2008/03/02 22:43:28
木のもとに 汁も鱠も 桜かな
この句は、元禄3年の3月2日(新暦では、1690年4月10日)に、伊賀上野の小川風麦亭での俳席で芭蕉が詠んだ句で、芭蕉七部集の一つ「ひさご」の巻頭の発句です。
この句は、芭蕉が発句の“かるみ”に言及をしている唯一の句として知られています。
「三冊子」で、「木のもとに汁も鱠も桜かな」の句について『花見の句のかゝりを少し心得て、軽みをしたり』と述べています。
芭蕉における“かるみ”については、京都大学教授だった頴原退蔵(1894-1948)氏が、“かるみ”を『芭蕉が最後に辿り着いた俳諧の境地』としたのに対し、早稲田大学教授だった中村俊定(1900年-1984)氏は、『風躰即ち姿の問題で、芭蕉晩年の新風調の特質としての表現様相に名づけられたもの』として対立し、現在に至るまで、“かるみ”を「境地」と解するか、「風体」と解するかという議論が続いているそうです。
いずれにしても、満開の桜の下での宴席の様子が目に浮かぶ句ですね。
桜の季節が待ち遠しく感じられます。
この句は、元禄3年の3月2日(新暦では、1690年4月10日)に、伊賀上野の小川風麦亭での俳席で芭蕉が詠んだ句で、芭蕉七部集の一つ「ひさご」の巻頭の発句です。
この句は、芭蕉が発句の“かるみ”に言及をしている唯一の句として知られています。
「三冊子」で、「木のもとに汁も鱠も桜かな」の句について『花見の句のかゝりを少し心得て、軽みをしたり』と述べています。
芭蕉における“かるみ”については、京都大学教授だった頴原退蔵(1894-1948)氏が、“かるみ”を『芭蕉が最後に辿り着いた俳諧の境地』としたのに対し、早稲田大学教授だった中村俊定(1900年-1984)氏は、『風躰即ち姿の問題で、芭蕉晩年の新風調の特質としての表現様相に名づけられたもの』として対立し、現在に至るまで、“かるみ”を「境地」と解するか、「風体」と解するかという議論が続いているそうです。
いずれにしても、満開の桜の下での宴席の様子が目に浮かぶ句ですね。
桜の季節が待ち遠しく感じられます。