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2011 / 09
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今日で9月もお仕舞いです。

現在のでは、今日は9月最後の日ですが、旧暦ではまだ9月になったばかり(9月4日)ですので、今日は「枕草子」の130段を紹介します。


枕草子』〔130段〕(清少納言) 

 九月ばかり、夜一夜降りあかしたる雨の、今朝はやみて、朝日の花やかにさしたるに、前栽の菊の露、こぼつばかりぬれかかりたるも、いとをかし。透垣、羅文、薄などの上にかいたる蜘蛛の巣の、こぼれ殘りて、所々に糸も絶えざまに雨のかかりたるが白き玉を貫きたるやうなるこそ、いみじうあはれにをかしけれ。
 すこし日たけぬれば、萩などのいとおもげなりつるに、露の落つるに枝のうち動きて、人も手ふれぬに、ふと上樣へあがりたる、いみじういとをかしといひたること人の心地には、つゆをかしからじと思ふこそ又をかしけれ。



明日から10月、本来ならば衣替えですが、今年は国にあわせて私の職場もクールビズが1か月延長なので、衣替えも1か月延長です。
でも、もう半袖では寒いと思いますが……。



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いよいよ仙人の登場です。

昨日に引き続き、中国が舞台の「仙人」を紹介します。

李小二の前に李小二よりずっとみすぼらしい格好をした老人が現れます。
李小二老人に同情すると共に、老人に対して優越感を持ちます。
ところが老人は……。


仙人』(芥川龍之介)〔2〕



 雪曇りの空が、いつの間にか、霙まじりの雨をふらせて、狭い往来を文字通り、脛を没する泥濘に満そうとしている、ある寒い日の午後の事であった。李小二は丁度、商売から帰る所で、例の通り、鼠を入れた嚢を肩にかけながら、傘を忘れた悲しさに、ずぶぬれになって、市はずれの、人通りのない路を歩いて来る――と、路傍に、小さな廟が見えた。折から、降りが、前よりもひどくなって、肩をすぼめて歩いていると、鼻の先からは、滴が垂れる。襟からは、水がはいる。途方に暮れていた際だから、李は、廟を見ると、慌てて、その軒下へかけこんだ。まず、顔の滴をはらう。それから、袖をしぼる。やっと、人心地がついた所で頭の上の扁額を見ると、それには、山神廟と云う三字があった。
 入口の石段を、二三級上ると、扉が開いているので、中が見える。中は思ったよりも、まだ狭い。正面には、一尊の金甲山神が、蜘蛛の巣にとざされながら、ぼんやり日の暮を待っている。その右には、判官が一体、これは、誰に悪戯をされたのだか、首がない。左には、小鬼が一体、緑面朱髪で、獰な顔をしているが、これも生憎、鼻が虧けている。その前の、埃のつもった床に、積重ねてあるのは、紙銭であろう。これは、うす暗い中に、金紙や銀紙が、覚束なく光っているので、知れたのである。
 李は、これだけ、見定めた所で、視線を、廟の中から外へ、転じようとした。すると丁度その途端に、紙銭の積んである中から、人間が一人出て来た。実際は、前からそこに蹲っていたのが、その時、始めて、うす暗いのに慣れた李の眼に、見えて来たのであろう。が、彼には、まるで、それが、紙銭の中から、忽然として、姿を現したように思われた。そこで、彼は、いささか、ぎょっとしながら、恐る恐る、見るような、見ないような顔をして、そっとその人間を窺って見た。
 垢じみた道服を着て、鳥が巣をくいそうな頭をした、見苦しい老人である。(ははあ、乞丐をして歩く道士だな――李はこう思った。)瘠せた膝を、両腕で抱くようにして、その膝の上へ、髯の長い頤をのせている。眼は開いているが、どこを見ているのかわからない。やはり、この雨に遇ったと云う事は、道服の肩がぐっしょり濡れているので、知れた。
 李は、この老人を見た時に、何とか語をかけなければ、ならないような気がした。一つには、濡鼠になった老人の姿が、幾分の同情を動かしたからで、また一つには、世故がこう云う場合に、こっちから口を切る習慣を、いつかつけてしまったからである。あるいは、また、そのほかに、始めの無気味な心もちを忘れようとする努力が、少しは加わっていたかも知れない。そこで李が云った。
「どうも、困ったお天気ですな。」
