- 2010/09/30 名古屋市博物館 日本最古の船型木館
- 2010/09/29 四季咲きのアザレア
- 2010/09/28 永日小品・声
- 2010/09/27 栗の実の落ちる音
- 2010/09/26 挿し木したインドゴムノキの植替え
- 2010/09/25 パステルアート合同作品展
- 2010/09/24 パラミタミュージアム 手づくり水石鉢展
- 2010/09/23 彼岸の中日(2010年秋)
- 2010/09/22 初秋のパラミタガーデン
- 2010/09/21 パラミタミュージアム 常設展示「小嶋三郎一の絵画」
- 2010/09/20 パラミタミュージアム 辻輝子展
- 2010/09/19 パラミタミュージアム 棟方志功・未発表肉筆画展
2010/09/30 20:04:10
日本最古の船形木棺を見ました。
もう1か月以上前になってしまいましたが、名古屋市博物館に特別展「ポンペイ展 世界遺産 古代ローマ文明の奇跡」を見に行きました(2010年8月25日の日記参照)が、そのときに常設展示で平手町遺跡(名古屋市北区)で発見された日本最古の“船形木棺”を見学しました。
※名古屋市博物館の公式サイト:http://www.museum.city.nagoya.jp
この“船形木棺”は、名古屋市博物館の常設展示の「稲作のはじまった頃」のコーナーに展示されていました。

[2010年8月22日撮影]
平手町遺跡は、庄内川と矢田川によって形成された標高約5mほどの沖積平野に立地しており、遺跡の南西には弥生時代を通じてこの地域の拠点的集落であった西志賀遺跡が、東には古墳時代を中心とする志賀公園遺跡があり、平手町遺跡を含めたこの3遺跡は、弥生時代から古墳時代までの一連の大遺跡ととらえることができるとのことです。
平成20年度の行われた第6次調査で、10基の方形周溝墓が確認され、そのうちの一つ“方形周溝墓D”で、ほぼ完全なかたちの“船形木棺”が発見されたそうです。
この方形周溝墓の墳丘は、北西-南東を主軸とする約11m×7.5mの長方形、高さは約80cmで、“船形木棺”は墓の主軸と同じ方向に置かれ、舳先が北西を向くように配置されていたとのことです。
※方形周溝墓と“船形木棺”(写真中央):http://www.museum.city.nagoya.jp/images/mokkan.jpg(名古屋市博物館の公式サイトから)
また、“船形木棺”は長さ2.8m、幅80cmで、片方の端を削って船形につくられ、底は緩いカーブを描いており、約2000年前の弥生時代中期のものであると考えられ、これまでに国内で発見された船形木棺のうち、最も古い時期のものであることがわかったそうです。
さらに、これまでに出土した船形木棺のほとんどが、木の部分は腐ってしまった状態だったのに対し、今回のものは木棺自体が残っており、その点からも貴重な資料となるそうです。
2000年前の木製の棺が、形が分かるほど残っているのには、本当に驚きました。
その上、木棺の底には埋葬された遺体の一部も見つかったとのことです。
※“船形木棺”:http://www.museum.city.nagoya.jp/images/mokkan2.jpg(名古屋市博物館の公式サイトから)
遺体を船あるいは船の形をした棺に納めて葬る方法を船葬(舟葬)と言うそうです。
霊魂が現世から来世へたどり着くための乗り物として、舟が考えられたと言われているとのことです。
古墳時代に舟が来世への乗り物という観念があったということはこれまでも指摘されていたそうですが、今回の発見は、こうした観念が弥生時代中期までさかのぼる可能性のあることを示すもので画期的な発見だそうです。
画期的な発見の割には比較的地味な展示でした。
また、そのせいかどうかはわかりませんが、1階の「ポンペイ展」が大混雑で、そのチケットで2階の常設展示も見ることができるのにもかかわらず、“船形木棺”を見ている来館者がほとんどいなかったことに驚くとともに、少し残念に感じました。
この“船形木棺”は現在も展示されていますので、名古屋市博物館に行かれた方は、ぜひ2階の常設展示にも足を運んでみてください。
もう1か月以上前になってしまいましたが、名古屋市博物館に特別展「ポンペイ展 世界遺産 古代ローマ文明の奇跡」を見に行きました(2010年8月25日の日記参照)が、そのときに常設展示で平手町遺跡(名古屋市北区)で発見された日本最古の“船形木棺”を見学しました。
※名古屋市博物館の公式サイト:http://www.museum.city.nagoya.jp
この“船形木棺”は、名古屋市博物館の常設展示の「稲作のはじまった頃」のコーナーに展示されていました。

[2010年8月22日撮影]
平手町遺跡は、庄内川と矢田川によって形成された標高約5mほどの沖積平野に立地しており、遺跡の南西には弥生時代を通じてこの地域の拠点的集落であった西志賀遺跡が、東には古墳時代を中心とする志賀公園遺跡があり、平手町遺跡を含めたこの3遺跡は、弥生時代から古墳時代までの一連の大遺跡ととらえることができるとのことです。
平成20年度の行われた第6次調査で、10基の方形周溝墓が確認され、そのうちの一つ“方形周溝墓D”で、ほぼ完全なかたちの“船形木棺”が発見されたそうです。
この方形周溝墓の墳丘は、北西-南東を主軸とする約11m×7.5mの長方形、高さは約80cmで、“船形木棺”は墓の主軸と同じ方向に置かれ、舳先が北西を向くように配置されていたとのことです。
※方形周溝墓と“船形木棺”(写真中央):http://www.museum.city.nagoya.jp/images/mokkan.jpg(名古屋市博物館の公式サイトから)
また、“船形木棺”は長さ2.8m、幅80cmで、片方の端を削って船形につくられ、底は緩いカーブを描いており、約2000年前の弥生時代中期のものであると考えられ、これまでに国内で発見された船形木棺のうち、最も古い時期のものであることがわかったそうです。
さらに、これまでに出土した船形木棺のほとんどが、木の部分は腐ってしまった状態だったのに対し、今回のものは木棺自体が残っており、その点からも貴重な資料となるそうです。
2000年前の木製の棺が、形が分かるほど残っているのには、本当に驚きました。
その上、木棺の底には埋葬された遺体の一部も見つかったとのことです。
※“船形木棺”:http://www.museum.city.nagoya.jp/images/mokkan2.jpg(名古屋市博物館の公式サイトから)
遺体を船あるいは船の形をした棺に納めて葬る方法を船葬(舟葬)と言うそうです。
霊魂が現世から来世へたどり着くための乗り物として、舟が考えられたと言われているとのことです。
古墳時代に舟が来世への乗り物という観念があったということはこれまでも指摘されていたそうですが、今回の発見は、こうした観念が弥生時代中期までさかのぼる可能性のあることを示すもので画期的な発見だそうです。
画期的な発見の割には比較的地味な展示でした。
また、そのせいかどうかはわかりませんが、1階の「ポンペイ展」が大混雑で、そのチケットで2階の常設展示も見ることができるのにもかかわらず、“船形木棺”を見ている来館者がほとんどいなかったことに驚くとともに、少し残念に感じました。
この“船形木棺”は現在も展示されていますので、名古屋市博物館に行かれた方は、ぜひ2階の常設展示にも足を運んでみてください。
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2010/09/29 21:02:15
四季咲きのアザレアだったようです。
以前、ベランダのアザレアの鉢植えに花が咲き始めていることを紹介しました(2010年9月12日の日記参照)。
そのとき、“アザレアは春の花なので、この時期に咲くのは狂い咲きでしょう”と書いたところ、四季咲きの品種なのではないかという指摘を受けました。
アザレアには、四季咲きの品種もあるのだと知り、鉢の様子を見ていたところ、その後、次々と蕾をつけて咲き続け、ついに今朝、満開に近くなりました。

