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2011 / 06
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今日の謡の稽古は、『源氏供養』の3回目。

今日のの稽古は、『源氏供養』の3回目でした。
今日の場面は、安居院の法院石山寺に参り、源氏の供養をすると、紫式部の霊が紫の薄衣を着て現れる場面です。
※『源氏供養』のあらすじ:http://www.syuneikai.net/genjikuyo.htm(名古屋春栄会のサイトから)

ワキ「さて石山に参りつつ。念願をつとめ事終り。
   夜も更けがたの鐘の声。心もすめる折節に。

ワキツレ「ありつる源氏の物語。まことしからぬ事なれども。
ワキ「供養をのべて紫式部の。
ワキツレ「菩提を深く。
ワキ「とうべきなり。
ワキ、ワキツレ「とは思えども.あだし世の。
ワキツレ「とは思えどもあだし世の。
ワキ、ワキツレ「夢にうつろう紫の。色ある花も。ひと時の。
   あだにも消えし古の。光源氏の物語。聞くにつけてもそのまこと。
   頼みすくなき心かな。頼みすくなき心かな。

シテ「松風も。散れば形見と.なるものを。
地謡「思いし山の下紅葉。
シテ「名も紫の色にいでて。
地謡「見えん姿は。
シテ「はづかしや。
ワキ「かくて夜も深更になり。鳥の声おさまり。心すごき折節。
   灯の影を見わたせばありつる女性。紫のうす衣のそばをとり。
   影の如くに見え給うは。夢か現かおぼつかな。

シテ「うつろい安き花色の。かさねの衣の下こがれ。
   紫の色こそ見えね枯野の萩。もとのあらまし末通らば。
   名乗らずと知ろし召されずや。

ワキ「紫の色には見えずとあらましの。言葉の末とは心えぬ。
   紫式部にてましますか。

シテ「はづかしながらわが心。
ワキ「その面影は昨日見し。
シテ「姿に今もかわらねば。
ワキ「たがいに心を。
シテ「おきもせず。


今日の部分も、途中、強吟になる箇所があるので、その部分を注意して謡うようにしよう思っています。


一方、今日から『自然居士』の舞囃子の稽古は通しの稽古になりました。
※『自然居士』のあらすじ:http://www.syuneikai.net/jinenkoji.htm(名古屋春栄会のサイトから)

羯鼓の二段目のオロシの笛の譜が良く聞き取れないので、その箇所を中心に練習しようと思っています。



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今日は夏至です。

夜の時間は、春分の日からだんだん短くなり、夏至にいたって、最も短くなります。
この夏の夜の短さを、はかなさを惜しむ心をこめて呼んだのが“短夜〔みじかよ〕”という言葉です。
短夜”は夏の季語にもなっています。

また、夏至の頃は最も蒸し暑い時期と言われています。
まさに、その言葉どおり、今日の名古屋最高気温が32℃まで上がって、今年初めての夏日となり、蒸し暑い一日でした。

