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2009 / 11
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怪談は、夏だけのものではありません。

今日は11月の最終日。すっかり寒くなり、暖房の恋しい季節になりました。
怪談といえば、の納涼のイメージが濃いですが、寒い季節の怪談もたくさんあります。
今日は、11月末が舞台の怪談を紹介します。


夜釣』(泉鏡花

 これは、大工、大勝のおかみさんから聞いた話である。

 牛込築土前の、此の大勝棟梁のうちへ出入りをする、一寸使へる、岩次と云つて、女房持、小兒の二人あるのが居た。飮む、買ふ、摶つ、道樂は少もないが、たゞ性來の釣好きであつた。
 また、それだけに釣がうまい。素人にはむづかしいといふ、鰻釣の絲捌きは中でも得意で、一晩出掛けると濕地で蚯蚓を穿るほど一かゞりにあげて來る。
「棟梁、二百目が三ぼんだ。」
 大勝の臺所口へのらりと投込むなぞは珍しくなかつた。
 が、女房は、まだ若いのに、後生願ひで、おそろしく岩さんの殺生を氣にして居た。
 霜月の末頃である。一晩、陽氣違ひの生暖い風が吹いて、むつと雲が蒸して、火鉢の傍だと半纏は脱ぎたいまでに、惡汗が浸むやうな、其暮方だつた。岩さんが仕事場から――行願寺内にあつた、――路地うらの長屋へ歸つて來ると、何かものにそゝられたやうに、頻に氣の急く樣子で、いつもの錢湯にも行かず、さく/\と茶漬で濟まして、一寸友だちの許へ、と云つて家を出た。
 留守には風が吹募る。戸障子ががた/\鳴る。引窓がばた/\と暗い口を開く。空模樣は、その癖、星が晃々して、澄切つて居ながら、風は尋常ならず亂れて、時々むく/\と古綿を積んだ灰色の雲が湧上る。とぽつりと降る。降るかと思ふと、颯と又暴びた風で吹拂ふ。
 次第に夜が更けるに從つて、何時か眞暗に凄くなつた。
 女房は、幾度も戸口へ立つた。路地を、行願寺の門の外までも出て、通の前後を眗した。人通りも、もうなくなる。……釣には行つても、めつたにあけた事のない男だから、餘計に氣に懸けて歸りを待つのに。――小兒たちが、また惡く暖いので寢苦しいか、變に二人とも寢そびれて、踏脱ぐ、泣き出す、着せかける、賺す。で、女房は一夜まんじりともせず、烏の聲を聞いたさうである。
 然まで案ずる事はあるまい。交際のありがちな稼業の事、途中で友だちに誘はれて、新宿あたりへぐれたのだ、と然う思へば濟むのであるから。
 言ふまでもなく、宵のうちは、いつもの釣だと察して居た。内から棹なんぞ……鈎も絲も忍ばしては出なかつたが――それは女房が頻に殺生を留める處から、つい面倒さに、近所の車屋、床屋などに預けて置いて、そこから内證で支度して、道具を持つて出掛ける事も、女房は薄々知つて居たのである。




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風邪もすっかり良くなりました。

週末、外出することなく静かに自宅で過ごしたのが良かったのか、体調もすっかり良くなりました。
横になっている時間もかなりあり、最近の生活についていろいろと考えました。
心に余裕がないと、仕事も生活も乱れがちになるような気がします。

最近、特に仕事の面で、知らず知らずの中に無理をしていたのかもしれないと反省しています。

大好きな中也のこの詩を思い出しました。

寒い夜の自我像 (中原中也

きらびやかでもないけれど
この一本の手綱をはなさず
この陰暗の地域を過ぎる!
その志明らかなれば
冬の夜を我は嘆かず
人々の憔懆のみの愁しみや
憧れに引廻される女等の鼻唄を
わが瑣細なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。

蹌踉めくままに静もりを保ち、
聊かは儀文めいた心地をもつて
われはわが怠惰を諫める
寒月の下を往きながら。

陽気で、坦々として、而も己を売らないことをと、
わが魂の願ふことであつた!



