2011/10/31 23:58:23
今年もほのかな香りがしています。
実家の庭でメキシカンセージの花が満開になっていました。

[2011年10月30日(日)撮影]
メキシカンセージは、その花の色からアメジストセージとも呼ばれています。
このふんわりしたビロードのような紫色の花は、昨日紹介したホトトギスの花(2011年10月30日の日記参照)と共に、毎年実家の庭の秋を彩ってくれています。
花は雨に濡れていましたが、周辺にはやさしい香りがほのかに漂っていました。
実家の庭でメキシカンセージの花が満開になっていました。

[2011年10月30日(日)撮影]
メキシカンセージは、その花の色からアメジストセージとも呼ばれています。
このふんわりしたビロードのような紫色の花は、昨日紹介したホトトギスの花(2011年10月30日の日記参照)と共に、毎年実家の庭の秋を彩ってくれています。
花は雨に濡れていましたが、周辺にはやさしい香りがほのかに漂っていました。
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2011/10/29 22:44:48
今日は、名古屋金春会の前の最後の稽古でした。
今日は、発表会前の最後の稽古ということで、仕舞『山姥』のクセを通しで2回、稽古していただきました。
※『山姥』のあらすじ:http://www.syuneikai.net/yamanba.htm(名古屋春栄会のサイトから)
今日は、ねじる箇所などキリっと動くところをきちんとするようにとの指導を受けました。
また、以前からの癖ですが、大小前に戻って正面を向いたときに俯きがちになる点も注意を受けました。
さらに、出入りのときの姿勢についての注意事項も改めて教えていただきました。
本番まで、あと一週間なので、今日教えていただいた箇所を修正したいと思っています。
11月5日(土)午後1時30分から名古屋能楽堂において、名古屋金春会が開催されます。
また、当日、午前中は名古屋地区の金春流の合同発表会の名古屋金春流友会が、同じく名古屋能楽堂で開催されます。
※第32回名古屋金春会の番組:http://www.syuneikai.net/konparu2011prog.htm(名古屋春栄会のサイトから)
※第32回名古屋金春流友会の番組:http://www.syuneikai.net/ryuyu2011prog.htm(名古屋春栄会のサイトから)
お近くの方は、ぜひ足をお運びください。
今日は、発表会前の最後の稽古ということで、仕舞『山姥』のクセを通しで2回、稽古していただきました。
※『山姥』のあらすじ:http://www.syuneikai.net/yamanba.htm(名古屋春栄会のサイトから)
今日は、ねじる箇所などキリっと動くところをきちんとするようにとの指導を受けました。
また、以前からの癖ですが、大小前に戻って正面を向いたときに俯きがちになる点も注意を受けました。
さらに、出入りのときの姿勢についての注意事項も改めて教えていただきました。
本番まで、あと一週間なので、今日教えていただいた箇所を修正したいと思っています。
11月5日(土)午後1時30分から名古屋能楽堂において、名古屋金春会が開催されます。
また、当日、午前中は名古屋地区の金春流の合同発表会の名古屋金春流友会が、同じく名古屋能楽堂で開催されます。
※第32回名古屋金春会の番組:http://www.syuneikai.net/konparu2011prog.htm(名古屋春栄会のサイトから)
※第32回名古屋金春流友会の番組:http://www.syuneikai.net/ryuyu2011prog.htm(名古屋春栄会のサイトから)
お近くの方は、ぜひ足をお運びください。
2011/10/28 23:20:19
名古屋能楽堂の10月定例公演に行きました。