[2010年9月18日(土)撮影]

[2010年9月26日(日)撮影]

[2010年9月29日(水)撮影]
このアザレアは、ご指摘いただいたとおり四季咲きの品種だったようです。
先日の記事は、訂正させていただきます。
これからいつまで咲き続けるのか、楽しみになってきました。
以前、ベランダのアザレアの鉢植えに花が咲き始めていることを紹介しました(2010年9月12日の日記参照)。
そのとき、“アザレアは春の花なので、この時期に咲くのは狂い咲きでしょう”と書いたところ、四季咲きの品種なのではないかという指摘を受けました。
アザレアには、四季咲きの品種もあるのだと知り、鉢の様子を見ていたところ、その後、次々と蕾をつけて咲き続け、ついに今朝、満開に近くなりました。

[2010年9月18日(土)撮影]

[2010年9月26日(日)撮影]

[2010年9月29日(水)撮影]
このアザレアは、ご指摘いただいたとおり四季咲きの品種だったようです。
先日の記事は、訂正させていただきます。
これからいつまで咲き続けるのか、楽しみになってきました。
2010/09/28 21:03:04
五感が呼び起こす記憶があります。
今日の名古屋は、昨夜からの雨が午前中には上がり、午後からは秋晴れとなりました。
今日は、主人公が秋晴れの空を見ていて故郷を思い出す、夏目漱石の『永日小品』の21番目の短編「声」を紹介します。
『永日小品』は、25編の短編からなる不思議な味わいのある作品です。
この話の主人公・豊三郎は引っ越してきたばかりです。
その新しい下宿の部屋の窓の外のアオギリの枝が剪定され、窓から秋晴れの空が見えるようになります。
豊三郎は、その空を見ていて遠い故郷を思い出します。
『永日小品・声』(夏目漱石)
豊三郎がこの下宿へ越して来てから三日になる。始めの日は、薄暗い夕暮の中に、一生懸命に荷物の片づけやら、書物の整理やらで、忙しい影のごとく動いていた。それから町の湯に入って、帰るや否や寝てしまった。明る日は、学校から戻ると、机の前へ坐って、しばらく書見をして見たが、急に居所が変ったせいか、全く気が乗らない。窓の外でしきりに鋸の音がする。
豊三郎は坐ったまま手を延して障子を明けた。すると、つい鼻の先で植木屋がせっせと梧桐の枝をおろしている。可なり大きく延びた奴を、惜気もなく股の根から、ごしごし引いては、下へ落して行く内に、切口の白い所が目立つくらい夥しくなった。同時に空しい空が遠くから窓にあつまるように広く見え出した。豊三郎は机に頬杖を突いて、何気なく、梧桐の上を高く離れた秋晴を眺めていた。
豊三郎が眼を梧桐から空へ移した時は、急に大きな心持がした。その大きな心持が、しばらくして落ちついて来るうちに、懐かしい故郷の記憶が、点を打ったように、その一角にあらわれた。点は遥かの向にあるけれども、机の上に乗せたほど明らかに見えた。
山の裾に大きな藁葺があって、村から二町ほど上ると、路は自分の門の前で尽きている。門を這入る馬がある。鞍の横に一叢の菊を結いつけて、鈴を鳴らして、白壁の中へ隠れてしまった。日は高く屋の棟を照らしている。後の山を、こんもり隠す松の幹がことごとく光って見える。茸の時節である。豊三郎は机の上で今採ったばかりの茸の香を嗅いだ。そうして、豊、豊という母の声を聞いた。その声が非常に遠くにある。それで手に取るように明らかに聞える。――母は五年前に死んでしまった。
豊三郎はふと驚いて、わが眼を動かした。すると先刻見た梧桐の先がまた眸に映った。延びようとする枝が、一所で伐り詰められているので、股の根は、瘤で埋まって、見悪いほど窮屈に力が入っている。豊三郎はまた急に、机の前に押しつけられたような気がした。梧桐を隔てて、垣根の外を見下すと、汚ない長屋が三四軒ある。綿の出た蒲団が遠慮なく秋の日に照りつけられている。傍に五十余りの婆さんが立って、梧桐の先を見ていた。
ところどころ縞の消えかかった着物の上に、細帯を一筋巻いたなりで、乏しい髪を、大きな櫛のまわりに巻きつけて、茫然と、枝を透かした梧桐の頂辺を見たまま立っている。豊三郎は婆さんの顔を見た。その顔は蒼くむくんでいる。婆さんは腫れぼったい瞼の奥から細い眼を出して、眩しそうに豊三郎を見上げた。豊三郎は急に自分の眼を机の上に落した。
三日目に豊三郎は花屋へ行って菊を買って来た。国の庭に咲くようなのをと思って、探して見たが見当らないので、やむをえず花屋のあてがったのを、そのまま三本ほど藁で括って貰って、徳利のような花瓶へ活けた。行李の底から、帆足万里の書いた小さい軸を出して、壁へ掛けた。これは先年帰省した時、装飾用のためにわざわざ持って来たものである。それから豊三郎は座蒲団の上へ坐って、しばらく軸と花を眺めていた。その時窓の前の長屋の方で、豊々と云う声がした。その声が調子と云い、音色といい、優しい故郷の母に少しも違わない。豊三郎はたちまち窓の障子をがらりと開けた。すると昨日見た蒼ぶくれの婆さんが、落ちかかる秋の日を額に受けて、十二三になる鼻垂小僧を手招きしていた。がらりと云う音がすると同時に、婆さんは例のむくんだ眼を翻えして下から豊三郎を見上げた。
豊三郎は、故郷を“馬の鞍の横に結わえられていた菊の花”と“採ったばかりの茸の香り”と“亡くなった母親の声”という、視覚、嗅覚、聴覚、それぞれで思い出します。
その記憶は、あることをきっかけに連鎖的に蘇るようで、翌日、“菊の花(なぜか私には黄色の菊のように思えます)”を買ってくると、再び、母の声が聞こえたように感じます。
豊三郎にとっては、“菊の花が記憶のスイッチなのでしょう。
誰にでもその人なりの記憶のスイッチがあるのだと思います。
今日の名古屋は、昨夜からの雨が午前中には上がり、午後からは秋晴れとなりました。
今日は、主人公が秋晴れの空を見ていて故郷を思い出す、夏目漱石の『永日小品』の21番目の短編「声」を紹介します。
『永日小品』は、25編の短編からなる不思議な味わいのある作品です。
この話の主人公・豊三郎は引っ越してきたばかりです。
その新しい下宿の部屋の窓の外のアオギリの枝が剪定され、窓から秋晴れの空が見えるようになります。
豊三郎は、その空を見ていて遠い故郷を思い出します。
『永日小品・声』(夏目漱石)
豊三郎がこの下宿へ越して来てから三日になる。始めの日は、薄暗い夕暮の中に、一生懸命に荷物の片づけやら、書物の整理やらで、忙しい影のごとく動いていた。それから町の湯に入って、帰るや否や寝てしまった。明る日は、学校から戻ると、机の前へ坐って、しばらく書見をして見たが、急に居所が変ったせいか、全く気が乗らない。窓の外でしきりに鋸の音がする。
豊三郎は坐ったまま手を延して障子を明けた。すると、つい鼻の先で植木屋がせっせと梧桐の枝をおろしている。可なり大きく延びた奴を、惜気もなく股の根から、ごしごし引いては、下へ落して行く内に、切口の白い所が目立つくらい夥しくなった。同時に空しい空が遠くから窓にあつまるように広く見え出した。豊三郎は机に頬杖を突いて、何気なく、梧桐の上を高く離れた秋晴を眺めていた。
豊三郎が眼を梧桐から空へ移した時は、急に大きな心持がした。その大きな心持が、しばらくして落ちついて来るうちに、懐かしい故郷の記憶が、点を打ったように、その一角にあらわれた。点は遥かの向にあるけれども、机の上に乗せたほど明らかに見えた。
山の裾に大きな藁葺があって、村から二町ほど上ると、路は自分の門の前で尽きている。門を這入る馬がある。鞍の横に一叢の菊を結いつけて、鈴を鳴らして、白壁の中へ隠れてしまった。日は高く屋の棟を照らしている。後の山を、こんもり隠す松の幹がことごとく光って見える。茸の時節である。豊三郎は机の上で今採ったばかりの茸の香を嗅いだ。そうして、豊、豊という母の声を聞いた。その声が非常に遠くにある。それで手に取るように明らかに聞える。――母は五年前に死んでしまった。
豊三郎はふと驚いて、わが眼を動かした。すると先刻見た梧桐の先がまた眸に映った。延びようとする枝が、一所で伐り詰められているので、股の根は、瘤で埋まって、見悪いほど窮屈に力が入っている。豊三郎はまた急に、机の前に押しつけられたような気がした。梧桐を隔てて、垣根の外を見下すと、汚ない長屋が三四軒ある。綿の出た蒲団が遠慮なく秋の日に照りつけられている。傍に五十余りの婆さんが立って、梧桐の先を見ていた。
ところどころ縞の消えかかった着物の上に、細帯を一筋巻いたなりで、乏しい髪を、大きな櫛のまわりに巻きつけて、茫然と、枝を透かした梧桐の頂辺を見たまま立っている。豊三郎は婆さんの顔を見た。その顔は蒼くむくんでいる。婆さんは腫れぼったい瞼の奥から細い眼を出して、眩しそうに豊三郎を見上げた。豊三郎は急に自分の眼を机の上に落した。
三日目に豊三郎は花屋へ行って菊を買って来た。国の庭に咲くようなのをと思って、探して見たが見当らないので、やむをえず花屋のあてがったのを、そのまま三本ほど藁で括って貰って、徳利のような花瓶へ活けた。行李の底から、帆足万里の書いた小さい軸を出して、壁へ掛けた。これは先年帰省した時、装飾用のためにわざわざ持って来たものである。それから豊三郎は座蒲団の上へ坐って、しばらく軸と花を眺めていた。その時窓の前の長屋の方で、豊々と云う声がした。その声が調子と云い、音色といい、優しい故郷の母に少しも違わない。豊三郎はたちまち窓の障子をがらりと開けた。すると昨日見た蒼ぶくれの婆さんが、落ちかかる秋の日を額に受けて、十二三になる鼻垂小僧を手招きしていた。がらりと云う音がすると同時に、婆さんは例のむくんだ眼を翻えして下から豊三郎を見上げた。
