核療養所で肺結核のため亡くなります。36歳の若さでした。

今日は、国木田独歩の代表作『武蔵野』から、夏の武蔵野の散歩の楽しさを描いた章を紹介します。
この頃の独歩は、ワーズワースに傾注しており、作品も浪漫主義的な色彩の濃いものでした。
今日、紹介する章でも、ワーズワースの詩の一節が引用されています。


武蔵野』(国木田独歩)



 今より三年前の夏のことであった。自分はある友と市中の寓居を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、そこで下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある、それを渡ると一軒の掛茶屋がある、この茶屋の婆さんが自分に向かって、「今時分、何にしに来ただア」と問うたことがあった。
 自分は友と顔見あわせて笑って、「散歩に来たのよ、ただ遊びに来たのだ」と答えると、婆さんも笑って、それもばかにしたような笑いかたで、「桜は春咲くこと知らねえだね」といった。そこで自分は夏の郊外の散歩のどんなにおもしろいかを婆さんの耳にも解るように話してみたがむだであった。東京の人はのんきだという一語で消されてしまった。自分らは汗をふきふき、婆さんが剥いてくれる甜瓜を喰い、茶屋の横を流れる幅一尺ばかりの小さな溝で顔を洗いなどして、そこを立ち出でた。この溝の水はたぶん、小金井の水道から引いたものらしく、よく澄んでいて、青草の間を、さも心地よさそうに流れて、おりおりこぼこぼと鳴っては小鳥が来て翼をひたし、喉を湿おすのを待っているらしい。しかし婆さんは何とも思わないでこの水で朝夕、鍋釜を洗うようであった。
 茶屋を出て、自分らは、そろそろ小金井の堤を、水上のほうへとのぼり初めた。ああその日の散歩がどんなに楽しかったろう。なるほど小金井は桜の名所、それで夏の盛りにその堤をのこのこ歩くもよそ目には愚かにみえるだろう、しかしそれはいまだ今の武蔵野の夏の日の光を知らぬ人の話である。
 空は蒸暑い雲が湧きいでて、雲の奥に雲が隠れ、雲と雲との間の底に蒼空が現われ、雲の蒼空に接する処は白銀の色とも雪の色とも譬えがたき純白な透明な、それで何となく穏やかな淡々しい色を帯びている、そこで蒼空が一段と奥深く青々と見える。ただこれぎりなら夏らしくもないが、さて一種の濁った色の霞のようなものが、雲と雲との間をかき乱して、すべての空の模様を動揺、参差、任放、錯雑のありさまとなし、雲を劈く光線と雲より放つ陰翳とが彼方此方に交叉して、不羈奔逸の気がいずこともなく空中に微動している。林という林、梢という梢、草葉の末に至るまでが、光と熱とに溶けて、まどろんで、怠けて、うつらうつらとして酔っている。林の一角、直線に断たれてその間から広い野が見える、野良一面、糸遊上騰して永くは見つめていられない。
 自分らは汗をふきながら、大空を仰いだり、林の奥をのぞいたり、天ぎわの空、林に接するあたりを眺めたりして堤の上を喘ぎ喘ぎ辿ってゆく。苦しいか? どうして! 身うちには健康がみちあふれている。
 長堤三里の間、ほとんど人影を見ない。農家の庭先、あるいは藪の間から突然、犬が現われて、自分らを怪しそうに見て、そしてあくびをして隠れてしまう。林のかなたでは高く羽ばたきをして雄鶏が時をつくる、それが米倉の壁や杉の森や林や藪に籠って、ほがらかに聞こえる。堤の上にも家鶏の群が幾組となく桜の陰などに遊んでいる。水上を遠く眺めると、一直線に流れてくる水道の末は銀粉を撒いたような一種の陰影のうちに消え、間近くなるにつれてぎらぎら輝いて矢のごとく走ってくる。自分たちはある橋の上に立って、流れの上と流れのすそと見比べていた。光線の具合で流れの趣が絶えず変化している。水上が突然薄暗くなるかとみると、雲の影が流れとともに、瞬く間に走ってきて自分たちの上まで来て、ふと止まって、きゅうに横にそれてしまうことがある。しばらくすると水上がまばゆく煌いてきて、両側の林、堤上の桜、あたかも雨後の春草のように鮮かに緑の光を放ってくる。橋の下では何ともいいようのない優しい水音がする。これは水が両岸に激して発するのでもなく、また浅瀬のような音でもない。たっぷりと水量があって、それで粘土質のほとんど壁を塗ったような深い溝を流れるので、水と水とがもつれてからまって、揉みあって、みずから音を発するのである。何たる人なつかしい音だろう!

“――Let us match
This water's pleasant tune
With some old Border song, or catch,
That suits a summer's noon.”

の句も思いだされて、七十二歳の翁と少年とが、そこら桜の木蔭にでも坐っていないだろうかと見廻わしたくなる。自分はこの流れの両側に散点する農家の者を幸福の人々と思った。むろん、この堤の上を麦藁帽子とステッキ一本で散歩する自分たちをも。




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【独歩ファンに会えて感激!】
偶々、独歩全集で「武蔵野」を開いて、このワーズワースの句を見つけたところです。大分県佐伯市「豊後の国佐伯」にいた頃、ワーズワースを持ち歩いたようですが、、、 
今年は独歩生誕150年に当たります。どうぞお暇の折「国木田独歩生誕150年を祝おう」https://www.fujiyama-jp.net/wp/?p=2684「国木田独歩が愛した元越山に登る」https://www.fujiyama-jp.net/wp/?p=3459をご覧ください。
【Re: 独歩ファンに会えて感激!】
藤山照夫さん、こんばんは。

コメントありがとうございます_(._.)_
10年近く放置しているブログなのにもかかわらず、ご訪問いただき、驚くとともに恐縮しています。

今年は独歩の生誕150年なんですね!
元越山に行かれたんですね。
藤山さんのサイトを読み、私もいつの日か訪れてみたくなりました。
そのためにも、一日も早く新型コロナウイルスの感染が収束することを願っています。
【再度ご縁がありました】
私はMacBook Pro を使っています。最近Safariで自分のHP開けないので、他のHPどうかな?と偶々開いたのが、貴殿の「独歩忌」でした。そしてRe「独歩ファンに会えて感激!」を発見して大感激です。この広い日本で独歩を通してのこのご縁を大切にしたいと思います。今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。上記の詩「泉」を英訳しています。もしご関心がありましたらお送りしますので、メールアドレスを教えてください。
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kinkun

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