陽気で、坦々として』を目標に、明日から仕事の復帰したいと考えています。


今日は、寺田寅彦の生まれた日です。

このブログでもいろいろと随筆を紹介している物理学者寺田寅彦は、今から131年前の明治11(1878)年の11月28日に東京で生まれました。

寺田寅彦は、物理学者として活躍するかたわら、数多くの随筆を発表しました。
また、夏目漱石の最も古い弟子の一人で、漱石からは友人として扱われていたといわれています。

今日は、俳人でもあった寺田寅彦が、俳句を題材に漱石を思い出している随筆思い出草」を紹介します。

思い出草』(寺田寅彦



 芭蕉の「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」はあまりに有名で今さら評注を加える余地もないであろうが、やはりいくら味わっても味わい尽くせない句であると思う。これは芭蕉の一生涯の総決算でありレジュメであると同時にまたすべての人間の一生涯のたそがれにおける感慨でなければならない。それはとにかく、自分の子供の時分のことである。義兄に当たる春田居士が夕涼みの縁台で晩酌に親しみながらおおぜいの子供らを相手にいろいろの笑談をして聞かせるのを楽しみとしていた。その笑談の一つの材料として芭蕉のこの辞世の句が選ばれたことを思い出す。それが「旅に病んで」ではなくて「旅で死んで」というエディションになっていた。それを、首を左右にふりながら少し舌の滑動の怪しくなった口調で繰り返し繰り返し詠嘆する。その様子がおかしいので子供はみんな笑いこけたものである。しかし今になって考えてみると、かなり数奇の生涯を体験した政客であり同時に南画家であり漢詩人であった義兄春田居士がこの芭蕉の句を酔いに乗じて詠嘆していたのはあながちに子供らを笑わせるだけの目的ではなかったであろうという気もするのである。そうしてそれを聞いて笑いこけていた当時子供の自分の頭にもこの句のこの変わったエディションが何かしら深い印象を刻んだということも今になって始めて自覚されるようである。



 「落ちざまに虻を伏せたる椿かな」漱石先生の句である。今から三十余年の昔自分の高等学校学生時代に熊本から帰省の途次門司の宿屋である友人と一晩寝ないで語り明かしたときにこの句についてだいぶいろいろ論じ合ったことを記憶している。どんな事を論じたかは覚えていない。ところがこの二三年前、偶然な機会から椿の花が落ちるときにたとえそれが落ち始める時にはうつ向きに落ち始めても空中で回転して仰向きになろうとするような傾向があるらしいことに気がついて、多少これについて観察しまた実験をした結果、やはり実際にそういう傾向のあることを確かめることができた。それで木が高いほどうつ向きに落ちた花よりも仰向きに落ちた花の数の比率が大きいという結果になるのである。しかし低い木だとうつ向きに枝を離れた花は空中で回転する間がないのでそのままにうつ向きに落ちつくのが通例である。この空中反転作用は花冠の特有な形態による空気の抵抗のはたらき方、花の重心の位置、花の慣性能率等によって決定されることはもちろんである。それでもし虻が花の蕊の上にしがみついてそのままに落下すると、虫のために全体の重心がいくらか移動しその結果はいくらかでも上記の反転作用を減ずるようになるであろうと想像される。すなわち虻を伏せやすくなるのである。こんなことは右の句の鑑賞にはたいした関係はないことであろうが、自分はこういう瑣末な物理学的の考察をすることによってこの句の表現する自然現象の現実性が強められ、その印象が濃厚になり、従ってその詩の美しさが高まるような気がするのである。