豊三郎は、故郷を“馬の鞍の横に結わえられていた菊の花”と“採ったばかりの茸の香り”と“亡くなった母親の声”という、視覚、嗅覚、聴覚、それぞれで思い出します。
その記憶は、あることをきっかけに連鎖的に蘇るようで、翌日、“菊の花(なぜか私には黄色の菊のように思えます)”を買ってくると、再び、母の声が聞こえたように感じます。
豊三郎にとっては、“菊の花が記憶のスイッチなのでしょう。
誰にでもその人なりの記憶のスイッチがあるのだと思います。
2010/09/27 20:09:19
栗の実が落ちるときの音は結構大きいです。
そろそろ栗の実の落ちる季節になりました。
“実”が落ちると言っても正確には“毬〔いが〕”ごと落ちるのですが…。
以前、ちょうど秋のお彼岸の頃に知り合いの寺に泊まったとき、夜、バサッという大きな音が何回もするのに驚き、翌朝、尋ねると、それは栗の実の落ちる音だと教えられたことがあります。確かに寺の裏の山には大きな栗の木が生えていて、その下にはたくさん栗の実が落ちていました。
今日は、そんな栗の実が印象的な芥川龍之介の短編『ピアノ』を紹介します。
『ピアノ』(芥川龍之介)
或雨のふる秋の日、わたしは或人を訪ねる為に横浜の山手を歩いて行つた。この辺の荒廃は震災当時と殆ど変つてゐなかつた。若し少しでも変つてゐるとすれば、それは一面にスレヱトの屋根や煉瓦の壁の落ち重なつた中に藜の伸びてゐるだけだつた。現に或家の崩れた跡には蓋をあけた弓なりのピアノさへ、半ば壁にひしがれたまゝ、つややかに鍵盤を濡らしてゐた。のみならず大小さまざまの譜本もかすかに色づいた藜の中に桃色、水色、薄黄色などの横文字の表紙を濡らしてゐた。
わたしはわたしの訪ねた人と或こみ入つた用件を話した。話は容易に片づかなかつた。わたしはとうとう夜に入つた後、やつとその人の家を辞することにした。それも近近にもう一度面談を約した上のことだつた。
雨は幸ひにも上つてゐた。おまけに月も風立つた空に時々光を洩らしてゐた。わたしは汽車に乗り遅れぬ為に(煙草の吸はれぬ省線電車は勿論わたしには禁もつだつた。)出来るだけ足を早めて行つた。
すると突然聞えたのは誰かのピアノを打つた音だつた。いや、「打つた」と言ふよりも寧ろ触つた音だつた。わたしは思はず足をゆるめ、荒涼としたあたりを眺めまはした。ピアノは丁度月の光に細長い鍵盤を仄めかせてゐた、あの藜の中にあるピアノは。――しかし人かげはどこにもなかつた。
それはたつた一音だつた。が、ピアノには違ひなかつた。わたしは多少無気味になり、もう一度足を早めようとした。その時わたしの後ろにしたピアノは確かに又かすかに音を出した。わたしは勿論振りかへらずにさつさと足を早めつゞけた、湿気を孕んだ一陣の風のわたしを送るのを感じながら。……
わたしはこのピアノの音に超自然の解釈を加へるには余りにリアリストに違ひなかつた。成程人かげは見えなかつたにしろ、あの崩れた壁のあたりに猫でも潜んでゐたかも知れない。若し猫ではなかつたとすれば、――わたしはまだその外にも鼬だの蟇がへるだのを数へてゐた。けれども兎に角人手を借らずにピアノの鳴つたのは不思議だつた。
五日ばかりたつた後、わたしは同じ用件の為に同じ山手を通りかゝつた。ピアノは不相変ひつそりと藜の中に蹲つてゐた。桃色、水色、薄黄色などの譜本の散乱してゐることもやはりこの前に変らなかつた。只けふはそれ等は勿論、崩れ落ちた煉瓦やスレヱトも秋晴れの日の光にかがやいてゐた。
わたしは譜本を踏まぬやうにピアノの前へ歩み寄つた。ピアノは今目のあたりに見れば、鍵盤の象牙も光沢を失ひ、蓋の漆も剥落してゐた。殊に脚には海老かづらに似た一すぢの蔓草もからみついてゐた。わたしはこのピアノを前に何か失望に近いものを感じた。
「第一これでも鳴るのかしら。」
わたしはかう独り語を言つた。するとピアノはその拍子に忽ちかすかに音を発した。それは殆どわたしの疑惑を叱つたかと思ふ位だつた。しかしわたしは驚かなかつた。のみならず微笑の浮んだのを感じた。ピアノは今も日の光に白じらと鍵盤をひろげてゐた。が、そこにはいつの間にか落ち栗が一つ転がつてゐた。
わたしは往来へ引き返した後、もう一度この廃墟をふり返つた。やつと気のついた栗の木はスレヱトの屋根に押されたまま、斜めにピアノを蔽つてゐた。けれどもそれはどちらでも好かつた。わたしは只藜の中の弓なりのピアノに目を注いだ。あの去年の震災以来、誰も知らぬ音を保つてゐたピアノに。
寺の裏山の栗の木の実の落ちる音が大きく聞こえたのは、周りが静かだったからかもしれません。
今では街で、栗の木を見かけることはほとんどありませんし、たとえあったとしても、その実の落ちる音は街のさまざまな音に紛れて聞こえないかもしれません。
そろそろ栗の実の落ちる季節になりました。
“実”が落ちると言っても正確には“毬〔いが〕”ごと落ちるのですが…。
以前、ちょうど秋のお彼岸の頃に知り合いの寺に泊まったとき、夜、バサッという大きな音が何回もするのに驚き、翌朝、尋ねると、それは栗の実の落ちる音だと教えられたことがあります。確かに寺の裏の山には大きな栗の木が生えていて、その下にはたくさん栗の実が落ちていました。
今日は、そんな栗の実が印象的な芥川龍之介の短編『ピアノ』を紹介します。
『ピアノ』(芥川龍之介)
或雨のふる秋の日、わたしは或人を訪ねる為に横浜の山手を歩いて行つた。この辺の荒廃は震災当時と殆ど変つてゐなかつた。若し少しでも変つてゐるとすれば、それは一面にスレヱトの屋根や煉瓦の壁の落ち重なつた中に藜の伸びてゐるだけだつた。現に或家の崩れた跡には蓋をあけた弓なりのピアノさへ、半ば壁にひしがれたまゝ、つややかに鍵盤を濡らしてゐた。のみならず大小さまざまの譜本もかすかに色づいた藜の中に桃色、水色、薄黄色などの横文字の表紙を濡らしてゐた。
わたしはわたしの訪ねた人と或こみ入つた用件を話した。話は容易に片づかなかつた。わたしはとうとう夜に入つた後、やつとその人の家を辞することにした。それも近近にもう一度面談を約した上のことだつた。
雨は幸ひにも上つてゐた。おまけに月も風立つた空に時々光を洩らしてゐた。わたしは汽車に乗り遅れぬ為に(煙草の吸はれぬ省線電車は勿論わたしには禁もつだつた。)出来るだけ足を早めて行つた。
すると突然聞えたのは誰かのピアノを打つた音だつた。いや、「打つた」と言ふよりも寧ろ触つた音だつた。わたしは思はず足をゆるめ、荒涼としたあたりを眺めまはした。ピアノは丁度月の光に細長い鍵盤を仄めかせてゐた、あの藜の中にあるピアノは。――しかし人かげはどこにもなかつた。
それはたつた一音だつた。が、ピアノには違ひなかつた。わたしは多少無気味になり、もう一度足を早めようとした。その時わたしの後ろにしたピアノは確かに又かすかに音を出した。わたしは勿論振りかへらずにさつさと足を早めつゞけた、湿気を孕んだ一陣の風のわたしを送るのを感じながら。……
わたしはこのピアノの音に超自然の解釈を加へるには余りにリアリストに違ひなかつた。成程人かげは見えなかつたにしろ、あの崩れた壁のあたりに猫でも潜んでゐたかも知れない。若し猫ではなかつたとすれば、――わたしはまだその外にも鼬だの蟇がへるだのを数へてゐた。けれども兎に角人手を借らずにピアノの鳴つたのは不思議だつた。
五日ばかりたつた後、わたしは同じ用件の為に同じ山手を通りかゝつた。ピアノは不相変ひつそりと藜の中に蹲つてゐた。桃色、水色、薄黄色などの譜本の散乱してゐることもやはりこの前に変らなかつた。只けふはそれ等は勿論、崩れ落ちた煉瓦やスレヱトも秋晴れの日の光にかがやいてゐた。
わたしは譜本を踏まぬやうにピアノの前へ歩み寄つた。ピアノは今目のあたりに見れば、鍵盤の象牙も光沢を失ひ、蓋の漆も剥落してゐた。殊に脚には海老かづらに似た一すぢの蔓草もからみついてゐた。わたしはこのピアノを前に何か失望に近いものを感じた。
「第一これでも鳴るのかしら。」
わたしはかう独り語を言つた。するとピアノはその拍子に忽ちかすかに音を発した。それは殆どわたしの疑惑を叱つたかと思ふ位だつた。しかしわたしは驚かなかつた。のみならず微笑の浮んだのを感じた。ピアノは今も日の光に白じらと鍵盤をひろげてゐた。が、そこにはいつの間にか落ち栗が一つ転がつてゐた。
わたしは往来へ引き返した後、もう一度この廃墟をふり返つた。やつと気のついた栗の木はスレヱトの屋根に押されたまま、斜めにピアノを蔽つてゐた。けれどもそれはどちらでも好かつた。わたしは只藜の中の弓なりのピアノに目を注いだ。あの去年の震災以来、誰も知らぬ音を保つてゐたピアノに。
寺の裏山の栗の木の実の落ちる音が大きく聞こえたのは、周りが静かだったからかもしれません。
今では街で、栗の木を見かけることはほとんどありませんし、たとえあったとしても、その実の落ちる音は街のさまざまな音に紛れて聞こえないかもしれません。
2010/09/26 16:39:53
インドゴムノキの鉢植えを植え替えました。
昨年、挿し木したインドゴムノキが大分大きくなったので、一回り大きな鉢に植え替えました。

