2010/09/14 23:00:35
今日は、「河童」の第15章を紹介します。
芥川龍之介の『河童』を紹介していますが、再び少し間が空いてしまいました。
※第14章:2010年4月15日の日記参照
この章では、主人公が読んだという自殺した詩人のトックの幽霊に関する報告が引用されています。
『河童』(芥川龍之介)
一五
それからかれこれ一週間の後、僕はふと医者のチャックに珍しい話を聞きました。というのはあのトックの家に幽霊の出るという話なのです。そのころにはもう雌の河童はどこかほかへ行ってしまい、僕らの友だちの詩人の家も写真師のステュディオに変わっていました。なんでもチャックの話によれば、このステュディオでは写真をとると、トックの姿もいつの間にか必ず朦朧と客の後ろに映っているとかいうことです。もっともチャックは物質主義者ですから、死後の生命などを信じていません。現にその話をした時にも悪意のある微笑を浮かべながら、「やはり霊魂というものも物質的存在とみえますね」などと註釈めいたことをつけ加えていました。僕も幽霊を信じないことはチャックとあまり変わりません。けれども詩人のトックには親しみを感じていましたから、さっそく本屋の店へ駆けつけ、トックの幽霊に関する記事やトックの幽霊の写真の出ている新聞や雑誌を買ってきました。なるほどそれらの写真を見ると、どこかトックらしい河童が一匹、老若男女の河童の後ろにぼんやりと姿を現わしていました。しかし僕を驚かせたのはトックの幽霊の写真よりもトックの幽霊に関する記事、――ことにトックの幽霊に関する心霊学協会の報告です。僕はかなり逐語的にその報告を訳しておきましたから、下に大略を掲げることにしましょう。ただし括弧の中にあるのは僕自身の加えた註釈なのです。――
詩人トック君の幽霊に関する報告。(心霊学協会雑誌第八千二百七十四号所載)
わが心霊学協会は先般自殺したる詩人トック君の旧居にして現在は××写真師のステュディオなる□□街第二百五十一号に臨時調査会を開催せり。列席せる会員は下のごとし。(氏名を略す。)
我ら十七名の会員は心霊協会会長ペック氏とともに九月十七日午前十時三十分、我らのもっとも信頼するメディアム、ホップ夫人を同伴し、該ステュディオの一室に参集せり。ホップ夫人は該ステュディオにはいるや、すでに心霊的空気を感じ、全身に痙攣を催しつつ、嘔吐すること数回に及べり。夫人の語るところによれば、こは詩人トック君の強烈なる煙草を愛したる結果、その心霊的空気もまたニコティンを含有するためなりという。
我ら会員はホップ夫人とともに円卓をめぐりて黙坐したり。夫人は三分二十五秒の後、きわめて急劇なる夢遊状態に陥り、かつ詩人トック君の心霊の憑依するところとなれり。我ら会員は年齢順に従い、夫人に憑依せるトック君の心霊と左のごとき問答を開始したり。
問 君は何ゆえに幽霊に出ずるか?
答 死後の名声を知らんがためなり。
問 君――あるいは心霊諸君は死後もなお名声を欲するや?
答 少なくとも予は欲せざるあたわず。しかれども予の邂逅したる日本の一詩人のごときは死後の名声を軽蔑しいたり。
問 君はその詩人の姓名を知れりや?
答 予は不幸にも忘れたり。ただ彼の好んで作れる十七字詩の一章を記憶するのみ。
問 その詩は如何?
答「古池や蛙飛びこむ水の音」。
問 君はその詩を佳作なりとなすや?
答 予は必ずしも悪作なりとなさず。ただ「蛙」を「河童」とせんか、さらに光彩陸離たるべし。
問 しからばその理由は如何?
答 我ら河童はいかなる芸術にも河童を求むること痛切なればなり。
会長ペック氏はこの時にあたり、我ら十七名の会員にこは心霊学協会の臨時調査会にして合評会にあらざるを注意したり。
問 心霊諸君の生活は如何?
答 諸君の生活と異なることなし。
問 しからば君は君自身の自殺せしを後悔するや?
答 必ずしも後悔せず。予は心霊的生活に倦まば、さらにピストルを取りて自活すべし。
問 自活するは容易なりや否や?
トック君の心霊はこの問に答うるにさらに問をもってしたり。こはトック君を知れるものにはすこぶる自然なる応酬なるべし。
答 自殺するは容易なりや否や?
問 諸君の生命は永遠なりや?