今年度の名古屋能楽堂の定例公演のテーマは、“~能・狂言と“世界”~”とのことです。
10月の定例公演の演目は、狂言『鳴子』、能『石橋 大獅子』の2番でした。


今月の演目のテーマは、“近くて遠い伝説の宝庫・中国”とのこと。
日本にとって最も身近な異国・中国との交流は、能・狂言の演目にもさまざまな形で描かれています。
能『唐船』や狂言『茶子塩梅』には日本で暮らす唐人が登場し、能『白楽天』や狂言『唐人相撲』は、日本人と唐人との知力・体力比べが描かれます。
一方、周の時代を描く能『西王母』、秦の始皇帝が刺客から逃れる能『咸陽宮』、魏の時代を舞台とした能『枕慈童』、蜀の時代の若者を主人公とする能『邯鄲』など、さまざまな時代の中国を舞台とした演目を数多くあります。
能『石橋』は宋の時代に伝説の地・清涼山に憧れて海を渡った大江定基(寂昭法師)が登場する演目です。
○狂言『鳴子』
主人が、2人の召使(太郎冠者と次郎冠者)に田の鳥追いを頼みます。
二人はいったん、鳥追いは子どもの仕事だ言ってと断りますが、主人の頼みを聞いて鳥追いに出かけます。
しばらくして主人が気を利かせてお酒を届けに来ます。
主人が帰ると早速、2人は酒を飲み始め、興に任せて小唄を謡い、舞を舞い、ついに寝入ってしまいます。
すると、………。
この曲は、和泉流にしかない演目だそうです。
小唄がふんだんに取り入れられていて、その独特の軽快な節回しが楽しい演目でした。
また、“引く”という言葉をキーワードとする“引き物尽くし”の謡も面白かったです。
実際に鳴子を鳴らすところや、太郎冠者を演じた佐藤融師のトリルのような歌い方もユニークで楽しめました。
ただ、太郎冠者を演じた佐藤融師と次郎冠者を演じた井上靖浩師の声が比較的高音で大きかったのに対して、主人を演じた大野弘之師の声が比較的低音で小さかったので、私には2人を叱り付ける場面が迫力不足に見えてしまいました。
しかし、必ずしも同じ声のトーンの演者の組合せの方が良いとは言えないとも思いますので、難しいところなのかもしれません。
○能『石橋 大獅子』
能『石橋』は、今では能の後半部分の獅子舞だけを演ずる半能という形式で上演されることのほとんどですが、今日は、前半部分にあたる大江定基(ワキ)と童子(シテ)の問答も演じられました。
また、「大獅子」の小書による演出でしたので、後半、白頭の獅子(シテ)と赤頭の獅子(ツレ)の獅子舞が華やかに演じられました。
世阿弥は、その著書の「申楽談儀」の中で獅子舞について、“獅子舞は、河内の榎並に、徳寿とてあり。神変獅子なり。増阿、稚児にて、鹿苑院の御前にて舞ひし、面白かりしなり”と述べていますので、世阿弥の時代に、既に猿楽や田楽が獅子舞をレパートリーとしていたことは確かなようです。
『石橋』のあらすじは、こちらをご覧ください。→http://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_030.html(the 能.comのサイトから)
シテの古橋正邦師とツレの梅田嘉宏師による獅子舞は動きに躍動感があってすばらしかったです。
鮮やかな色彩の牡丹の作り物と激しい動きの舞を見ていると、異国の舞を見ているようで、エキゾチックにさえ感じられました。
ただ、獅子舞での、頭をそり返させる所作や、さっと伏せる所作の2人のタイミングのずれは意図的なものだと思いますが、箇所によってずれの間合いが微妙に異なるので、私には合わせようとしているのに合わせられないように見えてしまいました。
白頭の獅子と赤頭の獅子の違いを出しながら、同じ所作をするのは難しいことなのだと改めて感じました。
今年度の名古屋能楽堂の定例公演で唯一、平日の夜の公演でしたが、これまでの土日の昼の公演より、見所は賑わっていました。
平日の夜の方が、より多くの人に能を見てもらえるのではと感じました。
