2010/02/28 22:37:11
「手漉き和紙-ペーパーワーク・4つの道-」展に行きました。
ノリタケの森ギャラリーで今日まで開催されていた、切り絵作家の今井眸さんの展覧会「手漉き和紙-ペーパーワーク・4つの道-」に行きました。
※ノリタケの森ギャラリーの「手漉き和紙-ペーパーワーク・4つの道-」のページ:http://www.noritake.co.jp/mori/culture/gallery/0207.html

今回は“雄”シリーズとのことで、山がテーマの作品でした。

一緒に展覧会を開催されていた安藤眞人さん、松野外志子さん、杉森亮子さんの作品も、和紙の特性を活かした素敵な作品でした。
ギャラリーを出ると抜けるような青空でした。

ノリタケの森ギャラリーで今日まで開催されていた、切り絵作家の今井眸さんの展覧会「手漉き和紙-ペーパーワーク・4つの道-」に行きました。
※ノリタケの森ギャラリーの「手漉き和紙-ペーパーワーク・4つの道-」のページ:http://www.noritake.co.jp/mori/culture/gallery/0207.html

今回は“雄”シリーズとのことで、山がテーマの作品でした。

一緒に展覧会を開催されていた安藤眞人さん、松野外志子さん、杉森亮子さんの作品も、和紙の特性を活かした素敵な作品でした。
ギャラリーを出ると抜けるような青空でした。