答 我らの生命に関しては諸説紛々として信ずべからず。幸いに我らの間にも基督教、仏教、モハメット教、拝火教等の諸宗あることを忘るるなかれ。
問 君自身の信ずるところは?
答 予は常に懐疑主義者なり。
問 しかれども君は少なくとも心霊の存在を疑わざるべし?
答 諸君のごとく確信するあたわず。
問 君の交友の多少は如何?
答 予の交友は古今東西にわたり、三百人を下らざるべし。その著名なるものをあぐれば、クライスト、マインレンデル、ワイニンゲル……
問 君の交友は自殺者のみなりや?
答 必ずしもしかりとせず。自殺を弁護せるモンテェニュのごときは予が畏友の一人なり。ただ予は自殺せざりし厭世主義者、――ショオペンハウエルの輩とは交際せず。
問 ショオペンハウエルは健在なりや?
答 彼は目下心霊的厭世主義を樹立し、自活する可否を論じつつあり。しかれどもコレラも黴菌病なりしを知り、すこぶる安堵せるもののごとし。
我ら会員は相次いでナポレオン、孔子、ドストエフスキイ、ダアウィン、クレオパトラ、釈迦、デモステネス、ダンテ、千の利休等の心霊の消息を質問したり。しかれどもトック君は不幸にも詳細に答うることをなさず、かえってトック君自身に関する種々のゴシップを質問したり。
問 予の死後の名声は如何?
答 ある批評家は「群小詩人のひとり」と言えり。
問 彼は予が詩集を贈らざりしに怨恨を含めるひとりなるべし。予の全集は出版せられしや?
答 君の全集は出版せられたれども、売行きはなはだ振わざるがごとし。
問 予の全集は三百年の後、――すなわち著作権の失われたる後、万人の購うところとなるべし。予の同棲せる女友だちは如何?
答 彼女は書肆ラック君の夫人となれり。
問 彼女はいまだ不幸にもラックの義眼なるを知らざるなるべし。予が子は如何?
答 国立孤児院にありと聞けり。
トック君はしばらく沈黙せる後、新たに質問を開始したり。
問 予が家は如何?
答 某写真師のステュディオとなれり。
問 予の机はいかになれるか?
答 いかなれるかを知るものなし。
問 予は予の机の抽斗に予の秘蔵せる一束の手紙を――しかれどもこは幸いにも多忙なる諸君の関するところにあらず。今やわが心霊界はおもむろに薄暮に沈まんとす。予は諸君と訣別すべし。さらば。諸君。さらば。わが善良なる諸君。
ホップ夫人は最後の言葉とともにふたたび急劇に覚醒したり。我ら十七名の会員はこの問答の真なりしことを上天の神に誓って保証せんとす。(なおまた我らの信頼するホップ夫人に対する報酬はかつて夫人が女優たりし時の日当に従いて支弁したり。)
トックが死後の世界で交友している著名人としてあげている“クライスト、マインレンデル、ワイニンゲル”はいずれも自殺した文化人です。
最初の“クライスト”は、ハインリヒ・フォン・クライスト(Heinrich von Kleist)のことで、19世紀初頭のドイツの劇作家です。
その作品は死後100年以上を経た20世紀に入ってから評価が高まり、現代ではドイツを代表する劇作家の一人と言われているそうです。
困窮し、世間からも認められないことを悲観し、1811年11月21日にポツダム近郊のヴァーン湖畔でピストル自殺しました。34歳でした。
次の“マインレンデル”は、フィリップ・マインレンデル(Pilipp Mainlander)のことで、19世紀のドイツの哲学者でショーペンハウアーの弟子とのことです。
1873年5月8日のウィーンの株式市場の大暴落を受けて職を失い、思索に専念しますが、精神を病み、1875年4月1日に自宅で首つり自殺しました。34歳でした。
最後の“ワイニンゲル”は、オットー・ヴァイニンガー(Otto Weininger)のことで、20世初頭のオーストリアのユダヤ系哲学者です。
著書『性と性格』は、その死後になって高く評価されますが、現在では性差別主義かつ反ユダヤ主義として非難されることが多いそうです。
1903年10月3日、ベートーヴェン終焉の館・シュヴァルツシュパーニア・ハウスに宿泊し、胸を刺し自殺しました。23歳でした。
3人の略歴を調べていて、特に最初の2人が自殺したのが『河童』執筆時の芥川と同じ年齢ということに気付きました。