今年度の名古屋能楽堂の定例公演のテーマは、“~能・狂言と“世界”~”とのことです。
10月の定例公演の演目は、狂言『鳴子』、能『石橋 大獅子』の2番でした。


今月の演目のテーマは、“近くて遠い伝説の宝庫・中国”とのこと。
日本にとって最も身近な異国・中国との交流は、能・狂言の演目にもさまざまな形で描かれています。
能『唐船』や狂言『茶子塩梅』には日本で暮らす唐人が登場し、能『白楽天』や狂言『唐人相撲』は、日本人と唐人との知力・体力比べが描かれます。
一方、周の時代を描く能『西王母』、秦の始皇帝が刺客から逃れる能『咸陽宮』、魏の時代を舞台とした能『枕慈童』、蜀の時代の若者を主人公とする能『邯鄲』など、さまざまな時代の中国を舞台とした演目を数多くあります。
能『石橋』は宋の時代に伝説の地・清涼山に憧れて海を渡った大江定基(寂昭法師)が登場する演目です。
○狂言『鳴子』
主人が、2人の召使(太郎冠者と次郎冠者)に田の鳥追いを頼みます。
二人はいったん、鳥追いは子どもの仕事だ言ってと断りますが、主人の頼みを聞いて鳥追いに出かけます。
しばらくして主人が気を利かせてお酒を届けに来ます。
主人が帰ると早速、2人は酒を飲み始め、興に任せて小唄を謡い、舞を舞い、ついに寝入ってしまいます。
すると、………。
この曲は、和泉流にしかない演目だそうです。
小唄がふんだんに取り入れられていて、その独特の軽快な節回しが楽しい演目でした。
また、“引く”という言葉をキーワードとする“引き物尽くし”の謡も面白かったです。
実際に鳴子を鳴らすところや、太郎冠者を演じた佐藤融師のトリルのような歌い方もユニークで楽しめました。
ただ、太郎冠者を演じた佐藤融師と次郎冠者を演じた井上靖浩師の声が比較的高音で大きかったのに対して、主人を演じた大野弘之師の声が比較的低音で小さかったので、私には2人を叱り付ける場面が迫力不足に見えてしまいました。
しかし、必ずしも同じ声のトーンの演者の組合せの方が良いとは言えないとも思いますので、難しいところなのかもしれません。
○能『石橋 大獅子』
能『石橋』は、今では能の後半部分の獅子舞だけを演ずる半能という形式で上演されることのほとんどですが、今日は、前半部分にあたる大江定基(ワキ)と童子(シテ)の問答も演じられました。
また、「大獅子」の小書による演出でしたので、後半、白頭の獅子(シテ)と赤頭の獅子(ツレ)の獅子舞が華やかに演じられました。
世阿弥は、その著書の「申楽談儀」の中で獅子舞について、“獅子舞は、河内の榎並に、徳寿とてあり。神変獅子なり。増阿、稚児にて、鹿苑院の御前にて舞ひし、面白かりしなり”と述べていますので、世阿弥の時代に、既に猿楽や田楽が獅子舞をレパートリーとしていたことは確かなようです。
『石橋』のあらすじは、こちらをご覧ください。→http://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_030.html(the 能.comのサイトから)
シテの古橋正邦師とツレの梅田嘉宏師による獅子舞は動きに躍動感があってすばらしかったです。
鮮やかな色彩の牡丹の作り物と激しい動きの舞を見ていると、異国の舞を見ているようで、エキゾチックにさえ感じられました。
ただ、獅子舞での、頭をそり返させる所作や、さっと伏せる所作の2人のタイミングのずれは意図的なものだと思いますが、箇所によってずれの間合いが微妙に異なるので、私には合わせようとしているのに合わせられないように見えてしまいました。
白頭の獅子と赤頭の獅子の違いを出しながら、同じ所作をするのは難しいことなのだと改めて感じました。
今年度の名古屋能楽堂の定例公演で唯一、平日の夜の公演でしたが、これまでの土日の昼の公演より、見所は賑わっていました。
平日の夜の方が、より多くの人に能を見てもらえるのではと感じました。