今日は、この蒸し暑さをしのぐ手段がいろいろと出てくる島崎藤村随筆短夜の頃』を紹介します。


短夜の頃』(島崎藤村

 毎日よく降つた。もはや梅雨明けの季節が來ている。町を呼んで通る竿竹賣の聲がするのも、この季節にふさはしい。蠶豆賣の來る頃は既に過ぎ去り、青梅を賣りに來るにもやゝ遲く、すゞしい朝顏の呼聲を聞きつけるにはまだすこし早くて、今は青い唐辛の荷をかついだ男が來はじめる頃だ。住めば都とやら。山家生れの私なぞには、さうでもない。むしろ住めば田舍といふ氣がして來る。實際、この界隈に見つけるものは都會の中の田舍であるが、でもさすがに町の中らしく、朝晩に呼んで來る物賣の聲は絶えない。
 どれ、そろそろ蚊帳でも取り出さうか。これはまだ梅雨の明けない時分のこと、五月時分からもう蚊帳を吊つてゐると言つてよこした人への返事に、わざと書いて送らうと思つた私の戲れだ。せいぜい一月か一月半ぐらゐしかその必要もないこの町では、蚊帳を吊るのはむしろ樂みなくらゐである。蚊帳の内に螢を放して遊ぶことを知つてゐた昔の俳人なぞは、たしかに蚊帳黨の一人であつたらう。それほどの物數寄な心は持たないまでも、寢冷えする心配も割合にすくないところに足を延ばして、思ふさま長くなつた氣持は何とも言はれない。枕に近く、髮に屆く蚊帳の感觸も身にしみる心地がする。蚊帳は内から見たばかりでなく、外から見た感じも好い。内にまぎれ込んだ蚊を燒くと言つてあちこちと持ちる蝋燭の火を青い蚊帳越しに外から眺めるなぞも、夏の夜でなければ見られない趣きだ。
 古くて好いものは簾だ。よく保存された古い簾には新しいものにない味がある。簾は二重にかけて見てもおもしろい。一つの簾を通して、他の簾に映る物の象を透かして見る時なぞ、殊に深い感じがする。
 團扇ばかりは新しいものにかぎる。この節の東京の團扇は粗製に流れて來たかして、一夏の間の使用にすら耐へないのがある。圓い竹の柄で、全部の骨が一つの竹から分れて行つてゐるやうな丈夫なものはあまり見當らなくなつた。扇子にもまして、もつと一時的で、移り行く人の嗜好や世相の奧までも語つて見せてゐるものは團扇だらうか。形も好ましく、見た眼も涼しく、好い風の來るのを選び當てた時はうれしい。それを中元のしるしにと言つて、訪ねて來る客などから貰ひ受けた時もうれしい。
 この節の素足のここちよさ、尤も、袷から單衣になり、シャツから晒木綿の襦袢になり、だんだんいろいろなものを脱いだ後で、私達はこの節の素足にまで辿り着く。私は人間のからだの中で一番足が眼につくと言つた足袋屋のあることを知つてゐる。それほど職業的な意味からでなく見ても、足の持つ性格の多種多樣なのには驚かされる。素足の表情ほどまた夏の夜の生氣をよく發揮するものはあるまい。
 蚊帳、簾、團扇、それから素足なぞと順序もなくここに書いて來た。自分の好きな飮料や食物のことなぞもすこしここに書き添へよう。
 茶にも季節はある。一番よくそれを感ずるのは新茶の頃である。ところが新茶ぐらゐ香氣がよくて、またそれの早く失はれ易いものもすくないかと思ふ。三度ばかりも湯をつぐうちに、急須の中の葉がすつかりその持味を失つてゐることは、茶好きなもののよく經驗するところである。新茶の頃が來ると、私はそれに古茶をまぜて飮むのを樂しみにしてゐる。六月を迎へ、七月を迎へするうちに、新茶と古茶の區別がなくなつて來るのもおもしろい。
 新茶で思ひ出す。靜岡の方に住む人で、毎年きまりで新茶を贈つて呉れる未知の友がある。一年唯一囘の消息があつて、それが新茶と一緒に屆く。あんなに昔を忘れない人もめづらしい。私の方でも新茶の季節になると、もうそろそろ靜岡から便りのある頃かなぞと思ひ出して、それを心待ちにするやうになつた。
 簡單な食事でも滿足してゐる私達の家では、たまに手造りの柳川なぞが食卓に上るのを馳走の時とする。泥鰌は夏のものだが、私はあれを好む。年をとるにつれて殊にさうなつた。
 蓴菜、青隱元、瓜、茄子、すべて野菜の類に嫌ひなものはないが、この節さかりに出るものはその姿まで涼しくて好ましい。冬の頃から、私の家では到來物の酒の粕を壺に入れ、堅く目張りをして貯へてゐるが、あれで新しい茄子を漬けることも、ことしの夏の樂しみの一つだ。
 この短夜の頃が私の心をひくのは、一つは黄昏時の長いにもよる。あの一年のうちの半分が晝で、半分はまた夜であるやうな北の國の果を想像しないまでも、黄昏と夜明けのかなり接近して、午後の七時半過ぎにならなければ暗くならない夜が、朝の三時半過ぎか四時近くには明け放れて行くと考へることは樂しい。まだ私達が眠りから醒めないで、半分夢を見てゐる間に、そこいらはもう明るくなつてゐると考へることも樂しい。

