2009/12/29 21:46:01
紅白の万両が色づいていました。
実家の庭で万両がたわわに実っていました。

一般的な赤い実の万両(マンリョウ)は、知人に貰って植えたものだそうですが、白い実の万両(シロミマンリョウ)は一人生えとのことです。

おそらく実家の庭によく来るというヒヨドリが運んできたのでしょう。
万両(マンリョウ)は、ヤブコウジ科の常緑小低木で、学名はArdisia crenata Sims。
東アジアから南アジアにかけて広く自生し、日本では関東以西の照葉樹林帯に自生しているとのことです。
千両(センリョウ)とともにお正月の縁起木として、生花などに良く使われます。
なお、アメリカでは、人によって持ち込まれた万両(マンリョウ)が、フロリダ州からテキサス州にかけて広範囲に定着し、Exotic Pest Plants(外来有害植物)に指定されているそうです。
※有害な外来種として紹介されるcoral ardisia(マンリョウ):http://www.invasive.org/species/subject.cfm?sub=3008(ジョージア大学のサイトから)
日本では縁起物の万両が、アメリカ南部で厄介者になっていることには少し驚きました。
実家の庭で万両がたわわに実っていました。

一般的な赤い実の万両(マンリョウ)は、知人に貰って植えたものだそうですが、白い実の万両(シロミマンリョウ)は一人生えとのことです。

おそらく実家の庭によく来るというヒヨドリが運んできたのでしょう。
万両(マンリョウ)は、ヤブコウジ科の常緑小低木で、学名はArdisia crenata Sims。
東アジアから南アジアにかけて広く自生し、日本では関東以西の照葉樹林帯に自生しているとのことです。
千両(センリョウ)とともにお正月の縁起木として、生花などに良く使われます。
なお、アメリカでは、人によって持ち込まれた万両(マンリョウ)が、フロリダ州からテキサス州にかけて広範囲に定着し、Exotic Pest Plants(外来有害植物)に指定されているそうです。
※有害な外来種として紹介されるcoral ardisia(マンリョウ):http://www.invasive.org/species/subject.cfm?sub=3008(ジョージア大学のサイトから)
日本では縁起物の万両が、アメリカ南部で厄介者になっていることには少し驚きました。
2009/12/27 14:07:41
コーヒーノキの実の収穫をしました。
鉢植えのコーヒーノキにたくさん赤い実がなり(2009年10月18日の日記参照)、いつ収穫するべきか悩んでいましたが、思い切って今日収穫しました。

全部で137個の実がなっていました。
コーヒーノキの実は、外皮と果肉、種子からなっており、一つの実にだいたい2~3個の種子が入っているとのことです。
この種子がコーヒーの生豆になりますが、この種子を採取する方法には、乾燥式と水洗式があるそうです。
日本では、乾燥する前にカビが生えてしまうことが多いので乾燥式は難しいとのことなので、今回は水洗式を採用することにしました。
外皮をむくと3つの種子がありました。

ちなみに1個食べてみましたが、とても甘い味がしました。
実がコーヒーチェリーと言われている由来がわかりました。
種子のまわりにまだ粘着質のものが残っており、洗っても簡単には取れません。
数日間、水につけると良いとのことなので、水につけました。

この豆でコーヒーを飲むのが楽しみです。
今回の作業は、コーヒー豆専門店キャラバンサライさんのブログを参考にさせていただきました。ありがとうございました。
※コーヒー豆専門店キャラバンサライ お店便り:http://caravanserai.livedoor.biz/
鉢植えのコーヒーノキにたくさん赤い実がなり(2009年10月18日の日記参照)、いつ収穫するべきか悩んでいましたが、思い切って今日収穫しました。

全部で137個の実がなっていました。
コーヒーノキの実は、外皮と果肉、種子からなっており、一つの実にだいたい2~3個の種子が入っているとのことです。
この種子がコーヒーの生豆になりますが、この種子を採取する方法には、乾燥式と水洗式があるそうです。
日本では、乾燥する前にカビが生えてしまうことが多いので乾燥式は難しいとのことなので、今回は水洗式を採用することにしました。
外皮をむくと3つの種子がありました。

ちなみに1個食べてみましたが、とても甘い味がしました。
実がコーヒーチェリーと言われている由来がわかりました。
種子のまわりにまだ粘着質のものが残っており、洗っても簡単には取れません。
数日間、水につけると良いとのことなので、水につけました。