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2010/02/27 19:22:33
今日の謡の稽古は、『海人』の4回目。
今日の名古屋は、すっかり春本番の陽気でした。
今日の謡の稽古は、『海人』の4回目でした。
今日の場面は、海人が唐から贈られた面向不背の玉が龍に奪われたことと、淡海公(藤原不比等)と海人とかかわりなどについて藤原房前に語る場面です。
ワキ「さてその玉の名をば何と申しけるぞ。
シテ「玉中に釋迦の像まします。
いず方より拜めども同じ面なるによって。面向不背の玉と申し候。
ワキ「かほどの宝を何として。漢朝よりもわたしけるぞ。
シテ「今の大臣淡海公の御妹は。もろこしの高宗皇帝の后に立ち給う。
かの后の御氏寺なればとて。興福寺へ三つの宝を送らるる。
花原磐泗浜石。面向不背の玉。ふたつの宝は京着し。
名珠はこの沖にて龍神にとらる。大臣御身をやつし。
かの玉をかずかせんが為にあま乙女と契りをこめ。
一人の御子を儲け給う。今の房前の大臣とかや。
子方「やあわれこそ房前の大臣よ。
あらなつかしのあま人やなおなお語り候え。
シテ「今まではよその事とこそ思いつるに。まさしき御身の上を申しけるぞや。
あらかたじけなや候。
三つの宝、“花原磐”とは、一度打つと袈裟をかけるまで妙音が鳴り止まぬという楽器のこと、“泗浜石”とは、墨をすると自然と水が湧き出る硯のこと、“面向不背の玉”とは、玉中にある釈迦の像がどの角度から見ても同じに見える玉とのことです。
今日の部分も、そんない難しい謡はありませんでした。
今日の名古屋は、すっかり春本番の陽気でした。
今日の謡の稽古は、『海人』の4回目でした。
今日の場面は、海人が唐から贈られた面向不背の玉が龍に奪われたことと、淡海公(藤原不比等)と海人とかかわりなどについて藤原房前に語る場面です。
ワキ「さてその玉の名をば何と申しけるぞ。
シテ「玉中に釋迦の像まします。
いず方より拜めども同じ面なるによって。面向不背の玉と申し候。
ワキ「かほどの宝を何として。漢朝よりもわたしけるぞ。
シテ「今の大臣淡海公の御妹は。もろこしの高宗皇帝の后に立ち給う。
かの后の御氏寺なればとて。興福寺へ三つの宝を送らるる。
花原磐泗浜石。面向不背の玉。ふたつの宝は京着し。
名珠はこの沖にて龍神にとらる。大臣御身をやつし。
かの玉をかずかせんが為にあま乙女と契りをこめ。
一人の御子を儲け給う。今の房前の大臣とかや。
子方「やあわれこそ房前の大臣よ。
あらなつかしのあま人やなおなお語り候え。
シテ「今まではよその事とこそ思いつるに。まさしき御身の上を申しけるぞや。
あらかたじけなや候。
三つの宝、“花原磐”とは、一度打つと袈裟をかけるまで妙音が鳴り止まぬという楽器のこと、“泗浜石”とは、墨をすると自然と水が湧き出る硯のこと、“面向不背の玉”とは、玉中にある釈迦の像がどの角度から見ても同じに見える玉とのことです。
今日の部分も、そんない難しい謡はありませんでした。
2010/02/26 22:42:16
浅田真央選手、銀メダルおめでとう!
バンクーバーオリンピックのフィギュアスケート女子シングルで浅田真央選手が銀メダルを獲得しました。
心から、“おめでとう”の言葉を贈りたいです。
冬季オリンピックの日本の銀メダリストは12組目だそうです。
1 猪谷千春 コルティナダンペッツォオリンピック(1956) アルペンスキー男子回転
2 金野昭次 札幌オリンピック(1972) スキージャンプ70m級
3 八木弘和 レークプラシッドオリンピック(1980) スキージャンプ70m級
4 北沢欣浩 サラエボオリンピック(1984) スピードスケート男子500m
5 黒岩敏幸 アルベールビルオリンピック(1992) スピードスケート男子500m
6 伊藤みどり アルベールビルオリンピック(1992) フィギュアスケート女子シングル
7 河野孝典 リレハンメルオリンピック(1994) スキーノルディック複合個人
8 日本(岡部、西方、葛西、原田) リレハンメルオリンピック(1994) スキージャンプラージヒル団体
9 船木和喜 長野オリンピック(1998) スキージャンプノーマルヒル個人
10 清水宏保 ソルトレイクシティオリンピック(2002) スピードスケート男子500m
11 長島圭一郎 バンクーバーオリンピック(2010) スピードスケート男子500m
12 浅田真央 バンクーバーオリンピック(2010) フィギュアスケート女子シングル
オリンピックの女子フィギュアで初めてトリプルアクセルを成功させた(フリーででした)、伊藤みどりさんが銀メダルを獲得したのが1992年。
それから18年経ち、オリンピックの女子フィギュアで、初めてショートプログラムとフリーの両方でトリプルアクセルを成功させた、浅田真央さんが、再び、銀メダルを獲得するというのも不思議な偶然のように思えます。