夏の夜は篠の小竹のふししげみそよやほどなく明くるなりけり

 短夜の頃の深さ、空しさは、ここに盡すべくもない。そこにはまた私の好きな淡い夏の月も待つてゐる。夏の月の好いことは、それがあまりに輝き過ぎないことだ。
 露に濡れた芭蕉の葉からすずしい朝の雫の滴り落ちるやうな時もやつて來た。あの雫も、この頃の季節の感じを特別なものにする。あれを見ると、まことに眼の覺めるやうな心地がする。長い梅雨の續いた時分には、私はよく庭の芭蕉の見えるところへ行つて、あの嫩い夢でも湛へたやうな、灰色がかつた青い卷葉が開いて行くさまなぞをじつと眺めながら、多くの時を送つたこともあつた。



節電が叫ばれている今年の夏は、昔の人の暑さをしのぐ知恵を試してみるのも良いのかもしれません。


雨の中、アジサイの花が咲いていました。

実家の庭のアジサイの花が雨に濡れていました。

紫陽花や そらに覚ぬ はなの雨 (志太野坡

アジサイ201106

花の青が美しいです。

擲つて 弁を毀ちし 額の花山口誓子

ガクアジサイ201106

墨田の花火」というガクアジサイです。
雨に濡れた花が重いからか頭を垂れています。

白紫陽花 そこに霊魂 あるごとく鈴木康世

柏葉アジサイ201106_02

柏葉アジサイの白い花は、雨の日の薄暗い庭を明るくしてくれます。



今日は『自然居士』の舞前の稽古でした。

今日の舞囃子の稽古は、羯鼓の前の箇所でした。
今回の舞囃子では一部省略する部分がありますので、実際は羯鼓の前は次のようになります(2010年6月4日の日記参照)。

シテ「しかれば船のせんの字を。
地謡「公にすすむと書きたり。さてまた天子のおん舸を。竜舸と名づけ奉り。
   舟を一葉という事。この御宇より始まれり。また君のご座舟を。
   竜頭鷁首と申すも.このみ代より起れり。

シテ「それささらの起こりを尋ぬるに。
   東山にある僧の。扇の上に木の葉の散りしを。数珠にて払いし音よりも。
   ささらという事始まりたり。そのごとくささらの子には百八の数珠。
   ささらの竹には扇の骨。おっとり返しこれをする。所は志賀の.浦なれば。

地謡「さざ波やさざ波や。志賀唐崎の。松の上葉をさらりさらりとささらの真似を。
   数珠にてすれば。ささらよりなお。手をもするもの。今は助けて.たびたまえ。
   もとより鼓は。波の音。

羯鼓


※『自然居士』のあらすじ:http://www.syuneikai.net/jinenkoji.htm(名古屋春栄会のサイトから)

これで、舞囃子は一通り教えていただきました。
今日の部分は、私の苦手なシテ謡を謡いながらの部分が多いのでしっかり稽古しようと思っています。





梓弓について考えてみました。

このブログを通じて知り合った方から、葵上』に登場する梓弓について聞かれましたので、梓弓について少し考えてみました。

葵上』に登場する照日の巫女は、梓弓の祈祷を得意とする巫女という設定です。
この梓弓の祈祷というのは、弓の弦をたたいて音を鳴らし、その音で怨霊神霊をこの世に導き出すというものだそうです。
そして、この世に導き出したを、巫女は自分に寄り憑かせ、の思いを口から発することにより、の思いを明らかにするものです。
東北地方のイタコに代表されるこうした弓による祈祷は、現在ではごく一部の地域にしかのこっていないようです。

ただし、『葵上』の舞台で、照日の巫女を演じるツレが、実際の弓を用いることはありません。
六条御息所の生霊を呼び出すとき、ツレは着座して静かに呪文を唱えているだけです。
その替わりに、弦を弾く音になぞらえた、小鼓の印象的な音色を繰り返すことにより、ビーンビーンという弦の音が鳴り響く祈祷の場面を演出します。
※『葵上』のあらすじ:http://www.syuneikai.net/aoinoue.htm(名古屋春栄会のサイトから)

