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五感が呼び起こす記憶があります。

今日の名古屋は、昨夜からの雨が午前中には上がり、午後からは秋晴れとなりました。

今日は、主人公が秋晴れの空を見ていて故郷を思い出す、夏目漱石の『永日小品』の21番目の短編「」を紹介します。
永日小品』は、25編の短編からなる不思議な味わいのある作品です。

この話の主人公・豊三郎は引っ越してきたばかりです。
その新しい下宿の部屋の窓の外のアオギリの枝が剪定され、窓から秋晴れの空が見えるようになります。
豊三郎は、その空を見ていて遠い故郷を思い出します。


永日小品・声』(夏目漱石

 豊三郎がこの下宿へ越して来てから三日になる。始めの日は、薄暗い夕暮の中に、一生懸命に荷物の片づけやら、書物の整理やらで、忙しい影のごとく動いていた。それから町の湯に入って、帰るや否や寝てしまった。明る日は、学校から戻ると、机の前へ坐って、しばらく書見をして見たが、急に居所が変ったせいか、全く気が乗らない。窓の外でしきりに鋸の音がする。
 豊三郎は坐ったまま手を延して障子を明けた。すると、つい鼻の先で植木屋がせっせと梧桐の枝をおろしている。可なり大きく延びた奴を、惜気もなく股の根から、ごしごし引いては、下へ落して行く内に、切口の白い所が目立つくらい夥しくなった。同時に空しい空が遠くから窓にあつまるように広く見え出した。豊三郎は机に頬杖を突いて、何気なく、梧桐の上を高く離れた秋晴を眺めていた。
 豊三郎が眼を梧桐から空へ移した時は、急に大きな心持がした。その大きな心持が、しばらくして落ちついて来るうちに、懐かしい故郷の記憶が、点を打ったように、その一角にあらわれた。点は遥かの向にあるけれども、机の上に乗せたほど明らかに見えた。
 山の裾に大きな藁葺があって、村から二町ほど上ると、路は自分の門の前で尽きている。門を這入る馬がある。鞍の横に一叢の菊を結いつけて、鈴を鳴らして、白壁の中へ隠れてしまった。日は高く屋の棟を照らしている。後の山を、こんもり隠す松の幹がことごとく光って見える。茸の時節である。豊三郎は机の上で今採ったばかりの茸の香を嗅いだ。そうして、豊、豊という母の声を聞いた。その声が非常に遠くにある。それで手に取るように明らかに聞える。――母は五年前に死んでしまった。
 豊三郎はふと驚いて、わが眼を動かした。すると先刻見た梧桐の先がまた眸に映った。延びようとする枝が、一所で伐り詰められているので、股の根は、瘤で埋まって、見悪いほど窮屈に力が入っている。豊三郎はまた急に、机の前に押しつけられたような気がした。梧桐を隔てて、垣根の外を見下すと、汚ない長屋が三四軒ある。綿の出た蒲団が遠慮なく秋の日に照りつけられている。傍に五十余りの婆さんが立って、梧桐の先を見ていた。
 ところどころ縞の消えかかった着物の上に、細帯を一筋巻いたなりで、乏しい髪を、大きな櫛のまわりに巻きつけて、茫然と、枝を透かした梧桐の頂辺を見たまま立っている。豊三郎は婆さんの顔を見た。その顔は蒼くむくんでいる。婆さんは腫れぼったい瞼の奥から細い眼を出して、眩しそうに豊三郎を見上げた。豊三郎は急に自分の眼を机の上に落した。
 三日目に豊三郎は花屋へ行って菊を買って来た。国の庭に咲くようなのをと思って、探して見たが見当らないので、やむをえず花屋のあてがったのを、そのまま三本ほど藁で括って貰って、徳利のような花瓶へ活けた。行李の底から、帆足万里の書いた小さい軸を出して、壁へ掛けた。これは先年帰省した時、装飾用のためにわざわざ持って来たものである。それから豊三郎は座蒲団の上へ坐って、しばらく軸と花を眺めていた。その時窓の前の長屋の方で、豊々と云う声がした。その声が調子と云い、音色といい、優しい故郷の母に少しも違わない。豊三郎はたちまち窓の障子をがらりと開けた。すると昨日見た蒼ぶくれの婆さんが、落ちかかる秋の日を額に受けて、十二三になる鼻垂小僧を手招きしていた。がらりと云う音がすると同時に、婆さんは例のむくんだ眼を翻えして下から豊三郎を見上げた。



豊三郎は、故郷を“馬の鞍の横に結わえられていた菊の花”と“採ったばかりの茸の香り”と“亡くなった母親の声”という、視覚嗅覚聴覚、それぞれで思い出します。
その記憶は、あることをきっかけに連鎖的に蘇るようで、翌日、“菊の花なぜか私には黄色の菊のように思えます)”を買ってくると、再び、母の声が聞こえたように感じます。
豊三郎にとっては、“菊の花記憶のスイッチなのでしょう。

誰にでもその人なりの記憶のスイッチがあるのだと思います。


【初めまして。】
misia2009と申します。
先日UPされた若山牧水の文章に陶酔して以来、かってにリンクさせて頂いておりました。

「下宿の窓から、枝を払った庭木と空が見えました」というだけの場面が、おっしゃる通り黄色い菊と、松の緑と、茸の茶色と、軸や障子の紙の白と、馬の足音と母の声と、目の前を枝が落ちる音と……さまざまな色と音で現在と過去の複層が満たされて、目くるめくようです。

これは能と同じだな、ワキ謡をよくした夏目先生ならではか、とちょっと興奮した次第です。

なかなか買ってまで広げてみるということがない文豪たちの作品、紹介して下さって本当に有難いです。
またお邪魔させてください。
【Re: 初めまして。】
misia2009さん、こんばんは。

コメントありがとうございます。
また、リンクしていただきありがとうございます。

そうですね。色彩も感じられる文章ですね。
そして、現実と過去の記憶が意識の中で重なり合っていく感じがよく出ていると思っています。

それから、能と同じという発想は、恥ずかしながら私には全くありませんでした。
おっしゃるとおりだと思います。
とても新鮮な視点で、とても参考になりました。

これからも、ときおりいろいろな文章を紹介したいと思っていますので、ぜひ、またお立ち寄りください。
【No title】
 「煩わしい人間関係ばかりの近代文学」という印象を覚えたのは、夏目漱石の作品からでした。
 本当に学校の国語で教えなければならないのは、長編の大作ではなくて、その人の感性が感じられるエッセイなのかもしれないですね。それも出来る限り沢山紹介しなければ。

私もいつかはこういう文章を書きたいな。
【Re: No title】
三碧星さん、こんばんは。


いつもコメントありがとうございます。

私は、漱石の作品では『夢十夜』が一番気に入っています。
ぜひ一度読んでみてください。
国語の授業で作家や作品を好きになるということは少ないと思います。
ちなみに、私は単にボケ始めただけかもしれませんが、学校の国語の授業の記憶がほとんどありません。

私にとっては、芥川龍之介の文章が理想形です。

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kinkun

Author:kinkun
名古屋春栄会のホームページの管理人

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