芥川が、『河童』発表の5か月後に自殺することを考えると、やはりこの時点で既に自殺を考えていたのだと思います。
芥川龍之介の『河童』を紹介していますが、再び少し間が空いてしまいました。
※第14章:2010年4月15日の日記参照
この章では、主人公が読んだという自殺した詩人のトックの幽霊に関する報告が引用されています。
『河童』(芥川龍之介)
一五
それからかれこれ一週間の後、僕はふと医者のチャックに珍しい話を聞きました。というのはあのトックの家に幽霊の出るという話なのです。そのころにはもう雌の河童はどこかほかへ行ってしまい、僕らの友だちの詩人の家も写真師のステュディオに変わっていました。なんでもチャックの話によれば、このステュディオでは写真をとると、トックの姿もいつの間にか必ず朦朧と客の後ろに映っているとかいうことです。もっともチャックは物質主義者ですから、死後の生命などを信じていません。現にその話をした時にも悪意のある微笑を浮かべながら、「やはり霊魂というものも物質的存在とみえますね」などと註釈めいたことをつけ加えていました。僕も幽霊を信じないことはチャックとあまり変わりません。けれども詩人のトックには親しみを感じていましたから、さっそく本屋の店へ駆けつけ、トックの幽霊に関する記事やトックの幽霊の写真の出ている新聞や雑誌を買ってきました。なるほどそれらの写真を見ると、どこかトックらしい河童が一匹、老若男女の河童の後ろにぼんやりと姿を現わしていました。しかし僕を驚かせたのはトックの幽霊の写真よりもトックの幽霊に関する記事、――ことにトックの幽霊に関する心霊学協会の報告です。僕はかなり逐語的にその報告を訳しておきましたから、下に大略を掲げることにしましょう。ただし括弧の中にあるのは僕自身の加えた註釈なのです。――
詩人トック君の幽霊に関する報告。(心霊学協会雑誌第八千二百七十四号所載)
わが心霊学協会は先般自殺したる詩人トック君の旧居にして現在は××写真師のステュディオなる□□街第二百五十一号に臨時調査会を開催せり。列席せる会員は下のごとし。(氏名を略す。)
我ら十七名の会員は心霊協会会長ペック氏とともに九月十七日午前十時三十分、我らのもっとも信頼するメディアム、ホップ夫人を同伴し、該ステュディオの一室に参集せり。ホップ夫人は該ステュディオにはいるや、すでに心霊的空気を感じ、全身に痙攣を催しつつ、嘔吐すること数回に及べり。夫人の語るところによれば、こは詩人トック君の強烈なる煙草を愛したる結果、その心霊的空気もまたニコティンを含有するためなりという。
我ら会員はホップ夫人とともに円卓をめぐりて黙坐したり。夫人は三分二十五秒の後、きわめて急劇なる夢遊状態に陥り、かつ詩人トック君の心霊の憑依するところとなれり。我ら会員は年齢順に従い、夫人に憑依せるトック君の心霊と左のごとき問答を開始したり。
問 君は何ゆえに幽霊に出ずるか?
答 死後の名声を知らんがためなり。
問 君――あるいは心霊諸君は死後もなお名声を欲するや?
答 少なくとも予は欲せざるあたわず。しかれども予の邂逅したる日本の一詩人のごときは死後の名声を軽蔑しいたり。
問 君はその詩人の姓名を知れりや?
答 予は不幸にも忘れたり。ただ彼の好んで作れる十七字詩の一章を記憶するのみ。
問 その詩は如何?
答「古池や蛙飛びこむ水の音」。
問 君はその詩を佳作なりとなすや?
答 予は必ずしも悪作なりとなさず。ただ「蛙」を「河童」とせんか、さらに光彩陸離たるべし。
問 しからばその理由は如何?
答 我ら河童はいかなる芸術にも河童を求むること痛切なればなり。
会長ペック氏はこの時にあたり、我ら十七名の会員にこは心霊学協会の臨時調査会にして合評会にあらざるを注意したり。
問 心霊諸君の生活は如何?
答 諸君の生活と異なることなし。
問 しからば君は君自身の自殺せしを後悔するや?
答 必ずしも後悔せず。予は心霊的生活に倦まば、さらにピストルを取りて自活すべし。
問 自活するは容易なりや否や?
トック君の心霊はこの問に答うるにさらに問をもってしたり。こはトック君を知れるものにはすこぶる自然なる応酬なるべし。
答 自殺するは容易なりや否や?
問 諸君の生命は永遠なりや?