ところで、“梓弓”という言葉は、和歌の世界ではほとんどが、“春(張る、はる)、“引く(ひく)”、“押す(おす)”などの枕詞として使われています。
その使用は古今集で顕著ですので、古今集で、“梓弓”が枕詞として使われている6首を紹介します。

巻1・20
 梓弓 押してはるさめ 今日降りぬ 明日さへ降らば 若菜つみてむ (読人知らず
巻2・115
 梓弓 はるの山辺を 越えくれば 道もさりあへず 花ぞ散りける (紀貫之
巻2・127
 梓弓 春たちしより 年月の いるがごとくも 思ほゆるかな (凡河内躬恒
巻12・610
 梓弓 ひけば本末 我が方に よるこそまされ 恋の心は (春道列樹
巻12・702
 梓弓 ひき野のつづら 末つひに 我が思ふ人に ことのしげけむ (読人知らず
巻17・907
 梓弓 磯辺の小松 たが世にか よろづ世かねて 種をまきけむ (読人知らず


ところで、“梓弓”と聞いて、私が思い出すのは、伊勢物語24段です。
ここに登場する“ま弓つき弓”の和歌は、井筒』に引用されています。
※『井筒』のあらすじ:http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/edc9/play/kansyou/idutsu01.html(文化デジタルライブラリーのサイトから)


伊勢物語』 (24段

むかし、おとこ、片田舎に住みけり。おとこ、宮仕へしにとて、別れおしみてゆきにけるまゝに、三年来ざりければ、待ちわびたりけるに、いとねむごろにいひける人に、今宵逢はむとちぎりたりけるに、このおとこ来たりけり。「この戸あけたまへ」とたゝきけれど、あけで、歌をなんよみて出したりける。
 あらたまの年の三年を待ちわびてたゞ今宵こそにゐまくらすれ
といひ出したりければ、
 梓弓ま弓つき弓年を経てわがせしがごとうるはしみせよ
といひて、去なむとしければ、女
 梓弓引けど引かねど昔より心は君によりにし物を
といひけれど、おとこかへりにけり。女、いとかなしくて、後にたちてをひゆけど、えをいつかで、清水にある所に伏しにけり。そこなりける岩に、およびの血して書きつけける。
 あひ思はで離れぬる人をとゞめかねわが身は今ぞ消えはてぬめる
と書きて、そこにいたづらになりにけり。



どうしようもない悲しみを感じる話です。
男が、あるいは女がどう行動していたら、この悲劇は回避できたのか。
昔からこの話を読むたびに考えていますが、私には良い解決策は思い浮かびません。



「3000年前の名古屋」と「柳生三十六歌仙鐔」を見学しました。

日曜日(2011年6月12日)に名古屋市博物館に行きました(2011年6月13日の日記参照)が、常設展示室フリールームでは、「3000年前の名古屋-緑区雷貝塚・守山区牛牧遺跡-」〔2011年5月31日(火)~7月10日(日)〕が開催中でした。
名古屋市博物館常設展示室フリールームでは、1~2か月ごとに展示替を行っているそうです。

名古屋市博物館201106_06
[2011年6月12日(日)撮影]

この展示は、特別展「古代メキシコ・オルメカ文明展」の開催(2011年6月13日の日記参照)にあわせたものだそうで、オルメカ文明と同じ時期の日本列島で発達した縄文時代晩期の出土資料の展示でした。
名古屋市を代表する縄文時代遺跡である緑区雷貝塚遺跡守山区牛牧遺などから出土された土器や石刀が展示されていました。
牛牧遺跡からの出土品として、縄文後期から縄文晩期にかけての土器が展示されていましたが、オルメカとの類似性に驚きました。


一方、常設展示室話題のコーナーでは、柳生三十六歌仙鐔〔2011年5月31日(火)~6月26日(日)〕が開催中でした。
名古屋市博物館のサイトの柳生三十六歌仙鐔のページ:http://www.museum.city.nagoya.jp/wadai2306.html

名古屋市博物館201106_07
[2011年6月12日(日)撮影]

展示は、テーマ8の前、復元されている名古屋城の城門のあたりでした。
復元制作された“柳生三十六歌仙鐔”を中心に、江戸時代の柳生鐔柳生厳包と関係の深かった尾張の刀工・秦光代刀剣が展示されていました。

