夢野久作
今日は、夢野久作が47歳で亡くなった日です。
夢野久作(ゆめの きゅうさく)〔明治22(1889)年1月4日〜昭和11(1936)年3月11日〕は、本名は杉山泰道(すぎやま たいどう)と言い、福岡市出身の小説家です。
日本探偵小説三大奇書の一つに数えられる奇書『ドグラ・マグラ』で有名です。
久作は、能楽と非常に縁が深かったことでも知られています。3歳のときに、元黒田藩能楽師範、喜多流梅津只圓師に入門し、大正7(1918)年、29歳のときに喜多流の謡曲教授になります。
この久作の師匠、梅津只圓は、明治維新後の福岡を代表する名人として知られ、喜多流宗家の千代造の指導者の一人として請われて上京し、千代造に芸を伝授したといわれています。
この千代造が後に名人中の名人と言われた第十四世喜多六平太能心です。
今日、紹介する『能の起源』という評論は、大正15(1926)11月1日から、当時勤めていた“九州日報”に杉山萠圓の筆名で連載した長篇評論「能とは何か」(発表当時は、「能とは何ぞや」の中の一編です。
なお、この年の、10月に雑誌“新青年”に発表した「あやかしの鼓」で、初めて夢野久作の筆名を用いています。
『能の起原』(夢野久作)
能は今から数百年前……たしかな事は記憶しないが、日本が今の王政でなく、その前の徳川幕府以前の、戦国時代のモウ一ツ以前の足利将軍時代に出来たもので、その当時はこれを猿楽と云っていた。この猿楽が能の初まりである事は確実らしいので、能の曲目に選ばれている伝説や史実に、その以前の鎌倉時代以後の事がないのを見てもわかる。
夢野久作(ゆめの きゅうさく)〔明治22(1889)年1月4日〜昭和11(1936)年3月11日〕は、本名は杉山泰道(すぎやま たいどう)と言い、福岡市出身の小説家です。
日本探偵小説三大奇書の一つに数えられる奇書『ドグラ・マグラ』で有名です。
久作は、能楽と非常に縁が深かったことでも知られています。3歳のときに、元黒田藩能楽師範、喜多流梅津只圓師に入門し、大正7(1918)年、29歳のときに喜多流の謡曲教授になります。
この久作の師匠、梅津只圓は、明治維新後の福岡を代表する名人として知られ、喜多流宗家の千代造の指導者の一人として請われて上京し、千代造に芸を伝授したといわれています。
この千代造が後に名人中の名人と言われた第十四世喜多六平太能心です。
今日、紹介する『能の起源』という評論は、大正15(1926)11月1日から、当時勤めていた“九州日報”に杉山萠圓の筆名で連載した長篇評論「能とは何か」(発表当時は、「能とは何ぞや」の中の一編です。
なお、この年の、10月に雑誌“新青年”に発表した「あやかしの鼓」で、初めて夢野久作の筆名を用いています。
『能の起原』(夢野久作)
能は今から数百年前……たしかな事は記憶しないが、日本が今の王政でなく、その前の徳川幕府以前の、戦国時代のモウ一ツ以前の足利将軍時代に出来たもので、その当時はこれを猿楽と云っていた。この猿楽が能の初まりである事は確実らしいので、能の曲目に選ばれている伝説や史実に、その以前の鎌倉時代以後の事がないのを見てもわかる。
猿楽の前身が何であったかに就いては、色々な学者の説があるそうであるが、私にはわからない。もしかするとその頃までに相当発達していたであろう芝居、物真似、田楽、狂言、民謡、又は神楽、雅楽、催馬楽なぞいうものの中から、芸術的に高潮した……イイナア……と思われる処だけを抜き萃めて、仮面舞踊として演出しているうちに一つの演出の型が出来上ったのかも知れない。たとえば主演者と助演者の科白や、所作の振り割りとか、舞、謡、囃子の演出に関する芸術的責任の分野とか、次第、道行き、一声、サシ、下歌、上歌、初同、サシクセ、ロンギ、笛の舞、切りというような演出の順序とかいうものが、舞、謡、囃子の舞台効果を目標として洗練されて行くうちに自から生れ出たものではないかとも考えられる。それに色々な出来事や、物語を嵌め込んで、能と名付けて興行したものかとも考えられるのであるが、しかし、これは要するに一ツの推量で、当てにはならない。正直に云うと私は只、猿楽と名の付いた以後の「能」に就いてしか考え得ないのである。
その猿楽という名前が、どこから来たものかという事に就いても、色々の説があるらしいが、私にはサッパリわからない。能はよく物の真似をして舞うために、よく人の真似をする猿の名を冠せたものではあるまいかという人もあるそうであるが、もしそうとすれば、現在の舞の手ぶりの中には、その真似の分子も沢山あると同時に、真似でなくて直接にその物(月なら月、風なら風)をそのままに現わす舞い方が又、非常に沢山あるのを考え合わせると、その原始的な物真似から蝉脱して来た表現の進化が、如何に甚しいかがわかる。
久作の能楽の歴史的な変化(久作は『進化』と言っていますが…)についての考え方が良くわかるん文章です。
その猿楽という名前が、どこから来たものかという事に就いても、色々の説があるらしいが、私にはサッパリわからない。能はよく物の真似をして舞うために、よく人の真似をする猿の名を冠せたものではあるまいかという人もあるそうであるが、もしそうとすれば、現在の舞の手ぶりの中には、その真似の分子も沢山あると同時に、真似でなくて直接にその物(月なら月、風なら風)をそのままに現わす舞い方が又、非常に沢山あるのを考え合わせると、その原始的な物真似から蝉脱して来た表現の進化が、如何に甚しいかがわかる。
久作の能楽の歴史的な変化(久作は『進化』と言っていますが…)についての考え方が良くわかるん文章です。


