- 2011/12/31 大掃除と迎春準備(2011年)
- 2011/12/30 お墓の掃除(2011年)
- 2011/12/24 鞍馬天狗(2)
- 2011/12/17 水仙の花(2011年)
- 2011/12/16 初雪(2011年)
- 2011/12/14 討ち入りの日
- 2011/12/11 WAYA! ~宇宙一のおせっかい大作戦~
- 2011/12/10 皆既月食
- 2011/12/08 名古屋市博物館 常設展示「堀川」
- 2011/12/07 名古屋市博物館 「江戸から明治 名古屋の上下水道」
- 2011/12/06 名古屋能楽堂 企画展「華やかな女性の装束」
- 2011/12/05 名古屋能楽堂 12月定例公演(2011年)
2011/12/31 23:13:59
迎春準備もほぼ完了です。
昨日、お墓の掃除から帰ってから、大掃除の途中でしたが、一夜飾りになってしまうといけないので、とりあえず新年を迎える準備をしました。
まず、注連飾りを飾りました。

[2011年12月30日(金)撮影]
昨年に引き続き、リビングに鏡餅を飾りました。
今年は相応の大きさのものにしました。
後に見えているのは、熱田神宮の卓上神殿です。

[2011年12月30日(金)撮影]
玄関の花瓶にお正月用の花を活けました。
今年はハボタンも活けてみました。

[2011年12月30日(金)撮影]
今日は、朝から残っている大掃除を続けましたが、例年通り時間切れとなったしまいました。
でも、一応は新年を迎える準備は完了しました。
昨日、お墓の掃除から帰ってから、大掃除の途中でしたが、一夜飾りになってしまうといけないので、とりあえず新年を迎える準備をしました。
まず、注連飾りを飾りました。

[2011年12月30日(金)撮影]
昨年に引き続き、リビングに鏡餅を飾りました。
今年は相応の大きさのものにしました。
後に見えているのは、熱田神宮の卓上神殿です。

[2011年12月30日(金)撮影]
玄関の花瓶にお正月用の花を活けました。
今年はハボタンも活けてみました。

[2011年12月30日(金)撮影]
今日は、朝から残っている大掃除を続けましたが、例年通り時間切れとなったしまいました。
でも、一応は新年を迎える準備は完了しました。
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2011/12/30 23:12:13
新年を前にお墓の掃除に行きました。
八事霊園(名古屋市天白区)は、お墓参りの人たちで賑わっていました。

お墓参りは、お彼岸以来(2011年9月23日の日記参照)でしたが、今年は結構草が生えていて、思っていたよりも掃除に時間がかかりました。
同じく八事霊園にある母方の祖母の墓にも参ってきました。
今朝、ようやく年賀状を書き上げて投函する事ができました。
元旦にはとても着かないと思います。この場を借りて、お詫び申し上げます。
八事霊園(名古屋市天白区)は、お墓参りの人たちで賑わっていました。

お墓参りは、お彼岸以来(2011年9月23日の日記参照)でしたが、今年は結構草が生えていて、思っていたよりも掃除に時間がかかりました。
同じく八事霊園にある母方の祖母の墓にも参ってきました。
今朝、ようやく年賀状を書き上げて投函する事ができました。
元旦にはとても着かないと思います。この場を借りて、お詫び申し上げます。
2011/12/24 22:58:58
今日の謡の稽古は、『鞍馬天狗』の2回目。
今日から謡の稽古は、『鞍馬天狗』2回目でした。
今日の場面は、一人の稚児が残り、客僧と親しくしますが、その稚児が亡き源義朝の三男の牛若であることがわかる場面です。
牛若「げにや花のもとの半日の客。月の前の一夜の友。
それさへよしみはあるものを。あら痛わしや近う寄って花ごらん候え。
シテ「思いよらずや夏虫の。音にだに立てぬ深山がくれを。
おん訪いのありがたさよこの山に。
牛若「ありとも誰か白雲の。立ち交わらねば知る人もなし。
シテ「誰をかも知る人にせん高砂の。
牛若「松もむかしの。
シテ「とも烏の。
地謡「おん物笑いの種まくや。言の葉茂き恋草の。
老をなへだてそ垣おの梅.さてこそ花の情なれ。花に三春の約あり。
人にひと夜を馴れそめて。のちいかならんうちつけに。心空に楢柴の。
馴れはまさらで。恋のまさらんくやしさよ。
シテ「いかに申し候。今の少人たちはみなみなおん帰り候に。
何とておん身一人おん畄まり候ぞ。
牛若「さん候今の児たちは平家の一門。中にも安芸の守清盛が子どもたるにより。
一寺の賞翫他山の覚え時の花たり。みずからも同山には候えども。
万面目もなき事どもにて。月にも花にも捨てられて候。
シテ「あら痛わしやおん身と申すは。源氏の頭領常磐腹には三男。
毘沙門の沙の字をかたどり。おん名をも沙那王殿と申すぞかし。
痛わしやおん身を知れば。所も鞍馬の.木陰の月。
地謡「見る人もなき山里の桜花。余所の散りなんのちにこそ。
咲かば咲くべきにあら痛わしの.おん事や。
今日の箇所にも、それほど難しい謡はありませんでした
一方、仕舞の稽古は、『吉野静』のキリの通しの稽古の2回目でした。
※『吉野静』のあらすじ:http://www.syuneikai.net/yoshinoshizuka.htm(名古屋春栄会のサイトから)
動作が途中で止まらないように、流れるように舞うようにとの指導を受けました。
特に前半、ゆったりと舞えるようにしたいと思っています。
今日は午前中、体調が思わしくありませんでしたし、夜はクリスマス会の予定があったので、稽古を休もうかとも考えましたが、今年最後の稽古なので思い切って出かけました。
あと発表会まで今日も入れて3回しか稽古がないので、やはり行って良かったです。
夜になって体調は再び悪化してしまいましたが……。
今日から謡の稽古は、『鞍馬天狗』2回目でした。
今日の場面は、一人の稚児が残り、客僧と親しくしますが、その稚児が亡き源義朝の三男の牛若であることがわかる場面です。
牛若「げにや花のもとの半日の客。月の前の一夜の友。
それさへよしみはあるものを。あら痛わしや近う寄って花ごらん候え。
シテ「思いよらずや夏虫の。音にだに立てぬ深山がくれを。
おん訪いのありがたさよこの山に。
牛若「ありとも誰か白雲の。立ち交わらねば知る人もなし。
シテ「誰をかも知る人にせん高砂の。
牛若「松もむかしの。
シテ「とも烏の。
地謡「おん物笑いの種まくや。言の葉茂き恋草の。
老をなへだてそ垣おの梅.さてこそ花の情なれ。花に三春の約あり。
人にひと夜を馴れそめて。のちいかならんうちつけに。心空に楢柴の。
馴れはまさらで。恋のまさらんくやしさよ。
シテ「いかに申し候。今の少人たちはみなみなおん帰り候に。
何とておん身一人おん畄まり候ぞ。
牛若「さん候今の児たちは平家の一門。中にも安芸の守清盛が子どもたるにより。
一寺の賞翫他山の覚え時の花たり。みずからも同山には候えども。
万面目もなき事どもにて。月にも花にも捨てられて候。
シテ「あら痛わしやおん身と申すは。源氏の頭領常磐腹には三男。
毘沙門の沙の字をかたどり。おん名をも沙那王殿と申すぞかし。
痛わしやおん身を知れば。所も鞍馬の.木陰の月。
地謡「見る人もなき山里の桜花。余所の散りなんのちにこそ。
咲かば咲くべきにあら痛わしの.おん事や。
今日の箇所にも、それほど難しい謡はありませんでした
一方、仕舞の稽古は、『吉野静』のキリの通しの稽古の2回目でした。
※『吉野静』のあらすじ:http://www.syuneikai.net/yoshinoshizuka.htm(名古屋春栄会のサイトから)
動作が途中で止まらないように、流れるように舞うようにとの指導を受けました。
特に前半、ゆったりと舞えるようにしたいと思っています。
今日は午前中、体調が思わしくありませんでしたし、夜はクリスマス会の予定があったので、稽古を休もうかとも考えましたが、今年最後の稽古なので思い切って出かけました。
あと発表会まで今日も入れて3回しか稽古がないので、やはり行って良かったです。
夜になって体調は再び悪化してしまいましたが……。
2011/12/17 22:03:52
水仙の花が咲いていました。
実家の庭の片隅で水仙の花の香りがしていました。