柳生鐔とは、尾張藩二代藩主徳川光友の兵法指南役であった柳生厳包柳生新陰流の極意をの模様に表そうと考案し、作らせたのことをいうそうです。
この柳生鐔のうち、特に優れた36枚のを“三十六歌仙鐔”と称したとのこと。
柳生厳包が考案したとされるは“三十六歌仙鐔”だけではなく、その没後も尾張柳生家でいろいろな図案を加えて多くのが作られたといわれているそうです。
また、柳生鐔はすべて無銘で、在銘のものは柳生鐔とはいわず、柳生写しと呼ばれているとのこと。
これまで、“三十六歌仙鐔”のうちの5枚の図柄については名称のみで、具体的な図柄が不明でしたが、今回の展示はこれらを含めて36枚すべてを復元しているそうです。

柳生鐔は、浅い肉彫りを加えた透かし鐔で、丸形の形状が最も多く、精良な地鉄の表面はざらつき気味になっているものが多いとのことです。
また、の縁は角形になり、筋状の鉄骨と呼ばれる隆起した部分が多く現れるのも特徴とのことです。
※「木井桁透鐔」(柳生鐔の一つ):http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji11/kiigetasukashituba.jpg名古屋市博物館のサイトから)

柳生新陰流は剣術流儀の一派で、柳生宗厳を流祖とし、江戸時代には、江戸柳生尾張柳生に分かれます。
江戸柳生は、宗厳の5男宗矩が2代将軍徳川秀忠と3代将軍徳川家光に仕えて以降、幕閣にその地位を築いていった系統です。
尾張柳生は、宗厳の孫(長男の二男)の利厳尾張藩初代藩主徳川義直に仕えて以降、尾張藩師範を勤めた系統です。
柳生厳包は、この尾張柳生の祖、利厳の3男として寛永2(1625)年に生まれ、父に新陰流を学び、兵法指南役となり、貞享2(1685)年に隠居・剃髪して連也と称し、元禄7(1694)年に没しました。

こんなに一度にを見たのは初めてでしたの、さまざまなデザインがあったことに驚きました。


古筆のたのしみ」展を見学しました。

日曜日(2011年6月12日)に名古屋市博物館に行きました(2011年6月13日の日記参照)が、常設展示室テーマ10では古筆のたのしみ〔2011年5月31日(火)~7月10日(日)〕が開催中でした。
名古屋市博物館常設展示室テーマ10「近世尾張の文化」では、1~2か月ごとに展示替を行っているそうです。
名古屋市博物館のサイトの古筆のたのしみのページ:http://www.museum.city.nagoya.jp/kohitunotanoshimi.html

名古屋市博物館201106_05
[2011年6月12日(日)撮影]

この展示は、古人の筆跡を集めた古筆手鑑〔こひつてかがみ〕貼交屏風〔はりまぜびょうぶ〕によって、筆跡を楽しむ文化を紹介するものとのことです。

古くからわが国には、“筆跡によって古人を偲ぶ”、あるいは“優れた筆跡を芸術として鑑賞する”、という文化があったそうで、この古人の筆跡が“古筆”と呼ばれていたとのことです。
なお、古人とは、奈良・平安・鎌倉時代の著名人を指していましたが、次第に江戸時代前期頃の人までを含むようになったそうです。

室町期から安土桃山期にかけて、冊子本巻子本の“古筆”を切断して収集するようになり、これが“古筆切”と呼ばれたそうです。
古筆切”は、掛幅に改装されたり、筆跡の手本である古筆手鑑に収められたり、屏風などに貼られたりしたとのことです。

この展示での圧巻は、『古筆貼交屏風』です。
森川如春庵旧蔵で、二曲一双の屏風に平安期から鎌倉期の古筆切9葉が散らし貼りにされています。
貼られているのは、右隻が、「伊予切」、「補任切」、「夢記切」、「安嘉門院四条五百首切」、「因幡切」の5葉、左隻が、「内侍切」、「片仮名古今和歌集切」、「古今和歌集切」、「記録切」(明月記断簡)の4葉でした。
※『古筆貼交屏風』から明恵筆「夢記切」: http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji11/yumeki.jpg名古屋市博物館のサイトから)