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今日は、一日中ほとんど寝ていました。

一昨日の午後から身体中がだるく、寒気がするようになりました。
夕方、医者に行ったところ、普通の風邪という診断だったので、薬を飲んで早く寝ました。

昨日は、朝から37℃ほどの熱と頭痛がし、仕事を休んで寝ていましたが、昼過ぎには楽になったので、出勤しました。…が、夕方にはまた体調が悪化してしまいました。

今日は、結局、一日起きられませんでした。
夕方になってようやく少し楽になったところです。

職場では、昨日無理して出てきたからだと言われています。
仕事の関係では、現在、大きな山場を迎えているのに、一人取り残されている感じです。

病雁の 夜寒に落ちて 旅寝哉 (芭蕉

この雁のように病で群から取り残されないように、週末は療養したいと考えています。


今日は、アルバート・ケテルビーの亡くなった日です。

ペルシャの市場にて」で知られるイギリスの作曲家・アルバート・ウィリアム・ケテルビー(Albert William Ketèlbey)は、今から50年前の今日(1959年11月26日)、84歳で亡くなりました。

代表作「ペルシャの市場にて(In a Persian Market)」は、1920年に発表されたもので、オリジナルでは男声合唱が含まれていますが、最近では合唱なしで演奏されることが多いようです。

誰もが一度は聞いたことのある曲だと思います。

オリジナルの演奏としては、ケテルビー自身が指揮した「A. W. ケテルビー・コンサート・オーケストラの演奏〔1928年〕」が知られています。
※「In a Persian Market by Albert Ketèlbey (Recorded in 1928)」:YouTubeから

どこか郷愁を誘うこの曲を聞くと、遠くペルシャの町を旅している気分になれます。



名古屋城本丸御殿障壁画復元模写展を見ました。

名古屋ボストン美術館では、5階オープンギャラリーで「よみがえる400年前の輝き 名古屋城本丸御殿障壁画復元模写展」(2009年9月19日~2009年11月23日)が開催中でした。
名古屋ボストン美術館のサイトの「よみがえる400年前の輝き 名古屋城本丸御殿障壁画復元模写展」のページ:http://www.nagoya-boston.or.jp/exhibition/past/brilliancy-200909/outline.html
名古屋城本丸御殿のサイトの「よみがえる400年前の輝き 名古屋城本丸御殿障壁画復元模写展」のページ:http://www.hommaru-palace.city.nagoya.jp/04_events/moshaten/index.html

名古屋ボストン美術館200911_03
[2009年11月22日(日)撮影]

この展覧会は、平成30(2018)年の完成を目標に今年1月から始まった※名古屋城本丸御殿の復元工事の着工を記念したものだそうで、
玄関表書院上洛殿黒木書院対面所の主要な復元模写作品72面が展示されていました。
また、模写に使われた道具類や復元模写の様子の展示もありました。

この展覧会は、玄関表書院上洛殿黒木書院対面所の5つの部屋ごとに、配置もできるだけ忠実に展示されていました。

玄関では、ポスターやパンフレットにも使われている「竹林豹虎図」が展示されていました。
※「竹林豹虎図」(部分):名古屋ボストン美術館のサイトから

表書院では、「槙楓椿図」の紅葉した楓が今の季節にぴったりで印象に残りました。
上洛殿では、「雪中竹林鳩雀図」と「雪中山水図」が、「雪中竹林鳩雀図」の上に「雪中山水図」があるという本来の形で展示されており、迫力がありました。
ちなみに展覧会の入り口の看板には、「雪中竹林鳩雀図」の一部が使われていました。

名古屋ボストン美術館200911_01
[2009年11月22日(日)撮影]

また、非常に緻密に描かれた天井画もすばらしかったです。
※「栗図」:名古屋城本丸御殿のサイトから

黒木書院では、「雪景山水図」が、対面所では、「風俗図(塩汲)」が印象に残りました。

現存する重要文化財障壁画からは想像できないほど、鮮やかな色の復元模写作品を見ていると、完成当時の華やかな本丸御殿の様子が目に浮かぶようでした。
この展覧会を見て、これらの復元模写作品が実際に使われるという復元される名古屋城本丸御殿を一日も早く見たいという思いが今まで以上に強くなりました。