名前はニホンズイセン(日本水仙)ですが、原産地は地中海沿岸だそうです。
中国を経て日本に入ったとされ、学名は、Narcissus tazetta var. chinensisです。
漢名の“水仙”を音読みして“スイセン”になったと言われています。
漢名の“水仙”は、きれいな花の姿と芳香がまるで仙人のようなことから名付けられたそうです。
また、学名でもある“Narcissus”はギリシャ神話の美少年・ナルキッソスのことで、彼は泉に映った自分の姿に恋をして、毎日その姿を見つめ続けた末に衰弱して死んでしまい、その後、泉のほとりに咲くスイセンの花になったと言われています。
洋の東西を問わず、人はスイセンの花の美しさとその香りに人知を超えたものを見出したようです。
日本でも、昔からその香りは多くの人を魅了してきました。
其のにほひ 桃より白し 水仙花 (芭蕉)
実家の庭の片隅で水仙の花の香りがしていました。

名前はニホンズイセン(日本水仙)ですが、原産地は地中海沿岸だそうです。
中国を経て日本に入ったとされ、学名は、Narcissus tazetta var. chinensisです。
漢名の“水仙”を音読みして“スイセン”になったと言われています。
漢名の“水仙”は、きれいな花の姿と芳香がまるで仙人のようなことから名付けられたそうです。
また、学名でもある“Narcissus”はギリシャ神話の美少年・ナルキッソスのことで、彼は泉に映った自分の姿に恋をして、毎日その姿を見つめ続けた末に衰弱して死んでしまい、その後、泉のほとりに咲くスイセンの花になったと言われています。
洋の東西を問わず、人はスイセンの花の美しさとその香りに人知を超えたものを見出したようです。
日本でも、昔からその香りは多くの人を魅了してきました。
其のにほひ 桃より白し 水仙花 (芭蕉)
2011/12/14 23:24:03
今日は、忠臣蔵の討ち入りの日です。
忠臣蔵で有名な元禄赤穗事件で、浅野内匠頭長矩の遺臣、大石内蔵助良雄以下赤穂浪士47名(“四十七士”)は、元禄15年12月14日の深夜に吉良屋敷に討ち入り、吉良上野介義央を始めその家人、警護の者を殺害しました。
この元禄15年のことを、新聞などでも1702年と表記している例が多く見られますが、この12月14日は、西暦では1703年1月30日にあたります。
さらに、この“深夜”というのも、今の表現では“未明”にあたり、討ち入りの日付は、正確には1703年1月31日になります。
今日は、この西暦と旧暦の違いについて述べた坂口安吾の随筆『月日の話』を紹介します。
『月日の話』(坂口安吾)
歳末にコヨミをもらってページをくりつゝ新しい年を考える。
今月の歴史というところを読むと、異様な気がするのである。このことは一般の人々は気付かないことで、それが普通なのだが、小説家、特に歴史小説を書いている私などから見ると、大変奇妙に思われることが多い。
たとえば、義士の討入はころは元禄十四年極月(十二月)十四日とナニワ節にうたわれていることはたれも知る通りである。
けれども、これは太陰暦でいってのことで、今日通用している太陽暦からいうと、たぶん、翌年の一月十何日ぐらいに当るのではないかと思う。
今日の太陽暦というものは明治政府が採用したもので、それ以前は太陰暦であるから、一ヶ月以上のヒラキがあるのが普通である。私がこのことを肝に銘じたのは、私が島原の乱を書こうと思って文献を調べはじめた時からで、切支丹の文献は、資料が日本側と外国側と二種類あり、日本側の日付は太陰暦であるが、西洋側は太陽暦なのである。したがって、事件の発端が十二月にかかっている天草の乱の如きは、太陽暦では翌年にかかっており、太陰暦の元旦に天草の切支丹組が油断していると思って総攻撃した時、切支丹側には何でもない平日で、ために日本側は総大将が戦死するほどの大損害をこうむった。そして今日のコヨミに至っても、太陰暦の日付がそのまま太陽暦の歴史として伝えられているのである。日本の学者のズボラさ、非科学性もはなはだしというべし。
ただ紀元節の二月十一日だけは太陰暦の元旦を太陽暦に逆算して算定したものだそうである。すべてがこのようでなければ、記念日などというものは実は全く日付違いなのである。
旧暦の12月の日付を西暦に直すときは、注意しないといけませんね。
忠臣蔵で有名な元禄赤穗事件で、浅野内匠頭長矩の遺臣、大石内蔵助良雄以下赤穂浪士47名(“四十七士”)は、元禄15年12月14日の深夜に吉良屋敷に討ち入り、吉良上野介義央を始めその家人、警護の者を殺害しました。
この元禄15年のことを、新聞などでも1702年と表記している例が多く見られますが、この12月14日は、西暦では1703年1月30日にあたります。