インドゴムノキは、日本では古くから観葉植物として人気があり、昭和初期には家庭でも育てられていたようです。
芥川龍之介の『或阿呆の一生』では、喫茶店にゴムの木の鉢植えがありますし、中島敦の『かめれおん日記』では主人公の部屋にあります。
『或阿呆の一生』(芥川龍之介)
五 我
彼は彼の先輩と一しよに或カツフエの卓子に向ひ、絶えず巻煙草をふかしてゐた。彼は余り口をきかなかつた。が、彼の先輩の言葉には熱心に耳を傾けてゐた。
「けふは半日自動車に乗つてゐた。」
「何か用があつたのですか?」
彼の先輩は頬杖をしたまま、極めて無造作に返事をした。
「何、唯乗つてゐたかつたから。」
その言葉は彼の知らない世界へ、――神々に近い「我」の世界へ彼自身を解放した。彼は何か痛みを感じた。が、同時に又歓びも感じた。
そのカツフエは極小さかつた。しかしパンの神の額の下には赭い鉢に植ゑたゴムの樹が一本、肉の厚い葉をだらりと垂らしてゐた。
『かめれおん日記』(中島敦)
一
博物教室から職員室へ引揚げて來る時、途中の廊下で背後から「先生」と呼びとめられた。
振返ると、生徒の一人――顏は確かに知つてゐるが、名前が咄嗟には浮かんで來ない――が私の前に來て、何かよく聞きとれないことを言ひながら、五寸角位の・蓋の無い・菓子箱樣のものを差出した。箱の中には綿が敷かれ、其の上に青黒い蜥蜴のやうな妙な形のものが載つてゐる。
「何? え? カメレオン? え? カメレオンぢやないか。生きてるの?」
〔中略〕
其の夜、私は部屋の小型ストーヴに何時もより多量の石炭を入れた。此の間死んだ鸚鵡の丸籠を下して、その中に綿を敷き、そこへカメレオンを入れた。水を飮むものかどうか知らないが、兎に角、鳥の水入も中に置いてやつた。
滑稽なことに、私は少からず悦ばされ、興奮させられてゐた。寒さなどのためにやがては死なせねばなるまいとの考へだけが私を暗くした。どうせ永く持たないのなら、學校で飼はないで、自分の處へ置き度いと思つた。動物園へ寄贈すれば、とも思つたが、何かしら手離すのが惜しい。まるで私個人が貰つたものであるかのやうに、私は感じてゐるのであつた。
久しく私の中に眠つてゐたエグゾティスムが、この珍奇な小動物の思ひがけない出現と共に、再び目覺めて來た。曾て小笠原に遊んだ時の海の色。熱帶樹の厚い葉の艶。油ぎつた眩しい空。原色的な鮮麗な色彩と、燃上る光と熱。珍奇な異國的なものへの若々しい感興が急に溌剌と動き出した。外はみぞれもよひの空だといふのに、私は久しぶりで胸の膨れる思ひであつた。
ストーヴの近くに籠を置き、室の隅にあつたゴムの木と谷渡りの鉢をその傍に竝べた。私は籠の入口をあけておいた。どうせ部屋から出る心配はなし、時には木にとまり度くもならうかと思つたからである。
二
朝起きて見ると、カメレオンはゴムの木などには止らずに、机の下に滑り落ちた書物の上に乘つて、小さな眼孔から此方を見てゐた。思つたより元氣らしい。もつとも昨夕はかなり部屋を暖めたので、乾きすぎたせゐか、私の方が少々咽喉を痛めた。カメレオンの乘つてゐた書物はショペンハウエルのパレルガ・ウント・パラリポメナ。
〔以下、略〕
昨年、挿し木したインドゴムノキが大分大きくなったので、一回り大きな鉢に植え替えました。

