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大正時代の眼鏡は、鼻眼鏡が

主流だったのでしょうか。
鼻眼鏡は、19世紀後半にヨーロッパで流行した耳当てがなく、鼻をばねで抑える形のメガネです。鼻の低い日本人にはあまり向いていないとされましたが、大正時代になると鼻あての面積を大きくとり、できるだけ日本人の鼻にフィットするように工夫したデザインのものが作られるようになり、いわゆる文化人の間で人気を博したようです。
この老紳士鼻眼鏡をかけています。
しかし、大正6(1917)年頃、アメリカから輸入された、いわゆるロイド眼鏡とよばれる形のセルロイドのフレームのメガネが脚光を浴び、徐々に鼻眼鏡はすたれていきます。
この短編の発表された大正7(1918)年は、ちょうどその頃なので、芥川は旧世代のシンボルとして老紳士鼻眼鏡をかけさせたのでしょうか。

今日も、芥川龍之介の短編『西郷隆盛』を紹介します。今日で最後ですが、話は思わぬ方向に展開し、最後にどんでん返しがあります。
その部分は、作品を読んで楽しんでください。

ところで、老紳士は、『君は狄青が濃智高の屍を検した話を知っていますか』と本間に問い、本間が知らないと言うと、『狄青が五十里を追うて、大理に入った時、敵の屍体を見ると、中に金竜の衣を着ているものがある。衆は皆これを智高だと云ったが、狄青は独り聞かなかった。『安んぞその詐りにあらざるを知らんや。むしろ智高を失うとも、敢て朝廷を誣いて功を貪らじ』』と狄青の逸話を話しますが、この逸話には疑問点があります。
狄青(1008~1057)は、北宋の第4代皇帝仁宗(1010~ 1063、在位:1022~1063)の時代の軍人で、西夏との戦いで常に先鋒をつとめ、4年間に25戦してしばしば強敵を破ったとされ、中国史を代表する名将の一人です。
1052年に、儂智高の乱が起こると、宣撫荊湖南北路・経制広南盗賊事に任ぜられ、不意をついて夜襲し、乱を鎮圧したとされています。
儂智高(1025~1055)は、1052年、宋に叛き、邕州を攻め落とし、大南国を建てて仁恵皇帝を自称しますが、狄青らの宋軍に敗退し、雲南の大理に逃れたとされ、1055年に大理国王に殺され、その首が北宋の首都開封に送られてきたとされています。
この戦いの際に、狄青が逃げる儂智高を追おうとする諸将に対し、深追いを避けさせたというのは有名な話ですが、この逸話は聞いたことがありません。史実とは異なる内容なので、俗説でしょうか、あるいは芥川の創作でしょうか。
私も懐疑論者になってしまいそうです。

西郷隆盛』〔3〕(芥川龍之介)


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 それから十分ばかりたった後の事である。白葡萄酒のコップとウイスキイのコップとは、再び無愛想なウェエタアの手で、琥珀色の液体がその中に充された。いや、そればかりではない。二つのコップを囲んでは、鼻眼鏡をかけた老紳士と、大学の制服を着た本間さんとが、また前のように腰を下している。その一つ向うのテエブルには、さっき二人と入れちがいにはいって来た、着流しの肥った男と、芸者らしい女とが、これは海老のフライか何かを突ついてでもいるらしい。滑かな上方弁の会話が、纏綿として進行する間に、かちゃかちゃ云うフォオクの音が、しきりなく耳にはいって来た。




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