「さようさ。」老人は、膝の上から、頤を離して、始めて、李の方を見た。鳥の嘴のように曲った、鍵鼻を、二三度大仰にうごめかしながら、眉の間を狭くして、見たのである。
「私のような商売をしている人間には、雨位、人泣かせのものはありません。」
「ははあ、何御商売かな。」
「鼠を使って、芝居をさせるのです。」
「それはまたお珍しい。」
 こんな具合で、二人の間には、少しずつ、会話が、交換されるようになった。その中に、老人も紙銭の中から出て来て、李と一しょに、入口の石段の上に腰を下したから、今では顔貌も、はっきり見える。形容の枯槁している事は、さっき見た時の比ではない。李はそれでも、いい話相手を見つけたつもりで、嚢や笥を石段の上に置いたまま、対等な語づかいで、いろいろな話をした。
 道士は、無口な方だと見えて、捗々しくは返事もしない。「成程な」とか「さようさ」とか云う度に、歯のない口が、空気を噛むような、運動をする。根の所で、きたない黄いろになっている髯も、それにつれて上下へ動く、――それが如何にも、見すぼらしい。
 李は、この老道士に比べれば、あらゆる点で、自分の方が、生活上の優者だと考えた。そう云う自覚が、愉快でない事は、勿論ない。が、李は、それと同時に、優者であると云う事が、何となくこの老人に対して済まないような心もちがした。彼は、談柄を、生活難に落して、自分の暮しの苦しさを、わざわざ誇張して、話したのは、完く、この済まないような心もちに、煩わされた結果である。
「まったく、それは泣きたくなるくらいなものですよ。食わずに、一日すごした事だって、度々あります。この間も、しみじみこう思いました。『己は鼠に芝居をさせて、飯を食っていると思っている。が、事によるとほんとうは、鼠が己にこんな商売をさせて、食っているのかも知れない。』実際、そんなものですよ。」
 李は撫然として、こんな事さえ云った。が、道士の無口な事は、前と一向、変りがない。それが、李の神経には、前よりも一層、甚しくなったように思われた。(先生、己の云った事を、妙にひがんで取ったのだろう。余計な事は云わずに、黙っていればよかった。)――李は、心の中でこう自分を叱った。そうして、そっと横目を使って、老人の容子を見た。道士は、顔を李と反対の方に向けて、雨にたたかれている廟外の枯柳をながめながら、片手で、しきりに髪を掻いている。顔は見えないが、どうやら李の心もちを見透かして、相手にならずにいるらしい。そう思うと、多少不快な気がしたが、自分の同情の徹しないと云う不満の方が、それよりも大きいので、今度は話題を、今年の秋の蝗災へ持って行った。この地方の蒙った惨害の話から農家一般の困窮で、老人の窮状をジャスティファイしてやりたいと思ったのである。
 すると、その話の途中で、老道士は、李の方へ、顔をむけた。皺の重なり合った中に、可笑しさをこらえているような、筋肉の緊張がある。
「あなたは私に同情して下さるらしいが、」こう云って、老人は堪えきれなくなったように、声をあげて笑った。烏が鳴くような、鋭い、しわがれた声で笑ったのである。「私は、金には不自由をしない人間でね、お望みなら、あなたのお暮し位はお助け申しても、よろしい。」
 李は、話の腰を折られたまま、呆然として、ただ、道士の顔を見つめていた。(こいつは、気違いだ。)――やっとこう云う反省が起って来たのは、暫くの間目して、黙っていた後の事である。が、その反省は、すぐにまた老道士の次の話によって、打壊された。「千鎰や二千鎰でよろしければ、今でもさし上げよう。実は、私は、ただの人間ではない。」老人は、それから、手短に、自分の経歴を話した。元は、何とか云う市の屠者だったが、偶々、呂祖に遇って、道を学んだと云うのである。それがすむと、道士は、徐に立って、廟の中へはいった。そうして、片手で李をさしまねきながら、片手で、床の上の紙銭をかき集めた。
 李は五感を失った人のように、茫然として、廟の中へ這いこんだ。両手を鼠の糞と埃との多い床の上について、平伏するような形をしながら、首だけ上げて、下から道士の顔を眺めているのである。
 道士は、曲った腰を、苦しそうに、伸ばして、かき集めた紙銭を両手で床からすくい上げた。それから、それを掌でもみ合せながら、忙しく足下へ撒きちらし始めた。鏘々然として、床に落ちる黄白の音が、にわかに、廟外の寒雨の声を圧して、起った。――撒かれた紙銭は、手を離れると共に、忽ち、無数の金銭や銀銭に、変ったのである。………
 李小二は、この雨銭の中に、いつまでも、床に這ったまま、ぼんやり老道士の顔を見上げていた。



