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今日は、満州国が独立を宣言した日です。

昭和7(1932)年2月18日、満州国は「党国政府と関係を脱離し東北省区は完全に独立せり」と中国国民党政府からの分離独立宣言します。
満州でのわが国の利権は、日露戦争〔明治37(1904)年-明治38(1905年)〕に勝利し、ポーツマス条約によってロシアから、東清鉄道の支線・長春~大連間の鉄道施設とその付属地の譲渡を受け、南満州鉄道株式会社(満鉄)を設立したことに始まります。

今日は、漱石が学生時代の親友・中村の思い出について書いた短編「変化」を紹介します。この作品は、『永日小品』の24番目の短編です。

中村というのは、漱石と第一高等中学校の同期で親友だった中村是公(なかむら よしこと)のことです。通称は「ぜこう」だったとのことです。漱石も「ぜこう」と呼んでいたようです。
中村は、漱石と同じ、慶応3(1867)年生まれです。
明治26(1893)年に東京帝国大学を卒業して、大蔵省に入省、台湾総督府勤務を経て、明治39(1906)年に初代満鉄総裁後藤新平の下で副総裁、明治41(1908)年に第2代満鉄総裁に就任します。
漱石が大正5(1916)年に亡くなった後、大正6(1917)年に貴族院議員となり、翌大正7(1918)年に鉄道院総裁関東大震災後の大正13(1923)年に東京市長に就任します。
昭和2(1927)年に、漱石と同じ胃潰瘍で亡くなります。

永日小品・変化』(夏目漱石)


 二人は二畳敷の二階に机を並べていた。その畳の色の赤黒く光った様子がありありと、二十余年後の今日までも、眼の底に残っている。部屋は北向で、高さ二尺に足らぬ小窓を前に、二人が肩と肩を喰っつけるほど窮屈な姿勢で下調をした。部屋の内が薄暗くなると、寒いのを思い切って、窓障子を明け放ったものである。その時窓の真下の家の、竹格子の奥に若い娘がぼんやり立っている事があった。静かな夕暮などはその娘の顔も姿も際立って美しく見えた。折々はああ美しいなと思って、しばらく見下していた事もあった。けれども中村には何にも言わなかった。中村も何にも言わなかった。


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kinkun

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