しかし、二人とも名古屋出身で山田満知子コーチの指導を受けているので、偶然ではないのでしょう。
これまで、トリプルアクセルを成功させた日本の女子フィギュア選手は、全員、山田満知子コーチの教え子とのことです。
バンクーバーオリンピックのフィギュアスケート女子シングルで浅田真央選手が銀メダルを獲得しました。
心から、“おめでとう”の言葉を贈りたいです。
冬季オリンピックの日本の銀メダリストは12組目だそうです。
1 猪谷千春 コルティナダンペッツォオリンピック(1956) アルペンスキー男子回転
2 金野昭次 札幌オリンピック(1972) スキージャンプ70m級
3 八木弘和 レークプラシッドオリンピック(1980) スキージャンプ70m級
4 北沢欣浩 サラエボオリンピック(1984) スピードスケート男子500m
5 黒岩敏幸 アルベールビルオリンピック(1992) スピードスケート男子500m
6 伊藤みどり アルベールビルオリンピック(1992) フィギュアスケート女子シングル
7 河野孝典 リレハンメルオリンピック(1994) スキーノルディック複合個人
8 日本(岡部、西方、葛西、原田) リレハンメルオリンピック(1994) スキージャンプラージヒル団体
9 船木和喜 長野オリンピック(1998) スキージャンプノーマルヒル個人
10 清水宏保 ソルトレイクシティオリンピック(2002) スピードスケート男子500m
11 長島圭一郎 バンクーバーオリンピック(2010) スピードスケート男子500m
12 浅田真央 バンクーバーオリンピック(2010) フィギュアスケート女子シングル
オリンピックの女子フィギュアで初めてトリプルアクセルを成功させた(フリーででした)、伊藤みどりさんが銀メダルを獲得したのが1992年。
それから18年経ち、オリンピックの女子フィギュアで、初めてショートプログラムとフリーの両方でトリプルアクセルを成功させた、浅田真央さんが、再び、銀メダルを獲得するというのも不思議な偶然のように思えます。
しかし、二人とも名古屋出身で山田満知子コーチの指導を受けているので、偶然ではないのでしょう。
これまで、トリプルアクセルを成功させた日本の女子フィギュア選手は、全員、山田満知子コーチの教え子とのことです。
2010/02/24 22:47:08
春の陽気の一日でした。
今日の名古屋の最高気温は19.9℃。
まだ2月というのに、桜の花が散ってしまった頃を思わせる春本番の陽気でした。
春の日の歌 (中原中也)
流よ、淡き 嬌羞よ、
ながれて ゆくか 空の国?
心も とほく 散らかりて、
ヱジプト煙草 たちまよふ。
流よ、冷たき 憂ひ秘め、
ながれて ゆくか 麓までも?
まだみぬ 顔の 不可思議の
咽喉の みえる あたりまで……
午睡の 夢の ふくよかに、
野原の 空の 空のうへ?
うわあ うわあと 涕くなるか
黄色い 納屋や、白の倉、
水車の みえる 彼方まで、
ながれ ながれて ゆくなるか?
今日は、まさに芝生の上で昼寝でもすると気持ち良さそうな午後でした。
街中では、日中は上着を脱いでいる人も多く見かけました。
その上、名古屋の街は、バンクーバーオリンピック 女子フィギアスケートのショートプログラムに出場した名古屋出身の浅田真央選手と安藤美姫選手への応援の熱気で盛り上がっていました。
明後日のフリーでの二人の健闘を祈っています。
今日の名古屋の最高気温は19.9℃。
まだ2月というのに、桜の花が散ってしまった頃を思わせる春本番の陽気でした。
春の日の歌 (中原中也)
流よ、淡き 嬌羞よ、
ながれて ゆくか 空の国?
心も とほく 散らかりて、
ヱジプト煙草 たちまよふ。
流よ、冷たき 憂ひ秘め、
ながれて ゆくか 麓までも?
まだみぬ 顔の 不可思議の
咽喉の みえる あたりまで……
午睡の 夢の ふくよかに、
野原の 空の 空のうへ?
うわあ うわあと 涕くなるか
黄色い 納屋や、白の倉、
水車の みえる 彼方まで、
ながれ ながれて ゆくなるか?
今日は、まさに芝生の上で昼寝でもすると気持ち良さそうな午後でした。
街中では、日中は上着を脱いでいる人も多く見かけました。
その上、名古屋の街は、バンクーバーオリンピック 女子フィギアスケートのショートプログラムに出場した名古屋出身の浅田真央選手と安藤美姫選手への応援の熱気で盛り上がっていました。
明後日のフリーでの二人の健闘を祈っています。
2010/02/23 21:03:24
爲三郎記念館を訪ねました。
2月14日も古川美術館(2010年2月22日の日記参照)のあと、爲三郎記念館に向かいました。
爲三郎記念館では、この日まで「古川爲三郎生誕120年を記念して~この道~」が開催されていました。