2011/10/26 22:54:31
今日は上田萬年の亡くなった日です。
上田萬年〔うえだ・かずとし〕〔慶応3年1月7日(1867年2月11日)~ 昭和12(1937)年10月26日)は、明治を代表する国語学者で言語学者です。
幕末の江戸で尾張藩士の息子として生まれた上田は、東京帝国大学国語研究室の初代主任教授として、また、文部省の「尋常小学唱歌」の歌詞校閲担当者の一人として、江戸(東京)ことばの標準語化を推進した一人です。
名古屋市は、明治43(1910)年の名古屋開府300年を記念し、『名古屋市歌』を作ることになり、上田に作詞を、『故郷』や『春の小川』の作曲者として有名な岡野貞一に作曲を依頼しています。
『名古屋市歌』(作詞:上田萬年、作曲:岡野貞一)
1 熱田の宮の神風に
叢雲はれて雄々しくも
豊栄のぼる天津日の
かがやく市の光かな
2 正しき民がまごころに
いそしむ業の花咲きて
黄金の城のとこしへに
たかきは市の誉かな
ただ、残念なことに、100年のときを経た現在、私も含め、この歌を謡うことのできる名古屋市民はほとんどいません。
上田萬年〔うえだ・かずとし〕〔慶応3年1月7日(1867年2月11日)~ 昭和12(1937)年10月26日)は、明治を代表する国語学者で言語学者です。
幕末の江戸で尾張藩士の息子として生まれた上田は、東京帝国大学国語研究室の初代主任教授として、また、文部省の「尋常小学唱歌」の歌詞校閲担当者の一人として、江戸(東京)ことばの標準語化を推進した一人です。
名古屋市は、明治43(1910)年の名古屋開府300年を記念し、『名古屋市歌』を作ることになり、上田に作詞を、『故郷』や『春の小川』の作曲者として有名な岡野貞一に作曲を依頼しています。
『名古屋市歌』(作詞:上田萬年、作曲:岡野貞一)
1 熱田の宮の神風に
叢雲はれて雄々しくも
豊栄のぼる天津日の
かがやく市の光かな
2 正しき民がまごころに
いそしむ業の花咲きて
黄金の城のとこしへに
たかきは市の誉かな
ただ、残念なことに、100年のときを経た現在、私も含め、この歌を謡うことのできる名古屋市民はほとんどいません。
2011/10/22 22:50:52
今日の謡の稽古は、『弓八幡』の5回目。
今日の謡の稽古は、『弓八幡』の5回目でした。
今日の場面は、後宇多の院の臣下に、男山八幡宮で出会った老翁が、桑の弓を袋に納めたまま君に捧げる謂れを語る場面です。
※『弓八幡』のあらすじ:http://www.syuneikai.net/yumiyawata.htm(名古屋春栄会のサイトから)
地謡「桑の弓とるや蓬の.八幡山。取るや蓬の八幡山。
誓いの海は豊かにて。君は船。臣は瑞穂の國國も残りなくなびく草木の。
恵みも色もあらたなる。御神託ぞめでたき神託ぞめでたかりける。
ワキ「なおなお弓箭を以って天下を治めし謂れねんごろに申され候え。
地謡「そもそも弓箭をもって代を治めし始めといっぱ。人皇の御代はじりても。
則ち当社の。御神力なり。
シテ「しかるに神功皇后。三韓をしたがえ給いしより。
地謡「同じく応神天皇の御聖運。御在位も久しく國富み民も。
豊かに治まる天が下。今に絶えせぬ。例とかや。
上雲上の月卿より。下萬民に至るまで樂しみの声つきもせず。
しかりとは申せども。君を守りの御恵み。なおも深き故により。
欽明.天皇の御宇かとよ。豊前の國。宇佐の郡。蓮台寺の麓に。
八幡宮と現れ。八重旗雲をしるべにて。洛陽の。南の山高み。
曇らぬ御代を守らんとて。石清水いさぎよき霊社と現じ.給えり。
されば神功皇后も。異国退治の御ために。九州。四王寺の峯において。
七か日の御神拝。例も今は久かたの。天の岩戸の神あそび。
群れいて謡うや榊葉の。青和幣白和幣とりどりなりし神霊を。
今日の謡では、強吟の微妙な上げ下げが難しかったです。
一方、仕舞の稽古は、『山姥』のクセの通しの稽古の3回目。