この展示も、昨日紹介した「愛と美の女神 ヴィーナス -ギリシア神話から現代へ-」(2009年11月24日の日記参照)と同様に会期が残り2日ということもあって、館内はかなり混雑していました。



名古屋ボストン美術館に行きました。

日曜日(2009年11月22日)に名古屋ボストン美術館に「愛と美の女神 ヴィーナス -ギリシア神話から現代へ-」(2009年7月18日~2009年11月23日)を見に行きました。
名古屋ボストン美術館のサイトの「愛と美の女神 ヴィーナス -ギリシア神話から現代へ-」のページ:http://www.nagoya-boston.or.jp/exhibition/past/venus-200907/outline.html

名古屋ボストン美術館200911_04
[2009年11月22日(日)撮影]

この展覧会は、アメリカのボストン美術館が所蔵する古代から現代まで5000年にわたる作品135点によってヴィーナスにまつわる神話や信仰を紹介し、この女神の姿の変遷をたどりつつ、その素顔に迫るものだそうです。

展示室に入ると、今回の展覧会の目玉展示でポスターやパンフレットにも使われているアメリカボストン美術館の至宝「アフロディーテ頭部」が展示されていました。
白い大理石の頬に柔和な微笑みを湛えたこの「アフロディーテ頭部」(通称「バートレットの頭部」)は、ルーブル美術館の「ミロのヴィーナス」よりも古く、紀元前330年頃のギリシアの貴重な原作で、アフロディーテ像の顔としては最も美しいと評されているそうです。
※「アフロディーテ頭部(バートレットの頭部)」:名古屋ボストン美術館のサイトから

展示は、5つのコーナーに分かれていました。

1 ヴィーナスの起源:オリエントの女神たち
ここでは、ヴィーナスは、そもそもギリシア神話のアフロディーテであり、その起源は紀元前3000年紀のメソポタミアにまでたどることができることが紹介され、メソポタミアエジプトの遺跡の出土品が展示されていました。

2 ヴィーナスと神話
ここでは、ヴィーナスが海の泡から誕生したという神話や、パリスの審判などのヴィーナスにまつわる神話が紹介され、それらを描いた絵画や工芸品が展示されていました。

絵画では、ニコラ・プッサンの「マルスとヴィーナス」のエロティックな描写が印象的でした。
工芸品では、パリスの審を題材にした絵が描かれている古代ギリシアの「双耳壺(アンフォラ)」の美しさも目を引きました。
※「マルスとヴィーナス」(ニコラ・プッサン):名古屋ボストン美術館のサイトから
※「双耳壺(アンフォラ)」:名古屋ボストン美術館のサイトから

3 ヴィーナスと美
ここでは、ヴィーナスが美の象徴となったため、人々がヴィーナスに理想の女性美を求めた結果、時代と共にヴィーナスの姿は変遷することになったことが紹介され、時代の美を象徴する美術作品が展示されていました。

現代のヴィーナスということで展示されていたフェルナンド・ボテロの「ヴィーナス」は、あまりの存在感に圧倒され、目に焼きついてしまいました。
※「ヴィーナス」(フェルナンド・ボテロ):ボストン美術館のサイトから

4 愛と結婚
ここでは、結婚の守護神としてのヴィーナスが紹介され、結婚式で用いる壺などが展示されていました。

5 ヴィーナスと信仰
ここでは、信仰の対象としてのヴィーナスが紹介され、ギリシアローマの遺跡から出土したヴィーナスへの奉納品などの遺品が展示されていました。
ローマ時代のコインも数多く展示されていました。
この展覧会では、コインだけでなく、小さな展示物ではルーペを使って見ることができるようになっており、親切な展示方法だと思いました。

名古屋ボストン美術館200911_02
[2009年11月22日(日)撮影]