この豆でコーヒーを飲むのが楽しみです。
今回の作業は、コーヒー豆専門店キャラバンサライさんのブログを参考にさせていただきました。ありがとうございました。
※コーヒー豆専門店キャラバンサライ お店便り:http://caravanserai.livedoor.biz/
2009/12/26 22:08:19
今日の謡の稽古は、『海人』の1回目。
今日から謡の稽古は、『海人』になりました。
今日の場面は、藤原房前が、母が讃岐の志度の浦で亡くなったと聞き、追善のために志度の浦に向かう場面です。
子方、ワキ、立衆「いずるぞなごり三日月の。出ずるぞ名残り三日月の。
都の西に.いそがん。
ワキ「天地のひらけし恵み久かたの。天の児屋根の御ゆずり。
子方「房の大臣とはわが事なり。さてもみずからが御母は。
讃州志渡の寺。房と申す浦にして。
むなしくならせ給いぬるとうけたまわりて候えば。
いそぎかの浦に下りて。追善をもなさばやと思い候。
ワキ、立衆「ならわぬ旅に奈良坂や.帰り都の山かくす春の霞ぞ.うらめしき。
三笠山今ぞ榮えん.この岸の。
立衆「今ぞ榮えんこの岸の。
ワキ、立衆「南の海に急がんと。ゆけば程なく津の國や。
こや日の本の始めなる。淡路のわたり末近く。
鳴戸の沖に音するは.泊まり定めぬあま小舟.泊まり定めぬ.あま小舟。
うき旅なれどたらちねの.為と思えば.急がれて。
日数つもりの.雪の空。
立衆「日数積りの雪の空。
ワキ、立衆「夜晝となくゆく程に。
名にのみ聞きし讃岐の國.房の浦につきにけり.房の浦に.つきにけり。
今日の部分には特に難しい謡はありませんでした。
今日から謡の稽古は、『海人』になりました。
今日の場面は、藤原房前が、母が讃岐の志度の浦で亡くなったと聞き、追善のために志度の浦に向かう場面です。
子方、ワキ、立衆「いずるぞなごり三日月の。出ずるぞ名残り三日月の。
都の西に.いそがん。
ワキ「天地のひらけし恵み久かたの。天の児屋根の御ゆずり。
子方「房の大臣とはわが事なり。さてもみずからが御母は。
讃州志渡の寺。房と申す浦にして。
むなしくならせ給いぬるとうけたまわりて候えば。
いそぎかの浦に下りて。追善をもなさばやと思い候。
ワキ、立衆「ならわぬ旅に奈良坂や.帰り都の山かくす春の霞ぞ.うらめしき。
三笠山今ぞ榮えん.この岸の。
立衆「今ぞ榮えんこの岸の。
ワキ、立衆「南の海に急がんと。ゆけば程なく津の國や。
こや日の本の始めなる。淡路のわたり末近く。
鳴戸の沖に音するは.泊まり定めぬあま小舟.泊まり定めぬ.あま小舟。
うき旅なれどたらちねの.為と思えば.急がれて。
日数つもりの.雪の空。
立衆「日数積りの雪の空。
ワキ、立衆「夜晝となくゆく程に。
名にのみ聞きし讃岐の國.房の浦につきにけり.房の浦に.つきにけり。
今日の部分には特に難しい謡はありませんでした。
2009/12/25 23:56:10
「名品コレクション展Ⅱ(後期)」を見ました。
日曜日(12月20日)に、名古屋市美術館に行きました〔2009年12月20日の日記参照〕が、この日は常設展示室の「名品コレクション展Ⅱ(後期)」の最終日でもありました。
※名古屋市美術館のサイトの「名品コレクション展Ⅱ(後期)」のページ:http://www.art-museum.city.nagoya.jp/tenrankai/josetsu/index.html
特に、常設展示室2で開かれていた「郷土の美術 ペン画の世界」が良かったです。
中でも、池田龍雄の『虫類図譜シリーズ』の魔力的な魅力を持った気持ち悪さに惹きつけられました。
また、中村宏の作品にも独特の雰囲気がありました。
共に1950年代に注目を浴びた前衛作家ですが、古さは感じられませんでした。
やはりこの日が最終日だった特別展「絵画と写真の交差-印象派誕生の軌跡」に比べ、人は圧倒的に少なく、もったいない気がしました。
日曜日(12月20日)に、名古屋市美術館に行きました〔2009年12月20日の日記参照〕が、この日は常設展示室の「名品コレクション展Ⅱ(後期)」の最終日でもありました。
※名古屋市美術館のサイトの「名品コレクション展Ⅱ(後期)」のページ:http://www.art-museum.city.nagoya.jp/tenrankai/josetsu/index.html
特に、常設展示室2で開かれていた「郷土の美術 ペン画の世界」が良かったです。
中でも、池田龍雄の『虫類図譜シリーズ』の魔力的な魅力を持った気持ち悪さに惹きつけられました。
また、中村宏の作品にも独特の雰囲気がありました。
共に1950年代に注目を浴びた前衛作家ですが、古さは感じられませんでした。
やはりこの日が最終日だった特別展「絵画と写真の交差-印象派誕生の軌跡」に比べ、人は圧倒的に少なく、もったいない気がしました。
2009/12/23 23:55:10
「ベルギー近代絵画のあゆみ」展を見ました。
松坂屋本店にクリスマスプレゼントを買いに行ったところ、松坂屋美術館(名古屋市中区)で、「ベルギー王立美術館コレクション ベルギー近代絵画のあゆみ」展〔2009年12月12日(土)~2010年2月14日(日)〕が開催中でしたので、見てきました。
※松坂屋美術館のサイトの「ベルギー王立美術館コレクション ベルギー近代絵画のあゆみ」展のページ:http://www.matsuzakaya.co.jp/museum/berugi_kindaikaiga/

