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名古屋市博物館には常設展フリールームがあります。

一昨日(2010年12月5日)に名古屋市博物館に行った折に、常設展示室フリールームで開催されていた尾張の能楽〔2010年11月30日(火)~2011年1月23日(日)〕を見学しました。
名古屋市博物館のサイトの常設展フリールーム尾張の能楽のページ:http://www.museum.city.nagoya.jp/nouraku.html

芸所と呼ばれている名古屋では、さまざまな伝統的な芸能も盛んで、能楽(能と狂言)もその一つです。
今回のフリールームでは尾張の能楽の基礎知識がわかるように、能と狂言能楽が演じられる場所藩と能楽町人と能楽などのテーマごとに能楽の装束や道具、記録類が展示されていました。

・能楽
江戸時代の能の番組公儀御能組」(名古屋市蓬左文庫蔵)が展示されており、興味深かったです。

・能楽はどこで
名古屋城二の丸御殿能舞台の図面「表御座之間御屋敷舞台図」(名古屋市蓬左文庫蔵)が展示されていました

・能と扇
宝生流がいくつか展示されており、シテ方で使う中啓や、仕舞などで使う鎮扇などがありました。

・能
能装束の「長絹」が展示されていました。

・狂言
狂言装束鯛車に玩具模様肩衣」(狂言共同社蔵)、狂言面などが展示されていました。
※「鯛車に玩具模様肩衣」:http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji10/kataginu.jpg名古屋市博物館のサイトから)

・藩と能楽
江戸時代の能楽は、幕府や藩の公式行事で演じられる式楽として、尾張藩でも盛んに演じられており、その観能の記録である「続学舎叢書廿二巻 尾張藩御能見聞録」(名古屋市蓬左文庫蔵)などが展示されていました。

・町人と能楽
江戸時代には武家だけでなく、町人も辻能勧進能町入能などお城の内外で能楽を見物する機会があり、祭の山車に乗るからくり人形にも能楽の曲を題材としたものもあったとのことで、橋弁慶車をモデルとした郷土玩具「東照宮祭の山車 七間町」が展示されていました。
※「東照宮祭の山車 七間町」:http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji10/benkeiguruma.jpg名古屋市博物館のサイトから)


常設展示室には、ほとんど人がいなくて、少し寂しかったです。

名古屋市博物館に行きました。

名古屋市博物館では、企画展「名古屋タイムズの見た名古屋-昭和21年~39年-」〔2010年11月20日(土)~12月19日(日)〕が開催中です。
名古屋市博物館のサイトの企画展「名古屋タイムズの見た名古屋-昭和21年~39年-」のページ:http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji101120.html

名古屋市博物館201012_01

名古屋タイムズは、名古屋で唯一の夕刊紙で平成22(2008)年10月31日に惜しまれながら休刊しました。
名古屋タイムズは、戦後間もない昭和21(1946)年5月21日に創刊し、一般紙とは趣の異なる夕刊紙として“名タイ”の名で市民に親しまれてきました。
この展覧会では、昭和20年代から30年代の名古屋タイムズの紙面を通して、この地域の主だった出来事から、地域紙ならではの日常ネタまでを、記事と写真の解説で見直し、復興し元気を取り戻した、当時の名古屋を浮き彫りにしていくものだそうです。
また、スポーツ、映画、広告等の関連資料も併せて展示されていました。

展覧会は7部門に分かれていました。

1 名古屋タイムズ
名古屋タイムズ創刊号サヨナラ号の現物が展示されていました。

2 記事と写真に見る
焼け野原となった街が次第に復興し、変わりゆくさまを、変化の激しかった昭和21年~39年の名古屋タイムズの記事と写真が中心の展示でした。

ここに展示されていた「警番のついた自転車」が興味深かったです。
警番の中央が引きぬけるようになっていて、自転車を駐輪したときに持ち主がその中央部分を引き抜き持っていくことで、中央部分のない自転車に乗っている人を警察が取り締まるというものだったそうです。
この他、当時の活字や鉛版なども展示されていました。