会期が残り2日ということもあり、館内はかなり混雑していました。


柿取りに出かけました。

岐阜県本巣市(旧糸貫町)の友人のところに、柿取りに出かけました。
※本巣市の公式サイト:http://www.city.motosu.lg.jp/

もう10年以上、毎年、11月23日に数名で柿取りにお邪魔しています。
今年は、10月の台風18号(2009年10月7日の日記参照)による被害が心配されましたが、例年通り収穫できると聞き、今年も今日出かけました。
ここ数年、毎年天候には恵まれており、今日も昨日の午後から今日の未明にかけての雨が嘘のような雲一つない晴天となりました。

柿200911

1時間半ほどで3本の富有柿の木に生っていた400個ほどの実を収穫しました。

富有柿は、次郎柿とともに、代表的な完全甘柿です。
完全甘柿は、熟すと常に甘みを持ち、実が固いうちも軟らかくなってからも、甘みは変わらないとのことです。

今日、収穫した富有柿は、少し固めなので、長く味わうことができそうです。



特別展「妙心寺 禅の心と美」を見に行きました。

名古屋市博物館では、明日(2009年11月23日)まで、特別展「開山無相大師650年遠諱記念 妙心寺 禅の心と美」が開催されています。
名古屋市博物館のサイトの特別展「開山無相大師650年遠諱記念 妙心寺 禅の心と美」のページ:http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji091010.html

名古屋市博物館200911_01

この展覧会は4章で構成されていました。

第1章 妙心寺の開創
ここでは、妙心寺を創建した花園天皇と、花園天皇に迎えられて妙心寺を開創し、明治天皇から無相大師と謚された関山慧玄にまつわる品々が展示されていました。
妙心寺が所蔵する中国・明代の「瑠璃天蓋」が印象に残りました。

第2章 妙心寺派の高僧と文化
ここでは、全国の妙心寺派の寺院の仏像仏画、また、江戸時代の僧・白隠慧鶴の描いた禅画が展示されていました。
伸びやかな筆使いで描かれている東観音寺愛知県豊橋市)所蔵の「達磨図」(白隠慧鶴)がすばらしかったです。

第3章 戦国武将と妙心寺派寺院
妙心寺派の寺院には、多くの戦国武将が帰依したため、戦国時代に隆盛を極めたそうです。
ここでは、妙心寺派の寺院に残る室町将軍や戦国武将の肖像画が数多く展示されていました。
中でも、教科書などでよく見たことのある妙興寺愛知県一宮市)所蔵の重要文化財足利義教」の実物を見ることができたのは、今回の展覧会に出品されていることを知らなかったので、望外の喜びでした。

第4章 ゆかりの名宝
妙心寺は、応仁ので炎上したのちに、細川勝元政元父子によって復興し、その後、戦国大名たちの寄進によって数多くの塔頭が創建されたとのことです。
ここでは、これらの塔頭の室内を飾っていた狩野派の襖絵屏風が展示されていました。
ポスターやパンフレットにも使われている重要文化財龍虎図屏風」(狩野山楽)や重要文化財花卉図屏風」(海北友松)は圧巻でした。
※「花卉図屏風」:名古屋市博物館のサイトから

ここでは、妙心寺の塔頭の一つ春光院京都市右京区)にある「銅鐘 IHS紋入」も見ることができました。
この鐘は通称“南蛮寺の銅鐘”で、キリスト教の教会で用いられていた鐘とされ、側面の周囲に十字架とIHS(ギリシア語で、キリスト)を組み合わせた文様が鋳出されています。
※「銅鐘 IHS紋入」:春光院のサイト(英文)から

また、この地方の妙心寺派寺院が所蔵する当地にゆかりの画家による襖絵天井絵なども展示されており、中でも徳源寺名古屋市東区)の天井絵雲龍図」(川合玉堂)には見るものを圧倒する迫力がありました。
※「雲龍図」:徳源寺のサイトから

名古屋市博物館200911_02

今日の名古屋は、午後3時ごろから雨になりました。
私は午後3時半頃に入館しましたが、翌日が最終日ということもあり、閉館間近の時間になっても館内は大混雑でした。


今日の謡の稽古は、『藤永』の6回目。

今日のの稽古は、『藤永』の6回目。今日で『藤永』は終了です。
今日の場面は、最明寺時頼が叔父藤永に押領されていた月若丸の領地を月若丸に返し、また、藤永には、今後は一族の総領である月若丸のもとに一族が結束するよう諭して、本来の領地を安堵するという慈悲深い裁きを下す場面です。