この展覧会は、ベルギー王立美術館の優れたコレクションから選りすぐりのフランス・ベルギーの近代絵画69点により フランスに起源を持つ写実派、印象派、新印象派、フォービスム等の芸術活動と、それを受容しながら並行して発展していった19世紀後半から20世紀前半のベルギーの近代絵画の流れを6章立てで紹介するものだそうです。
これまで、ベルギーの近代絵画は、日本であまり紹介されていなかったとのことで、私には初めて耳にする作家の作品が数多く展示されていました。
第1章 バルビゾン派からテルヴューレン派へ~印象派の起源~
風景画を戸外で制作するようになった時代の作品が展示されていました。
フランスのバルビゾン派にあたるのが、ベルギーではテルヴューレン派だそうです。
コローやテオドール・ルソーの作品も展示されていましたが、初めて見たベルギーの作家・イッポリート・ブーランジェの作品がすばらしかったです。
中でも『ディナンの眺め』と『聖ユベールのミサ』はこの展覧会での双璧だと感じました。
第2章 ベルギーのレアリスムから印象派へ
ここでは、レアリスムに影響を受けたベルギーの作家の作品が展示されていました。
やはり、初めて見たベルギーの作家・フェルナン・クノップフの『フォッセ、モミの木の林』が印象的でした。
※フェルナン・クノップフ『フォッセ、モミの木の林』:山梨県立美術館のサイトから
第3章 フランス印象派の純粋な色彩
ここでは、フランスの印象派の作品と、その影響を受けたベルギーの印象派の作品が展示されていました。
ギュスターヴ・クールベの『スペインの踊り子、アデーラ・ゲレーロ夫人』やアルフレッド・シスレーの『ルーヴシエンヌの道』が印象に残りました。
※アルフレッド・シスレー「ルーヴシエンヌの道」:損保ジャパン東郷青児美術館のサイトから
第4章 ベルギーにおける新印象派
ここでは、スーラの点描法を取り入れたベルギーの絵画団体“20人会”を中心とした新印象派の作品が展示されていました。
デオフィル・ファン・レイセルベルヘの『散歩』がなかなか美しかったです。
※デオフィル・ファン・レイセルベルヘ「散歩」:損保ジャパン東郷青児美術館のサイトから
第5章 光と親密さ
ここでは、ベルギーの絵画団体“20人会”解散後の作品が展示されていました。
やはり、初めて見たベルギーの作家・アンリ・エヴェヌプールの『ルイ=シャルル・クレスパンの肖像』が記憶に残りました。
※アンリ・エヴェヌプール「ルイ=シャルル・クレスパンの肖像」:損保ジャパン東郷青児美術館のサイトから
第6章 フォーヴィズム
ここには、パリで登場したフォーヴィズムの作品とその影響を受けたベルギーのフォーヴィズムの作品が展示されていました。
ここでは、展覧会のポスターにも使われており、日本初公開というピエール・ボナールの『逆行の中の裸婦』がやはり一番でした。
※ピエール・ボナール『逆行の中の裸婦』:山梨県立美術館のサイトから

