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2009 / 05
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枇杷の実が色付き始めていました。

実家の枇杷の木で実が色付き始めています。
今年は、昨秋にかなり強く剪定をしたので、実の生り具合が気になっていました。
というのも、以前、同じように強く剪定をした翌年に実の付きの悪かったことがあったからです。
しかし、たくさんの実がつき、さらに剪定をしたので、とりやすい低い位置に生りました。

ビワの木2009

満目の 白きは枇杷の 実を包む (山口誓子



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コーヒーノキに実がつきました。

3月に白い花をつけた(2009年3月21日の日記参照)鉢植えのコーヒーノキに実がつきました。

コーヒーノキ200905

順調に育って、赤く色づくといいんですが…。


今年もアマリリスが満開です。

今年も実家のアマリリスが満開になっていました。

アマリリス200905

アマリリスの花、特に赤いアマリリスの花は女性のなまめかしさに例えられることが多いようです。

林不忘の「丹下左膳」にもアマリリスが出てくるのを見つけたので紹介します。

丹下左膳』(林不忘)

こけ猿の巻




かれ門之丞、あの時主君源三郎にくっついて、棺を安置した奥の間へ踏みこんだのでしたが、とたんに彼は、白の葬衣をまとって上座にさしうつむく萩乃の姿を眼にして、生まれてはじめて、ハッと、電気にうたれたように感じたのだ。
 雨にうたれる秋海棠……なんてのは古い。
 激情の暴風雨にもまれて、かすかに息づくアマリリス――こいつは、にきびの作文みたいで、いやですネ。
 とにかく、なんともいえないんです、萩乃さまの美しさ、いじらしさといったら。
 ふたたび、恋は思案のほか……。
 脇本門之丞、当年とって二十と六歳。萩乃様を一眼見て、背骨がゾクッと総毛走った拍子に、スーッと恋風をひきこんじまった。
「アア、世の中には、こんな女もいたのか――」


ここでは、アマリリスは未亡人の美しさに例えられています。
秋海棠〔シュウカイドウ〕”の代わりに使われていることからも、赤いアマリリスであることがわかります。


今日は、童謡作家の海野厚が亡くなった日です。

海野厚〔明治29(1896)年~大正14(1925)年〕は、静岡県豊田村(現在の静岡市駿河区)出身の童謡作家で、『背くらべ』の作詞家として有名です。
28歳の若さで結核で亡くなりました。

背くらべ』(作詞:海野厚、作曲:中山晋平)

柱のきずは おととしの
五月五日の 背くらべ
粽たべたべ 兄さんが
計つてくれた 背のたけ
きのふくらべりゃ 何のこと
やつと羽織の 紐のたけ

柱に凭れりゃ すぐ見える
遠いお山も 背くらべ
雲の上まで 顔だして
てんでに背伸 してゐても
雪の帽子を ぬいでさへ
一はやつぱり 富士の山


海野は長男だったので、弟の視点から書いた詩と言われているそうです。


今日は、北村透谷が自殺した日です。

北村透〔明治元(1868)年~明治27(1894)年〕は、小田原市出身の詩人です。
島崎藤村木下尚江に大きな影響を与えたとされ、明治22(1889)年に発表した『楚囚之詩』は日本近代詩の最初の作品と言われています。
明治27(1894)年に27歳で自殺し、その死は当時の若者に大きな衝撃を与えたとのことです。

今日は、透谷の詩で、私の好きな詩を一つ紹介します。

平家蟹』(北村透谷)

神々に、
みすてられつゝ海そこに、
  深く沈みし是非なさよ。
世の態は、
小車のめぐりめぐりて、
  うつりかはりの跡留めぬに、
われのみは、
いつの世までもこのすがた、
  つきぬ恨みをのこすらむ。

かくれ家を、
しほ路の底に求めても、
  心やすめむ折はなく。
しらはたの、
源氏にあらぬあまびとの、
  何を惡しと追ひ來らむ。
まどかなる、
月は波上を照せども、
  この水底は常世暗。

あはれやな、
かしらの角はとがりまさり、
  前額のしわはいやふかし。
ふたもとの、
はさみはあれどこの恨み、
  斷ちきる術はなかりけり。
夢なりし、
むかしの榮華は覺めたれど、
  いまの現實はいつ覺めむ。





