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今日は、漱石の貰った十円の謝礼の話です。

漱石が学習院での講演の謝礼として十円を貰います。そのことについて、漱石は、「御礼を受けるより受けない時の方がよほど颯爽していた」と思っています。
そして、別の講演の話を持ってきた畔柳芥舟に、自分にとって講演は、「労力を売りに行ったのでは」なく、「好意ずくで依頼に応じたのだから、向うでも好意だけで私に酬いたらよかろうと思う」と不満を述べます。
さらに、「もし岩崎とか三井とかいう大富豪に講演を頼むとした場合に、後から十円の御礼を持って」行かず、「挨拶だけにとどめておく」だろうから、「岩崎や三井に十円の御礼を持って行く事が失礼ならば、私の所へ十円の御礼を持って来るのも失礼」だとまで言います。
その理由として、「私の現下の経済的生活は、この十円のために、ほとんど目に立つほどの影響を蒙らないのだから」と付け加えます。
大正初期は、第1次世界大戦の影響で物価が急騰しているときですが、それでも当時の10円は、今の10万円程度に当たります(人件費の換算です。食料品の値段などはそんなに上昇していません)。

なお、畔柳芥舟(くろやなぎ かいしゅう)は、評論家・英文学者として知られ、漱石がロンドンから帰国後の明治36(1903)年に赴任した第一高等学校の同僚でした。

硝子戸の中』(夏目漱石)

十五

 私が去年の十一月学習院で講演をしたら、薄謝と書いた紙包を後から届けてくれた。立派な水引がかかっているので、それを除して中を改めると、五円札が二枚入っていた。私はその金を平生から気の毒に思っていた、或懇意な芸術家に贈ろうかしらと思って、暗に彼の来るのを待ち受けていた。ところがその芸術家がまだ見えない先に、何か寄附の必要ができてきたりして、つい二枚とも消費してしまった。
 一口でいうと、この金は私にとってけっして無用なものではなかったのである。世間の通り相場で、立派に私のために消費されたというよりほかに仕方がないのである。けれどもそれを他にやろうとまで思った私の主観から見れば、そんなにありがたみの附着していない金には相違なかったのである。打ち明けた私の心持をいうと、こうした御礼を受けるより受けない時の方がよほど颯爽していた。




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kinkun

Author:kinkun
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