[門:2010年2月14日(日)撮影]
玄関の前に、名古屋の政治家・故春日一幸氏から、故古川為三郎氏の米寿の祝いとして贈られたという梅の鉢植え『為春梅』が飾られていました。

[玄関:2010年2月14日(日)撮影]

[『為春梅』の説明板:2010年2月14日(日)撮影]
一足早い春の訪れを感じることができました。
2月14日も古川美術館(2010年2月22日の日記参照)のあと、爲三郎記念館に向かいました。
爲三郎記念館では、この日まで「古川爲三郎生誕120年を記念して~この道~」が開催されていました。

[門:2010年2月14日(日)撮影]
玄関の前に、名古屋の政治家・故春日一幸氏から、故古川為三郎氏の米寿の祝いとして贈られたという梅の鉢植え『為春梅』が飾られていました。

[玄関:2010年2月14日(日)撮影]

[『為春梅』の説明板:2010年2月14日(日)撮影]
一足早い春の訪れを感じることができました。
2010/02/22 21:34:00
古川美術館を訪ねました。
風邪をこじらせる結果になったと思われる2月14日(日)の外出先の一つが古川美術館です。
ちょうど、新春企画展「継承の美 美の系譜」の最終日でした。

[2010年2月14日(日)撮影]
※古川美術館の新春企画展「継承の美 美の系譜」のページ:http://www.furukawa-museum.or.jp/exhibit/2010/01/index.html
1階の第一展示室で目についたのは、上村松篁の『野月』。
月明かりの情景が印象に残りました。
2階の第2展示室では、上村淳之の『汀』が目を引きます。繊細な感じが印象的な作品です。
※上村淳之『汀』:古川美術館のサイトから
また、ポスターやパンフレットにも使われている上村松園の『紅葉狩』も印象に残りました。
※上村松園『紅葉狩』:古川美術館のサイトから
まさに、松園、松篁、淳之と三代に渡る日本画の“美の継承”を見ることができました。

[2010年2月14日(日)撮影]
古川美術館は、個人コレクションを展示する小さな美術館ですが、いつも満ち足りた気分にさせてくれる美術館です。
この日は、企画展の最終日ということもあり、多くの入場者で賑わっていました。
風邪をこじらせる結果になったと思われる2月14日(日)の外出先の一つが古川美術館です。
ちょうど、新春企画展「継承の美 美の系譜」の最終日でした。

[2010年2月14日(日)撮影]
※古川美術館の新春企画展「継承の美 美の系譜」のページ:http://www.furukawa-museum.or.jp/exhibit/2010/01/index.html
1階の第一展示室で目についたのは、上村松篁の『野月』。
月明かりの情景が印象に残りました。
2階の第2展示室では、上村淳之の『汀』が目を引きます。繊細な感じが印象的な作品です。
※上村淳之『汀』:古川美術館のサイトから
また、ポスターやパンフレットにも使われている上村松園の『紅葉狩』も印象に残りました。
※上村松園『紅葉狩』:古川美術館のサイトから
まさに、松園、松篁、淳之と三代に渡る日本画の“美の継承”を見ることができました。

[2010年2月14日(日)撮影]
古川美術館は、個人コレクションを展示する小さな美術館ですが、いつも満ち足りた気分にさせてくれる美術館です。
この日は、企画展の最終日ということもあり、多くの入場者で賑わっていました。
2010/02/19 23:03:58
この1週間、体調が思わしくなく、ブログをお休みしてしまいました。
雨の日の葬儀に出席した(2010年2月11日の日記参照)のが原因かどうかはわかりませんが、風邪を引いてしまいました。
その後、日曜日(2月14日)に風邪が完全に治らないうちに外出したせいか風邪をこじらせたようで、その後ずっと体調が良くない日が続きました。
一応、できるかぎり出勤はしていたのですが、家に帰るとすぐ寝るという生活でした。
今日になって、ようやく体調も回復してきましたので、明日以降、ブログを再開させていただきます。
雨の日の葬儀に出席した(2010年2月11日の日記参照)のが原因かどうかはわかりませんが、風邪を引いてしまいました。
その後、日曜日(2月14日)に風邪が完全に治らないうちに外出したせいか風邪をこじらせたようで、その後ずっと体調が良くない日が続きました。
一応、できるかぎり出勤はしていたのですが、家に帰るとすぐ寝るという生活でした。
今日になって、ようやく体調も回復してきましたので、明日以降、ブログを再開させていただきます。
2010/02/13 22:39:08
梅の花が咲き始めていました。
実家の庭の紅梅の花が咲き始めていました。

この梅の木は、玄関のすぐ前に植えられています。
宿近く 梅の花植ゑじ あぢきなく 待つ人の香に あやまたれけり (読み人知らず) 〔古今和歌集 巻第一 春歌上34〕
一方、白梅の方は、まだつぼみが膨らみ始めている段階でした。

昨年は、既にこの時期に満開になっていました。(2009年2月14日の日記参照)
やはり今年は寒いようです。
実家の庭の紅梅の花が咲き始めていました。

この梅の木は、玄関のすぐ前に植えられています。
宿近く 梅の花植ゑじ あぢきなく 待つ人の香に あやまたれけり (読み人知らず) 〔古今和歌集 巻第一 春歌上34〕
一方、白梅の方は、まだつぼみが膨らみ始めている段階でした。

