2007/12/14 23:54:32
今日は、四十七士討ち入りの日です。
元禄15年12月14日(現在の暦では、1703年1月30日)に、赤穂浪士、いわゆる四十七士が吉良上野介邸に討ち入りました。これにちなんで、吉良邸跡である両国の松坂公園と赤穂浪士の墓所のある泉岳寺、赤穂市で、毎年、義士祭が行われています。
忠臣蔵では、討ち入りの日の前夜、煤払竹売に変装して吉良屋敷を探索していた四十七士の一人大高源五が、両国橋で源五の俳諧の師匠である宝井其角と出会い、其角の「年の瀬や水の流れも人の身も」という発句に「あした待たるるこの宝船」と返し、仇討ちをほのめかす場面が有名です。
明治になり、この場面を主題にした歌舞伎『松浦の太鼓』がつくられました。
実在の大高源五は、正式には大高忠雄(おおたか ただお)といい、赤穂藩では、金奉行・膳番元方・腰物方、20石5人扶持だったとのこと。源五は通称だそうです。
また、俳諧をよくしていたのは事実のようですが師匠は水間沾徳(みずませんとく)で、討ち入りの夜、水間家の格子戸に源吾の筆で「山をさくちからも折れて松の雪 子葉」「世にさた御座候までは 御さたなし下されまじく候」と書かれた文が投げ入れてあったということです。子葉は源五の俳号です。
元禄15年12月14日(現在の暦では、1703年1月30日)に、赤穂浪士、いわゆる四十七士が吉良上野介邸に討ち入りました。これにちなんで、吉良邸跡である両国の松坂公園と赤穂浪士の墓所のある泉岳寺、赤穂市で、毎年、義士祭が行われています。
忠臣蔵では、討ち入りの日の前夜、煤払竹売に変装して吉良屋敷を探索していた四十七士の一人大高源五が、両国橋で源五の俳諧の師匠である宝井其角と出会い、其角の「年の瀬や水の流れも人の身も」という発句に「あした待たるるこの宝船」と返し、仇討ちをほのめかす場面が有名です。
明治になり、この場面を主題にした歌舞伎『松浦の太鼓』がつくられました。
実在の大高源五は、正式には大高忠雄(おおたか ただお)といい、赤穂藩では、金奉行・膳番元方・腰物方、20石5人扶持だったとのこと。源五は通称だそうです。
また、俳諧をよくしていたのは事実のようですが師匠は水間沾徳(みずませんとく)で、討ち入りの夜、水間家の格子戸に源吾の筆で「山をさくちからも折れて松の雪 子葉」「世にさた御座候までは 御さたなし下されまじく候」と書かれた文が投げ入れてあったということです。子葉は源五の俳号です。
【数年前に『文楽・忠臣蔵』を『聞き(拝見)』に行きました】
私は数年前に、本命(?!)は『大阪金春会』の演能会を観に行った際、その年が丁度【文楽のユネスコ世界文化遺産登録1周年記念公演】の舞台が『忠臣蔵』でした。 今思えば、本当に幸いな事に当時【最晩年】となっていらした【人間国宝の『吉田 玉男 師』】のお姿を拝見できました。
ご存知の方に於かれましては、【当たり前】の事かも知れませんが、文楽の『忠臣蔵』は二部制で、朝から夕方5時前迄は何とかチケットを入手して舞台を拝見したのですが、翌日が【本命!!大阪金春会】での『きんくん さん』の師匠【K・H先生の『井筒』】という【超レア(?!)⇒(^_^;)】の舞台だった為、泣く泣く『第二部・夜』の舞台は諦めました。
☆…この2日間【文楽での女性の人形遣い】の【艶っぽさ】&【K・H先生の『井筒』】の【おシテのお姿の余りの愛らしさ…。】に、一応(?!)『女性』である私は、【(ー。ー;)…】という風に(?!)ため息をつきまくってしまった2日間でした。 その話をする度に御流儀で東京の【H・M先生】を『笑いのツボ』に(?!)…。
おシテを演じられたご本人、【奈良の男前(ー☆)!!⇒K・H先生】には、『また、マニアックやなぁ~(^_^;)…』とお喜び(?!)のお言葉を戴いています。
この書き込みをさせて戴いた12/15日(土)に国営TVのハイビジョンでも放送が有ったのですが、残念ながら用事の為に録画と放送を見る事が出来ませんでした。
でも【奈良の男前(ー☆)!!⇒K・H先生】には、また何時の日か【三番目物】を演じて戴きたいのですが、【天国の晃實先生】は、【(ーー#)】というお顔をなさっていらっしゃるかも知れませんね…。【(^_^;)】
毎回まとまりのない『書き込み』で失礼致しました。⇒【<m(__)m>】
私は数年前に、本命(?!)は『大阪金春会』の演能会を観に行った際、その年が丁度【文楽のユネスコ世界文化遺産登録1周年記念公演】の舞台が『忠臣蔵』でした。 今思えば、本当に幸いな事に当時【最晩年】となっていらした【人間国宝の『吉田 玉男 師』】のお姿を拝見できました。
ご存知の方に於かれましては、【当たり前】の事かも知れませんが、文楽の『忠臣蔵』は二部制で、朝から夕方5時前迄は何とかチケットを入手して舞台を拝見したのですが、翌日が【本命!!大阪金春会】での『きんくん さん』の師匠【K・H先生の『井筒』】という【超レア(?!)⇒(^_^;)】の舞台だった為、泣く泣く『第二部・夜』の舞台は諦めました。
☆…この2日間【文楽での女性の人形遣い】の【艶っぽさ】&【K・H先生の『井筒』】の【おシテのお姿の余りの愛らしさ…。】に、一応(?!)『女性』である私は、【(ー。ー;)…】という風に(?!)ため息をつきまくってしまった2日間でした。 その話をする度に御流儀で東京の【H・M先生】を『笑いのツボ』に(?!)…。
おシテを演じられたご本人、【奈良の男前(ー☆)!!⇒K・H先生】には、『また、マニアックやなぁ~(^_^;)…』とお喜び(?!)のお言葉を戴いています。
この書き込みをさせて戴いた12/15日(土)に国営TVのハイビジョンでも放送が有ったのですが、残念ながら用事の為に録画と放送を見る事が出来ませんでした。
でも【奈良の男前(ー☆)!!⇒K・H先生】には、また何時の日か【三番目物】を演じて戴きたいのですが、【天国の晃實先生】は、【(ーー#)】というお顔をなさっていらっしゃるかも知れませんね…。【(^_^;)】
毎回まとまりのない『書き込み』で失礼致しました。⇒【<m(__)m>】
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