さらに、この“深夜”というのも、今の表現では“未明”にあたり、討ち入りの日付は、正確には1703年1月31日になります。
今日は、この西暦と旧暦の違いについて述べた坂口安吾の随筆『月日の話』を紹介します。
『月日の話』(坂口安吾)
歳末にコヨミをもらってページをくりつゝ新しい年を考える。
今月の歴史というところを読むと、異様な気がするのである。このことは一般の人々は気付かないことで、それが普通なのだが、小説家、特に歴史小説を書いている私などから見ると、大変奇妙に思われることが多い。
たとえば、義士の討入はころは元禄十四年極月(十二月)十四日とナニワ節にうたわれていることはたれも知る通りである。
けれども、これは太陰暦でいってのことで、今日通用している太陽暦からいうと、たぶん、翌年の一月十何日ぐらいに当るのではないかと思う。
今日の太陽暦というものは明治政府が採用したもので、それ以前は太陰暦であるから、一ヶ月以上のヒラキがあるのが普通である。私がこのことを肝に銘じたのは、私が島原の乱を書こうと思って文献を調べはじめた時からで、切支丹の文献は、資料が日本側と外国側と二種類あり、日本側の日付は太陰暦であるが、西洋側は太陽暦なのである。したがって、事件の発端が十二月にかかっている天草の乱の如きは、太陽暦では翌年にかかっており、太陰暦の元旦に天草の切支丹組が油断していると思って総攻撃した時、切支丹側には何でもない平日で、ために日本側は総大将が戦死するほどの大損害をこうむった。そして今日のコヨミに至っても、太陰暦の日付がそのまま太陽暦の歴史として伝えられているのである。日本の学者のズボラさ、非科学性もはなはだしというべし。
ただ紀元節の二月十一日だけは太陰暦の元旦を太陽暦に逆算して算定したものだそうである。すべてがこのようでなければ、記念日などというものは実は全く日付違いなのである。
旧暦の12月の日付を西暦に直すときは、注意しないといけませんね。
2011/12/11 22:28:51
円頓寺商店街が舞台の映画でした。
伏見ミリオン座(名古屋市中区)で映画「WAYA! ~宇宙一のおせっかい大作戦~」〔伏見ミリオン座での公開は、2011年12月16日(金)まで〕を見ました。

映画の舞台になっている円頓寺商店街は、名古屋駅前に近い昔ながらの街並みが残る商店街です。
*****
空き店舗が増える中、商店街の理事会では、これからの商店街をどう盛り上げていくのか、お客さんをどう呼ぶのかを議論し、商店街への注目度をもっと高めるため、キャッチコピーの募集を行ったり、魅力的なイベントを考えますが、どれもこれもいまひとつです。
そんな中、商店街の青年団団長に選ばれたクリーニング屋の稲垣勘太郎(井戸田潤)は、商店街にとってなくてはならない存在の会長のシゲさんこと野田茂(矢崎滋)が、京都からこの商店街にやってきて、下駄屋の「野田仙」を継いで30周年を迎えることを知り、地元に溶け込み商店街の活性化に貢献してきた功績に対する感謝の気持ちを込めた一大イベントを企画しようと張り切っています。
しかし、頑固一徹で派手なことを嫌うシゲさんは、興味がない様子です。
めげない勘太郎は、イベントにかこつけ、シゲさんを感動させてやろう、泣かせてやろう、スポットライトを当てちゃおうと、牛島えり(藤田朋子)、西康弘(モロ師岡)、ペーター(マシュー・ロット)らシゲさんを除く商店街のメンバーと、こっそりとプランを練ります。
そこで浮かび上がったのが、京都を出て30年間会っていなかった“親友との再会劇”というサプライズ企画です。
白羽の矢が立ったのは、シゲさんが昔やっていた学生演劇時代の仲間で、現在、大衆演劇の花形役者・綾小路芝喜松のノブさんこと木下伸郎(ルー大柴)です。
そんな大人たちを冷静に見つめる少年、高島和也(三輪泉月)は、両親の離婚の危機で母親・高島冴子(水野美紀)の実家であるシゲさんのところに引っ越してきた東京っ子です。
ひょんなことでこの企てに巻き込まれた和也は、シゲさんがノブさんを宇宙一嫌いと言っていて、彼の顔を見るのも、一緒の空気を吸うのも嫌で京都を後にしたということを知ってしまいます。
それを知った面々からも、この作戦は成功しないと諦めムードが漂う中、勘太郎は商店街あげてのお祭の中で二人を仲直りさせてしまおうというとんでもない企画、題して“宇宙一のおせっかい大作戦”を発表します。……
*****
脚本・監督は古波津陽、主題歌の「ホームシック」はHOME MADE家族が歌っています。
※映画の公式サイト:http://www.waya-movie.com/
※なごや下町商店街ムービー製作委員会の公式サイト:http://www.nagom.jp/

