2011/02/21 20:23:12
『鼻』の元になった話です。
今日は、「今昔物語」の『池尾禅珍内供鼻語』を紹介します。
『池尾禅珍内供鼻語』〔「今昔物語」巻第二十八 本朝付世俗(滑稽譚) 第二十話〕
今は昔、池尾と云ふ所に禅珍内供と云ふ僧住みき。
身浄くて真言などよく習ひて、ねんごろに行法を修してありければ、池尾の常塔・僧房などつゆ荒れたる所なく、常燈・仏聖なども絶えずして、折節の僧供・寺の講説など滋く行はせければ、寺の内に僧坊隙なく住みければ、賑ははしく見ゆ。
かく栄ゆる寺なれば、その辺に住む小家ども、員数た出て来て、郷も賑はひけり。
さて、この内供は、鼻の長かりける、五六寸ばかりなりければ、頤よりも下りてなむ見えける。
色は赤く紫色にして、大柑子の皮の様にして、つぶ立ちてぞ膨れたりける。
それがいみじく痒かりける事限りなし。
されば、提に湯を熱く湧して、折敷をその鼻通るばかりに窟ちて、火の気に面の熱く炮らるれば、その折敷の穴に鼻を指通して、その提に指入れてぞ茹で、よく茹でて引き出でたれば、色は紫色になりたるを、喬様に臥して、鼻の下に物をかひて、人を以て踏ますれば、黒くつぶ立ちたる穴毎に、煙の様なる物出づ。それを責めて踏めば、白き小虫の穴毎に指出でたるを、鑷子を以て抜けば、四分ばかりの白き虫を穴毎よりぞ抜き出でける。
その跡は穴にて開きてなむ見えける。
それをまた同じ湯に指入れてさらめき、湯に初のごとく茹づれば、鼻いと小さく萎まりて、例の人の小さき鼻になりぬ。
また二三日になりぬれば、痒いくてふくれ延びて、本のごとくに腫れて大きになりぬ。
かくのごとくにしつつ、腫れたる日員は多くぞありける。
しかれば、物食ひ粥などを食ふ時には、弟子の法師を以て、平らなる板の一尺ばかりなるが広さ一寸ばかりなるを鼻の下に指入れて、向ひゐて上様に指し上げさせて、物食ひ果つるまでゐて、食ひ果つれば打ち下して去りぬ。
それに異人を以て上げさする時には、悪しく指し上げければ、むつかりて物も食はずなりぬ。
されば、この法師をなむ定めて持て上げさせける。
それに、その法師、心地悪しくして出で来ざりける時に、内供、朝粥食ひけるに、鼻持て上ぐる人のなかりければ、「いかがせむとする」などあつかふ程に、童のありけるが、「己はしもよく持て上げ奉りてむかし。さらによもその小院に劣らじ」と云ひけるを、異弟子の法師の聞きて、「この童はしかしかなむ申す」と云ひければ、この童、中童子の見目も穢気なくて、上にも召し上げて仕ひける者にて、「さらばその童召せ。さ云はばこれ持て上げさせむ」と云ひければ、童召し将て来たりぬ。
童、鼻持て上の木を取りて、直しく向ひて、よき程に高く持て上げて粥を飲ますれば、内供、「この童はいみじき上手にこそありけれ。例の法師には増さりたりけり」と云ひて、粥を飲める程に、童、顔を喬様に向けて、鼻を高くひる。
その時に童の手震ひて、鼻持て上の木動きぬれば、鼻を粥の鋺にふたと打ち入れつれば、粥を内供の顔にも童の顔にも多く懸けぬ。
内供、大きに怒りて、紙を取りて頭・面に懸かりたる粥を巾ひつつ、「己はいみじかりける心なしの乞児かな。我れにあらぬやんごとなき人の御鼻をも持て上げむには、かくやせむとする。不覚のしれものかな。立ちね、己れ」と云ひて追ひ立てければ、童立ちて、隠に行きて、「世に人のかかる鼻つきある人のおはせばこそは、外にては鼻も持て上げめ。嗚呼の事仰せらるる御坊かな」と云ひければ、弟子ども、これを聞きて、外に逃げ去きてぞ咲ひける。
これを思ふに、実にいかなりける鼻にかありけむ。
いとあさましかりける鼻なり。
