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2009 / 07
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今日は、「河童」の第6章を紹介します。


この章で、詩人のトックの隣に住む哲学者とのマッグが登場します。
また、この章では、詩人のトックを主人公に紹介してくれた学生のラップ恋愛問題も描かれています。
当時の日本の恋愛観では、女性から告白するということは、はしたないことだと考えられていたので、芥川は、人間の世界とは逆と言う意味で、河童の国では雌が雄を追いかけるとしたのでしょう。
また、この章では、“ラップが雌の河童に追いかけられ、抱き付かれたせいで、何週間か床についた上、嘴が腐って落ちてしまいまう”という話が出てきます
この話は、鼻が落ちるといわれた梅毒を連想させ、潔癖な芥川のフリーセックスへの嫌悪感が感じられます。


河童』(芥川龍之介)



 実際また河童の恋愛は我々人間の恋愛とはよほど趣を異にしています。雌の河童はこれぞという雄の河童を見つけるが早いか、雄の河童をとらえるのにいかなる手段も顧みません、一番正直な雌の河童は遮二無二雄の河童を追いかけるのです。現に僕は気違いのように雄の河童を追いかけている雌の河童を見かけました。いや、そればかりではありません。若い雌の河童はもちろん、その河童の両親や兄弟までいっしょになって追いかけるのです。雄の河童こそみじめです。なにしろさんざん逃げまわったあげく、運よくつかまらずにすんだとしても、二三か月は床についてしまうのですから。僕はある時僕の家にトックの詩集を読んでいました。するとそこへ駆けこんできたのはあのラップという学生です。ラップは僕の家へ転げこむと、床の上へ倒れたなり、息も切れ切れにこう言うのです。
「大変だ! とうとう僕は抱きつかれてしまった!」
 僕はとっさに詩集を投げ出し、戸口の錠をおろしてしまいました。しかし鍵穴からのぞいてみると、硫黄の粉末を顔に塗った、背の低い雌の河童が一匹、まだ戸口にうろついているのです。ラップはその日から何週間か僕の床の上に寝ていました。のみならずいつかラップの嘴はすっかり腐って落ちてしまいました。





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今日は、「河童」の第5章を紹介します。


この章で、主人公は詩人のトックに出会います。
この章で、芥川河童の国家族制度トックの口を借りて批判しています。

トックはある時窓の外を指さし、「見たまえ。あの莫迦げさ加減を!」と吐き出すように言いました。窓の外の往来にはまだ年の若い河童が一匹、両親らしい河童をはじめ、七八匹の雌雄の河童を頸のまわりへぶら下げながら、息も絶え絶えに歩いていました。

芥川はここで、年の若い河童を、養父母、伯母、妻、三人の子供の面倒を一人で見なければならなかった自分に重ね合わせて描いたのだと思います。


河童』(芥川龍之介)



 僕はこのラップという河童にバッグにも劣らぬ世話になりました。が、その中でも忘れられないのはトックという河童に紹介されたことです。トックは河童仲間の詩人です。詩人が髪を長くしていることは我々人間と変わりません。僕は時々トックの家へ退屈しのぎに遊びにゆきました。トックはいつも狭い部屋に高山植物の鉢植えを並べ、詩を書いたり煙草をのんだり、いかにも気楽そうに暮らしていました。そのまた部屋の隅には雌の河童が一匹、(トックは自由恋愛家ですから、細君というものは持たないのです。)編み物か何かしていました。トックは僕の顔を見ると、いつも微笑してこう言うのです。(もっとも河童の微笑するのはあまりいいものではありません。少なくとも僕は最初のうちはむしろ無気味に感じたものです。)
「やあ、よく来たね。まあ、その椅子にかけたまえ。」
 トックはよく河童の生活だの河童の芸術だのの話をしました。トックの信ずるところによれば、当たり前の河童の生活ぐらい、莫迦げているものはありません。親子夫婦兄弟などというのはことごとく互いに苦しめ合うことを唯一の楽しみにして暮らしているのです。ことに家族制度というものは莫迦げている以上にも莫迦げているのです。トックはある時窓の外を指さし、「見たまえ。あの莫迦げさ加減を!」と吐き出すように言いました。窓の外の往来にはまだ年の若い河童が一匹、両親らしい河童をはじめ、七八匹の雌雄の河童を頸のまわりへぶら下げながら、息も絶え絶えに歩いていました。しかし僕は年の若い河童の犠牲的精神に感心しましたから、かえってその健気さをほめ立てました。