答 我らの生命に関しては諸説紛々として信ずべからず。幸いに我らの間にも基督教、仏教、モハメット教、拝火教等の諸宗あることを忘るるなかれ。
問 君自身の信ずるところは?
答 予は常に懐疑主義者なり。
問 しかれども君は少なくとも心霊の存在を疑わざるべし?
答 諸君のごとく確信するあたわず。
問 君の交友の多少は如何?
答 予の交友は古今東西にわたり、三百人を下らざるべし。その著名なるものをあぐれば、クライスト、マインレンデル、ワイニンゲル……
問 君の交友は自殺者のみなりや?
答 必ずしもしかりとせず。自殺を弁護せるモンテェニュのごときは予が畏友の一人なり。ただ予は自殺せざりし厭世主義者、――ショオペンハウエルの輩とは交際せず。
問 ショオペンハウエルは健在なりや?
答 彼は目下心霊的厭世主義を樹立し、自活する可否を論じつつあり。しかれどもコレラも黴菌病なりしを知り、すこぶる安堵せるもののごとし。
我ら会員は相次いでナポレオン、孔子、ドストエフスキイ、ダアウィン、クレオパトラ、釈迦、デモステネス、ダンテ、千の利休等の心霊の消息を質問したり。しかれどもトック君は不幸にも詳細に答うることをなさず、かえってトック君自身に関する種々のゴシップを質問したり。
問 予の死後の名声は如何?
答 ある批評家は「群小詩人のひとり」と言えり。
問 彼は予が詩集を贈らざりしに怨恨を含めるひとりなるべし。予の全集は出版せられしや?
答 君の全集は出版せられたれども、売行きはなはだ振わざるがごとし。
問 予の全集は三百年の後、――すなわち著作権の失われたる後、万人の購うところとなるべし。予の同棲せる女友だちは如何?
答 彼女は書肆ラック君の夫人となれり。
問 彼女はいまだ不幸にもラックの義眼なるを知らざるなるべし。予が子は如何?
答 国立孤児院にありと聞けり。
トック君はしばらく沈黙せる後、新たに質問を開始したり。
問 予が家は如何?
答 某写真師のステュディオとなれり。
問 予の机はいかになれるか?
答 いかなれるかを知るものなし。
問 予は予の机の抽斗に予の秘蔵せる一束の手紙を――しかれどもこは幸いにも多忙なる諸君の関するところにあらず。今やわが心霊界はおもむろに薄暮に沈まんとす。予は諸君と訣別すべし。さらば。諸君。さらば。わが善良なる諸君。
ホップ夫人は最後の言葉とともにふたたび急劇に覚醒したり。我ら十七名の会員はこの問答の真なりしことを上天の神に誓って保証せんとす。(なおまた我らの信頼するホップ夫人に対する報酬はかつて夫人が女優たりし時の日当に従いて支弁したり。)
トックが死後の世界で交友している著名人としてあげている“クライスト、マインレンデル、ワイニンゲル”はいずれも自殺した文化人です。
最初の“クライスト”は、ハインリヒ・フォン・クライスト(Heinrich von Kleist)のことで、19世紀初頭のドイツの劇作家です。
その作品は死後100年以上を経た20世紀に入ってから評価が高まり、現代ではドイツを代表する劇作家の一人と言われているそうです。
困窮し、世間からも認められないことを悲観し、1811年11月21日にポツダム近郊のヴァーン湖畔でピストル自殺しました。34歳でした。
次の“マインレンデル”は、フィリップ・マインレンデル(Pilipp Mainlander)のことで、19世紀のドイツの哲学者でショーペンハウアーの弟子とのことです。
1873年5月8日のウィーンの株式市場の大暴落を受けて職を失い、思索に専念しますが、精神を病み、1875年4月1日に自宅で首つり自殺しました。34歳でした。
最後の“ワイニンゲル”は、オットー・ヴァイニンガー(Otto Weininger)のことで、20世初頭のオーストリアのユダヤ系哲学者です。
著書『性と性格』は、その死後になって高く評価されますが、現在では性差別主義かつ反ユダヤ主義として非難されることが多いそうです。
1903年10月3日、ベートーヴェン終焉の館・シュヴァルツシュパーニア・ハウスに宿泊し、胸を刺し自殺しました。23歳でした。
3人の略歴を調べていて、特に最初の2人が自殺したのが『河童』執筆時の芥川と同じ年齢ということに気付きました。
芥川が、『河童』発表の5か月後に自殺することを考えると、やはりこの時点で既に自殺を考えていたのだと思います。