「ベルギー近代絵画のあゆみ」というタイトルですが、展示されている作品のおよそ半数は、フランスの近代絵画なので、フランス絵画の好きな方にも十分楽しめる展覧会だと思います。
私の知らなかったベルギーの作家のすばらしい作品を見ることができ、満足できた展覧会でした。
松坂屋本店にクリスマスプレゼントを買いに行ったところ、松坂屋美術館(名古屋市中区)で、「ベルギー王立美術館コレクション ベルギー近代絵画のあゆみ」展〔2009年12月12日(土)~2010年2月14日(日)〕が開催中でしたので、見てきました。
※松坂屋美術館のサイトの「ベルギー王立美術館コレクション ベルギー近代絵画のあゆみ」展のページ:http://www.matsuzakaya.co.jp/museum/berugi_kindaikaiga/

この展覧会は、ベルギー王立美術館の優れたコレクションから選りすぐりのフランス・ベルギーの近代絵画69点により フランスに起源を持つ写実派、印象派、新印象派、フォービスム等の芸術活動と、それを受容しながら並行して発展していった19世紀後半から20世紀前半のベルギーの近代絵画の流れを6章立てで紹介するものだそうです。
これまで、ベルギーの近代絵画は、日本であまり紹介されていなかったとのことで、私には初めて耳にする作家の作品が数多く展示されていました。
第1章 バルビゾン派からテルヴューレン派へ~印象派の起源~
風景画を戸外で制作するようになった時代の作品が展示されていました。
フランスのバルビゾン派にあたるのが、ベルギーではテルヴューレン派だそうです。
コローやテオドール・ルソーの作品も展示されていましたが、初めて見たベルギーの作家・イッポリート・ブーランジェの作品がすばらしかったです。
中でも『ディナンの眺め』と『聖ユベールのミサ』はこの展覧会での双璧だと感じました。
第2章 ベルギーのレアリスムから印象派へ
ここでは、レアリスムに影響を受けたベルギーの作家の作品が展示されていました。
やはり、初めて見たベルギーの作家・フェルナン・クノップフの『フォッセ、モミの木の林』が印象的でした。
※フェルナン・クノップフ『フォッセ、モミの木の林』:山梨県立美術館のサイトから
第3章 フランス印象派の純粋な色彩
ここでは、フランスの印象派の作品と、その影響を受けたベルギーの印象派の作品が展示されていました。
ギュスターヴ・クールベの『スペインの踊り子、アデーラ・ゲレーロ夫人』やアルフレッド・シスレーの『ルーヴシエンヌの道』が印象に残りました。
※アルフレッド・シスレー「ルーヴシエンヌの道」:損保ジャパン東郷青児美術館のサイトから
第4章 ベルギーにおける新印象派
ここでは、スーラの点描法を取り入れたベルギーの絵画団体“20人会”を中心とした新印象派の作品が展示されていました。
デオフィル・ファン・レイセルベルヘの『散歩』がなかなか美しかったです。
※デオフィル・ファン・レイセルベルヘ「散歩」:損保ジャパン東郷青児美術館のサイトから
第5章 光と親密さ
ここでは、ベルギーの絵画団体“20人会”解散後の作品が展示されていました。
やはり、初めて見たベルギーの作家・アンリ・エヴェヌプールの『ルイ=シャルル・クレスパンの肖像』が記憶に残りました。
※アンリ・エヴェヌプール「ルイ=シャルル・クレスパンの肖像」:損保ジャパン東郷青児美術館のサイトから
第6章 フォーヴィズム
ここには、パリで登場したフォーヴィズムの作品とその影響を受けたベルギーのフォーヴィズムの作品が展示されていました。
ここでは、展覧会のポスターにも使われており、日本初公開というピエール・ボナールの『逆行の中の裸婦』がやはり一番でした。
※ピエール・ボナール『逆行の中の裸婦』:山梨県立美術館のサイトから