ワキ「汝はあまりに過分のふるまいかな。
   総領月若をば追い出だし。賎しき海人の奴となすこと。
   前代未聞の曲事かな。われかかる姿となって諸国を巡ること。
   別の子細にあらず。在々所々において。
   汝がごとくみだんなる輩を政道せんがためなり。
   いかに月若。さぞこのほどは無念にありつらん。
   今日は最上吉日なれば。芦屋の荘七百余町のところ。
   今日よりしては月若が本領たるべし。
   まった藤永がことは。重科人のことなれば。
   いかなる流罪にも死罪にも行のうべけれども。
   よしよし慈悲は上より下り。仇をば恩にて報ずるなれば。
   汝が知行。それは相違あるべからず。
   今日よりしては総領を総領と崇め。一家繁昌たるべしと。
   重ねて下知を.下しけり。

地謡「げに有難きご政道。すぐなる時の世に出づる。
   月若が心の内。天にもあがるばかりなり。
   やがて本宅に立ち帰り.やがて本宅に立ち帰り。
   知行の道も正しく。総領庶子繁昌し.一族の栄花際もなし。
   百姓も万民も。みな朝恩に誇りて。栄うる御代とぞ.なりにける



今日の箇所はそれほど難しい謡はありませんでした。だからといってうまく謡えたわけではありませんが…。


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今日は、「河童」の第11章を紹介します。

この章では、前の章(2009年11月19日の日記参照)で、主人公が作曲家のクラバックから渡された哲学者のマッグの書いた「阿呆の言葉」という本の中身が紹介されています。

このうち、6番目と13番目と15番目にクラバックは爪の痕を残しています。
この章で、芥川クラバックに自分を重ね合わせていると思いますので、この3箇所が芥川の言いたいことでもあったのでしょう。


河童』(芥川龍之介)

十一

 これは哲学者のマッグの書いた「阿呆の言葉」の中の何章かです。――
        ×
 阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じている。
        ×
 我々の自然を愛するのは自然は我々を憎んだり嫉妬したりしないためもないことはない。
        ×
 もっとも賢い生活は一時代の習慣を軽蔑しながら、しかもそのまた習慣を少しも破らないように暮らすことである。
        ×
 我々のもっとも誇りたいものは我々の持っていないものだけである。
        ×
 何びとも偶像を破壊することに異存を持っているものはない。同時にまた何びとも偶像になることに異存を持っているものはない。しかし偶像の台座の上に安んじてすわっていられるものはもっとも神々に恵まれたもの、――阿呆か、悪人か、英雄かである。(クラバックはこの章の上へ爪の痕をつけていました。)
        ×
 我々の生活に必要な思想は三千年前に尽きたかもしれない。我々はただ古い薪に新しい炎を加えるだけであろう。
        ×
 我々の特色は我々自身の意識を超越するのを常としている。
        ×
 幸福は苦痛を伴い、平和は倦怠を伴うとすれば、――?
        ×
 自己を弁護することは他人を弁護することよりも困難である。疑うものは弁護士を見よ。
        ×
 矜誇、愛欲、疑惑――あらゆる罪は三千年来、この三者から発している。同時にまたおそらくはあらゆる徳も。
        ×
 物質的欲望を減ずることは必ずしも平和をもたらさない。我々は平和を得るためには精神的欲望も減じなければならぬ。(クラバックはこの章の上にも爪の痕を残していました。)
        ×
 我々は人間よりも不幸である。人間は河童ほど進化していない。(僕はこの章を読んだ時思わず笑ってしまいました。)
        ×
 成すことは成し得ることであり、成し得ることは成すことである。畢竟我々の生活はこういう循環論法を脱することはできない。――すなわち不合理に終始している。
        ×
 ボオドレエルは白痴になった後、彼の人生観をたった一語に、――女陰の一語に表白した。しかし彼自身を語るものは必ずしもこう言ったことではない。むしろ彼の天才に、――彼の生活を維持するに足る詩的天才に信頼したために胃袋の一語を忘れたことである。(この章にもやはりクラバックの爪の痕は残っていました。)
        ×
 もし理性に終始するとすれば、我々は当然我々自身の存在を否定しなければならぬ。理性を神にしたヴォルテエルの幸福に一生をおわったのはすなわち人間の河童よりも進化していないことを示すものである。