今日は、詩人の佐藤惣之助が亡くなった日です。

佐藤惣之助〔明治23(1890)年~昭和17(1942)年〕は、川崎市出身の詩人です。
また作詞家としても活躍し、昭和初期に作曲家、古賀政男などと組んで、多くの名曲を世に送り出しました。
主な曲としては、
赤城の子守唄』〔昭和9(1934)、作曲:竹岡信幸、歌:東海林太郎
人生の並木路』〔昭和12(1937)年、作曲:古賀政男、歌:ディック・ミネ
湖畔の宿』(昭和15(1940)年、作曲:服部良、歌:高峰三枝子
新妻鏡』(昭和15(1940)年、作曲:古賀政男、歌:霧島昇、二葉あき子
などがあります。
また、佐藤惣之助は、通称『六甲颪』として知られる『大阪タイガースの歌』〔昭和11(1936)年、作曲:古関裕而〕の作詞家としても有名です。

大阪タイガースの歌』(佐藤惣之助)

六甲颪に 颯爽と
蒼天翔ける日輪の
青春の覇気 美しく
輝く我が名ぞ 大阪タイガース
オウ オウ オウオウ 大阪タイガース フレ フレフレフレ

闘志溌剌 起つや今
熱血既に 敵を衝く
獣王の意気 高らかに
無敵の我等ぞ 大阪タイガース
オウ オウ オウオウ 大阪タイガース フレ フレフレフレ

鉄腕強打 幾千度び
鍛えてここに 甲子園
勝利に燃ゆる 栄冠は
輝く我等ぞ 大阪タイガース
オウ オウ オウオウ 大阪タイガース フレ フレフレフレ



ちなみに、昭和36(1961)年に球団名が、大阪タイガースから阪神タイガースに変更されたため、タイトルも歌詞も、“大阪タイガース”が“阪神タイガース”に変更されたとのことです。
歌詞の「オウ オウ オウオウ」は、もともとその次の歌詞「大阪タイガース」の“”の音の押韻だったんですね。



今日は、朔太郎忌です。

萩原朔太郎〔明治19(1886)年~昭和17(1942)年〕は、大正から昭和初期に活躍した詩人で、高村光太郎とともに口語自由詩の確立者と言われています。
昭和17(1942)年の5月11日に、急性肺炎で亡くなりました。享年56歳でした。

朔太郎の詩の中から初夏の詩を紹介します。

初夏の印象』(萩原朔太郎)

昆蟲の血のながれしみ
ものみな精液をつくすにより
この地上はあかるくして
女の白き指よりして
金貨はわが手にすべり落つ。
時しも五月のはじめつかた。
幼樹は街路に泳ぎいで
ぴよぴよと芽生は萌えづるぞ。
みよ風景はいみじくながれきたり
青空にくつきりと浮びあがりて
ひとびとのかげをしんにあきらかに映像す。


今日の名古屋は、最高気温31.6℃まで上がって二日連続の真夏日となり、初夏というより真夏のようでした。



今日の名古屋は真夏日でした。

今日の名古屋最高気温は、30.6℃で今年初めての真夏日でした。
この温度の単位“”は摂氏表記で、日本を始め多くの国で一般的に使用されています。
ただ、今でもアメリカでは、華氏表記°F”が一般的です。
日本でも、気象観測を始めたころは華氏表記を使っており、その後明治15年7月から摂氏表記が用いられるようになったとのことです。
ただし、日常生活では大正時代ぐらいまでは華氏表記が使われていたようです。
その理由は、「これまでの習慣がまだ残っていたことや、海外から輸入した(またはそれを元に日本で作られた)華氏表記の温度計がまだ多かったことが、その要因であったのかも」(「こんにちは!気象庁です!」平成21年4月号から抜粋)ということです。
「こんにちは!気象庁です!」平成21年4月号http://www.jma.go.jp/jma/kishou/jma-magazine/0904/konnichiha200904.pdf

芥川龍之介の『河童』でも華氏が使われています。

河童』(芥川龍之介)