「ベルギー近代絵画のあゆみ」というタイトルですが、展示されている作品のおよそ半数は、フランスの近代絵画なので、フランス絵画の好きな方にも十分楽しめる展覧会だと思います。
私の知らなかったベルギーの作家のすばらしい作品を見ることができ、満足できた展覧会でした。
2009/12/22 23:22:07
イチョウの木が黄葉していました。
一昨日、名古屋市美術館の帰りに白川公園を通ったら、イチョウの木が一本、まだ完全に落葉せずに黄葉していました。

[2009年12月20日(日)撮影]
名古屋市内のイチョウはほとんど先月の中に落葉してしまっているので、驚きました。
木々の囲まれているので、暖かかったのでしょうか。
イチョウは、中国原産の落葉高木で、古くから人の手によって世界各地に伝えられたそうです。
しかし、ヨーロッパでは細菌により一旦絶滅したとされ、現在、ヨーロッパや北アメリカにあるイチョウは、1693年にエンゲルベルト・ケンペルによって、長崎からもたらされたものの子孫だといわれているそうです。
一昨日、名古屋市美術館の帰りに白川公園を通ったら、イチョウの木が一本、まだ完全に落葉せずに黄葉していました。

[2009年12月20日(日)撮影]
名古屋市内のイチョウはほとんど先月の中に落葉してしまっているので、驚きました。
木々の囲まれているので、暖かかったのでしょうか。
イチョウは、中国原産の落葉高木で、古くから人の手によって世界各地に伝えられたそうです。
しかし、ヨーロッパでは細菌により一旦絶滅したとされ、現在、ヨーロッパや北アメリカにあるイチョウは、1693年にエンゲルベルト・ケンペルによって、長崎からもたらされたものの子孫だといわれているそうです。
2009/12/21 23:33:43
「絵画と写真の交差」展を見に行きました。
昨日、名古屋市美術館で昨日(2009年12月20日)まで開催されていた特別展「絵画と写真の交差-印象派誕生の軌跡」を見に行きました。
※名古屋市美術館のサイトの「絵画と写真の交差-印象派誕生の軌跡」のページ:http://www.art-museum.city.nagoya.jp/tenrankai/2009/intersection/index.html

[2009年12月20日(日)撮影]
この展覧会は、ときに寄り添い、ときに反発しながら歩んで来た写真と絵画という二つの芸術の歩みをたどりながら、二つが出会うことによって、お互いの芸術に何が起こったのかを解き明かそうとするものだそうです。
展覧会は、10の部門で構成されていました。
第1章 遠近法500年の扉
ここでは、写真草創期のカメラや、江戸末期の日本で写真を紹介した書籍などが展示されており、興味深かったです。
第2章 写真の誕生
ここでは、写真史で有名なルイ・ジャック・マンデ・ダゲールの作品の実物(『フイヤン派修道院の礼拝所』)が展示されていて、少し感動しました。
第3章第1部 印象派誕生前夜-19世紀視覚の転換
ここでは、展覧会のパンフレットやポスターで使われているギュスターブ・クールベの『水平線上のスコール』が圧巻でした。
※ギュスターブ・クールベ「水平線上のスコール」:名古屋市美術館のサイトから
写真では、ヴィルヘルム・フォン・クローデンの『街のいたずら少年たち、イタリア』が少年の豊かな表情が捉えられていて印象に残りました。
第3章第2部 印象派誕生前夜-森の画家と写真家たち
ここでは、展覧会のチケットでも並べて使われているジャン=フェルディナン・シェニョーの油絵『草原の羊飼いの少女と羊の群れ』とシャルル・ファマンの写真『羊の群れ』が展示されており、写真が絵画に与えた影響が見て取れました。
※ジャン=フェルディナン・シェニョー『草原の羊飼いの少女と羊の群れ』:名古屋市美術館のサイトから
※シャルル・ファマン『羊の群れ』:名古屋市美術館のサイトから
第3章第3部 印象派誕生前夜-ジャポニズム
ここでは、9点展示されていた歌川広重の『名所江戸百景』の復刻版の色鮮やかさが目を引きました。
※歌川広重『名所江戸百景 浅草金龍山』:名古屋市美術館のサイトから
第4章 印象派の誕生
ここには、この展覧会の作品の中で私が最も好きなウジューヌ・ブーダンの『ヴェネツィア、大運河』が展示されていました。
ブーダンの描く空はいつまで見ていても飽きません。
※ウジューヌ・ブーダン『ヴェネツィア、大運河』:名古屋市美術館のサイトから
昨日、名古屋市美術館で昨日(2009年12月20日)まで開催されていた特別展「絵画と写真の交差-印象派誕生の軌跡」を見に行きました。
※名古屋市美術館のサイトの「絵画と写真の交差-印象派誕生の軌跡」のページ:http://www.art-museum.city.nagoya.jp/tenrankai/2009/intersection/index.html