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今日は、「河童」の第10章を紹介します。

この章で、主人公は、家庭内のごたごたに悩む学生のラップを慰めようと、作曲家のクラバックのところに連れて行きますが、クラバックもふさぎ込んでいます。


河童』(芥川龍之介)



「どうしたね? きょうはまた妙にふさいでいるじゃないか?」
 その火事のあった翌日です。僕は巻煙草をくわえながら、僕の客間の椅子に腰をおろした学生のラップにこう言いました。実際またラップは右の脚の上へ左の脚をのせたまま、腐った嘴も見えないほど、ぼんやり床の上ばかり見ていたのです。
「ラップ君、どうしたね。」と言えば、
「いや、なに、つまらないことなのですよ。――」
 ラップはやっと頭をあげ、悲しい鼻声を出しました。
「僕はきょう窓の外を見ながら、『おや虫取り菫が咲いた』と何気なしにつぶやいたのです。すると僕の妹は急に顔色を変えたと思うと、『どうせわたしは虫取り菫よ』と当たり散らすじゃありませんか? おまけにまた僕のおふくろも大の妹贔屓ですから、やはり僕に食ってかかるのです。」
「虫取り菫が咲いたということはどうして妹さんには不快なのだね?」
「さあ、たぶん雄の河童をつかまえるという意味にでもとったのでしょう。そこへおふくろと仲悪い叔母も喧嘩の仲間入りをしたのですから、いよいよ大騒動になってしまいました。しかも年中酔っ払っているおやじはこの喧嘩を聞きつけると、たれかれの差別なしに殴り出したのです。それだけでも始末のつかないところへ僕の弟はその間におふくろの財布を盗むが早いか、キネマか何かを見にいってしまいました。僕は……ほんとうに僕はもう、……」
 ラップは両手に顔を埋め、何も言わずに泣いてしまいました。僕の同情したのはもちろんです。同時にまた家族制度に対する詩人のトックの軽蔑を思い出したのももちろんです。僕はラップの肩をたたき、一生懸命に慰めました。
「そんなことはどこでもありがちだよ。まあ勇気を出したまえ。」
「しかし……しかし嘴でも腐っていなければ、……」
「それはあきらめるほかはないさ。さあ、トック君の家へでも行こう。」
「トックさんは僕を軽蔑しています。僕はトックさんのように大胆に家族を捨てることができませんから。」
「じゃクラバック君の家へ行こう。」
 僕はあの音楽会以来、クラバックにも友だちになっていましたから、とにかくこの大音楽家の家へラップをつれ出すことにしました。クラバックはトックに比べれば、はるかに贅沢に暮らしています。というのは資本家のゲエルのように暮らしているという意味ではありません。ただいろいろの骨董を、――タナグラの人形やペルシアの陶器を部屋いっぱいに並べた中にトルコ風の長椅子を据え、クラバック自身の肖像画の下にいつも子どもたちと遊んでいるのです。が、きょうはどうしたのか両腕を胸へ組んだまま、苦い顔をしてすわっていました。のみならずそのまた足もとには紙屑が一面に散らばっていました。ラップも詩人トックといっしょにたびたびクラバックには会っているはずです。しかしこの容子に恐れたとみえ、きょうは丁寧にお時宜をしたなり、黙って部屋の隅に腰をおろしました。




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kinkun

Author:kinkun
名古屋春栄会のホームページの管理人

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