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「芸術は生活の過剰ださうである」
「人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である」
「僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ」


芥川龍之介の芸術観を示す言葉と知られるこれらの言葉は、実は芥川関東大震災後の東京の都心を歩いている文章に登場するものです。

今日は、昨日(2011年3月29日の日記参照)に続き、芥川龍之介の『大正十二年九月一日の大震に際して』からその文章を紹介します。

大正十二年九月一日の大震に際して』(芥川龍之介

一 大震雑記



 僕は丸の内の焼け跡を通つた。此処を通るのは二度目である。この前来た時には馬場先の濠に何人も泳いでゐる人があつた。けふは――僕は見覚えのある濠の向うを眺めた。堀の向うには薬研なりに石垣の崩れた処がある。崩れた土は丹のやうに赤い。崩れぬ土手は青芝の上に不相変松をうねらせてゐる。其処にけふも三四人、裸の人人が動いてゐた。何もさう云ふ人人は酔興に泳いでゐる訣ではあるまい。しかし行人たる僕の目にはこの前も丁度西洋人の描いた水浴の油画か何かのやうに見えた、今日もそれは同じである。いや、この前はこちらの岸に小便をしてゐる土工があつた。けふはそんなものを見かけぬだけ、一層平和に見えた位である。
 僕はかう云ふ景色を見ながら、やはり歩みをつづけてゐた。すると突然濠の上から、思ひもよらぬ歌の声が起つた。歌は「懐しのケンタツキイ」である。歌つてゐるのは水の上に頭ばかり出した少年である。僕は妙な興奮を感じた。僕の中にもその少年に声を合せたい心もちを感じた。少年は無心に歌つてゐるのであらう。けれども歌は一瞬の間にいつか僕を捉へてゐた否定の精神を打ち破つたのである。
 芸術は生活の過剰ださうである。成程さうも思はれぬことはない。しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ。更に又巧みにその過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ。生活に過剰をあらしめるとは生活を豊富にすることである。
 僕は丸の内の焼け跡を通つた。けれども僕の目に触れたのは猛火も亦焼き難い何ものかだつた。


芥川震災からの復興にあたって、芸術も“人間を人間たらしめる”ものとして必要なものの一つだと考えていたことがわかります。
そして、被災しなかった者(実際は、芥川自身も被害は少なかったものの被災者の一人ですが)として、その本業に専念する決意の表明でもあるような気がします。

私も、復興にあたっては“生活の過剰”も必要なものだと思っています。



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kinkun

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