絆がテーマのこの作品、撮影していた時には、公開のまでの間に大震災が起きるなどとは想像だにしていなかったに違いありませんが、図らずも、今の社会状況にぴったりのテーマの映画になっています。
見終わって、心の温度が少し上がる映画でした。
それにしても円頓寺商店街は、本当の昭和のレトロな雰囲気を残しています。
また、実際に円頓寺商店街を訪れてみると、名古屋駅との距離の近さに驚きます。
バブル期によく地上げから逃れられたものと思います。
映画の中で、勘太郎を演じる井戸田潤さんが、商店街のアーケードの上を歩いて水野美紀さん演じる冴子に会いにいく場面がありました。
アーケードの屋根の上が歩けることを始めて知りました。
出演者の中では、高島和也を演じる子役の三輪泉月君の演技が絶品です。
他のどの役者よりもうまかったようにさえ見えました。
また、脇役では、劇中劇の演出を任されることになる老人ホームで暮らす伊丹老人(服部公)が印象に残りました。
ただ、出演者のほとんどが名古屋弁をしゃべっていなかったのが、少し残念でした。
なお、映画を見ているときには気がつかなかったのですが、エンドロールにたくさん出てきたエキストラの中に、何人か知人の名前を見つけました。
ちょっとうらやましかったです。
伏見ミリオン座(名古屋市中区)で映画「WAYA! ~宇宙一のおせっかい大作戦~」〔伏見ミリオン座での公開は、2011年12月16日(金)まで〕を見ました。

映画の舞台になっている円頓寺商店街は、名古屋駅前に近い昔ながらの街並みが残る商店街です。
*****
空き店舗が増える中、商店街の理事会では、これからの商店街をどう盛り上げていくのか、お客さんをどう呼ぶのかを議論し、商店街への注目度をもっと高めるため、キャッチコピーの募集を行ったり、魅力的なイベントを考えますが、どれもこれもいまひとつです。
そんな中、商店街の青年団団長に選ばれたクリーニング屋の稲垣勘太郎(井戸田潤)は、商店街にとってなくてはならない存在の会長のシゲさんこと野田茂(矢崎滋)が、京都からこの商店街にやってきて、下駄屋の「野田仙」を継いで30周年を迎えることを知り、地元に溶け込み商店街の活性化に貢献してきた功績に対する感謝の気持ちを込めた一大イベントを企画しようと張り切っています。
しかし、頑固一徹で派手なことを嫌うシゲさんは、興味がない様子です。
めげない勘太郎は、イベントにかこつけ、シゲさんを感動させてやろう、泣かせてやろう、スポットライトを当てちゃおうと、牛島えり(藤田朋子)、西康弘(モロ師岡)、ペーター(マシュー・ロット)らシゲさんを除く商店街のメンバーと、こっそりとプランを練ります。
そこで浮かび上がったのが、京都を出て30年間会っていなかった“親友との再会劇”というサプライズ企画です。
白羽の矢が立ったのは、シゲさんが昔やっていた学生演劇時代の仲間で、現在、大衆演劇の花形役者・綾小路芝喜松のノブさんこと木下伸郎(ルー大柴)です。
そんな大人たちを冷静に見つめる少年、高島和也(三輪泉月)は、両親の離婚の危機で母親・高島冴子(水野美紀)の実家であるシゲさんのところに引っ越してきた東京っ子です。
ひょんなことでこの企てに巻き込まれた和也は、シゲさんがノブさんを宇宙一嫌いと言っていて、彼の顔を見るのも、一緒の空気を吸うのも嫌で京都を後にしたということを知ってしまいます。
それを知った面々からも、この作戦は成功しないと諦めムードが漂う中、勘太郎は商店街あげてのお祭の中で二人を仲直りさせてしまおうというとんでもない企画、題して“宇宙一のおせっかい大作戦”を発表します。……
*****
脚本・監督は古波津陽、主題歌の「ホームシック」はHOME MADE家族が歌っています。
※映画の公式サイト:http://www.waya-movie.com/
※なごや下町商店街ムービー製作委員会の公式サイト:http://www.nagom.jp/