インドゴムノキは、日本では古くから観葉植物として人気があり、昭和初期には家庭でも育てられていたようです。
芥川龍之介の『或阿呆の一生』では、喫茶店にゴムの木の鉢植えがありますし、中島敦の『かめれおん日記』では主人公の部屋にあります。
『或阿呆の一生』(芥川龍之介)
五 我
彼は彼の先輩と一しよに或カツフエの卓子に向ひ、絶えず巻煙草をふかしてゐた。彼は余り口をきかなかつた。が、彼の先輩の言葉には熱心に耳を傾けてゐた。
「けふは半日自動車に乗つてゐた。」
「何か用があつたのですか?」
彼の先輩は頬杖をしたまま、極めて無造作に返事をした。
「何、唯乗つてゐたかつたから。」
その言葉は彼の知らない世界へ、――神々に近い「我」の世界へ彼自身を解放した。彼は何か痛みを感じた。が、同時に又歓びも感じた。
そのカツフエは極小さかつた。しかしパンの神の額の下には赭い鉢に植ゑたゴムの樹が一本、肉の厚い葉をだらりと垂らしてゐた。
『かめれおん日記』(中島敦)
一
博物教室から職員室へ引揚げて來る時、途中の廊下で背後から「先生」と呼びとめられた。
振返ると、生徒の一人――顏は確かに知つてゐるが、名前が咄嗟には浮かんで來ない――が私の前に來て、何かよく聞きとれないことを言ひながら、五寸角位の・蓋の無い・菓子箱樣のものを差出した。箱の中には綿が敷かれ、其の上に青黒い蜥蜴のやうな妙な形のものが載つてゐる。
「何? え? カメレオン? え? カメレオンぢやないか。生きてるの?」
〔中略〕
其の夜、私は部屋の小型ストーヴに何時もより多量の石炭を入れた。此の間死んだ鸚鵡の丸籠を下して、その中に綿を敷き、そこへカメレオンを入れた。水を飮むものかどうか知らないが、兎に角、鳥の水入も中に置いてやつた。
滑稽なことに、私は少からず悦ばされ、興奮させられてゐた。寒さなどのためにやがては死なせねばなるまいとの考へだけが私を暗くした。どうせ永く持たないのなら、學校で飼はないで、自分の處へ置き度いと思つた。動物園へ寄贈すれば、とも思つたが、何かしら手離すのが惜しい。まるで私個人が貰つたものであるかのやうに、私は感じてゐるのであつた。
久しく私の中に眠つてゐたエグゾティスムが、この珍奇な小動物の思ひがけない出現と共に、再び目覺めて來た。曾て小笠原に遊んだ時の海の色。熱帶樹の厚い葉の艶。油ぎつた眩しい空。原色的な鮮麗な色彩と、燃上る光と熱。珍奇な異國的なものへの若々しい感興が急に溌剌と動き出した。外はみぞれもよひの空だといふのに、私は久しぶりで胸の膨れる思ひであつた。
ストーヴの近くに籠を置き、室の隅にあつたゴムの木と谷渡りの鉢をその傍に竝べた。私は籠の入口をあけておいた。どうせ部屋から出る心配はなし、時には木にとまり度くもならうかと思つたからである。
二
朝起きて見ると、カメレオンはゴムの木などには止らずに、机の下に滑り落ちた書物の上に乘つて、小さな眼孔から此方を見てゐた。思つたより元氣らしい。もつとも昨夕はかなり部屋を暖めたので、乾きすぎたせゐか、私の方が少々咽喉を痛めた。カメレオンの乘つてゐた書物はショペンハウエルのパレルガ・ウント・パラリポメナ。
〔以下、略〕
2010/09/25 21:27:28
パステルアート合同作品展に行きました。
名古屋市市政資料館・3階の第1一般展示室と第2一般展示室で開催中の「パステルアート合同作品展~The free world 自由な世界~」〔2010年9月23日(木・祝日)~26日(日)〕に行きました。
※パステルアート合同作品展の公式サイト:http://artfreeworld.web.wox.cc/
この展覧会は、愛知・岐阜・三重県のいくつかのパステルアートの教室やパステルアートの活動を通して繋がった仲間たちや子どもたち、総勢約90名の200作品を展示するものとのことです。

[第1一般展示室]

[第2一般展示室]
この展覧会は、古い友人から案内状をいただき、見に行ったものです。

友人の作品は、この案内状のパステル画だけでなく、ガラス絵やランプも展示されていました。
透明感の感じられる作品でした。
会場の名古屋市市政資料館は、大正11(1922)年に旧名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎として建設された煉瓦造・鉄筋コンクリート造3階建の建物で、昭和59(1984)年に大正期の建築としては初めて重要文化財に指定されました。

会場を出ると、赤い煉瓦と白い花崗岩の名古屋市市政資料館の建物が秋の澄み切った青空に映えていました。
名古屋市市政資料館・3階の第1一般展示室と第2一般展示室で開催中の「パステルアート合同作品展~The free world 自由な世界~」〔2010年9月23日(木・祝日)~26日(日)〕に行きました。
※パステルアート合同作品展の公式サイト:http://artfreeworld.web.wox.cc/
この展覧会は、愛知・岐阜・三重県のいくつかのパステルアートの教室やパステルアートの活動を通して繋がった仲間たちや子どもたち、総勢約90名の200作品を展示するものとのことです。

[第1一般展示室]

[第2一般展示室]
この展覧会は、古い友人から案内状をいただき、見に行ったものです。

友人の作品は、この案内状のパステル画だけでなく、ガラス絵やランプも展示されていました。
透明感の感じられる作品でした。
会場の名古屋市市政資料館は、大正11(1922)年に旧名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎として建設された煉瓦造・鉄筋コンクリート造3階建の建物で、昭和59(1984)年に大正期の建築としては初めて重要文化財に指定されました。