 李小二は、陶朱の富を得た。偶、その仙人に遇ったと云う事を疑う者があれば、彼は、その時、老人に書いて貰った、四句の語を出して示すのである。この話を、久しい以前に、何かの本で見た作者は、遺憾ながら、それを、文字通りに記憶していない。そこで、大意を支那のものを翻訳したらしい日本文で書いて、この話の完りに附して置こうと思う。但し、これは、李小二が、何故、仙にして、乞丐をして歩くかと云う事を訊ねた、答なのだそうである。
「人生苦あり、以て楽むべし。人間死するあり、以て生くるを知る。死苦共に脱し得て甚だ、無聊なり。仙人は若かず、凡人の死苦あるに。」
 恐らく、仙人は、人間の生活がなつかしくなって、わざわざ、苦しい事を、探してあるいていたのであろう。



作品の最後に書かれている李小二に対する仙人の答え、“人生苦あり、以て楽むべし。人間死するあり、以て生くるを知る。死苦共に脱し得て甚だ、無聊なり。仙人は若かず、凡人の死苦あるに。”で、芥川はいったい何を言いたかったのでしょうか。

生きていることがありがたく思えるのは、いずれ訪れる死を自覚しているから、豊かなことを幸福に感じられるのは、貧乏であることの不幸を知っているから、というように物事の両面を知っているからこそ、その良さを実感できるのだということ、そして、不老不死となり、金銭的にも困ることのなくなた仙人は、こうした幸福を実感できないのだと言いたかったのでしょう。

それにしても、芥川は、なぜ最後に李小二を金持ちにしたのでしょうか。




もう一つの「仙人」は中国が舞台です。

芥川龍之介には、「仙人」という同じ題の短編小説が2作あります。
昨日、日本が舞台の「仙人」を紹介しました(2011年9月27日の日記参照)ので、今日と明日の2回に分けて、中国が舞台の「仙人」を紹介します。

この話の主人公は、鼠に芝居をさせて人に見せるのを商売にしている見世物師の李小二です。
李小二の商売は、天候に左右されることもあり、収入も安定せず、収入が0という日もしばしばあります。
でも、李小二は生きることが苦しいなどと考えたこともありません。
彼は、生きることは苦しいことなんだと考えているからです。


仙人』(芥川龍之介)〔1〕



 いつごろの話だか、わからない。北支那の市から市を渡って歩く野天の見世物師に、李小二と云う男があった。鼠に芝居をさせるのを商売にしている男である。鼠を入れて置く嚢が一つ、衣装や仮面をしまって置く笥が一つ、それから、舞台の役をする小さな屋台のような物が一つ――そのほかには、何も持っていない。
 天気がいいと、四つ辻の人通りの多い所に立って、まず、その屋台のような物を肩へのせる、それから、鼓板を叩いて、人よせに、謡を唱う。物見高い街中の事だから、大人でも子供でも、それを聞いて、足を止めない者はほとんどない。さて、まわりに人の墻が出来ると、李は嚢の中から鼠を一匹出して、それに衣装を着せたり、仮面をかぶらせたりして、屋台の鬼門道から、場へ上らせてやる。鼠は慣れていると見えて、ちょこちょこ、舞台の上を歩きながら、絹糸のように光沢のある尻尾を、二三度ものものしく動かして、ちょいと後足だけで立って見せる。更紗の衣裳の下から見える前足の蹠がうす赤い。――この鼠が、これから雑劇の所謂楔子を演じようと云う役者なのである。
 すると、見物の方では、子供だと、始から手を拍って、面白がるが、大人は、容易に感心したような顔を見せない。むしろ、冷然として、煙管を啣えたり、鼻毛をぬいたりしながら、莫迦にしたような眼で、舞台の上に周旋する鼠の役者を眺めている。けれども、曲が進むのに従って、錦切れの衣裳をつけた正旦の鼠や、黒い仮面をかぶった浄の鼠が、続々、鬼門道から這い出して来るようになると、そうして、それが、飛んだり跳ねたりしながら、李の唱う曲やその間へはいる白につれて、いろいろ所作をするようになると、見物もさすがに冷淡を装っていられなくなると見えて、追々まわりの人だかりの中から、[口+桑]〔そう〕子大などと云う声が、かかり始める。すると、李小二も、いよいよ、あぶらがのって、忙しく鼓板を叩きながら、巧に一座の鼠を使いわける。そうして「沈黒江明妃青塚恨、耐幽夢孤雁漢宮秋」とか何とか、題目正名を唱う頃になると、屋台の前へ出してある盆の中に、いつの間にか、銅銭の山が出来る。………
 が、こう云う商売をして、口を糊してゆくのは、決して容易なものではない。第一、十日と天気が悪いと口が干上ってしまう。夏は、麦が熟す時分から、例の雨期へはいるので、小さな衣裳や仮面にも、知らないうちに黴がはえる。冬もまた、風が吹くやら、雪がふるやらするので、とかく、商売がすたり易い。そう云う時には、ほかに仕方もないから、うす暗い客舎の片すみで、鼠を相手に退屈をまぎらせながら、いつもなら慌しい日の暮を、待ちかねるようにして、暮してしまう。鼠の数は、皆で、五匹で、それに李の父の名と母の名と妻の名と、それから行方の知れない二人の子の名とがつけてある。それが、嚢の口から順々に這い出して火の気のない部屋の中を、寒そうにおずおず歩いたり、履の先から膝の上へ、あぶない軽業をして這い上りながら、南豆玉のような黒い眼で、じっと、主人の顔を見つめたりすると、世故のつらさに馴れている李小二でも、さすがに時々は涙が出る。が、それは、文字通り時々で、どちらかと云えば、明日の暮しを考える屈託と、そう云う屈託を抑圧しようとする、あてどのない不愉快な感情とに心を奪われて、いじらしい鼠の姿も眼にはいらない事が多い。
 その上、この頃は、年の加減と、体の具合が悪いのとで、余計、商売に身が入らない。節廻しの長い所を唱うと、息が切れる。喉も昔のようには、冴えなくなった。この分では、いつ、どんな事が起らないとも限らない。――こう云う不安は、丁度、北支那の冬のように、このみじめな見世物師の心から、一切の日光と空気とを遮断して、しまいには、人並に生きてゆこうと云う気さえ、未練未なく枯らしてしまう。何故生きてゆくのは苦しいか、何故、苦しくとも、生きて行かなければならないか。勿論、李は一度もそう云う問題を考えて見た事がない。が、その苦しみを、不当だとは、思っている。そうして、その苦しみを与えるものを――それが何だか、李にはわからないが――無意識ながら憎んでいる。事によると、李が何にでも持っている、漠然とした反抗的な心もちは、この無意識の憎しみが、原因になっているのかも知れない。
 しかし、そうは云うものの、李も、すべての東洋人のように、運命の前には、比較的屈従を意としていない。風雪の一日を、客舎の一室で、暮らす時に、彼は、よく空腹をかかえながら、五匹の鼠に向って、こんな事を云った。「辛抱しろよ。己だって、腹がへるのや、寒いのを辛抱しているのだからな。どうせ生きているからには、苦しいのはあたり前だと思え。それも、鼠よりは、いくら人間の方が、苦しいか知れないぞ………」