絆がテーマのこの作品、撮影していた時には、公開のまでの間に大震災が起きるなどとは想像だにしていなかったに違いありませんが、図らずも、今の社会状況にぴったりのテーマの映画になっています。
見終わって、心の温度が少し上がる映画でした。
それにしても円頓寺商店街は、本当の昭和のレトロな雰囲気を残しています。
また、実際に円頓寺商店街を訪れてみると、名古屋駅との距離の近さに驚きます。
バブル期によく地上げから逃れられたものと思います。
映画の中で、勘太郎を演じる井戸田潤さんが、商店街のアーケードの上を歩いて水野美紀さん演じる冴子に会いにいく場面がありました。
アーケードの屋根の上が歩けることを始めて知りました。
出演者の中では、高島和也を演じる子役の三輪泉月君の演技が絶品です。
他のどの役者よりもうまかったようにさえ見えました。
また、脇役では、劇中劇の演出を任されることになる老人ホームで暮らす伊丹老人(服部公)が印象に残りました。
ただ、出演者のほとんどが名古屋弁をしゃべっていなかったのが、少し残念でした。
なお、映画を見ているときには気がつかなかったのですが、エンドロールにたくさん出てきたエキストラの中に、何人か知人の名前を見つけました。
ちょっとうらやましかったです。
2011/12/10 23:58:13
今日は皆既月食でした。
月食は、平均すると年に1回程度は起きますが、1年に2回起こる年や全く起こらない年もあり、その頻度にはバラツキがあります。
今年(2011年)は、6月16日と12月10日の2回、皆既月食を見ることができる珍しい年だそうです。
なお、始まりから終わりまでが全過程がほぼ全国で見ることのできる月食としては、2000年7月16日以来、11年ぶりだそうです。
今日の名古屋は、夕方はほぼ全空が雲に覆われていましたが、だんだん雲間が広がり、皆既月食を見ることができました。

なお、今年の6月16日の皆既月食では、欠けたまま沈む月が見られるはずでしたが、、名古屋は雲に覆われて見えませんでしたので、名古屋で月食を見ることができたのは4年ぶりだそうです。
今日は、皆既月食にちなみ、夢野久作の『月蝕』という詩を紹介します。
『月蝕』(夢野久作)
★
鋼のように澄みわたる大空のまん中で
月がすすり泣いている。
………けがらわしい地球の陰影が
自分の顔にうつるとて…………
それを大勢の人間から見られるとて…………
…………身ぶるいして嫌がっている。
★
………しかし………
逃れられぬ暗い運命は…………
刻々に彼女に迫って来る。
大空のただ中に…………
★
……はじまった……
月蝕が…………
★
彼女はいつとなく死相をあらわして来た。
水々しい生白い頬…………
……目に見えぬ髪毛を、長々と地平線まで引きはえた………
それが冷たく……美しく……透きとおる……
コメカミのあたりから水気が…………ヒッソリとしたたる。
★
彼女はもう…………
仕方がないとあきらめて
暗い…………醜い運命の手に…………
自分の美をまかせてしまうつもりらしい。
★
顋のあたりが
すこしばかり切り欠かれる。
…………黒い血がムルムルと湧く。
…………暗い腥いにおいが大空に流れ出す。
…………それが一面に地平線まで拡がってゆく。
彼女を取巻く星の光がギラギラと冴えかえった。
★
彼女の瞼が一しきりふるえて
やがて力なく黝ずんで来る。
鼻の横に黒い血の磈が盛り上る。
…………深く斬込まれた刃の蔭に
赤茶気た肉がヒクメク。
★
世界は暗くなった。
すべての生物は鉛のように重たく
針のように痛々しい心を
ジッと抱いて動かなくなった。
★
けれども暗い……鋼鉄よりもよく切れる円形の刃は
彼女の青ざめた横頬を
なおもズンズンと斬り込んでゆく。
そこから溢れ出る暗い…………腥いにおいにすべては溺れ込んでゆく。
…………山も…………海も…………森も…………家も…………道路も…………
…………そこいらから見上げている人間たちも…………
★
その中にただ一つ残る白い光…………
彼女の額と鼻すじが
もうすこしで…………
黒い刃の蔭に蔽われそうになった。
★
空一面の夥しい星が
小さな声で囁き合って
又ヒッソリと静まった。
★
陰惨な最後の時…………
顔を蔽いつくす血の下に
観念して閉じていた白い瞼を
パッチリと彼女は見開いた。
★
案外に平気な顔で
下界の人々を流し眼に見まわした
ニッコリと笑った。
★
…………ホホホホホホホ……
これはお芝居なのよ。
……大空の影と光りの……。
だから妾は痛くも苦しくも………
……何ともないのよ…………
そうしてもうじきおしまいになるのよ。
★
…………でも皆さんホントになすったでしょう。
……あたし名優でしょう……
オホホホホホ……………
★
ではサヨウナラ…………
みなさんおやすみなさい。
……ホホホホホ……………………
ホホホホホ……………………………
皆既月食のときに見える赤い月から連想したのでしょうか。
妖しい雰囲気の詩です。
月食は、平均すると年に1回程度は起きますが、1年に2回起こる年や全く起こらない年もあり、その頻度にはバラツキがあります。
今年(2011年)は、6月16日と12月10日の2回、皆既月食を見ることができる珍しい年だそうです。
なお、始まりから終わりまでが全過程がほぼ全国で見ることのできる月食としては、2000年7月16日以来、11年ぶりだそうです。
今日の名古屋は、夕方はほぼ全空が雲に覆われていましたが、だんだん雲間が広がり、皆既月食を見ることができました。