会場を出ると、赤い煉瓦と白い花崗岩の名古屋市市政資料館の建物が秋の澄み切った青空に映えていました。
2010/09/24 20:51:36
パラミタミュージアムには入場無料のギャラリーもありました。
日曜日に訪れた(2010年9月19日の日記参照)パラミタミュージアム(三重県三重郡菰野町)の1階小ギャラリーでは、「水谷護 手づくり水石鉢展」〔2010年9月17日(金)~10月5日(火)〕(入場無料)が開催中でした。
※パラミタミュージアムの公式サイト:http://www.paramitamuseum.com/

[2010年9月19日(日)撮影]
この展示には、“すべてがエコで山野草にピッタリ!”という副題がつけられていました。
水谷護さんという方が独自開発した“水石鉢”という自然素材の鉢に植えられた100点近い山野草の寄せ植えが展示されていました。
大文字草、梅鉢草、野紺菊などの初秋に花が咲く山野草が多く、秋の訪れを感じることができました。
また、パラミタミュージアムの1階の第1室、第2室、第3室の常設展示、池田満寿夫の「般若心経シリーズ」を1年ぶりに鑑賞しました(2009年9月24日の日記参照)。
1階廊下のギャラリーでは、文化功労者で文化勲章受章者の中村晋也氏の『釈迦十大弟子』と『ミゼレーレ』にも1年ぶりに再会しました(2009年9月25日の日記参照)。

[『ミゼレーレ』:2010年9月19日(日)撮影]
いずれも1年前より館内が空いていたので、ゆっくりと鑑賞することができ、贅沢な時間を過ごすことができました。
日曜日に訪れた(2010年9月19日の日記参照)パラミタミュージアム(三重県三重郡菰野町)の1階小ギャラリーでは、「水谷護 手づくり水石鉢展」〔2010年9月17日(金)~10月5日(火)〕(入場無料)が開催中でした。
※パラミタミュージアムの公式サイト:http://www.paramitamuseum.com/

[2010年9月19日(日)撮影]
この展示には、“すべてがエコで山野草にピッタリ!”という副題がつけられていました。
水谷護さんという方が独自開発した“水石鉢”という自然素材の鉢に植えられた100点近い山野草の寄せ植えが展示されていました。
大文字草、梅鉢草、野紺菊などの初秋に花が咲く山野草が多く、秋の訪れを感じることができました。
また、パラミタミュージアムの1階の第1室、第2室、第3室の常設展示、池田満寿夫の「般若心経シリーズ」を1年ぶりに鑑賞しました(2009年9月24日の日記参照)。
1階廊下のギャラリーでは、文化功労者で文化勲章受章者の中村晋也氏の『釈迦十大弟子』と『ミゼレーレ』にも1年ぶりに再会しました(2009年9月25日の日記参照)。

[『ミゼレーレ』:2010年9月19日(日)撮影]
いずれも1年前より館内が空いていたので、ゆっくりと鑑賞することができ、贅沢な時間を過ごすことができました。
2010/09/22 20:17:21
パラミタガーデンは初秋の趣きでした。
日曜日に訪れた(2010年9月19日の日記参照)、
パラミタミュージアムには、パラミタガーデンという回遊式庭園があります。
※パラミタミュージアム公式サイト:http://www.paramitamuseum.com/
ほぼ1年前に訪れたとき(2009年9月22日の日記参照)には、既にヒガンバナが咲いていましたが、今年はまだ残暑が厳しいせいか咲き始めていませんでした。
しかし、萩の花は咲き始めていましたし、クサアジサイの花は満開が近づいていました。

[ハギ:2010年9月19日(日)撮影]

[クサアジサイ:2010年9月19日(日)撮影]
パラミタガーデン内には、草や木の中に彫刻作品も点在しています。

[『貌』(山口さとこ):2010年9月19日(日)撮影]
まだ、夏の名残が色濃く残る庭園内で、サワギキョウの花だけは、昨年訪れたときと同じ程度に咲き始めていました。

[サワギキョウ:2010年9月19日(日)撮影]
庭をゆっくりと歩いていると、そよぐ風に秋の到来が感じられました。
日曜日に訪れた(2010年9月19日の日記参照)、
パラミタミュージアムには、パラミタガーデンという回遊式庭園があります。
※パラミタミュージアム公式サイト:http://www.paramitamuseum.com/
ほぼ1年前に訪れたとき(2009年9月22日の日記参照)には、既にヒガンバナが咲いていましたが、今年はまだ残暑が厳しいせいか咲き始めていませんでした。
しかし、萩の花は咲き始めていましたし、クサアジサイの花は満開が近づいていました。

[ハギ:2010年9月19日(日)撮影]

[クサアジサイ:2010年9月19日(日)撮影]
パラミタガーデン内には、草や木の中に彫刻作品も点在しています。

[『貌』(山口さとこ):2010年9月19日(日)撮影]
まだ、夏の名残が色濃く残る庭園内で、サワギキョウの花だけは、昨年訪れたときと同じ程度に咲き始めていました。

[サワギキョウ:2010年9月19日(日)撮影]
庭をゆっくりと歩いていると、そよぐ風に秋の到来が感じられました。
2010/09/21 20:48:58
パラミタミュージアムでは、常設展示も見学しました。
一昨日訪れた(2010年9月19日の日記参照)パラミタミュージアム(三重県三重郡菰野町)では、常設展示「小嶋三郎一の絵画」も開催中でした。
※パラミタミュージアムの公式サイト:http://www.paramitamuseum.com/

[2010年9月19日(日)撮影]
小嶋三郎一〔1907~1997年〕は、三重県生まれの画家だそうです。
このパラミタミュージアムは、もともと小嶋三郎一の妻・小嶋千鶴子さんが私費で建設したものだそうで、美術館を造った理由の一つが亡き夫の作品を展示する場の創設だったとのことです。
そうした経緯から、パラミタミュージアムは、小嶋三郎一の作品を大量に所蔵しています。
この常設展示は、そうしたパラミタミュージアム所蔵の小嶋三郎一の作品を季節に合わせて展示替して展示しているそうです。
1階の第6室を使って展示されていました。
今回の展示は、果物の静物の絵が中心でした。
中でもサクランボを描いた絵がたくさん展示されていました。

[2010年9月19日(日)撮影]
写真の手前に見えているのは、生前の小嶋三郎一の希望で置かれているという山口牧生の石彫『くむかたち』です。
私のお気に入りは、この『さくらんぼ』です。
サクランボの入ったグラスの透明感が見事でした。

[『さくらんぼ』:2010年9月19日(日)撮影]
また、花を描いた作品も何点か展示されており、花を持つ女性と彼岸花の赤の質感がすばらしい『まんじゅしゃげ』と、まるで写真のような緻密な写実性に驚かされた『蓮』が印象に残りました。

[『まんじゅしゃげ』:2010年9月19日(日)撮影]
※『蓮』:http://www.paramitamuseum.com/images/collect/kojima_p02s.jpg(パラミタミュージアムのサイトから)
絵を見ながら、心が徐々に静かな気持ちになっていくのがわかる心地よい展覧会でした。
一昨日訪れた(2010年9月19日の日記参照)パラミタミュージアム(三重県三重郡菰野町)では、常設展示「小嶋三郎一の絵画」も開催中でした。
※パラミタミュージアムの公式サイト:http://www.paramitamuseum.com/

