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Sentimentalisme(サンチマンタリスム)

なぜ、芥川龍之介は、『羅生門』の中で唯一この言葉だけフランス語を使ったのでしょうか。
しかも、「平安朝の下人の Sentimentalisme 」という表現で。
この物語の主人公である下人のこうした性格が、物語の主題と密接な関係があるのは間違いないでしょう。芥川龍之介は、そのことを強調したかったのかもしれません。
前回も書きましたが、私は下人20代半ばぐらいの青年だと思っていましたが、それは「永年、使われていた主人から、暇を出された」という箇所から感じたことです。
しかし、主人から暇を出されたら「『盗人になるよりほかに仕方がない』」と考える短絡的なところは、やはり思春期の少年と考える方がしっくりくるように感じます。


『羅生門』(芥川龍之介) その2


作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。
しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。
ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈である。
所がその主人からは、四五日前に暇を出された。
前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微していた。
今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。
だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。
その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。
申の刻下りからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。
そこで、下人は、何をおいても差当り明日の暮しをどうにかしようとして――云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。




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kinkun

Author:kinkun
名古屋春栄会のホームページの管理人

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