なお、今年の6月16日の皆既月食では、欠けたまま沈む月が見られるはずでしたが、、名古屋は雲に覆われて見えませんでしたので、名古屋で月食を見ることができたのは4年ぶりだそうです。
今日は、皆既月食にちなみ、夢野久作の『月蝕』という詩を紹介します。
『月蝕』(夢野久作)
★
鋼のように澄みわたる大空のまん中で
月がすすり泣いている。
………けがらわしい地球の陰影が
自分の顔にうつるとて…………
それを大勢の人間から見られるとて…………
…………身ぶるいして嫌がっている。
★
………しかし………
逃れられぬ暗い運命は…………
刻々に彼女に迫って来る。
大空のただ中に…………
★
……はじまった……
月蝕が…………
★
彼女はいつとなく死相をあらわして来た。
水々しい生白い頬…………
……目に見えぬ髪毛を、長々と地平線まで引きはえた………
それが冷たく……美しく……透きとおる……
コメカミのあたりから水気が…………ヒッソリとしたたる。
★
彼女はもう…………
仕方がないとあきらめて
暗い…………醜い運命の手に…………
自分の美をまかせてしまうつもりらしい。
★
顋のあたりが
すこしばかり切り欠かれる。
…………黒い血がムルムルと湧く。
…………暗い腥いにおいが大空に流れ出す。
…………それが一面に地平線まで拡がってゆく。
彼女を取巻く星の光がギラギラと冴えかえった。
★
彼女の瞼が一しきりふるえて
やがて力なく黝ずんで来る。
鼻の横に黒い血の磈が盛り上る。
…………深く斬込まれた刃の蔭に
赤茶気た肉がヒクメク。
★
世界は暗くなった。
すべての生物は鉛のように重たく
針のように痛々しい心を
ジッと抱いて動かなくなった。
★
けれども暗い……鋼鉄よりもよく切れる円形の刃は
彼女の青ざめた横頬を
なおもズンズンと斬り込んでゆく。
そこから溢れ出る暗い…………腥いにおいにすべては溺れ込んでゆく。
…………山も…………海も…………森も…………家も…………道路も…………
…………そこいらから見上げている人間たちも…………
★
その中にただ一つ残る白い光…………
彼女の額と鼻すじが
もうすこしで…………
黒い刃の蔭に蔽われそうになった。
★
空一面の夥しい星が
小さな声で囁き合って
又ヒッソリと静まった。
★
陰惨な最後の時…………
顔を蔽いつくす血の下に
観念して閉じていた白い瞼を
パッチリと彼女は見開いた。
★
案外に平気な顔で
下界の人々を流し眼に見まわした
ニッコリと笑った。
★
…………ホホホホホホホ……
これはお芝居なのよ。
……大空の影と光りの……。
だから妾は痛くも苦しくも………
……何ともないのよ…………
そうしてもうじきおしまいになるのよ。
★
…………でも皆さんホントになすったでしょう。
……あたし名優でしょう……
オホホホホホ……………
★
ではサヨウナラ…………
みなさんおやすみなさい。
……ホホホホホ……………………
ホホホホホ……………………………
皆既月食のときに見える赤い月から連想したのでしょうか。
妖しい雰囲気の詩です。
2011/12/08 06:22:48
堀川図屏風を見ました。
日曜日に名古屋市博物館に行きました(2011年12月4日の日記参照)が、常設展示室のテーマ10は、「堀川」〔2010年11月15日(火)~2011年12月11日(日)〕と題した展示でした。
名古屋市博物館の常設展示室のテーマ10「近世尾張の文化」では、1~2か月ごとに展示替を行っているそうです。
※名古屋市博物館のサイトの常設展示室のテーマ10の「堀川」のページ:http://www.museum.city.nagoya.jp/horikawa2011.html

[2011年12月4日(日)撮影、絵は『堀川図屏風』〔左隻〕]
今回の展示は、慶長15(1610)年の開削開始から400年を経た現在も名古屋の人々に親しまれている堀川の江戸時代の姿を展示するものだそうです。
名古屋城から熱田までの堀川沿いの景物を描き込んだ屏風『堀川図屏風』(松吉樵渓筆)が展示されていました。
周囲の城下の様子を省略し、水面を青く彩色することで、川の流れを浮かび上がらせています。
※『堀川図屏風』〔左隻〕:http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji11/horikawaL.jpg(名古屋市博物館のサイトから)
※『堀川図屏風』〔右隻〕:http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji11/horikawaR.jpg(名古屋市博物館のサイトから)
昨日の日記にも書きましたが、日曜日というのに常設展示室には数人しかいませんでした。
特別展のチケットで常設展も見ることができるのに、どうして2階の常設展示室には人が少ないのでしょうか。
日曜日に名古屋市博物館に行きました(2011年12月4日の日記参照)が、常設展示室のテーマ10は、「堀川」〔2010年11月15日(火)~2011年12月11日(日)〕と題した展示でした。
名古屋市博物館の常設展示室のテーマ10「近世尾張の文化」では、1~2か月ごとに展示替を行っているそうです。
※名古屋市博物館のサイトの常設展示室のテーマ10の「堀川」のページ:http://www.museum.city.nagoya.jp/horikawa2011.html

[2011年12月4日(日)撮影、絵は『堀川図屏風』〔左隻〕]
今回の展示は、慶長15(1610)年の開削開始から400年を経た現在も名古屋の人々に親しまれている堀川の江戸時代の姿を展示するものだそうです。
名古屋城から熱田までの堀川沿いの景物を描き込んだ屏風『堀川図屏風』(松吉樵渓筆)が展示されていました。
周囲の城下の様子を省略し、水面を青く彩色することで、川の流れを浮かび上がらせています。
※『堀川図屏風』〔左隻〕:http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji11/horikawaL.jpg(名古屋市博物館のサイトから)
※『堀川図屏風』〔右隻〕:http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji11/horikawaR.jpg(名古屋市博物館のサイトから)
昨日の日記にも書きましたが、日曜日というのに常設展示室には数人しかいませんでした。
特別展のチケットで常設展も見ることができるのに、どうして2階の常設展示室には人が少ないのでしょうか。
2011/12/07 20:56:14
名古屋の上下水道の展示でした。
日曜日に名古屋市博物館に行きました(2011年12月4日の日記参照)が、常設展示室のフリールームでは「江戸から明治 名古屋の上下水道」〔2011年11月15日(火)~12月18日(日)〕が開催中でした。
※名古屋市博物館の常設展示室のフリールームの「江戸から明治 名古屋の上下水道」のページ:http://www.museum.city.nagoya.jp/jyougesuido2011.html