[2010年9月19日(日)撮影]
小嶋三郎一〔1907~1997年〕は、三重県生まれの画家だそうです。
このパラミタミュージアムは、もともと小嶋三郎一の妻・小嶋千鶴子さんが私費で建設したものだそうで、美術館を造った理由の一つが亡き夫の作品を展示する場の創設だったとのことです。
そうした経緯から、パラミタミュージアムは、小嶋三郎一の作品を大量に所蔵しています。
この常設展示は、そうしたパラミタミュージアム所蔵の小嶋三郎一の作品を季節に合わせて展示替して展示しているそうです。
1階の第6室を使って展示されていました。
今回の展示は、果物の静物の絵が中心でした。
中でもサクランボを描いた絵がたくさん展示されていました。

[2010年9月19日(日)撮影]
写真の手前に見えているのは、生前の小嶋三郎一の希望で置かれているという山口牧生の石彫『くむかたち』です。
私のお気に入りは、この『さくらんぼ』です。
サクランボの入ったグラスの透明感が見事でした。

[『さくらんぼ』:2010年9月19日(日)撮影]
また、花を描いた作品も何点か展示されており、花を持つ女性と彼岸花の赤の質感がすばらしい『まんじゅしゃげ』と、まるで写真のような緻密な写実性に驚かされた『蓮』が印象に残りました。

[『まんじゅしゃげ』:2010年9月19日(日)撮影]
※『蓮』:http://www.paramitamuseum.com/images/collect/kojima_p02s.jpg(パラミタミュージアムのサイトから)
絵を見ながら、心が徐々に静かな気持ちになっていくのがわかる心地よい展覧会でした。
2010/09/20 21:31:10
パラミタミュージアムでは辻輝子展も開催中でした。
昨日訪れた(2010年9月19日の日記参照)パラミタミュージアム(三重県三重郡菰野町)では、「辻輝子展 動植物図鑑」〔2010年8月1日(日)~10月31日(日)〕が開催されていました。
※パラミタミュージアムの公式サイト:http://www.paramitamuseum.com/
この展覧会は、パラミタミュージアム所蔵の辻輝子コレクションの中から、動植物模様の作品を中心に展示し、取り上げている動植物についての解説も合わせて展示するものとのことです。

[2010年9月19日(日)撮影]
2階のギャラリーと第4室を使って展示されていました。
展示室を入ってすぐのところに、大壺が数点並べて展示してありました。
パンフレットやポスターにも使われている『やつで紋』もすばらしかったですが、私はその隣の『枯れ薄』が印象に残りました。
普通、壺のデザインとして枯れ薄を題材には選ばないと思いましたので、作者の着想に驚きました。
※『やつで紋』:http://www.paramitamuseum.com/images/plan/2010_06/tuji_03B.jpg(パラミタミュージアムのサイトから)
また、鉢『桜』の華やかさ、5枚組みの皿『柳絵皿』のユニークなデザインも目を引きました。
斬新なデザインといえば、蔓をそのまま縁取りにした鉢『さるとりいばら』も印象に残りました。
花瓶では、『辰砂釉』の赤い色は見ていると吸い込まれそうなほど美しかったですし、『枇杷』は枇杷の実の部分のみに釉薬がかかって光沢があり、枇杷の実のみずみずしさが巧みに表現されていました。
昆虫を非常に緻密にデザインしたものが多かった香合では、クマゼミをデザインした『せみ』の図鑑のような写実性に驚きました。
陶器以外では、飾り箱『かまきり』のカマキリを正面から捉えたデザインや、茶箱『寒桜』の美しさが目を引きました。
また、日本画も展示されており、まさに開こうとするコブシの蕾を描いた『こぶし』や、ツワブキの花の黄色が鮮やかな『つわぶき』が印象に残りました。
ギャラリーの展示では、大壺『蝶紋』が印象に残りました。
合わせて展示してあった日本画『もんしろ蝶と孔雀蝶』とともに、蝶の華やかさと儚さが伝わる作品でした。
また、日本画『くわい』では、慈姑の水色がなぜか記憶に残りました。
繊細な絵付けからダイナミックな盛り上げ技法まで変化に富む作者のさまざま技法が満喫できる展覧会でした。
パラミタミュージアムは、350点に及ぶ辻輝子コレクション所蔵しているとのことで、2005年にも「辻輝子展 彩陶の美」を開催したそうです。
ミュージアムショップで、そのときの展示作品カタログが3冊セットで300円で販売されていました(1冊ごとでは1冊200円でした)。

今回の展覧会と出品作が、かなり重なっているようなので購入しました(特に“1”はほとんど重なっていました)。
300円はお買い得だと思いますので、もしこれから行かれる方は買われるといいと思います(別にミュージアムショップの回し者ではありませんが…)。
昨日訪れた(2010年9月19日の日記参照)パラミタミュージアム(三重県三重郡菰野町)では、「辻輝子展 動植物図鑑」〔2010年8月1日(日)~10月31日(日)〕が開催されていました。
※パラミタミュージアムの公式サイト:http://www.paramitamuseum.com/
この展覧会は、パラミタミュージアム所蔵の辻輝子コレクションの中から、動植物模様の作品を中心に展示し、取り上げている動植物についての解説も合わせて展示するものとのことです。

[2010年9月19日(日)撮影]
2階のギャラリーと第4室を使って展示されていました。
展示室を入ってすぐのところに、大壺が数点並べて展示してありました。
パンフレットやポスターにも使われている『やつで紋』もすばらしかったですが、私はその隣の『枯れ薄』が印象に残りました。
普通、壺のデザインとして枯れ薄を題材には選ばないと思いましたので、作者の着想に驚きました。
※『やつで紋』:http://www.paramitamuseum.com/images/plan/2010_06/tuji_03B.jpg(パラミタミュージアムのサイトから)
また、鉢『桜』の華やかさ、5枚組みの皿『柳絵皿』のユニークなデザインも目を引きました。
斬新なデザインといえば、蔓をそのまま縁取りにした鉢『さるとりいばら』も印象に残りました。
花瓶では、『辰砂釉』の赤い色は見ていると吸い込まれそうなほど美しかったですし、『枇杷』は枇杷の実の部分のみに釉薬がかかって光沢があり、枇杷の実のみずみずしさが巧みに表現されていました。
昆虫を非常に緻密にデザインしたものが多かった香合では、クマゼミをデザインした『せみ』の図鑑のような写実性に驚きました。
陶器以外では、飾り箱『かまきり』のカマキリを正面から捉えたデザインや、茶箱『寒桜』の美しさが目を引きました。
また、日本画も展示されており、まさに開こうとするコブシの蕾を描いた『こぶし』や、ツワブキの花の黄色が鮮やかな『つわぶき』が印象に残りました。
ギャラリーの展示では、大壺『蝶紋』が印象に残りました。
合わせて展示してあった日本画『もんしろ蝶と孔雀蝶』とともに、蝶の華やかさと儚さが伝わる作品でした。
また、日本画『くわい』では、慈姑の水色がなぜか記憶に残りました。
繊細な絵付けからダイナミックな盛り上げ技法まで変化に富む作者のさまざま技法が満喫できる展覧会でした。
パラミタミュージアムは、350点に及ぶ辻輝子コレクション所蔵しているとのことで、2005年にも「辻輝子展 彩陶の美」を開催したそうです。
ミュージアムショップで、そのときの展示作品カタログが3冊セットで300円で販売されていました(1冊ごとでは1冊200円でした)。