※『山姥』のあらすじ:http://www.syuneikai.net/yamanba.htm(名古屋春栄会のサイトから)
今日は、舞の型が不正確な箇所を何箇所か個別に教えていただきました。
今日の稽古では、途中のシテ謡で詰まってしまいました。本番ではそういうことのないようにしっかり覚えたいと思っています。
今日の謡の稽古は、『弓八幡』の5回目でした。
今日の場面は、後宇多の院の臣下に、男山八幡宮で出会った老翁が、桑の弓を袋に納めたまま君に捧げる謂れを語る場面です。
※『弓八幡』のあらすじ:http://www.syuneikai.net/yumiyawata.htm(名古屋春栄会のサイトから)
地謡「桑の弓とるや蓬の.八幡山。取るや蓬の八幡山。
誓いの海は豊かにて。君は船。臣は瑞穂の國國も残りなくなびく草木の。
恵みも色もあらたなる。御神託ぞめでたき神託ぞめでたかりける。
ワキ「なおなお弓箭を以って天下を治めし謂れねんごろに申され候え。
地謡「そもそも弓箭をもって代を治めし始めといっぱ。人皇の御代はじりても。
則ち当社の。御神力なり。
シテ「しかるに神功皇后。三韓をしたがえ給いしより。
地謡「同じく応神天皇の御聖運。御在位も久しく國富み民も。
豊かに治まる天が下。今に絶えせぬ。例とかや。
上雲上の月卿より。下萬民に至るまで樂しみの声つきもせず。
しかりとは申せども。君を守りの御恵み。なおも深き故により。
欽明.天皇の御宇かとよ。豊前の國。宇佐の郡。蓮台寺の麓に。
八幡宮と現れ。八重旗雲をしるべにて。洛陽の。南の山高み。
曇らぬ御代を守らんとて。石清水いさぎよき霊社と現じ.給えり。
されば神功皇后も。異国退治の御ために。九州。四王寺の峯において。
七か日の御神拝。例も今は久かたの。天の岩戸の神あそび。
群れいて謡うや榊葉の。青和幣白和幣とりどりなりし神霊を。
今日の謡では、強吟の微妙な上げ下げが難しかったです。
一方、仕舞の稽古は、『山姥』のクセの通しの稽古の3回目。
※『山姥』のあらすじ:http://www.syuneikai.net/yamanba.htm(名古屋春栄会のサイトから)
今日は、舞の型が不正確な箇所を何箇所か個別に教えていただきました。
今日の稽古では、途中のシテ謡で詰まってしまいました。本番ではそういうことのないようにしっかり覚えたいと思っています。
2011/10/21 22:14:27
狭夫の里は秋田県です。
能『錦木』は、狭夫の里(狭布の里)〔現在の秋田県鹿角市〕の錦木塚伝説が元になっています。
※錦木塚伝説については、秋田県のホームページをご覧ください。→「錦木塚物語」:http://www.pref.akita.lg.jp/www/contents/1133924660019/index.html
錦木塚は、古くから歌枕として知られています。
錦木は たてながらこそ 朽ちにけれ
狭布の細布 胸あわじとや (能因法師)
思いかね 今日たちそむる 錦木の
千束にたらで あうよしもがな (大江国房)
また、石川啄木も錦木塚を詠んでいます。
いまもなお 錦木塚の 大銀杏
月よき夜なは 夜なよなに (石川啄木)
実は、名古屋春栄会のホームページの「能の演目の紹介」の『錦木』のページの記述が、“陸奥国狭夫の里(青森県)”となっていました。
ホームページを見られた方から、今日、メールでご指摘をいただきました。
早速、“陸奥国狭夫の里(秋田県)”の訂正いたしました。
ご指摘、本当にありがとうございました。
※名古屋春栄会のホームページの『錦木』のページ:http://www.syuneikai.net/nishikigi.htm
名古屋春栄会のホームページやこのブログの記述に誤りを発見された方は、ぜひお知らせください。
よろしくお願いします。
能『錦木』は、狭夫の里(狭布の里)〔現在の秋田県鹿角市〕の錦木塚伝説が元になっています。