[2011年12月4日(日)撮影、写真は『上水道木樋』]
この展示は、来年(平成24年)が名古屋の近代下水道供用開始から100年にあたるのを記念して、
江戸時代から明治時代にかけた“水”を通したライフラインの移りかわりを紹介するものとのことです。
名古屋市西区樋の口町から出土した『上水道木樋』の他、江戸時代の水道の図面である『御深井御用水江程全図』、明治時代の上下水道の資料である『水道運河雑録』、『精進川改修工事実測図』、『下水道布設関係資料』などが展示されていました。

[2011年12月4日(日)撮影、写真は『名古屋市水道創設工事写真帖』]
いつものことですが、常設展示室には、ほとんど人がいなくて、少し寂しかったです。
日曜日に名古屋市博物館に行きました(2011年12月4日の日記参照)が、常設展示室のフリールームでは「江戸から明治 名古屋の上下水道」〔2011年11月15日(火)~12月18日(日)〕が開催中でした。
※名古屋市博物館の常設展示室のフリールームの「江戸から明治 名古屋の上下水道」のページ:http://www.museum.city.nagoya.jp/jyougesuido2011.html

[2011年12月4日(日)撮影、写真は『上水道木樋』]
この展示は、来年(平成24年)が名古屋の近代下水道供用開始から100年にあたるのを記念して、
江戸時代から明治時代にかけた“水”を通したライフラインの移りかわりを紹介するものとのことです。
名古屋市西区樋の口町から出土した『上水道木樋』の他、江戸時代の水道の図面である『御深井御用水江程全図』、明治時代の上下水道の資料である『水道運河雑録』、『精進川改修工事実測図』、『下水道布設関係資料』などが展示されていました。

[2011年12月4日(日)撮影、写真は『名古屋市水道創設工事写真帖』]
いつものことですが、常設展示室には、ほとんど人がいなくて、少し寂しかったです。
2011/12/06 22:10:15
名古屋能楽堂では展示室も見学しました。
名古屋能楽堂の展示室では、11・12月企画展「華やかな女性の装束」〔2011年11月1日(火)~12月27日(水)〕が開催中でした。
能の女性の装束の中でも、特に華やかな唐織が展示されていました。
唐織には金銀糸や色糸がふんだんに使われています。
中でも「鬱金地花菱地紋に鳳凰文様」と「萌葱地霞に松楓文様」の2つの唐織が目を引きました。
また、紅白に生地が段替わりになっているデザインが印象的な唐織「紅白段葛家に秋草文様」も豪華な装束でした。
今回は、唐織の他に、長絹、掛軸、能面など計18点が展示されていました。
能楽堂の外の階段は、黄色く色づいたイチョウの落ち葉に埋め尽くされていました。

[2011年12月4日(日)撮影]
もう秋も終わりと冬の訪れを感じる景色でした。
名古屋能楽堂の展示室では、11・12月企画展「華やかな女性の装束」〔2011年11月1日(火)~12月27日(水)〕が開催中でした。
能の女性の装束の中でも、特に華やかな唐織が展示されていました。
唐織には金銀糸や色糸がふんだんに使われています。
中でも「鬱金地花菱地紋に鳳凰文様」と「萌葱地霞に松楓文様」の2つの唐織が目を引きました。
また、紅白に生地が段替わりになっているデザインが印象的な唐織「紅白段葛家に秋草文様」も豪華な装束でした。
今回は、唐織の他に、長絹、掛軸、能面など計18点が展示されていました。
能楽堂の外の階段は、黄色く色づいたイチョウの落ち葉に埋め尽くされていました。

[2011年12月4日(日)撮影]
もう秋も終わりと冬の訪れを感じる景色でした。
2011/12/05 23:24:16
名古屋能楽堂の12月定例公演に行きました。
今日は、昨日(2011年12月4日)見に行った名古屋能楽堂の12月定例公演を紹介します。
今年度の名古屋能楽堂の定例公演のテーマは、“~能・狂言と“世界”~”とのことです。
12月の定例公演の演目は、能『巴』、狂言『棒縛』、能『土蜘蛛』の3番と舞囃子1番、仕舞2番でした。