”ではいよいよ仙人が登場します。



仙人になる方法です。

芥川龍之介には、「仙人」という同じ題の短編小説が2作あります。
一つは大正4年に発表された中国が舞台の物語、もう一つは大正11年に発表された日本が舞台の物語です。

今日は、日本が舞台の「仙人」を紹介します。

主人公の権助は、20年間無銭で奉公すれば仙人になる方法を教えると言った医者の女房の言葉を信じて、20年間無銭で奉公します。
このような嘘を20年間つき通した医者の女房もすごいですが、それを疑いもせず、奉公した権助も本当にすごいです。
というか、馬鹿なのかもしれません。


仙人』(芥川龍之介

 皆さん。
 私は今大阪にいます、ですから大阪の話をしましょう。
 昔、大阪の町へ奉公に来た男がありました。名は何と云ったかわかりません。ただ飯炊奉公に来た男ですから、権助とだけ伝わっています。
 権助は口入れ屋の暖簾をくぐると、煙管を啣えていた番頭に、こう口の世話を頼みました。
「番頭さん。私は仙人になりたいのだから、そう云う所へ住みこませて下さい。」
 番頭は呆気にとられたように、しばらくは口も利かずにいました。
「番頭さん。聞えませんか? 私は仙人になりたいのだから、そう云う所へ住みこませて下さい。」
「まことに御気の毒様ですが、――」
 番頭はやっといつもの通り、煙草をすぱすぱ吸い始めました。
「手前の店ではまだ一度も、仙人なぞの口入れは引き受けた事はありませんから、どうかほかへ御出でなすって下さい。」
 すると権助は不服そうに、千草の股引の膝をすすめながら、こんな理窟を云い出しました。
「それはちと話が違うでしょう。御前さんの店の暖簾には、何と書いてあると御思いなさる? 万口入れ所と書いてあるじゃありませんか? 万と云うからは何事でも、口入れをするのがほんとうです。それともお前さんの店では暖簾の上に、嘘を書いて置いたつもりなのですか?」
 なるほどこう云われて見ると、権助が怒るのももっともです。
「いえ、暖簾に嘘がある次第ではありません。何でも仙人になれるような奉公口を探せとおっしゃるのなら、明日また御出で下さい。今日中に心当りを尋ねて置いて見ますから。」
 番頭はとにかく一時逃れに、権助の頼みを引き受けてやりました。が、どこへ奉公させたら、仙人になる修業が出来るか、もとよりそんな事なぞはわかるはずがありません。ですから一まず権助を返すと、早速番頭は近所にある医者の所へ出かけて行きました。そうして権助の事を話してから、
「いかがでしょう? 先生。仙人になる修業をするには、どこへ奉公するのが近路でしょう?」と、心配そうに尋ねました。
 これには医者も困ったのでしょう。しばらくはぼんやり腕組みをしながら、庭の松ばかり眺めていました。が番頭の話を聞くと、直ぐに横から口を出したのは、古狐と云う渾名のある、狡猾な医者の女房です。
「それはうちへおよこしよ。うちにいれば二三年中には、きっと仙人にして見せるから。」
「左様ですか? それは善い事を伺いました。では何分願います。どうも仙人と御医者様とは、どこか縁が近いような心もちが致して居りましたよ。」
 何も知らない番頭は、しきりに御時宜を重ねながら、大喜びで帰りました。
 医者は苦い顔をしたまま、その後を見送っていましたが、やがて女房に向いながら、
「お前は何と云う莫迦な事を云うのだ? もしその田舎者が何年いても、一向仙術を教えてくれぬなぞと、不平でも云い出したら、どうする気だ?」と忌々しそうに小言を云いました。
 しかし女房はあやまる所か、鼻の先でふふんと笑いながら、
「まあ、あなたは黙っていらっしゃい。あなたのように莫迦正直では、このせち辛い世の中に、御飯を食べる事も出来はしません。」と、あべこべに医者をやりこめるのです。
 さて明くる日になると約束通り、田舎者の権助は番頭と一しょにやって来ました。今日はさすがに権助も、初の御目見えだと思ったせいか、紋附の羽織を着ていますが、見た所はただの百姓と少しも違った容子はありません。それが返って案外だったのでしょう。医者はまるで天竺から来た麝香獣でも見る時のように、じろじろその顔を眺めながら、