童のいとをかしく云ひたる事をぞ、聞く人讃めけるとなむ、語り伝へたるとや。
この話の構造は、最初の段落が導入部の“起”、第二段落が鼻の説明の“承”、第3段落と第4段落が事件の発生を描く“転”、第5段落と第6段落がオチにあたる“結”となっており、全体として良くできた笑い話となっています。
しかし、よく読むと“承”と“転”の間に無理があるように私には感じられます。
“承”では、内供が行っている鼻を小さくする方法の説明として、“黒くつぶ立ちたる穴毎に、煙の様なる物出づ。それを責めて踏めば、白き小虫の穴毎に指出でたるを、鑷子を以て抜けば、四分ばかりの白き虫を穴毎よりぞ抜き出でける”と内供の鼻が大きかった理由が理路整然と語られます。
さらに、“鼻いと小さく萎まりて、例の人の小さき鼻になりぬ。また二三日になりぬれば、痒いくてふくれ延びて、本のごとくに腫れて大きになりぬ”と、この方法で内供の鼻は少なくとも2~3日間は小さくすることができると語られます。
ところが、“かくのごとくにしつつ、腫れたる日員は多くぞありける”と語って、“転”につなげています。
もちろん、内供の鼻が小さくなっているときならば、事件は起きないので、内供の鼻は大きいままの日が多かったと語っているわけです。
その結果、次の“転”で、“その法師、心地悪しくして出で来ざりける時に、内供、朝粥食ひけるに、鼻持て上ぐる人のなかりければ、「いかがせむとする」などあつかふ程に、童のありけるが、「己はしもよく持て上げ奉りてむかし。さらによもその小院に劣らじ」と云ひけるを、”といつもと違う童が内供の鼻を持ち上げることになるのです。
しかし、“承”で説明される方法を施せば、内供の鼻は小さくなるのに、内供はどうしてそうはせずに、代わりの童に鼻を持ちあげさせたのでしょうか。
というか、そもそも2~3日は小さくすることができるのに、どうして内供は普段もそうすることなく、お気に入りの弟子の法師に鼻を持ちあげさせていたのでしょうか。
このの説明がないと、どうも辻褄というか、平仄が合いません。
この点、内供も周りの弟子たちもずっと鼻を小さくする方法を知らなかったという芥川龍之介の『鼻』の方がはるかに論理的に整合しています。
さらに、芥川は、内供も周りの人間たちの微妙な人間心理を描くために、鼻を小さくする方法を、弟子に進められて1回だけ試したということにしています。
こうして、古典の世界の笑い話は、芥川の手によって近代的な心理を描く小説に姿を変えたのだと思います。
今日は、「今昔物語」の『池尾禅珍内供鼻語』を紹介します。
『池尾禅珍内供鼻語』〔「今昔物語」巻第二十八 本朝付世俗(滑稽譚) 第二十話〕
今は昔、池尾と云ふ所に禅珍内供と云ふ僧住みき。
身浄くて真言などよく習ひて、ねんごろに行法を修してありければ、池尾の常塔・僧房などつゆ荒れたる所なく、常燈・仏聖なども絶えずして、折節の僧供・寺の講説など滋く行はせければ、寺の内に僧坊隙なく住みければ、賑ははしく見ゆ。
かく栄ゆる寺なれば、その辺に住む小家ども、員数た出て来て、郷も賑はひけり。
さて、この内供は、鼻の長かりける、五六寸ばかりなりければ、頤よりも下りてなむ見えける。
色は赤く紫色にして、大柑子の皮の様にして、つぶ立ちてぞ膨れたりける。
それがいみじく痒かりける事限りなし。
されば、提に湯を熱く湧して、折敷をその鼻通るばかりに窟ちて、火の気に面の熱く炮らるれば、その折敷の穴に鼻を指通して、その提に指入れてぞ茹で、よく茹でて引き出でたれば、色は紫色になりたるを、喬様に臥して、鼻の下に物をかひて、人を以て踏ますれば、黒くつぶ立ちたる穴毎に、煙の様なる物出づ。それを責めて踏めば、白き小虫の穴毎に指出でたるを、鑷子を以て抜けば、四分ばかりの白き虫を穴毎よりぞ抜き出でける。