また、重要美術品の「日野切」もすばらしかったです。

姿を替え、持ち主を変えながら、長い時代の間、大切にされ、愛されてきた“古筆切”を見ることのできる見応えのある展示でした。



「古代メキシコ・オルメカ文明展」を見に行きました。

昨日(6月12日)に、名古屋市博物館に行きました。
名古屋市博物館では、特別展「古代メキシコ・オルメカ文明展 マヤへの道」〔2011年4月16日(土)~6月26日(日)〕が開催中でした。
名古屋市博物館のサイトの特別展「古代メキシコ・オルメカ文明展 マヤへの道」のページ:http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji110416.html※、「古代メキシコ・オルメカ文明展の公式サイト:http://event.chunichi.co.jp/olmeca_nagoya/construct.html

名古屋市博物館201106_01
[2011年6月12日(日)撮影]

この展覧会は、未だ謎に満ちているアメリカ大陸最古の古代文明であるオルメカ文明について、現地の最新の研究成果をもとにわかりやすく紹介するものだそうで、巨大なオルメカヘッドをはじめ、約130点が展示されていました。
日本で初めて、オルメカ文明の全貌とマヤ文明の起源をたどる本格的な展覧会とのことです。

なお、マヤ文明オルメカ文明から始まったともいわれているそうで、この展覧会は、マヤから時代をさかのぼり、熱帯のジャングルに隠されたオルメカの世界を巡り、再び、マヤへの道をたどる構成になっていました。
 
展示は、6つに分かれていました。

プロローグ マヤから遡る

オルメカ文明は、マヤ文明をはじめとする中米古代文明に共通する美術様式や宗教体系などの基礎となっていることから、“新大陸の母なる文明”と呼ばれているそうです。
今回の展覧会の最大の目玉で、展覧会のポスターやパンフレットにも使われてるオルメカ文明を代表する巨大な石彫が展示されていました。
その大きさは圧巻でした。

名古屋市博物館201106_02
[2011年6月12日(日)撮影]

また、現在発見されている17体がいずれも頭部だけとのことで、なぜ頭部だけの像を作ったのかという解明されていない謎にも興味をかきたてられました。
※「巨石人頭像(オルメカヘッド」:http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji11/OLMECA/03jintozo.jpg名古屋市博物館のサイトから)

1 人々と自然

オルメカとは“ゴムの国の人”という意味だそうで、スペイン植民地時代にメキシコ湾岸の人々がこう呼ばれていたそうです。
ここでは、巨大な石彫、精巧なヒスイ製小像とともにさまざまな土偶が展示されていました。
特にサイズとしては思っていたより小さかったですが、その精巧な意匠が印象的な「裸の女性を表現した土偶」、「裸の男性を表現した土偶」が目を引きました。
※「裸の女性を表現した土偶」:http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji11/OLMECA/04dogu.jpg名古屋市博物館のサイトから)
※「裸の男性を表現した土偶」:http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji11/OLMECA/05dogu.jpg名古屋市博物館のサイトから)

2 神と王権

ここでは、欧米では以前から高く評価され、現代美術にも大きな影響を与えたと言われているオルメカの造形美術の名品が展示されていました。
金属を持たないオルメカの人々の熟練した技術で作られた大量のヒスイ玉製品が目を引きました。
照明を落とした部屋に精巧に作られたヒスイ製マスクが2点展示されていました。
能面のように耳の部分に穴が開いており、実際に顔に付けて使用したようです。
2点のうち進行方向の右側に展示されている「ヒスイのマスク」(23)が能面のような雰囲気を持っており、興味深かったです。
※「ヒスイのマスク」(22):http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji11/OLMECA/07masuku.jpg名古屋市博物館のサイトから)

また、豪華な衣装をまとった王の姿が描かれているヒスイ製石斧も展示されていましたが、非常に薄く加工されており、石斧というより、まるでのようでした。
※「王の姿を描いた石斧」:http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji11/OLMECA/08ishiono.jpg名古屋市博物館のサイトから)