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今日は、「河童」の第4章を紹介します。


第4章で、主人公は医者のチャックと産児制限の話をしています。これは、大正11(1922)年のマーガレット・サンガー Margaret Higgins Sangerの来日により始まり、この作品の執筆時点〔昭和2(1927)年〕でも盛んに行われていた産児制限運動の影響によるものと思われます。
チャックに『しかし両親のつごうばかり考えているのはおかしいですからね。どうもあまり手前勝手ですからね。』と言わせているのは、芥川産児制限運動を両親の都合で、子供を故意に生んだり生まなかったりすことだと考え、産児制限運動に反対だったからだと思います。

河童』(芥川龍之介)



 僕はだんだん河童の使う日常の言葉を覚えてきました。従って河童の風俗や習慣ものみこめるようになってきました。その中でも一番不思議だったのは河童は我々人間の真面目に思うことをおかしがる、同時に我々人間のおかしがることを真面目に思う――こういうとんちんかんな習慣です。たとえば我々人間は正義とか人道とかいうことを真面目に思う、しかし河童はそんなことを聞くと、腹をかかえて笑い出すのです。つまり彼らの滑稽という観念は我々の滑稽という観念と全然標準を異にしているのでしょう。僕はある時医者のチャックと産児制限の話をしていました。するとチャックは大口をあいて、鼻目金の落ちるほど笑い出しました。僕はもちろん腹が立ちましたから、何がおかしいかと詰問しました。なんでもチャックの返答はだいたいこうだったように覚えています。もっとも多少細かいところは間違っているかもしれません。なにしろまだそのころは僕も河童の使う言葉をすっかり理解していなかったのですから。
「しかし両親のつごうばかり考えているのはおかしいですからね。どうもあまり手前勝手ですからね。」
 その代わりに我々人間から見れば、実際また河童のお産ぐらい、おかしいものはありません。現に僕はしばらくたってから、バッグの細君のお産をするところをバッグの小屋へ見物にゆきました。河童もお産をする時には我々人間と同じことです。やはり医者や産婆などの助けを借りてお産をするのです。けれどもお産をするとなると、父親は電話でもかけるように母親の生殖器に口をつけ、「お前はこの世界へ生まれてくるかどうか、よく考えた上で返事をしろ。」と大きな声で尋ねるのです。バッグもやはり膝をつきながら、何度も繰り返してこう言いました。それからテエブルの上にあった消毒用の水薬でうがいをしました。すると細君の腹の中の子は多少気兼ねでもしているとみえ、こう小声に返事をしました。
「僕は生まれたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでもたいへんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じていますから。」
 バッグはこの返事を聞いた時、てれたように頭をかいていました。が、そこにい合わせた産婆はたちまち細君の生殖器へ太い硝子の管を突きこみ、何か液体を注射しました。すると細君はほっとしたように太い息をもらしました。同時にまた今まで大きかった腹は水素瓦斯を抜いた風船のようにへたへたと縮んでしまいました。




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芥川龍之介の「河童」の第3章は、

2009年5月10日の日記に掲載しています。

ここで主人公が説明する河童の姿は、一般的な伝承上の河童の姿と少し異なります。

主な違いは、次の2点。

(1)河童の皮膚はカメレオンのように、周囲の色に合わせて色を変えることができるとされている点。
河童は我々人間のように一定の皮膚の色を持っていません。なんでもその周囲の色と同じ色に変わってしまう、――たとえば草の中にいる時には草のように緑色に変わり、岩の上にいる時には岩のように灰色に変わるのです。これはもちろん河童に限らず、カメレオンにもあることです。

(2)河童の腹に、カンガルーのような袋があるとされている点。

河童はカンガルウのように腹に袋を持っています


今日は、「河童」の第2章を紹介します。


主人公は、河童の国で医者のチャックと、最初に出会った漁夫のバッグと出会い、親しくなります。


河童』(芥川龍之介)



