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今から72年前の今日、

昭和11年(1936)年2月26日、陸軍の青年将校らが1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて、クーデター未遂事件を起こします。いわゆる二・二六事件です。

名古屋とも関係の深いジャーナリスト桐生悠々は、この二・二六事件についても激しく非難します。
桐生悠々(明治6(1873)年生まれ)は、石川県出身の反骨・反軍で知られたジャーナリストです。
悠々は、日露戦争後から日米開戦前夜に至るまで、信濃毎日新聞新愛知新聞の主筆として、また晩年は、個人雑誌『他山の石』の発行人として、反戦と不正追及の姿勢を貫きます。
明治40(1910)年から大正3(1914)年まで、信濃毎日新聞の主筆を務め、その後、大正3(1914)年から大正13(1924)年までは新愛知新聞の主筆として名古屋に赴任し、社説およびコラム「緩急車」で反権力・反軍の論陣の張ります。
その後、昭和3(1928)年に信濃毎日新聞の主筆に復帰し、昭和8(1933)年8月11日、東京市を中心とした関東一帯で行われた防空演習を批判した社説『関東防空大演習を嗤ふ』を執筆します。
この社説は、12年後の日本各都市の空襲による惨状をかなり正確に予言したことで、現在では高く評価されていますが、当時は、陸軍の怒りを買い、9月に退社に追い込まれます。
以後、死に至るまでの8年間を名古屋郊外の守山(現在の名古屋市守山区)の自宅で「名古屋読書会」の主宰者として、個人雑誌『他山の石』を毎月2回発行して時局批判、軍部攻撃を続けます。
そのため、この雑誌もたびたびの発禁処分を受け、ついに昭和16(1941)年8月、愛知県当局から廃刊命令を受けます。そして、悠々はその翌月の9月10日に69歳で亡くなります。

今日は、二・二六事件から3か月あまりたった6月に、悠々が「他山の石」に発表した『言いたい事と言わねばならない事と』を紹介します。



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kinkun

Author:kinkun
名古屋春栄会のホームページの管理人

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