今回の展覧会と出品作が、かなり重なっているようなので購入しました(特に“1”はほとんど重なっていました)。
300円はお買い得だと思いますので、もしこれから行かれる方は買われるといいと思います(別にミュージアムショップの回し者ではありませんが…)。
2010/09/19 22:14:11
パラミタミュージアムに行きました。
パラミタミュージアム(三重県三重郡菰野町)では、「新収蔵記念 棟方志功・未発表肉筆画展」〔2010年9月2日(木)~10月31日(日)〕が開催されていました。
※パラミタミュージアムの公式サイト:http://www.paramitamuseum.com/
この展覧会は、今回初公開となる京都の山口邸に残されていた肉筆装飾画を建物の資料とともに展示するものだそうです。
また、パラミタミュージアム所蔵の『二菩薩釈迦十大弟子図』と新収蔵の改刻前『二菩薩図』の同時展示も見どころの一つとのことです。

2階のギャラリーと第5室を使って展示されていました。
展示室を入ると、山口邸の一部が再現されており、襖絵がもとの位置で展示されていました。
ここでは、襖絵『樹林』の色遣いに圧倒されました。
また、その内の一組は、裏側の板戸墨書も見ることができるように展示されていました。
棟方は、襖の裏側の板戸にも墨で文字や絵を描いているので、今回、裏側も見ることのできるように展示が工夫されていたのがうれしかったです。
この再現された部屋の床の間には、掛軸『阿修羅の柵』と削刀飾鉢『月薄図』が展示されており、なかなか凝った展示となっていました。
展示室の中央には襖絵『玫瑰〔はまなす〕図』があり、その色の鮮やかさは目を引きました。
また、この作品も、裏側に回ると板戸墨書『いろは歌』が見えるように展示されていました。
※『玫瑰図』:http://www.paramitamuseum.com/images/plan/2010_08/munakata_p03.jpg(パラミタミュージアムのサイトから)
そして、この展覧会の目玉の一つ、『二菩薩釈迦十大弟子図』と改刻前『二菩薩図』が展示室の奥に並んで展示されていました。
『二菩薩釈迦十大弟子図』の内、「二菩薩図」は、昭和20年の東京大空襲で版木が焼失してしまったため、棟方が戦後、改刻したそうですが、やはり、改刻前のものの方が「釈迦十大弟子図」と雰囲気が似ていました。
改刻後の「二菩薩図」は全体に柔らかな感じで、別の作品のようでした。
この改刻後の作品が、昭和30年にサンパウロ・ビエンナーレに出品して大賞に輝き、“世界のムナカタ”としての地位を築くことになったきかけの作品だそうです。
※『二菩薩釈迦十大弟子図』の内、「二菩薩図」(改刻後):http://www.paramitamuseum.com/images/plan/2010_08/munakata_p01.jpg(パラミタミュージアムのサイトから)
※『二菩薩図』(改刻前):http://www.paramitamuseum.com/images/plan/2010_08/munakata_p02.jpg(パラミタミュージアムのサイトから)
また、二曲半双屏風『湧然する女者達々』は、左隻では女性の頭が下に、右隻では女性の頭が上になっている構図ですが、右隻の方が棟方らしさが感じられました。
私のお気に入りは、襖絵『丸紋・書』です。目に鮮やかな美しい色が記憶に残りました。
ギャラリーの展示では、衝立『牡丹図・御鷹図』が圧巻です。
特に「牡丹図」の面の原色に近い色遣いには引き込まれるような魅力がありました。
また、掛軸『竹図』も印象に残りました。伝統的な水墨画で、棟方にもこういう絵があるのだと驚きました。
さらに、油絵も3点(『アメリカの魚』、『秋の風光図』、『自画像』)、展示されていました。
少年のときに“ゴッホになる”と芸術家を目指しただけあり、ゴッホを思わせる画風の油絵でした。
パラミタミュージアムを訪れるのは、ほぼ1年ぶり(2009年9月21日の日記参照)でしたが、昨年の「世界遺産アンコールワット展」のときに比べると格段に空いていましたので、ゆっくりと見学することができました。
パラミタミュージアム(三重県三重郡菰野町)では、「新収蔵記念 棟方志功・未発表肉筆画展」〔2010年9月2日(木)~10月31日(日)〕が開催されていました。
※パラミタミュージアムの公式サイト:http://www.paramitamuseum.com/
この展覧会は、今回初公開となる京都の山口邸に残されていた肉筆装飾画を建物の資料とともに展示するものだそうです。
また、パラミタミュージアム所蔵の『二菩薩釈迦十大弟子図』と新収蔵の改刻前『二菩薩図』の同時展示も見どころの一つとのことです。

2階のギャラリーと第5室を使って展示されていました。
展示室を入ると、山口邸の一部が再現されており、襖絵がもとの位置で展示されていました。
ここでは、襖絵『樹林』の色遣いに圧倒されました。
また、その内の一組は、裏側の板戸墨書も見ることができるように展示されていました。
棟方は、襖の裏側の板戸にも墨で文字や絵を描いているので、今回、裏側も見ることのできるように展示が工夫されていたのがうれしかったです。
この再現された部屋の床の間には、掛軸『阿修羅の柵』と削刀飾鉢『月薄図』が展示されており、なかなか凝った展示となっていました。
展示室の中央には襖絵『玫瑰〔はまなす〕図』があり、その色の鮮やかさは目を引きました。
また、この作品も、裏側に回ると板戸墨書『いろは歌』が見えるように展示されていました。
※『玫瑰図』:http://www.paramitamuseum.com/images/plan/2010_08/munakata_p03.jpg(パラミタミュージアムのサイトから)
そして、この展覧会の目玉の一つ、『二菩薩釈迦十大弟子図』と改刻前『二菩薩図』が展示室の奥に並んで展示されていました。
『二菩薩釈迦十大弟子図』の内、「二菩薩図」は、昭和20年の東京大空襲で版木が焼失してしまったため、棟方が戦後、改刻したそうですが、やはり、改刻前のものの方が「釈迦十大弟子図」と雰囲気が似ていました。
改刻後の「二菩薩図」は全体に柔らかな感じで、別の作品のようでした。
この改刻後の作品が、昭和30年にサンパウロ・ビエンナーレに出品して大賞に輝き、“世界のムナカタ”としての地位を築くことになったきかけの作品だそうです。
※『二菩薩釈迦十大弟子図』の内、「二菩薩図」(改刻後):http://www.paramitamuseum.com/images/plan/2010_08/munakata_p01.jpg(パラミタミュージアムのサイトから)
※『二菩薩図』(改刻前):http://www.paramitamuseum.com/images/plan/2010_08/munakata_p02.jpg(パラミタミュージアムのサイトから)
また、二曲半双屏風『湧然する女者達々』は、左隻では女性の頭が下に、右隻では女性の頭が上になっている構図ですが、右隻の方が棟方らしさが感じられました。
私のお気に入りは、襖絵『丸紋・書』です。目に鮮やかな美しい色が記憶に残りました。
ギャラリーの展示では、衝立『牡丹図・御鷹図』が圧巻です。
特に「牡丹図」の面の原色に近い色遣いには引き込まれるような魅力がありました。
また、掛軸『竹図』も印象に残りました。伝統的な水墨画で、棟方にもこういう絵があるのだと驚きました。
さらに、油絵も3点(『アメリカの魚』、『秋の風光図』、『自画像』)、展示されていました。
少年のときに“ゴッホになる”と芸術家を目指しただけあり、ゴッホを思わせる画風の油絵でした。
パラミタミュージアムを訪れるのは、ほぼ1年ぶり(2009年9月21日の日記参照)でしたが、昨年の「世界遺産アンコールワット展」のときに比べると格段に空いていましたので、ゆっくりと見学することができました。