3 広告に見る
毎年1月1日の広告の変化で、時代のうつりかわりを見る展示でした。
北名古屋市歴史民俗資料館所蔵の「スクーター ラビットS301A」や「ビクターラジオ」、「タイガージャー」など広告に乗った商品の実物が展示されていました。
※「紙面に掲載された商品たち」:http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji10/101120/kokokusyohin.jpg名古屋市博物館のサイトから)

4 繁華街に見る
地元密着紙であった名古屋タイムズが特集した市内各所の繁華街、商店街についての展示でした。
今は寂れているところが多い市内の商店街ですが、賑わっていたころの写真が数多く展示されており、懐かしかったです。
※「西区円頓寺商店街からテレビ塔を望む」〔昭和38(1953)年、名古屋タイムズアーカイブス委員会提供〕:http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji10/101120/enodoji.jpg名古屋市博物館のサイトから)

5 映画興行に見る
昭和26(1951)年に、新東宝名古屋タイムズが共催した名タイ・新東宝スターレットの第1期生である天地茂の関連の展示が中心でした。
映画のポスターだけでなく、天地茂さん愛用の背広も展示されていました。

6 スポーツに見る
新聞報道の柱の一つであるスポーツ記事に関する展示で、中日ドラゴンズや地元出身の選手、市内の高校などの資料が中心の展示でした。
盗難事件に巻き込まれた昭和29(1954)年の中京商業(現・中京大附属中京高校)の夏の甲子園大会の優勝旗や同じく昭和29(1954)年の中日ドラゴンズ日本シリーズチャンピオンフラッグなどが印象に残りました。 

7 新聞を読む
名古屋タイムズ紙面の実物大の複製が各年ごとに20ページほど置いてあって、自由に読むことができました。


自分の子どものころや若いころを懐かしむ人が多いようで、会場は50歳以上の人が多かったです。

名古屋市博物館201012_02

地下鉄桜山駅方面からの連絡通路には、「博物館前のなつかしの写真」が展示されていました。


今日の謡の稽古は、『葛城』の4回目。

今日のの稽古は、『葛城』の4回目でした。
今日の場面は、出羽の羽黒山山伏が夜の勤めをしようとすると、柴を持った女が、自分は葛城の神だと名乗り、自分のためにも加持をしてほしいと山伏に頼み姿を消してしまう場面です。
※『葛城』のあらすじ:http://www.syuneikai.net/kazuraki.htm(名古屋春栄会のサイトから)

ワキ「はや夜に入りて候程に。勤めを始みょうずるにて候。
シテ「御勤めとは有難や。われに悩める心ちあり。
   勤めの御序に祈り加持してたび給え。

ワキ「そも祈り加持せよとは。何と言いたる事やらん。
シテ「さなきだに女は五障の罪重きに。法のとがめの咒詛をうけて。
   この山の名にしおう。つたかづらにて身をいましめて。
   なお三熱の苦しみあり。この身を助けおわしませ。

ワキ「ふしぎなりとよそも神ならで。三熱の苦しみという事あるべきか。
シテ「はずかしながら葛城の。神の岩橋かけざりし。そのとがめとて明王の。
   索はかかる身をいましめて。今に苦しみ絶えぬ身なり。

ワキ「さてはふしぎや葛城の。神の苦しみつきがたき。
シテ「石はひとつの神体として。
ワキ「つたかづらのみかかるいわおの。
シテ「なずともつきじかづらの葉。
ワキ「はいひろごりて。
シテ「露におかれ。
シテ、ワキ「霜にせめられおきふしの。立ち居も重き.いわとのうち。
地謡「あくるわびしき葛城の。
   神に五衰の苦しみあり.祈り加持してたび給えと。岩橋の末たえて。
   神がくれにぞなりにける.神がくれにぞなりにける。

<中入>


今日のでは、中入前の地謡が少し難しかったです。


一方、仕舞の稽古は、今日から『室君』の通しの稽古になりました。
今日は特に、巻き指し天の扇のところをご指導いただきました。
※『室君』のあらすじ:http://www.syuneikai.net/murogimi.htm(名古屋春栄会のサイトから)