半人半獣の神であるジャガー神の像も何点か展示されていました。
への字型の口が牙を持ったジャガーの口を表しているそうです。
※「ジャガー神像」:http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji11/OLMECA/09sinzo.jpg名古屋市博物館のサイトから)

3 聖なる地

近年、行われた調査でオルメカの“聖なる地”であったことがわかったメキシコベラクルス州南部にあるエル・マナティ遺跡から出土した木製彫像、埋納された大量の石斧ゴムボール(複製)などが展示されていました。
球技に使われたという中米最古のゴムボールの複製が展示されていましたが、その隣に直接触ることのできるゴムボールも置いてあり、想像以上の重さに驚きました。
※「ゴムボール(複製)」:http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji11/OLMECA/10gom.jpg名古屋市博物館のサイトから)

また、四肢がないことからいけにえと想定される「木製彫像」も印象的でした。

人間の形をかたどった「土製の笛」が展示されていましたが、オカリナに酷似しており、オカリナの起源を想像させるものでした。

4 交流と拡散

メキシコ中央高原トラティルコ遺跡や太平洋に面したチアパス州の各遺跡などオルメカ文明の中心地メキシコ湾岸地方以外の地域から発見された同じ時代の遺物でオルメカ文明の交流と広がりをあきらかにする展示でした。
ここでは、楽しげな笑顔が印象的な土製の「笑顔のマスク」と、全体が動物の口を表現しており、口の中から人間が出てきたように見える「神官像」が印象に残りました。
動物の口から人物が登場する意匠はオルメカ文明にしばしばみられる表現であり、オルメカ文明の影響が太平洋岸にも及んでいた証拠とのことです。
※「笑顔のマスク」(トラティルコ遺跡):http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji11/OLMECA/11mask.jpg(名古屋市博物館のサイトから)
※「神官像」(ティルテペック遺):http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji11/OLMECA/12sinkanzo.jpg名古屋市博物館のサイトから)

エピローグ マヤへの道

メキシコからグァテマラ太平洋側地域で発見された西暦紀元前後の古い暦(マヤ長期暦)を刻んだ石彫などから、オルメカ文明の終末とマヤ文明の起源の謎に迫る展示でした。
マヤ紋章文字が彫られている石碑が目を引きました。
※「マヤの石碑」:http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji11/OLMECA/13sekihi.jpg名古屋市博物館のサイトから)

名古屋市博物館201106_04
[2011年6月12日(日)撮影]


日曜日ということもあり、館内は家族連れが目立ちました。
アメリカ最古の古代文明の実像に迫ることのできる、とても興味深い展示でした。
まだ、会期も2週間ありますので、ぜひお出かけください。


名古屋市博物館201106_03
[2011年6月12日(日)撮影]


今年もビワの実の季節になりました。

今年も実家のビワの実が色づきました。

ビワの実2011

まだ、収穫には少し早いようでしたが、次の週末ではきっと鳥に食べられてしまうとのことなので、50粒ほど貰って帰りました。
こぶりですが甘くておいしかったです。


降り歇まぬ 雨雲低し 枇杷熟れる (杉田久女

ビワの実が色づくのは雨の季節です。


大阪金春会能楽協会大阪支部特別公演の番組をいただきました。

2011年6月29日(水)の午後6時から大阪大槻能楽で開催される大阪金春会の番組と、2011年7月17日(日)の午後1時から同じく大阪大槻能楽で開催される能楽協会大阪支部特別公演の番組を金春穂高先生にいただきましたので、紹介します。

大阪金春会

 舞囃子  養 老       金春 安明
 
 狂 言  茶 壷       善竹忠一郎

 仕 舞  八 島       佐藤 俊之              
       野 宮       高橋  汎
       錦 木       金春 康之
       山 姥 キリ    本田 芳樹
            
 能    源氏供養      金春 穂高



能楽協会大阪支部特別公演

 能(金春流)  金 札        金春 穂高
             
 能(観世流)  杜 若 恋之舞    大西 智久
              
 狂言(大蔵流) 惣 八        善竹忠一郎

 能(観世流)  正 尊 起請文 翔入 大槻 文蔵



詳しい番組は、名古屋春栄会のホームページの掲載しました。
名古屋春栄会のサイトの平成23年6月の大阪金春会の番組のページ:http://www.syuneikai.net/osaka_konparu2011prog.htm名古屋春栄会のサイトの平成23年7月の能楽協会大阪支部特別公演の番組のページ:http://www.syuneikai.net/osakashibu_tokubetsu201107prog.htm