※錦木塚伝説については、秋田県のホームページをご覧ください。→「錦木塚物語」:http://www.pref.akita.lg.jp/www/contents/1133924660019/index.html
錦木塚は、古くから歌枕として知られています。
錦木は たてながらこそ 朽ちにけれ
狭布の細布 胸あわじとや (能因法師)
思いかね 今日たちそむる 錦木の
千束にたらで あうよしもがな (大江国房)
また、石川啄木も錦木塚を詠んでいます。
いまもなお 錦木塚の 大銀杏
月よき夜なは 夜なよなに (石川啄木)
実は、名古屋春栄会のホームページの「能の演目の紹介」の『錦木』のページの記述が、“陸奥国狭夫の里(青森県)”となっていました。
ホームページを見られた方から、今日、メールでご指摘をいただきました。
早速、“陸奥国狭夫の里(秋田県)”の訂正いたしました。
ご指摘、本当にありがとうございました。
※名古屋春栄会のホームページの『錦木』のページ:http://www.syuneikai.net/nishikigi.htm
名古屋春栄会のホームページやこのブログの記述に誤りを発見された方は、ぜひお知らせください。
よろしくお願いします。
2011/10/20 21:48:59
今日は皇后陛下の誕生日です。
今日(2011年10月20日)、皇后陛下が77歳の誕生日を迎えられました。
誕生日にあたって、宮内庁記者会の質問に答えた文書の中で、「陛下も私も、時に体におこる不具合に対処する一方で、今持っている体力があまり急速に衰えぬよう体に負荷をかけることも必要な、少ししんどい年令に来ているかと感じています。」と述べられています。
※「皇后陛下お誕生日に際し(平成23年) 宮内記者会の質問に対する文書ご回答」:http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h23sk.html(宮内庁のサイトから)
このお言葉をニュースで聞いて、“しんどい”という皇室らしくない表現に少し驚きました。
“しんどい”は、辞書などでは「京ことばの“しんど”の形容詞形で、全国的に使われるようになった言葉の一つ」とされているそうですが、その意味はわかるものの、関西地方以外では、名古屋でもそうですが、東京でも日常生活ではあまり使わない表現だと思います。
皇后陛下があえてこうした表現を文書の中で使われた真意がどこにあるのかはわかりませんが、私には、日本語の文語表現をもっと自由なものしたいという思いがあるように感じられました。
今日(2011年10月20日)、皇后陛下が77歳の誕生日を迎えられました。
誕生日にあたって、宮内庁記者会の質問に答えた文書の中で、「陛下も私も、時に体におこる不具合に対処する一方で、今持っている体力があまり急速に衰えぬよう体に負荷をかけることも必要な、少ししんどい年令に来ているかと感じています。」と述べられています。
※「皇后陛下お誕生日に際し(平成23年) 宮内記者会の質問に対する文書ご回答」:http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h23sk.html(宮内庁のサイトから)
このお言葉をニュースで聞いて、“しんどい”という皇室らしくない表現に少し驚きました。
“しんどい”は、辞書などでは「京ことばの“しんど”の形容詞形で、全国的に使われるようになった言葉の一つ」とされているそうですが、その意味はわかるものの、関西地方以外では、名古屋でもそうですが、東京でも日常生活ではあまり使わない表現だと思います。
皇后陛下があえてこうした表現を文書の中で使われた真意がどこにあるのかはわかりませんが、私には、日本語の文語表現をもっと自由なものしたいという思いがあるように感じられました。
2011/10/19 21:39:37
今日は犬童球渓が亡くなった日です。