本番では今年の引き続き、素謡『』で千才を勤めさせていただくことになりました。今度こそはしっかり謡いたいと思っています。
※『』のあらまし:http://www.syuneikai.net/okina.htm(名古屋春栄会のサイトから)



応挙の幽霊」を見に行きました。

本日、午後6時半から名古屋市芸術創造センターホールで行われたNPO法人日本伝統芸能会主催の歌舞伎ルネサンスvol.6『応挙の幽霊を見ました。
この作品は、先月のロサンゼルス公演を皮切りに、現在、全国を公演しているとのことでした。

応挙の幽霊201011_01
[公演のパンフレット・表]

応挙の幽霊201011_02
[公演のパンフレット・裏]

公演は、3部構成でした。

第1部 ワークショップ「三番叟ができるまで」

歌舞伎役者の楽屋風景をなんと舞台上で再現するものでした。
西川扇与一さんが歌舞伎独特の化粧・衣裳・かつらを役者が身につけて行く様子を実演しました。
花柳辰蔵さんの解説がわかりやすく楽しめました。
鬘に緩みが生じないように後頭部できつく結ぶ細い紐のことを“あいびき”と呼ぶのは、“外からはわからない”という意味で“逢引”と掛けているという説明など豊富な知識に裏付けられた軽妙な語り口が絶妙でした。

それにしても西川扇与一さんの化粧の手際の良さとスピードに驚きました。

第2部 「操り三番叟」

三番叟〔さんばそう〕」は、能狂言の「三番叟」を歌舞伎に取りいれた儀式的な舞踊で、江戸時代には顔見世興行や正月興行などに「寿式三番叟〔ことぶきしきさんばそう〕」として上演されたそうです。
ただ、「寿式三番叟」が非常に儀式性が強いため、その後、歌舞伎風にくだけたさまざまな「三番叟」が作られ、“三番叟物”として歌舞伎舞踊の1ジャンルを形成したとのことです。
代表的なものに、三番叟が踊りの途中で舌を出す「舌出し三番叟」、操り人形の格好で踊る「操り三番叟〔あやつりさんばそう〕」、三番叟が2人登場する「二人三番叟」などがあるそうです。

今回はこのうちの一つ「操り三番叟」が、ユーモラスに演じられました。
人間を模した人形を人間が演じるという江戸庶民好みの面白い演出でした。
第1部で化粧と着付けを公開した西川扇与一さんが三番叟を演じていました。

第3部 「応挙の幽霊

鶯亭金升〔おうていきんしょう〕作の落語応挙の幽霊」が原案の歌舞伎で、元が滑稽話だけあって、スラップスティック・コメディに仕上がっていました。
幽霊のお仙朝丘雪路さん、道具屋の甚三萩原流行さん、若旦那の松五郎西川扇与一さんというキャストの3人芝居です。

[あらすじ]

道具屋の甚三は、ある日骨董市で円山応挙の作品という幽霊が描かれた2本の掛け軸を安く手に入れます。
甚三はこの掛け軸をお得意の若旦那の松五郎に高く売りつけようとします。
目論見どおり高く売りつけることに成功した甚三は、掛け軸の前で一人、祝い酒を飲み始めます。
しばらくして人の気配を感じ、あたりを見ると掛け軸の中の幽霊が抜け出してきます。
この幽霊のお仙は酒好きなんですが、実は酒癖が悪いことがわかります。
甚三が、酔っ払った幽霊のお仙に絡まれているところに、松五郎が戻ってきます。

1時間ほどの小品ですが、軽妙なテンポで進むため、もっと短く感じました。
全編笑いどころ満載のまさに抱腹絶倒のコメディでした。


中でも、お酒好きの幽霊をいう不思議な役を演じる朝丘雪路さんの演技が秀逸でした。
色気のある口説きや、酔って管を巻くところや甚三から金を巻き上げるところなどは爆笑ものでした。

萩原流行さんは、前半の西川扇与さんとの掛け合い、後半の朝丘雪路さんの掛け合いのいずれも間合いが素晴らしかったです。

久しぶりに名古屋市芸術創造センターに行きましたが、やはり舞台と観客席が近くて、非常に見やすいホールでした。

 


kinkun

Author:kinkun
名古屋春栄会のホームページの管理人

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