「お前は仙人になりたいのだそうだが、一体どう云う所から、そんな望みを起したのだ?」と、不審そうに尋ねました。すると権助が答えるには、
「別にこれと云う訣もございませんが、ただあの大阪の御城を見たら、太閤様のように偉い人でも、いつか一度は死んでしまう。して見れば人間と云うものは、いくら栄耀栄華をしても、果ないものだと思ったのです。」
「では仙人になれさえすれば、どんな仕事でもするだろうね?」
 狡猾な医者の女房は、隙かさず口を入れました。
「はい。仙人になれさえすれば、どんな仕事でもいたします。」
「それでは今日から私の所に、二十年の間奉公おし。そうすればきっと二十年目に、仙人になる術を教えてやるから。」
「左様でございますか? それは何より難有うございます。」
「その代り向う二十年の間は、一文も御給金はやらないからね。」
「はい。はい。承知いたしました。」
 それから権助は二十年間、その医者の家に使われていました。水を汲む。薪を割る。飯を炊く。拭き掃除をする。おまけに医者が外へ出る時は、薬箱を背負って伴をする。――その上給金は一文でも、くれと云った事がないのですから、このくらい重宝な奉公人は、日本中探してもありますまい。
 が、とうとう二十年たつと、権助はまた来た時のように、紋附の羽織をひっかけながら、主人夫婦の前へ出ました。そうして慇懃に二十年間、世話になった礼を述べました。
「ついては兼ね兼ね御約束の通り、今日は一つ私にも、不老不死になる仙人の術を教えて貰いたいと思いますが。」
 権助にこう云われると、閉口したのは主人の医者です。何しろ一文も給金をやらずに、二十年間も使った後ですから、いまさら仙術は知らぬなぞとは、云えた義理ではありません。医者はそこで仕方なしに、
「仙人になる術を知っているのは、おれの女房の方だから、女房に教えて貰うが好い。」と、素っ気なく横を向いてしまいました。
 しかし女房は平気なものです。
「では仙術を教えてやるから、その代りどんなむずかしい事でも、私の云う通りにするのだよ。さもないと仙人になれないばかりか、また向う二十年の間、御給金なしに奉公しないと、すぐに罰が当って死んでしまうからね。」
「はい。どんなむずかしい事でも、きっと仕遂げて御覧に入れます。」
 権助はほくほく喜びながら、女房の云いつけを待っていました。
「それではあの庭の松に御登り。」
 女房はこう云いつけました。もとより仙人になる術なぞは、知っているはずがありませんから、何でも権助に出来そうもない、むずかしい事を云いつけて、もしそれが出来ない時には、また向う二十年の間、ただで使おうと思ったのでしょう。しかし権助はその言葉を聞くとすぐに庭の松へ登りました。
「もっと高く。もっとずっと高く御登り。」
 女房は縁先に佇みながら、松の上の権助を見上げました。権助の着た紋附の羽織は、もうその大きな庭の松でも、一番高い梢にひらめいています。
「今度は右の手を御放し。」
 権助は左手にしっかりと、松の太枝をおさえながら、そろそろ右の手を放しました。
「それから左の手も放しておしまい。」
「おい。おい。左の手を放そうものなら、あの田舎者は落ちてしまうぜ。落ちれば下には石があるし、とても命はありゃしない。」
 医者もとうとう縁先へ、心配そうな顔を出しました。
「あなたの出る幕ではありませんよ。まあ、私に任せて御置きなさい。――さあ、左の手を放すのだよ。」
 権助はその言葉が終らない内に、思い切って左手も放しました。何しろ木の上に登ったまま、両手とも放してしまったのですから、落ちずにいる訣はありません。あっと云う間に権助の体は、権助の着ていた紋附の羽織は、松の梢から離れました。が、離れたと思うと落ちもせずに、不思議にも昼間の中空へ、まるで操り人形のように、ちゃんと立止ったではありませんか?
「どうも難有うございます。おかげ様で私も一人前の仙人になれました。」
 権助は叮嚀に御時宜をすると、静かに青空を踏みながら、だんだん高い雲の中へ昇って行ってしまいました。
 医者夫婦はどうしたか、それは誰も知っていません。ただその医者の庭の松は、ずっと後までも残っていました。何でも淀屋辰五郎は、この松の雪景色を眺めるために、四抱えにも余る大木をわざわざ庭へ引かせたそうです。