[2009年12月20日(日)撮影]
この展覧会は、ときに寄り添い、ときに反発しながら歩んで来た写真と絵画という二つの芸術の歩みをたどりながら、二つが出会うことによって、お互いの芸術に何が起こったのかを解き明かそうとするものだそうです。
展覧会は、10の部門で構成されていました。
第1章 遠近法500年の扉
ここでは、写真草創期のカメラや、江戸末期の日本で写真を紹介した書籍などが展示されており、興味深かったです。
第2章 写真の誕生
ここでは、写真史で有名なルイ・ジャック・マンデ・ダゲールの作品の実物(『フイヤン派修道院の礼拝所』)が展示されていて、少し感動しました。
第3章第1部 印象派誕生前夜-19世紀視覚の転換
ここでは、展覧会のパンフレットやポスターで使われているギュスターブ・クールベの『水平線上のスコール』が圧巻でした。
※ギュスターブ・クールベ「水平線上のスコール」:名古屋市美術館のサイトから
写真では、ヴィルヘルム・フォン・クローデンの『街のいたずら少年たち、イタリア』が少年の豊かな表情が捉えられていて印象に残りました。
第3章第2部 印象派誕生前夜-森の画家と写真家たち
ここでは、展覧会のチケットでも並べて使われているジャン=フェルディナン・シェニョーの油絵『草原の羊飼いの少女と羊の群れ』とシャルル・ファマンの写真『羊の群れ』が展示されており、写真が絵画に与えた影響が見て取れました。
※ジャン=フェルディナン・シェニョー『草原の羊飼いの少女と羊の群れ』:名古屋市美術館のサイトから
※シャルル・ファマン『羊の群れ』:名古屋市美術館のサイトから
第3章第3部 印象派誕生前夜-ジャポニズム
ここでは、9点展示されていた歌川広重の『名所江戸百景』の復刻版の色鮮やかさが目を引きました。
※歌川広重『名所江戸百景 浅草金龍山』:名古屋市美術館のサイトから
第4章 印象派の誕生
ここには、この展覧会の作品の中で私が最も好きなウジューヌ・ブーダンの『ヴェネツィア、大運河』が展示されていました。
ブーダンの描く空はいつまで見ていても飽きません。
※ウジューヌ・ブーダン『ヴェネツィア、大運河』:名古屋市美術館のサイトから
2009/12/14 23:40:27
今日は、吉良邸討ち入りの日です。
元禄15年12月14日(1703年1月30日)、浅野内匠頭の旧家臣・大石内蔵助を始めとする赤穂浪士47名(四十七士)が吉良邸に討ち入り、吉良上野介を討ち果たしました。
福沢諭吉は、その著書『学問のすすめ』の中で、この討ち入りを“私裁”として否定しています。
“私裁”とは私的制裁の意で、私刑(リンチ)と同義と思われます。
『学問のすすめ』(福沢諭吉)
六編 国法の貴きを論ず〔抜粋〕
昔、徳川の時代に、浅野家の家来、主人の敵討ちとて吉良上野介を殺したることあり。世にこれを赤穂の義士と唱えり。大なる間違いならずや。この時日本の政府は徳川なり。浅野内匠頭も吉良上野介も浅野家の家来もみな日本の国民にて、政府の法に従いその保護を蒙るべしと約束したるものなり。しかるに一朝の間違いにて上野介なる者内匠頭へ無礼を加えしに、内匠頭これを政府に訴うることを知らず、怒りに乗じて私に上野介を切らんとしてついに双方の喧嘩となりしかば、徳川政府の裁判にて内匠頭へ切腹を申しつけ、上野介へは刑を加えず、この一条は実に不正なる裁判というべし。浅野家の家来どもこの裁判を不正なりと思わば、何がゆえにこれを政府へ訴えざるや。四十七士の面々申し合わせて、おのおのその筋により法に従いて政府に訴え出でなば、もとより暴政府のことゆえ、最初はその訴訟を取り上げず、あるいはその人を捕えてこれを殺すこともあるべしといえども、たとい一人は殺さるるもこれを恐れず、また代わりて訴え出で、したがって殺されしたがって訴え、四十七人の家来、理を訴えて命を失い尽くすに至らば、いかなる悪政府にてもついには必ずその理に伏し、上野介へも刑を加えて裁判を正しゅうすることあるべし。