犬童球渓〔いんどう・きゅうけい〕[明治12(1879)年4月20日~昭和18年(1943)10月19日]は、本名を信蔵と言い、熊本県人吉市出身の作詞家です。
球渓は、東京音楽学校(現東京芸術大学)を卒業後、音楽の教師を続けながら、数多くの西洋の歌曲の歌詞を翻訳しました。
球渓が作詞した歌では、明治40(1907)年8月に発表された音楽教科書「中等教育唱歌集」で取り上げられた『旅愁』が最も有名です。
この曲の原曲は、アメリカの音楽家ジョン・P・オードウェイ(John P. Ordway)による“Dreaming of Home and Mother”という作品です。
『旅愁』(作詞:犬童球渓、作曲:ジョン・P・オードウェイ)
更け行く秋の夜 旅の空の
わびしき思いに 一人悩む
こいしや故郷 懐かし父母
夢路にたどるは 故郷の家路
更け行く秋の夜 旅の空の
わびしき思いに 一人悩む
窓うつ嵐に 夢も破れ
遥けき彼方に こころ迷う
こいしや故郷 懐かし父母
思いに浮かぶは 杜の梢
窓うつ嵐に 夢も破れ
遥けき彼方に こころ迷う
※『旅愁』(歌:芹洋子):http://www.youtube.com/watch?v=jr3XTubpcAw&feature=related(YouTubeから)
なお、球渓は昭和18(1943)年の今日、64歳で病気を苦に自殺しています。
現在、球渓の故郷、熊本県人吉市の人吉城歴史館で開催中の秋季特別展「愛郷詩人 犬童球渓」〔平成23(2011)年10月12日(水)~12月11日(日)〕で、家族に宛てた球渓の遺書が初公開されているとのことです。
※人吉市の公式サイトの人吉城歴史館のページ:http://www.city.hitoyoshi.lg.jp/q/aview/95/249.html
犬童球渓〔いんどう・きゅうけい〕[明治12(1879)年4月20日~昭和18年(1943)10月19日]は、本名を信蔵と言い、熊本県人吉市出身の作詞家です。
球渓は、東京音楽学校(現東京芸術大学)を卒業後、音楽の教師を続けながら、数多くの西洋の歌曲の歌詞を翻訳しました。
球渓が作詞した歌では、明治40(1907)年8月に発表された音楽教科書「中等教育唱歌集」で取り上げられた『旅愁』が最も有名です。
この曲の原曲は、アメリカの音楽家ジョン・P・オードウェイ(John P. Ordway)による“Dreaming of Home and Mother”という作品です。
『旅愁』(作詞:犬童球渓、作曲:ジョン・P・オードウェイ)
更け行く秋の夜 旅の空の
わびしき思いに 一人悩む
こいしや故郷 懐かし父母
夢路にたどるは 故郷の家路
更け行く秋の夜 旅の空の
わびしき思いに 一人悩む
窓うつ嵐に 夢も破れ
遥けき彼方に こころ迷う
こいしや故郷 懐かし父母
思いに浮かぶは 杜の梢
窓うつ嵐に 夢も破れ
遥けき彼方に こころ迷う
※『旅愁』(歌:芹洋子):http://www.youtube.com/watch?v=jr3XTubpcAw&feature=related(YouTubeから)
なお、球渓は昭和18(1943)年の今日、64歳で病気を苦に自殺しています。
現在、球渓の故郷、熊本県人吉市の人吉城歴史館で開催中の秋季特別展「愛郷詩人 犬童球渓」〔平成23(2011)年10月12日(水)~12月11日(日)〕で、家族に宛てた球渓の遺書が初公開されているとのことです。
※人吉市の公式サイトの人吉城歴史館のページ:http://www.city.hitoyoshi.lg.jp/q/aview/95/249.html
2011/10/14 21:12:29
「名品コレクション展Ⅱ(前期)」を見ました。
日曜日(2011年10月9日)に名古屋市美術館に行きました(2011年10月12日の日記参照〕が、常設展示室1と常設展示室2では常設展「名品コレクション展Ⅱ」(前期)〔2011年9月13日(火)~11月6日(日)〕が開催中でした。
