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今日は、夏目漱石が博士号を辞退した日です。

明治44(1911)年2月20日、文部省が、漱石文学博士号授与を通知します。しかし、その翌21日に、漱石はこれを辞退します。その後、両者の対立は2か月近く続くことになります。
結局、4月11日に文部省は既に発令ずみだから辞退はできないと漱石に伝え、13日に漱石が改めて拒否します。
このときのやり取りを漱石は、4月15日の東京朝日新聞に「博士問題の成行」と題して寄稿しています。

わが国の学位は、明治19(1886)年に帝国大学令(勅令)が、翌明治20(1887)年に学位令(勅令)が発布され、日本で教育を受けた者や一定の研究を行った者に、大博士または博士の学位を文部大臣が授与することになりました。
このとき、博士の種類は、法学、医学、工学、文学、理学の5種類でした。
その後、明治31(1898)年に大博士が廃止され、大正9(1920)年には、文部大臣の認可を得て大学が授与する形になりますが、戦前は一貫して文部大臣が関与するものでした。
戦後、学位令は廃止され、昭和28(1953)年定められた学位規則が公布され、大学院をおく大学が授与する形になりました。


博士問題の成行』(夏目漱石)


 二月二十一日に学位を辞退してから、二カ月近くの今日に至るまで、当局者と余とは何らの交渉もなく打過ぎた。ところが四月十一日に至って、余は図らずも上田万年、芳賀矢一二博士から好意的の訪問を受けた。二博士が余の意見を当局に伝えたる結果として、同日午後に、余はまた福原専門学務局長の来訪を受けた。局長は余に文部省の意志を告げ、余はまた局長に余の所見を繰返して、相互の見解の相互に異なるを遺憾とする旨を述べ合って別れた。
 翌十二日に至って、福原局長は文部省の意志を公けにするため、余に左の書翰を送った。実は二カ月前に、余が局長に差出した辞退の申し出に対する返事なのである。
「復啓二月二十一日付を以て学位授与の儀御辞退相成たき趣御申出相成候処已に発令済につき今更御辞退の途もこれなく候間御了知相成たく大臣の命により別紙学位記御返付かたがたこの段申進候敬具」




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