 僕はこの先を話す前にちょっと河童というものを説明しておかなければなりません。河童はいまだに実在するかどうかも疑問になっている動物です。が、それは僕自身が彼らの間に住んでいた以上、少しも疑う余地はないはずです。ではまたどういう動物かと言えば、頭に短い毛のあるのはもちろん、手足に水掻きのついていることも「水虎考略」などに出ているのと著しい違いはありません。身長もざっと一メエトルを越えるか越えぬくらいでしょう。体重は医者のチャックによれば、二十ポンドから三十ポンドまで、――まれには五十何ポンドぐらいの大河童もいると言っていました。それから頭のまん中には楕円形の皿があり、そのまた皿は年齢により、だんだん固さを加えるようです。現に年をとったバッグの皿は若いチャックの皿などとは全然手ざわりも違うのです。しかし一番不思議なのは河童の皮膚の色のことでしょう。河童は我々人間のように一定の皮膚の色を持っていません。なんでもその周囲の色と同じ色に変わってしまう、――たとえば草の中にいる時には草のように緑色に変わり、岩の上にいる時には岩のように灰色に変わるのです。これはもちろん河童に限らず、カメレオンにもあることです。あるいは河童は皮膚組織の上に何かカメレオンに近いところを持っているのかもしれません。僕はこの事実を発見した時、西国の河童は緑色であり、東北の河童は赤いという民俗学上の記録を思い出しました。のみならずバッグを追いかける時、突然どこへ行ったのか、見えなくなったことを思い出しました。しかも河童は皮膚の下によほど厚い脂肪を持っているとみえ、この地下の国の温度は比較的低いのにもかかわらず、(平均華氏五十度前後です。)着物というものを知らずにいるのです。もちろんどの河童も目金をかけたり、巻煙草の箱を携えたり、金入れを持ったりはしているでしょう。しかし河童はカンガルウのように腹に袋を持っていますから、それらのものをしまう時にも格別不便はしないのです。ただ僕におかしかったのは腰のまわりさえおおわないことです。僕はある時この習慣をなぜかとバッグに尋ねてみました。するとバッグはのけぞったまま、いつまでもげらげら笑っていました。おまけに「わたしはお前さんの隠しているのがおかしい」と返事をしました。



ちなみに、華氏50度は摂氏10度にあたります。10℃で裸は寒いと思いますが…。



セフリジヤシ(?)を植替えました。

実家から我が家に来て5年。一度も植替えたことのなかった観葉植物を連休最後の6日に植替えました。
根が鉢中に回っていて、鉢を割らないといけなくなり、新しい鉢に植えることになりました。

セフリジヤシ200905
[2009年5月9日(土)撮影]

実家ではずっと“”と呼ばれていましたが、どう見てもヤシの仲間に見えます。
今回、改めて調べたところ、「セフリジヤシ」というヤシの仲間ではないかという結論に達しました。
セフリジヤシは、メキシコ原産で、葉の落ちた後が竹の節のような模様になるので、和室にも合う観葉植物として人気があるそうです。
だから、実家では“竹”と呼ばれていたのかも…。



Swingy Guys Jazz Orchestraのライブ

に行きました。
昨日(2009年5月5日)の結婚披露宴の席で、同じ職場の人のライブが今池名古屋市千種区)のTOKUZOで行われていることを聞き、披露宴の後、そのままライブハウスに行きました。

ジャズをライブハウスに聞きに行くのは、実は初めてでしたが、結構楽しむことができました。
ただし、かさばる上に重いことで有名な名古屋の結婚式の引き出物の入った紙袋と着替えの紋付袴の入ったカバンを持った略礼服のおじさん(私のことです)が、ライブハウスで浮いていたことは間違いないと思います。

Swingy Guys Jazz Orchestraの次の舞台は、6月14日(日)にパティオ池鯉鮒〔ちりゅう〕知立市文化会館)で開催される「BE HAPPY JAZZ FESTIVAL 2009」だそうです。
入場無料とのことですので、お近くの方はぜひお出かけください。



今日は、『高砂』の謡の本番でした。

最近、ずっと稽古を続けてきた『高砂』を謡う職場の後輩の結婚披露宴に出席しました。

本番までかなり緊張していたようで、新郎新婦には大変申し訳ないのですが、結婚式も含め、それまでのことはあまり覚えていません。
しかし、『高砂』の謡は何とか無事に謡うことができたと思っています。

新郎新婦からのプレゼントということで、披露宴会場に似顔絵画家の人がいて、披露宴出席者全員の似顔絵を色紙に書いてくれました。

似顔絵

似てるかな???


カロライナジャスミンの鉢植えの植替え

をしました。
毎年、ベランダできれいな花をたくさん咲かせてくれるカロライナジャスミンの鉢植え(2009年3月2日の日記参照)ですが、もう3年以上植替えていないので、植替えることにしました。
また、毎年剪定はしているのですが、年々どんどん大きくなり、強風あおられて鉢が倒れることが増えたので、植替えにあわせて、かなり強めに剪定をしました。

カロライナジャスミン200905

来年の春に、コンパクトな樹形のままで、たくさんの花が咲くことを期待しています。


kinkun

Author:kinkun
名古屋春栄会のホームページの管理人

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