※名古屋市美術館のサイトの常設展のページ:http://www.art-museum.city.nagoya.jp/tenrankai/josetsu/index.html
常設展示室1では「エコール・ド・パリ:The Woman」、「メキシコ・ルネサンス:ティナ・モドッティの写真 」、「現代の美術:制度からの脱出」の3つのテーマ別に展示されていました。
「エコール・ド・パリ:The Woman」の展示では、ジュール・パスキンの版画がたくさん展示されていました。
ここでは、白い円の横に全裸の女性が立つ『円の正接』(フランティシェク・ドルティコル)が印象に残りました。
「現代の美術:制度からの脱出」の展示では、色鮮やかな『アニメイテッド・レインボー』(靉嘔〔あいおう〕)、3つ並んだ発泡スチロールの造形『ランニングマン(青)』(岩田信市)、『ランニングマン(青)』(岩田信市)、『ランニングマン(ピンク)』(岩田信市)が、印象的でした。
「メキシコ・ルネサンス:ティナ・モドッティの写真 」の展示では、女優兼写真家として両世界大戦間に活躍したティナ・モドッティの写真が展示されていました。
常設展示室2では、「郷土の美術:NIHONGA!?」」と題した展示でした。
ここでは、名古屋市美術館の収蔵品の私のお気に入りの一つ、鬼たちの表情がユーモラスな前田青邨の『修羅道』が展示されていました。
また、横山大観が確立した朦朧体の典型的な作品と言われる双幅の『日月』も展示されていました。
名古屋市美術館の常設展示室には年に数回訪れますが、混雑していた記憶はほとんどありません。
見応えのある展示のことが多いので、もう少し地下の展示室への誘導を工夫した方が良いのではないでしょうか。
日曜日(2011年10月9日)に名古屋市美術館に行きました(2011年10月12日の日記参照〕が、常設展示室1と常設展示室2では常設展「名品コレクション展Ⅱ」(前期)〔2011年9月13日(火)~11月6日(日)〕が開催中でした。
※名古屋市美術館のサイトの常設展のページ:http://www.art-museum.city.nagoya.jp/tenrankai/josetsu/index.html
常設展示室1では「エコール・ド・パリ:The Woman」、「メキシコ・ルネサンス:ティナ・モドッティの写真 」、「現代の美術:制度からの脱出」の3つのテーマ別に展示されていました。
「エコール・ド・パリ:The Woman」の展示では、ジュール・パスキンの版画がたくさん展示されていました。
ここでは、白い円の横に全裸の女性が立つ『円の正接』(フランティシェク・ドルティコル)が印象に残りました。
「現代の美術:制度からの脱出」の展示では、色鮮やかな『アニメイテッド・レインボー』(靉嘔〔あいおう〕)、3つ並んだ発泡スチロールの造形『ランニングマン(青)』(岩田信市)、『ランニングマン(青)』(岩田信市)、『ランニングマン(ピンク)』(岩田信市)が、印象的でした。
「メキシコ・ルネサンス:ティナ・モドッティの写真 」の展示では、女優兼写真家として両世界大戦間に活躍したティナ・モドッティの写真が展示されていました。
常設展示室2では、「郷土の美術:NIHONGA!?」」と題した展示でした。
ここでは、名古屋市美術館の収蔵品の私のお気に入りの一つ、鬼たちの表情がユーモラスな前田青邨の『修羅道』が展示されていました。
また、横山大観が確立した朦朧体の典型的な作品と言われる双幅の『日月』も展示されていました。
名古屋市美術館の常設展示室には年に数回訪れますが、混雑していた記憶はほとんどありません。
見応えのある展示のことが多いので、もう少し地下の展示室への誘導を工夫した方が良いのではないでしょうか。