昨年は、既にこの時期に満開になっていました。(2009年2月14日の日記参照)
やはり今年は寒いようです。
2010/02/06 19:39:46
今日の謡の稽古は、『海人』の3回目。
今朝、起きたら薄っすらと雪が積もっていました。

この雪は正午までにはほとんど溶けましたが、午後に稽古に行くときもときどき小雪が舞っていました。
今日の謡の稽古は、『海人』の3回目でした。
今日の場面は、藤原房前の従者と海人との問答の場面です。
ワキ「いかにこれなるあまびと。汝はこの浦の海人にてあるか。
シテ「さん候この浦のあまにて候。
ワキ「あまならばあの水底のみるめ苅りて参らせ候え。
シテ「あら淺ましや旅づかれ飢えにのぞませ給うか。わが住む里と申せども。
かほどいやしき田舎のはてに。ふしぎや雲の上人をみるめ召され.候え。
これに苅りたるみるめの候。
ワキ「いやその儀にてはなし。水底の月をご覧ぜらるるに。
みるめ繁りて障りとなれば。苅りのけよとのご諚なり。
めされん為にてはなきぞとよ。
シテ「旅づかれ飢えにのぞませ給い。ご所望あるかとこそ思いしに。
月の為苅りのけよとのご諚なりけるぞや。
たとい千尋のそこのみえるめなりとも。おせならばさこそあるべけれ。
むかし天智天皇の御時。もろこしより一つの名珠をわたされしを。
この沖にて龍神にとられ。かずきあげしも.この浦の。
地謡「あまみつ月もみち汐の。あまみつ月もみち汐の.みるめをいざや.苅ろうよ。
ワキ「いかに海人びと。かの玉をかずきあげしもこの浦のあまと申すか。
シテ「さん候この浦のあまにて候。
ワキ「さてそのあまびとの旧蹟はいずくの程ぞ。
シテ「あれなる里をあまのの里と申すも。この浦人の名所なり。
またこれなる島を新珠島と申すも。
かの玉をかずきあげ初めて見そめけるによって。新珠島と申し候。
今日の部分も、そんない難しい謡はありませんでした。
今朝、起きたら薄っすらと雪が積もっていました。

この雪は正午までにはほとんど溶けましたが、午後に稽古に行くときもときどき小雪が舞っていました。
今日の謡の稽古は、『海人』の3回目でした。
今日の場面は、藤原房前の従者と海人との問答の場面です。
ワキ「いかにこれなるあまびと。汝はこの浦の海人にてあるか。
シテ「さん候この浦のあまにて候。
ワキ「あまならばあの水底のみるめ苅りて参らせ候え。
シテ「あら淺ましや旅づかれ飢えにのぞませ給うか。わが住む里と申せども。
かほどいやしき田舎のはてに。ふしぎや雲の上人をみるめ召され.候え。
これに苅りたるみるめの候。
ワキ「いやその儀にてはなし。水底の月をご覧ぜらるるに。
みるめ繁りて障りとなれば。苅りのけよとのご諚なり。
めされん為にてはなきぞとよ。
シテ「旅づかれ飢えにのぞませ給い。ご所望あるかとこそ思いしに。
月の為苅りのけよとのご諚なりけるぞや。
たとい千尋のそこのみえるめなりとも。おせならばさこそあるべけれ。
むかし天智天皇の御時。もろこしより一つの名珠をわたされしを。
この沖にて龍神にとられ。かずきあげしも.この浦の。
地謡「あまみつ月もみち汐の。あまみつ月もみち汐の.みるめをいざや.苅ろうよ。
ワキ「いかに海人びと。かの玉をかずきあげしもこの浦のあまと申すか。
シテ「さん候この浦のあまにて候。
ワキ「さてそのあまびとの旧蹟はいずくの程ぞ。
シテ「あれなる里をあまのの里と申すも。この浦人の名所なり。
またこれなる島を新珠島と申すも。
かの玉をかずきあげ初めて見そめけるによって。新珠島と申し候。
今日の部分も、そんない難しい謡はありませんでした。