権助は希望どおり、不老不死仙人となります。
ちなみに、仙人というのは、このように天に登ってなるものだそうです。
無心に奉公し続けたことが権助仙人にしたのでしょう。

芥川がこの話で言いたかったのは、権助のように馬鹿正直に信じることのできる者だけが仙人になることができ、馬鹿正直になれない近代人は、決して仙人にはなれないということなのだと思います。




今年の名古屋金春会の番組です。

今年の名古屋金春会第32回名古屋金春会〕は、11月5日(土)に名古屋能楽で開催されます。
私も、金春穂高先生の舎利」と仕舞3番の地謡を務めさせていただきます。
土曜日(9月24日)の稽古のときに、その番組をいただきました。

名古屋金春会番組2011_01

名古屋金春会2011_02

番組は、名古屋春栄会のホームページにも掲載しましたので、ご覧ください。
第32回名古屋金春会の番組:http://www.syuneikai.net/konparu2011prog.htm

チケットは、正面指定席:5,000円、中正面・脇正面自由席:4,000円で発売中です。

なお、当日の午前中に開催される金春流の名古屋地区の合同発表会、第32回名古屋金春流友会の番組も名古屋春栄会のホームページに掲載しました。
第32回名古屋流友金春会の番組:http://www.syuneikai.net/ryuyu2011prog.htm

こちらは、入場無料です。

お近くの方、また、当日、名古屋近郊にいらっしゃる方は、ぜひお立ち寄りください。



彼岸花が咲いていました。

実家のプランターでヒガンバナの花が一つだけ咲いていました。
両親によると植えた記憶はないということのなので、どうしてこのプランターに紛れ込んだのかは不明です。

ヒガンバナ201109
[2011年9月23日(金)撮影]

ヒガンバナは、秋の彼岸の頃に咲くので、その名がついたとのことですが、まさに彼岸の中日に満開になっていました。

今日は、ヒガンバナの魅力を書いた斉藤茂吉随筆を紹介します。


曼珠沙華』(齋藤茂吉

 曼珠沙華は、紅い花が群生して、列をなして咲くことが多いので特に具合の好いものである。一体この花は、青い葉が無くて、茎のうえにずぼりと紅い特有の花を付けているので、渋味とか寂びとか幽玄とかいう、一部の日本人の好尚からいうと合わないところがある。そういう趣味からいうと、蔟生している青い葉の中から、見えるか見えないくらいにあの紅い花を咲かせたいのであろうが、あの花はそんなことはせずに、冬から春にかけて青々としてあった葉を無くしてしまい、直接法に無遠慮にあの紅い花を咲かせている。そういう点が私にはいかにも愛らしい。勿体ぶりの完成でなくて、不得要領のうちに強い色を映出しているのは、寧ろ異国的であると謂うことも出来る。秋の彼岸に近づくと、日の光が地に沁み込むように寂かになって来る。この花はそのころに一番美しい。彼岸花という名のあるのはそのためである。
 この花は、死人花、地獄花とも云って軽蔑されていたが、それは日本人の完成的趣味に合わないためであっただろう。正岡子規などでも、曼珠沙華を取扱った初期の俳句は皆そういう概念に囚われていたが、