その跡は穴にて開きてなむ見えける。
それをまた同じ湯に指入れてさらめき、湯に初のごとく茹づれば、鼻いと小さく萎まりて、例の人の小さき鼻になりぬ。
また二三日になりぬれば、痒いくてふくれ延びて、本のごとくに腫れて大きになりぬ。
かくのごとくにしつつ、腫れたる日員は多くぞありける。
しかれば、物食ひ粥などを食ふ時には、弟子の法師を以て、平らなる板の一尺ばかりなるが広さ一寸ばかりなるを鼻の下に指入れて、向ひゐて上様に指し上げさせて、物食ひ果つるまでゐて、食ひ果つれば打ち下して去りぬ。
それに異人を以て上げさする時には、悪しく指し上げければ、むつかりて物も食はずなりぬ。
されば、この法師をなむ定めて持て上げさせける。
それに、その法師、心地悪しくして出で来ざりける時に、内供、朝粥食ひけるに、鼻持て上ぐる人のなかりければ、「いかがせむとする」などあつかふ程に、童のありけるが、「己はしもよく持て上げ奉りてむかし。さらによもその小院に劣らじ」と云ひけるを、異弟子の法師の聞きて、「この童はしかしかなむ申す」と云ひければ、この童、中童子の見目も穢気なくて、上にも召し上げて仕ひける者にて、「さらばその童召せ。さ云はばこれ持て上げさせむ」と云ひければ、童召し将て来たりぬ。
童、鼻持て上の木を取りて、直しく向ひて、よき程に高く持て上げて粥を飲ますれば、内供、「この童はいみじき上手にこそありけれ。例の法師には増さりたりけり」と云ひて、粥を飲める程に、童、顔を喬様に向けて、鼻を高くひる。
その時に童の手震ひて、鼻持て上の木動きぬれば、鼻を粥の鋺にふたと打ち入れつれば、粥を内供の顔にも童の顔にも多く懸けぬ。
内供、大きに怒りて、紙を取りて頭・面に懸かりたる粥を巾ひつつ、「己はいみじかりける心なしの乞児かな。我れにあらぬやんごとなき人の御鼻をも持て上げむには、かくやせむとする。不覚のしれものかな。立ちね、己れ」と云ひて追ひ立てければ、童立ちて、隠に行きて、「世に人のかかる鼻つきある人のおはせばこそは、外にては鼻も持て上げめ。嗚呼の事仰せらるる御坊かな」と云ひければ、弟子ども、これを聞きて、外に逃げ去きてぞ咲ひける。
これを思ふに、実にいかなりける鼻にかありけむ。
いとあさましかりける鼻なり。
童のいとをかしく云ひたる事をぞ、聞く人讃めけるとなむ、語り伝へたるとや。
この話の構造は、最初の段落が導入部の“起”、第二段落が鼻の説明の“承”、第3段落と第4段落が事件の発生を描く“転”、第5段落と第6段落がオチにあたる“結”となっており、全体として良くできた笑い話となっています。
しかし、よく読むと“承”と“転”の間に無理があるように私には感じられます。
“承”では、内供が行っている鼻を小さくする方法の説明として、“黒くつぶ立ちたる穴毎に、煙の様なる物出づ。それを責めて踏めば、白き小虫の穴毎に指出でたるを、鑷子を以て抜けば、四分ばかりの白き虫を穴毎よりぞ抜き出でける”と内供の鼻が大きかった理由が理路整然と語られます。
さらに、“鼻いと小さく萎まりて、例の人の小さき鼻になりぬ。また二三日になりぬれば、痒いくてふくれ延びて、本のごとくに腫れて大きになりぬ”と、この方法で内供の鼻は少なくとも2~3日間は小さくすることができると語られます。
ところが、“かくのごとくにしつつ、腫れたる日員は多くぞありける”と語って、“転”につなげています。
もちろん、内供の鼻が小さくなっているときならば、事件は起きないので、内供の鼻は大きいままの日が多かったと語っているわけです。