かくありてこそはじめて真の義士とも称すべきはずなるに、かつてこの理を知らず、身は国民の地位にいながら国法の重きを顧みずしてみだりに上野介を殺したるは、国民の職分を誤り、政府の権を犯して、私に人の罪を裁決したるものと言うべし。幸いにしてその時、徳川の政府にてこの乱暴人を刑に処したればこそ無事に治まりたれども、もしもこれを免すことあらば、吉良家の一族また敵討ちとて赤穂の家来を殺すことは必定なり。しかるときはこの家来の一族、また敵討ちとて吉良の一族を攻むるならん。敵討ちと敵討ちとにて、はてしもあらず、ついに双方の一族朋友死し尽くるに至らざれば止まず。いわゆる無政無法の世の中とはこのことなるべし。私裁の国を害することかくのごとし。謹まざるべからざるなり。
この赤穂義士批判は、“赤穂不義士論”として発表当時かなり世間の批判をあびたとのことです。
参考に「国法の貴きを論ず」の全文も掲載します。
元禄15年12月14日(1703年1月30日)、浅野内匠頭の旧家臣・大石内蔵助を始めとする赤穂浪士47名(四十七士)が吉良邸に討ち入り、吉良上野介を討ち果たしました。
福沢諭吉は、その著書『学問のすすめ』の中で、この討ち入りを“私裁”として否定しています。
“私裁”とは私的制裁の意で、私刑(リンチ)と同義と思われます。
『学問のすすめ』(福沢諭吉)
六編 国法の貴きを論ず〔抜粋〕
昔、徳川の時代に、浅野家の家来、主人の敵討ちとて吉良上野介を殺したることあり。世にこれを赤穂の義士と唱えり。大なる間違いならずや。この時日本の政府は徳川なり。浅野内匠頭も吉良上野介も浅野家の家来もみな日本の国民にて、政府の法に従いその保護を蒙るべしと約束したるものなり。しかるに一朝の間違いにて上野介なる者内匠頭へ無礼を加えしに、内匠頭これを政府に訴うることを知らず、怒りに乗じて私に上野介を切らんとしてついに双方の喧嘩となりしかば、徳川政府の裁判にて内匠頭へ切腹を申しつけ、上野介へは刑を加えず、この一条は実に不正なる裁判というべし。浅野家の家来どもこの裁判を不正なりと思わば、何がゆえにこれを政府へ訴えざるや。四十七士の面々申し合わせて、おのおのその筋により法に従いて政府に訴え出でなば、もとより暴政府のことゆえ、最初はその訴訟を取り上げず、あるいはその人を捕えてこれを殺すこともあるべしといえども、たとい一人は殺さるるもこれを恐れず、また代わりて訴え出で、したがって殺されしたがって訴え、四十七人の家来、理を訴えて命を失い尽くすに至らば、いかなる悪政府にてもついには必ずその理に伏し、上野介へも刑を加えて裁判を正しゅうすることあるべし。
かくありてこそはじめて真の義士とも称すべきはずなるに、かつてこの理を知らず、身は国民の地位にいながら国法の重きを顧みずしてみだりに上野介を殺したるは、国民の職分を誤り、政府の権を犯して、私に人の罪を裁決したるものと言うべし。幸いにしてその時、徳川の政府にてこの乱暴人を刑に処したればこそ無事に治まりたれども、もしもこれを免すことあらば、吉良家の一族また敵討ちとて赤穂の家来を殺すことは必定なり。しかるときはこの家来の一族、また敵討ちとて吉良の一族を攻むるならん。敵討ちと敵討ちとにて、はてしもあらず、ついに双方の一族朋友死し尽くるに至らざれば止まず。いわゆる無政無法の世の中とはこのことなるべし。私裁の国を害することかくのごとし。謹まざるべからざるなり。
この赤穂義士批判は、“赤穂不義士論”として発表当時かなり世間の批判をあびたとのことです。
参考に「国法の貴きを論ず」の全文も掲載します。