薏苡
〔ずずだま〕の小道尽きたり曼珠沙華  子規

 晩年にはこの句位に到達して居る。これは子規は偉かったからである。
 市電が三宅坂から御濠に沿うて警視庁の方に走ると、直線と曲線とのよく調和した御濠の緑色土手に曼珠沙華がもう群がり咲いているのが見える。そして青くしずまり返った御濠の水には、鵜が一羽黄いろい首をのばして飛んでいたりするのが見える。この新鮮な近代的交錯は、藤原奈良の歌人も、元禄の俳人もついに知らずにしまった佳境である。



茂吉は、“紅い花が群生して、列を成して咲く”のがいいと言っていますが、実家の花のように1本だけ咲いているのも風情があってなかなかいいものです。



今日の謡の稽古は、『弓八幡』の3回目。

今日のの稽古は、『弓八幡』の3回目でした。
今日の場面は、後宇多の院臣下男山八幡宮で、一人の男を伴い、弓を納めた錦の袋を持った老翁に出会う場面です。
※『弓八幡』のあらすじ:http://www.syuneikai.net/yumiyawata.htm(名古屋春栄会のサイトから)

シテ、ツレ「神まつる。日も二月の今日とてや。のどけき春の。朝ぼらけ。
ツレ「花の都の空なれや。
シテ、ツレ「雲もおさまり。風もなし。
   君が代は千世に八千代にさざれ石の。巌となりて苔のむす。
   松の葉色も常磐山。緑の空ものどかなる。春の日影はあまねくて。
   君安全に民厚く関の戸ざしもささざりき。もとよりも君を守りの神国に。
   わきて誓いもすめる世の。月かげろうの石清水たえぬ流れの末までも。
   生けるを放つ大悲の光。げにありがたき。例かな。
   神と君と道すぐにあゆみを運ぶこの山の。
   松高き枝もつらなる.鳩の峯。

ツレ「枝も連なる鳩の峯。
シテ、ツレ「くもらぬ御代は久方の。月の桂の男山げにもさやけき影に来て。
   君万才と祈るなる。神に歩みを運ぶなり.神に歩みを.運ぶなり。


今日のは、苦手な強吟ですが、比較的謡いやすかったです。


一方、仕舞の稽古は、『山姥』のクセの5回目。
※『山姥』のあらすじ:http://www.syuneikai.net/yamanba.htm(名古屋春栄会のサイトから)

今回から通しの稽古になりました。
今日は、詞章の切れ目に合わせる形でを決めるようにという指導をいただきました。
長い曲なので、なかなか細かいところが覚わりませんが、もう本番まで40日ほどしかないので、しっかり復習したいと思っています。



今日、突然、秋になりました。

今朝の名古屋最低気温は何と15.6℃
涼しさを通り越して、半袖では肌寒いほどの気温でした。
今日は、彼岸の中日ですので、まさに“暑さ寒さも彼岸まで”でした。

北からは初冠雪の便りも届き始めました。
いよいよ秋本番です。

寒波来て 遠山白し 秋彼岸相馬遷子

早朝、7時前にお墓参りに行きました。
お墓は、八事霊園名古屋市天白区)にあります。

八事霊園201109

早朝というのに、彼岸の中日ということもあり、お墓参りの人で混雑していました。


今日は台風一過の晴天でした。

今朝の名古屋は、最低気温20.8℃と涼しい朝でした。
名古屋にも大きな被害をもたらした台風15号ですが、一夜明けた今日は秋らしい晴天になりました。

清少納言は、台風を単なる災害と捉えず、台風の去った状態を“をかし”と捉えています。

枕草子』〔188段〕(清少納言

 野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀・透垣などのみだれたるに、前栽どもいと心くるしげなり。おほきなる木どもも倒れ、枝など吹き折られたるが、萩・女郎花などのうへによころばひふせる、いと思はずなり。格子の壺などに、木の葉をことさらにしたらんやうに、こまごまと吹き入れたるこそ、荒かりつる風のしわざとはおぼえね。
 いと濃き衣のうはぐもりたるに、黄朽葉の織物、薄物などの小袿着て、まことしうきよげなる人の、夜は風のさわぎに寢られざりければ、ひさしう寢起きたるままに、母屋よりすこしゐざり出でたる、髮は風に吹きまよはされてすこしうちふくだみたるが、肩にかかれるほど、まことにめでたし。
 ものあはれなるけしきに見いだして、「むべ山風を」など言ひたるも、心あらんと見ゆるに、十七、八ばかりやあらん、ちひさうはあらねど、わざと大人とは見えぬが、生絹の単のいみじうほころびたえ、はなもかへりぬれなどしたる、薄色の宿直物を着て、髮、いろに、こまごまとうるはしう、末も尾花のやうにて丈ばかりなりければ、衣の裾にかくれて、袴のそばそばより見ゆるに、わらはべ、わかき人々の、根ごめに吹き折られたる、ここかしこにとり集め、起し立てなどするを、うらやましげにおしはりて、簾に添ひたるうしろでもをかし。