お近くの方は、ぜひ足をお運びください。



名古屋市科学館に出かけました。

先週の水曜日(2011年6月1日)の午後に、新館のプラネタリウムが大人気の名古屋市科学館で会議がありました。
私が到着したときには、もちろん既にプラネタリウムのチケットは売り切れでした。
午後4時からの会議でしたが少し早めに到着しましたので、ちょうど開催中だった特別企画「お化け屋敷で科学する!〔2011年4月23日(土)~ 2011年6月26日(日)〕 を見学しました。
名古屋市科学館のサイトの特別企画「お化け屋敷で科学する!のページ:http://www.ncsm.city.nagoya.jp/obake/

名古屋市科学館201106_01
[特別企画「お化け屋敷で科学する!のちらし・表]

名古屋市科学館201106_02
[特別企画「お化け屋敷で科学する!のちらし・裏]

この展示のテーマは、“恐怖”とのことですが、基本的には、お化け屋敷でした。
ただ、単なるお化け屋敷では、科学館という場所で開催する意味がないからか、“恐怖しながら、恐怖について学び、考える”がコンセプトになっていました。
しかしながら、展示構成は普通のお化け屋敷である「お化け屋敷体感エリア」の後に、恐怖についてのパネル展示である「科学トピックス学習エリア」があるというシンプルなものでした。

パネル展示では、人間の持っている恐怖という感情を分析するもので、先端の脳科学の結果も使われており、見応えのあるものでした。
ただ、少なくともこの日の観覧者のほとんどは、お化け屋敷というアトラクションが目当てのようで、このコンセプトが理解されているとは言い難いと感じました。





名品コレクション展?(前期)」を見ました。

日曜日(2011年6月5日)に名古屋市美術館に行きました〔2011年6月6日の日記参照〕が、常設展示では常設展「名品コレクション展?」〔2010年4月23日(土)~9月6日(日)〕が開催中でした。
名古屋市美術館のサイトの常設展のページ:http://www.art-museum.city.nagoya.jp/tenrankai/josetsu/index.html

常設展示室1では「エコール・ド・パリ:光のかたち」、「メキシコ・ルネサンス:ストランドの写真」、「現代の美術:社会を映す」の3つのテーマ別に展示されていました。

エコール・ド・パリ:光のかたち」の展示では、印象派以前の明暗による光の表現で描かれたやわらかい光が印象的な『風景』(ジョン・ディアマン)が印象に残りました。
また、人物の影が青色で表現されているのがユニークな『立てる裸婦(カリアティードのための習作)』(アメデオ・モディリアーニ)も印象的でした。

現代の美術:社会を映す」の展示では、展示室に入ったところに『昔の聖者』(小山田二郎)が展示されていました。
まるでキリスト磔刑図のような構図の中に不思議な魅力を持った作品でした。
また、昭和36(1961)年に27歳で早世した石井重雄の“暴力シリーズ”が2点『暴力シリーズ-戒厳状態?』、『暴力シリーズ-審判』が展示されており、目を引きました。

メキシコ・ルネサンス:ストランドの写真」の展示では、ニューヨーク生まれの写真家ポール・ストランド写真10点が展示されていました。
この他では、楽しそうな笑顔が印象的なの『黒人の仮面(カーニバル)』(ルフィーノ・タマヨ)が心に残りました。

常設展示室2では、「郷土の美術:郷土の日本画家 渡辺幾春」の展示でした。
恥ずかしながら私は全く知りませんでしたが、渡辺幾春名古屋生まれの日本画家だそうで、彼の作品が7点展示されていました。
女性のなまめかしさが特徴的な『若き女』と夏の夕の趣きが味わい深い『』という大正期の作品が印象に残りました。

いつものことながら、常設展示室はあまり人がおらず、寂しかったです。



Author:kinkun
名古屋春栄会のホームページの管理人

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