その結果、次の“転”で、“その法師、心地悪しくして出で来ざりける時に、内供、朝粥食ひけるに、鼻持て上ぐる人のなかりければ、「いかがせむとする」などあつかふ程に、童のありけるが、「己はしもよく持て上げ奉りてむかし。さらによもその小院に劣らじ」と云ひけるを、”といつもと違う童が内供の鼻を持ち上げることになるのです。
しかし、“承”で説明される方法を施せば、内供の鼻は小さくなるのに、内供はどうしてそうはせずに、代わりの童に鼻を持ちあげさせたのでしょうか。
というか、そもそも2~3日は小さくすることができるのに、どうして内供は普段もそうすることなく、お気に入りの弟子の法師に鼻を持ちあげさせていたのでしょうか。
このの説明がないと、どうも辻褄というか、平仄が合いません。
この点、内供も周りの弟子たちもずっと鼻を小さくする方法を知らなかったという芥川龍之介の『鼻』の方がはるかに論理的に整合しています。
さらに、芥川は、内供も周りの人間たちの微妙な人間心理を描くために、鼻を小さくする方法を、弟子に進められて1回だけ試したということにしています。
こうして、古典の世界の笑い話は、芥川の手によって近代的な心理を描く小説に姿を変えたのだと思います。
初めて聞く言葉です。
ドイツ公演の成功を祈念します。
芥川龍之介の【鼻】、たぶん中学生ぐらいで読んだのでしょうが、
いっぺんで龍之介ファンになってしまいました。
今に通じる、人の心の冷酷さ。毎日毎日、事例にこと欠かないですね。
年度替わりの忙しさが、年々、煩わしくなりました・・・・
ドイツ公演の成功を祈念します。
芥川龍之介の【鼻】、たぶん中学生ぐらいで読んだのでしょうが、
いっぺんで龍之介ファンになってしまいました。
今に通じる、人の心の冷酷さ。毎日毎日、事例にこと欠かないですね。
年度替わりの忙しさが、年々、煩わしくなりました・・・・
草笛さん、こんばんは。
いつもコメントありがとうございます。
複式夢幻能というのは、前場と後場に分かれる形式(2幕ものに近いですが、能には幕がないので…)の能で、シテは中入りといって、一旦退場します。
そして、シテは、前場では主人公の霊が憑依した現世の人間の役を演じ、後場で主人公の幽霊の役を演じます。
既に死んでいる人物が主人公なので、『敦盛』、『忠度』、『八島』など平家物語を題材に、平家の公達を主人公にした演目が多いです。
この形式は、世阿弥生み出したとされ、この形式によって能は幽玄なものになったと言われています。
中学生のときに芥川龍之介の『鼻』に出会って以来、この文章は私にとって理想の文章となりました。
無駄を排除した端正な文章は、何度読んでも美しいです。
この理想にはなかなか近づけません。
いつもコメントありがとうございます。
複式夢幻能というのは、前場と後場に分かれる形式(2幕ものに近いですが、能には幕がないので…)の能で、シテは中入りといって、一旦退場します。
そして、シテは、前場では主人公の霊が憑依した現世の人間の役を演じ、後場で主人公の幽霊の役を演じます。
既に死んでいる人物が主人公なので、『敦盛』、『忠度』、『八島』など平家物語を題材に、平家の公達を主人公にした演目が多いです。
この形式は、世阿弥生み出したとされ、この形式によって能は幽玄なものになったと言われています。
中学生のときに芥川龍之介の『鼻』に出会って以来、この文章は私にとって理想の文章となりました。
無駄を排除した端正な文章は、何度読んでも美しいです。
この理想にはなかなか近づけません。
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