 そのうちにやっと気がついてみると、僕は仰向けに倒れたまま、大勢の河童にとり囲まれていました。のみならず太い嘴の上に鼻目金をかけた河童が一匹、僕のそばへひざまずきながら、僕の胸へ聴診器を当てていました。その河童は僕が目をあいたのを見ると、僕に「静かに」という手真似をし、それからだれか後ろにいる河童へ Quax, quax と声をかけました。するとどこからか河童が二匹、担架を持って歩いてきました。僕はこの担架にのせられたまま、大勢の河童の群がった中を静かに何町か進んでゆきました。僕の両側に並んでいる町は少しも銀座通りと違いありません。やはり毛生欅の並み木のかげにいろいろの店が日除けを並べ、そのまた並み木にはさまれた道を自動車が何台も走っているのです。
 やがて僕を載せた担架は細い横町を曲ったと思うと、ある家の中へかつぎこまれました。それは後に知ったところによれば、あの鼻目金をかけた河童の家、――チャックという医者の家だったのです。チャックは僕を小ぎれいなベッドの上へ寝かせました。それから何か透明な水薬を一杯飲ませました。僕はベッドの上に横たわったなり、チャックのするままになっていました。実際また僕の体はろくに身動きもできないほど、節々が痛んでいたのですから。
 チャックは一日に二三度は必ず僕を診察にきました。また三日に一度ぐらいは僕の最初に見かけた河童、――バッグという漁夫も尋ねてきました。河童は我々人間が河童のことを知っているよりもはるかに人間のことを知っています。それは我々人間が河童を捕獲することよりもずっと河童が人間を捕獲することが多いためでしょう。捕獲というのは当たらないまでも、我々人間は僕の前にもたびたび河童の国へ来ているのです。のみならず一生河童の国に住んでいたものも多かったのです。なぜと言ってごらんなさい。僕らはただ河童ではない、人間であるという特権のために働かずに食っていられるのです。現にバッグの話によれば、ある若い道路工夫などはやはり偶然この国へ来た後、雌の河童を妻にめとり、死ぬまで住んでいたということです。もっともそのまた雌の河童はこの国第一の美人だった上、夫の道路工夫をごまかすのにも妙をきわめていたということです。




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今日も舞囃子の稽古をしていただきました。

舞囃子三輪』の通しの稽古は、今日が3回目。

依然として藤田流笛の譜についていけない箇所が残っています。
穂高先生は、森田流口唱歌で稽古してきたからではないかと、責任を感じていらっしゃるようです。

ただただ自らの稽古不足、笛の譜がしっかり聞けていないのが原因なのに申し訳ない限りです。

また、シテ謡についても、いろいろとご指導いただきました。

本番まであと2週間になってしまいました。恥ずかしくないレベルにまではしたいと考えています……。


今日は、河童忌です。

昭和2(1927)年7月24日未明、芥川龍之介は服毒自殺します。
遺書に有名な『僕の将来に対する唯ぼんやりした不安』という言葉を残しました。35歳でした。
自殺直前の芥川の厭世的な心境は、晩年の代表作「河童」などにも表現されており、芥川の命日はこの「河童」にちなみ、河童忌と言われています。

河童」は、一言で言うと“ある狂人が河童の世界を体験し、その体験を人間世界に戻って話す物語”です。

今日から、「河童」を紹介します。

河童』(芥川龍之介)

どうか Kappa と発音してください。



 これはある精神病院の患者、――第二十三号がだれにでもしゃべる話である。彼はもう三十を越しているであろう。が、一見したところはいかにも若々しい狂人である。彼の半生の経験は、――いや、そんなことはどうでもよい。彼はただじっと両膝をかかえ、時々窓の外へ目をやりながら、(鉄格子をはめた窓の外には枯れ葉さえ見えない樫の木が一本、雪曇りの空に枝を張っていた。)院長のS博士や僕を相手に長々とこの話をしゃべりつづけた。もっとも身ぶりはしなかったわけではない。彼はたとえば「驚いた」と言う時には急に顔をのけぞらせたりした。……
 僕はこういう彼の話をかなり正確に写したつもりである。もしまただれか僕の筆記に飽き足りない人があるとすれば、東京市外××村のS精神病院を尋ねてみるがよい。年よりも若い第二十三号はまず丁寧に頭を下げ、蒲団のない椅子を指さすであろう。それから憂鬱な微笑を浮かべ、静かにこの話を繰り返すであろう。最後に、――僕はこの話を終わった時の彼の顔色を覚えている。彼は最後に身を起こすが早いか、たちまち拳骨をふりまわしながら、だれにでもこう怒鳴りつけるであろう。――「出て行け! この悪党めが! 貴様も莫迦な、嫉妬深い、猥褻な、ずうずうしい、うぬぼれきった、残酷な、虫のいい動物なんだろう。出ていけ! この悪党めが!」