今月の演目のテーマは、“海外の要人が見た能①””とのことです。
○能『巴』
木曾の山里の僧が都へ向かう途中、近江の粟津で一人の女に会います。
女が社に参り涙を流しているので、不審に思い声をかけるとこれはああなたと故郷を同じくする木曾義仲を祭った社だから、その霊を慰めてほしいといって消え去ります。
宋は、里の男に義仲の最期と巴御前のことを聞き、弔いをすると、先刻の女が武者姿で現れ、義仲に仕えた巴御前の霊であることを知らせます……。
昭和8(1933)年2月末より、アイルランドの劇作家で、戯曲「ピグマリオン」(ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の原作)の作者として知られるバーナード・ショウが来日した折に、靖国神社能楽堂で能『巴』と狂言『蚊相撲』を鑑賞したそうです。
その時、77歳だったショウは、能を観て“新しくて興味あるものを学んだ”との感想を残したそうです。
衣斐愛師は、女性というわけではなく、小柄なので、シテが女性の能は似合います。
また、動きも軽快なので、『巴』のような能はぴったりだと思いました。
後場の長刀つかいも見応えがありました。
○狂言『棒縛』
酒好きな太郎冠者と次郎冠者の2人は、主人が留守になるたびに酒蔵に忍び込んでは盗み酒をしています。
今日も外出しなくてはいけなくなった主人は、まず次郎冠者を呼び出し、最近、棒の手の稽古をしている太郎冠者にその型をさせ、隙を見て縄で括りつけようと声をかけます……。
アメリカのビル・クリントン元大統領が来日した際の東京赤坂の迎賓館での政府レセプションで、野村万作・野村又三郎(先代)・井上菊次郎で、この狂言を披露したそうです。
太郎冠者を演じた鹿島俊裕師のひょうきんな表情が笑いを誘いました。
能と違って狂言は顔の表情でも演技するのだとよくわかりました。
○能『土蜘蛛』
病の床にある源頼光の下に胡蝶という侍女が薬を持って見舞いに訪れ、
気弱になっている頼光に治療すれば治ると慰めの言葉を残して帰ります。
頼光がふと気付くと、部屋に一人の僧がいて、千筋の糸を投げ掛けます。
頼光が枕元に置いてあった名刀膝丸で斬りつけると、なおも糸を繰り出し消え失せます。
この音に驚いた警護の武者は、床に残った血の跡をたどり化物退治に出かけます……。
明治12(1879)年7月8日に、来日中のアメリカの前大統領のグラント将軍を歓待する能会が、岩倉具視邸で催され、半能『望月』、狂言『釣狐』、能『土蜘蛛』ほか仕舞4番が上演されたそうです。
このときは、あらすじの英訳が準備されたと伝えられているそうです。
シテの松山幸親師が投げた糸は20以上だったと思います。
糸をきれいに投げるのは難しいと聞いていますが、今回の舞台では2、3回は失敗もあったように見えましたが、多くは美しい放物線を描いて飛んでいました。
壬生狂言では、この『土蜘蛛』の糸を貰って帰るといいことがあるという言い伝えがあり、観客が先を争って糸を奪い合うそうですが、さすがに能の公演ではそういうことはありませんでした。
今回の定例公演は、当日券は完売で満席でした。
見所がこんなに賑わっている定例公演は久しぶりでした。
演目が人気演目だったからでしょうか、あるいは、仕舞、舞囃子も含めると五流派勢ぞろいだったからでしょうか。
いずれにしても、空席の目立つ見所よりは、満員の見所で見る方が舞台も盛り上がると感じました。
今日は、昨日(2011年12月4日)見に行った名古屋能楽堂の12月定例公演を紹介します。
今年度の名古屋能楽堂の定例公演のテーマは、“~能・狂言と“世界”~”とのことです。
12月の定例公演の演目は、能『巴』、狂言『棒縛』、能『土蜘蛛』の3番と舞囃子1番、仕舞2番でした。


今月の演目のテーマは、“海外の要人が見た能①””とのことです。
○能『巴』
木曾の山里の僧が都へ向かう途中、近江の粟津で一人の女に会います。
女が社に参り涙を流しているので、不審に思い声をかけるとこれはああなたと故郷を同じくする木曾義仲を祭った社だから、その霊を慰めてほしいといって消え去ります。
宋は、里の男に義仲の最期と巴御前のことを聞き、弔いをすると、先刻の女が武者姿で現れ、義仲に仕えた巴御前の霊であることを知らせます……。
昭和8(1933)年2月末より、アイルランドの劇作家で、戯曲「ピグマリオン」(ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の原作)の作者として知られるバーナード・ショウが来日した折に、靖国神社能楽堂で能『巴』と狂言『蚊相撲』を鑑賞したそうです。
その時、77歳だったショウは、能を観て“新しくて興味あるものを学んだ”との感想を残したそうです。
衣斐愛師は、女性というわけではなく、小柄なので、シテが女性の能は似合います。
また、動きも軽快なので、『巴』のような能はぴったりだと思いました。
後場の長刀つかいも見応えがありました。
○狂言『棒縛』
酒好きな太郎冠者と次郎冠者の2人は、主人が留守になるたびに酒蔵に忍び込んでは盗み酒をしています。
今日も外出しなくてはいけなくなった主人は、まず次郎冠者を呼び出し、最近、棒の手の稽古をしている太郎冠者にその型をさせ、隙を見て縄で括りつけようと声をかけます……。
アメリカのビル・クリントン元大統領が来日した際の東京赤坂の迎賓館での政府レセプションで、野村万作・野村又三郎(先代)・井上菊次郎で、この狂言を披露したそうです。
太郎冠者を演じた鹿島俊裕師のひょうきんな表情が笑いを誘いました。
能と違って狂言は顔の表情でも演技するのだとよくわかりました。
○能『土蜘蛛』
病の床にある源頼光の下に胡蝶という侍女が薬を持って見舞いに訪れ、
気弱になっている頼光に治療すれば治ると慰めの言葉を残して帰ります。
頼光がふと気付くと、部屋に一人の僧がいて、千筋の糸を投げ掛けます。
頼光が枕元に置いてあった名刀膝丸で斬りつけると、なおも糸を繰り出し消え失せます。
この音に驚いた警護の武者は、床に残った血の跡をたどり化物退治に出かけます……。
明治12(1879)年7月8日に、来日中のアメリカの前大統領のグラント将軍を歓待する能会が、岩倉具視邸で催され、半能『望月』、狂言『釣狐』、能『土蜘蛛』ほか仕舞4番が上演されたそうです。
このときは、あらすじの英訳が準備されたと伝えられているそうです。
シテの松山幸親師が投げた糸は20以上だったと思います。
糸をきれいに投げるのは難しいと聞いていますが、今回の舞台では2、3回は失敗もあったように見えましたが、多くは美しい放物線を描いて飛んでいました。
壬生狂言では、この『土蜘蛛』の糸を貰って帰るといいことがあるという言い伝えがあり、観客が先を争って糸を奪い合うそうですが、さすがに能の公演ではそういうことはありませんでした。
今回の定例公演は、当日券は完売で満席でした。
見所がこんなに賑わっている定例公演は久しぶりでした。
演目が人気演目だったからでしょうか、あるいは、仕舞、舞囃子も含めると五流派勢ぞろいだったからでしょうか。
いずれにしても、空席の目立つ見所よりは、満員の見所で見る方が舞台も盛り上がると感じました。