2008/06/18 20:27:19
明日こそは、梅雨空???
昨日、天気予報によると今日から梅雨空が戻ってくると書きましたが、今日も曇りがちだったものの、午後から日差しもあり暑い一日でした(最近、天気予報はあたらない…)。天気予報によると明日は雨になるようです。
今日は、芥川龍之介の最晩年の短編『三つの窓』の2回目です。
この「三人」という短編も非常に完成度の高い小説です。
この作品の最後に、主人公のK中尉(最後では少将に昇進しています)が揮毫する言葉として、
君看双眼色
不語似無愁
という漢詩の句が出てきます。
この句は良寛が愛した句として有名ですが、
千峯雨霽露光冷(せんぽうあめはれて、ろこうすさまじ)
君看双眼色(きみみよそうがんのいろ)
不語似無憂(かたらざればうれいなきににたり)
大燈国師の句(一行目)に白隠禅師が下の二句(次の二行)をつけたものだそうです。
大燈国師(宗峰妙超〔しゅうほう みょうちょう〕)は、播磨国(兵庫県)の出身の鎌倉時代末期の臨済宗の僧で、後醍醐天皇、花園上皇の帰依を得て大徳寺を開きました。
白隠禅師(白隠慧鶴〔はくいん えかく〕)は、駿河国(静岡県)出身の江戸時代中期の臨済宗の僧で、臨済宗中興の祖と称されています。
『三つの窓』(芥川龍之介)
2 三人
一等戦闘艦××はある海戦を終った後、五隻の軍艦を従えながら、静かに鎮海湾へ向って行った。海はいつか夜になっていた。が、左舷の水平線の上には大きい鎌なりの月が一つ赤あかと空にかかっていた。二万噸の××の中は勿論まだ落ち着かなかった。しかしそれは勝利の後だけに活き活きとしていることは確かだった。ただ小心者のK中尉だけはこう云う中にも疲れ切った顔をしながら、何か用を見つけてはわざとそこここを歩きまわっていた。
この海戦の始まる前夜、彼は甲板を歩いているうちにかすかな角燈の光を見つけ、そっとそこへ歩いて行った。するとそこには年の若い軍楽隊の楽手が一人甲板の上に腹ばいになり、敵の目を避けた角燈の光に聖書を読んでいるのであった。K中尉は何か感動し、この楽手に優しい言葉をかけた。楽手はちょいと驚いたらしかった。が、相手の上官の小言を言わないことを発見すると、たちまち女らしい微笑を浮かべ、怯ず怯ず彼の言葉に答え出した。……しかしその若い楽手ももう今ではメエン・マストの根もとに中った砲弾のために死骸になって横になっていた。K中尉は彼の死骸を見た時、俄かに「死は人をして静かならしむ」と云う文章を思い出した。もしK中尉自身も砲弾のために咄嗟に命を失っていたとすれば、――それは彼にはどう云う死よりも幸福のように思われるのだった。
昨日、天気予報によると今日から梅雨空が戻ってくると書きましたが、今日も曇りがちだったものの、午後から日差しもあり暑い一日でした(最近、天気予報はあたらない…)。天気予報によると明日は雨になるようです。
今日は、芥川龍之介の最晩年の短編『三つの窓』の2回目です。
この「三人」という短編も非常に完成度の高い小説です。
この作品の最後に、主人公のK中尉(最後では少将に昇進しています)が揮毫する言葉として、
君看双眼色
不語似無愁
という漢詩の句が出てきます。
この句は良寛が愛した句として有名ですが、
千峯雨霽露光冷(せんぽうあめはれて、ろこうすさまじ)
君看双眼色(きみみよそうがんのいろ)
不語似無憂(かたらざればうれいなきににたり)
大燈国師の句(一行目)に白隠禅師が下の二句(次の二行)をつけたものだそうです。
大燈国師(宗峰妙超〔しゅうほう みょうちょう〕)は、播磨国(兵庫県)の出身の鎌倉時代末期の臨済宗の僧で、後醍醐天皇、花園上皇の帰依を得て大徳寺を開きました。
白隠禅師(白隠慧鶴〔はくいん えかく〕)は、駿河国(静岡県)出身の江戸時代中期の臨済宗の僧で、臨済宗中興の祖と称されています。
『三つの窓』(芥川龍之介)
2 三人
一等戦闘艦××はある海戦を終った後、五隻の軍艦を従えながら、静かに鎮海湾へ向って行った。海はいつか夜になっていた。が、左舷の水平線の上には大きい鎌なりの月が一つ赤あかと空にかかっていた。二万噸の××の中は勿論まだ落ち着かなかった。しかしそれは勝利の後だけに活き活きとしていることは確かだった。ただ小心者のK中尉だけはこう云う中にも疲れ切った顔をしながら、何か用を見つけてはわざとそこここを歩きまわっていた。
この海戦の始まる前夜、彼は甲板を歩いているうちにかすかな角燈の光を見つけ、そっとそこへ歩いて行った。するとそこには年の若い軍楽隊の楽手が一人甲板の上に腹ばいになり、敵の目を避けた角燈の光に聖書を読んでいるのであった。K中尉は何か感動し、この楽手に優しい言葉をかけた。楽手はちょいと驚いたらしかった。が、相手の上官の小言を言わないことを発見すると、たちまち女らしい微笑を浮かべ、怯ず怯ず彼の言葉に答え出した。……しかしその若い楽手ももう今ではメエン・マストの根もとに中った砲弾のために死骸になって横になっていた。K中尉は彼の死骸を見た時、俄かに「死は人をして静かならしむ」と云う文章を思い出した。もしK中尉自身も砲弾のために咄嗟に命を失っていたとすれば、――それは彼にはどう云う死よりも幸福のように思われるのだった。