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名古屋では、79.3%。

今日は、日本では46年ぶりという皆既日食でした。
名古屋でも午前11時7分55秒に、79.3%まで欠けるということでした。

今日の名古屋は曇りで、観測にはあまり適してなかったようです。
しかし、雲の薄くなったときがときどきあり、そのときには欠ける太陽を見ることができたとのことです。
※名古屋市科学館のホームページ:http://www.ncsm.city.nagoya.jp/astro/eclipse/solar.html

私は屋内で仕事をしていたので、見ることはできませんでした。



能は金春流、狂言は和泉流。

毎年、社団法人能楽協会主催で行われている能楽の地方公演ですが、今年は8月2日(日)に鹿児島かごしま県民交流センター県民ホールで開催されます。
今年の公演では、金春流が、狂言名古屋和泉流が勤めます。

第一部では櫻間金記師が『』を、第二部では金春安明師が『黒塚』を舞われます。
穂高先生は、両方とも地謡で参加するとのことでした。

能・狂言 鹿児島公演200908_01

能・狂言 鹿児島公演200908_02

お近くの方は、よろしければお出かけください。



今日も舞囃子の稽古をしていただきました。

舞囃子三輪』の通しの稽古は、今日が2回目。
また、今日の稽古は、先日(2009年7月13日の日記参照)の申合せの後、初めての稽古でした。

申合せの時よりは、大分合わせられるようになりましたが、依然として藤田流笛の譜についていけない箇所があり、申合せのときのテープをしっかり聞くようにという指導を受けました。

どうしても、笛の譜についていけない所があり、耳が悪くなったのかと感じています。


ところで、今日から名古屋春栄会に新しい会員が増えました。
※名古屋春栄会のホームページ(入会の案内もあります):http://www.syuneikai.net/
大学生の女性の方で、今日が初稽古でした。
その稽古の様子を見ていて、私も初心を忘れないようにしなければと思いました。



今日は、舞囃子の申合せでした。

申合せというのは、能のリハーサルのことで、舞囃子の場合、実際に囃子方に合わせて舞う初めての機会となります。

第38回名古屋春栄会の番組どおり、『高砂』、『三輪』、『紅葉狩』の順で行われましたので、私は2番目でした。

予想以上に笛の譜が聞き取れず、穂高先生のサポートがなかったら、どうなったかわからないところでした(簡単に言うと囃子に全く合わせられなかったということです)。

本番までに、修正して対応できるかどうか心配です。

紅葉狩』は地謡で参加しました。

こちらは想像していたより長く、足が痺れそうになりました。

反省点のたくさんあった申合せでした。


能の雅[エレガンス] 狂言の妙[エスプリ]

松坂屋美術館名古屋市中区)で今月〔2009年7月〕26日(日)まで開催中の国立能楽堂開場25周年記念「国立能楽堂コレクション展に行きました。

松坂屋美術館200907_01

この展覧会は、昭和58(1983)年に設立された国立能楽堂能・狂言面約80点、能・狂言装束約130点、能楽器約10点、絵画・文献資料約100件等、総計約400件にも及ぶ厖大なコレクションの中の選りすぐりの品々を紹介するものとのことです。

※松坂屋美術館のホームページ:http://www.matsuzakaya.co.jp/museum/nougakudo/

国立能楽堂の誇るコレクションだけあって、能面能装束も見応えがありましたが、私の印象に残ったのは『能楽手鑑』、『能絵鑑』などの能画能絵と呼ぶのが正しいのかも…)でした。
能の演目ごとにシテの姿を描いたものですが、そもそも恥ずかしながらこういう分野の絵画があることも知らなかったので、とても新鮮に見ることができました。

また、狂言面狂言装束も多数展示されていました。

この展覧会のサブタイトルである「能の雅[エレガンス] 狂言の妙[エスプリ]」にふさわしい展示だと思いました。

松坂屋美術館200907_02


なお、この展覧会は2009年12月19日(土)~2010年2月14日(日)まで、 細見美術館京都市左京区)に巡回するそうです。



kinkun

Author:kinkun
名古屋春栄会のホームページの管理人

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