この段に登場する“「むべ山風を」”は、古今集の収録されている文屋康秀

吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ

という和歌のことです。
ちなみにこの歌は小倉百人一首にも収録されており、7首しかない“一字決まり”の句としても有名です。
一字きまり”というのは、上の句の一字目で歌がわかる、すなわち一字目を聞けば、取り札(下の句)を取ることのできる歌のことです。
つまり、“”から始まる歌は、小倉百人一首ではこの句だけということです。


清少納言は、台風の被害を直接受けなかっので、“をかし”と感じることができたのだと思います。
清少納言も、直接被害を受けていたら、とてもこのような感想は述べられなかったと思います。

今回の台風で被害を受けた地域の一日も早い復興を願っています。


今日は、雨はそれほど降りませんでした。

昨日は台風15号の接近に伴う大雨で名古屋市内には、避難勧告避難指示が広範囲に出されました(2011年9月20日の日記参照)が、今日は雨はそれほど降らず、避難勧告も昼前には解除されました。
しかし、午後は台風15号名古屋に最接近し、風がかなり強くなりました。


猪も ともに吹かるる 野分かな 芭蕉

荻の葉に かはりし風の 秋のこゑ やかてのわきの つゆくたくなり (定家


幸いにも、名古屋市内では強風による被害はほとんどなかったようです。



今日はかなりの大雨でした。

今日の名古屋台風15号の接近に伴う大雨で、市内にも避難勧告避難指示が広範囲に出されました。
庄内川守山区内で溢水〔いっすい〕するなど名古屋市内でも大きな被害が出ました。

幸いにも我が家は比較的高台にあるので、被害はありませんでした。


ちょっと不思議な空間でした。

昨日、訪れた(2011年9月18日の日記参照)名古屋ボストン美術館では、5Fオープンギャラリーで開催中の呼びとめられたものの光」展〔2011年9月17日(土)~2012年2月19日(日)〕も見学しました。
名古屋ボストン美術館のサイトの呼びとめられたものの光」展のページ:http://www.nagoya-boston.or.jp/exhibition/list/light-201109/outline.html

名古屋ボストン美術館201109_03
[2011年9月18日(日)撮影]

この展覧会は、2010年に開催した「時の遊園地」展に続き、日本現代美術を紹介する企画展の第2弾とのことです。
小林孝亘の静かな光の中に浮かび上がる器の存在感、長谷川繁の“ティーポット”というモチーフの内外に溢れる生命力、冨井大裕の思いがけないコンポジションから生まれる緊張感を通して、絵画・立体作品計16点で静物の世界を紹介するものだそうです。

小林孝亘の写実的なのに妙に現実感の薄い日用品を描いた作品や、冨井大裕の色鮮やかな折り紙を組み合わせた不思議な造形作品も魅力的でしたが、私は長谷川繁の作品が最も印象に残りました。
※「Dish(with chopsticks)」(小林孝亘):http://www.nagoya-boston.or.jp/upload/im_light-201109_04.jpg名古屋ボストン美術館のサイトから)
※「roll(27 paper foldings)#8」(冨井大裕):http://www.nagoya-boston.or.jp/upload/im_light-201109_05.jpg名古屋ボストン美術館のサイトから)

まず、展示室の正面奥に展示されていたバナナときゅうりのようなもので全面が覆われた明るい画面が印象的な「タイトルなし」(作品番号13)が目を引きました。

また、もう一方の壁には“ティーポット”をモチーフとした作品が4点並んでいましたが、中でもティーポット”の形の中に人物が描かれている「タイトルなし」(作品番号14)が、見ているとティーポット型の窓から見える景色なのか、ティーポットの柄なのか、わからなくなる不思議な感覚にとらわれる作品で印象に残りました。

「恋する静物-静物画の世界」展に入場すれば見ることができるのですが、ほとんど見ている人はいませんでした。

名古屋ボストン美術館201109_04
[2011年9月18日(日)撮影]

ちょっと不思議な空間を味わうことができますので、名古屋ボストン美術館に行かれた際は、ぜひこちらの展覧会もご覧ください。



Author:kinkun
名古屋春栄会のホームページの管理人

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