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漱石の生家の話です。

今日は、漱石の生まれた家の近所の思い出話です。

話に出てくる“小倉屋”という酒屋は、『硝子戸の中(14)』で、『「どうしても宅にはありません、裏の夏目さんにはたくさんあるから、あすこへいらっしゃい。」』と言って、『とうとう金は一文も奪られ』なかったという酒屋の小倉屋のことです。
※『硝子戸の中(14)』:2008年1月24日の日記

また、“御北さん”の唄っている長唄は、おそらく『勧進帳』でしょう。長唄の『勧進帳』はその冒頭が、「旅に衣は篠懸の 旅に衣は篠懸の 露けき袖やしをるらん」です。
なお、この“小倉屋”という酒屋今も続いているようです。
小倉屋酒店のサイト:http://www.h5.dion.ne.jp/~kokuraya/index.html 


硝子戸の中』(夏目漱石)

十九

 私の旧宅は今私の住んでいる所から、四五町奥の馬場下という町にあった。町とは云い条、その実小さな宿場としか思われないくらい、小供の時の私には、寂れ切ってかつ淋しく見えた。もともと馬場下とは高田の馬場の下にあるという意味なのだから、江戸絵図で見ても、朱引内か朱引外か分らない辺鄙な隅の方にあったに違ないのである。
 それでも内蔵造の家が狭い町内に三四軒はあったろう。坂を上ると、右側に見える近江屋伝兵衛という薬種屋などはその一つであった。それから坂を下り切った所に、間口の広い小倉屋という酒屋もあった。もっともこの方は倉造りではなかったけれども、堀部安兵衛が高田の馬場で敵を打つ時に、ここへ立ち寄って、枡酒を飲んで行ったという履歴のある家柄であった。私はその話を小供の時分から覚えていたが、ついぞそこにしまってあるという噂の安兵衛が口を着けた枡を見たことがなかった。その代り娘の御北さんの長唄は何度となく聞いた。私は小供だから上手だか下手だかまるで解らなかったけれども、私の宅の玄関から表へ出る敷石の上に立って、通りへでも行こうとすると、御北さんの声がそこからよく聞こえたのである。春の日の午過などに、私はよく恍惚とした魂を、麗かな光に包みながら、御北さんの御浚いを聴くでもなく聴かぬでもなく、ぼんやり私の家の土蔵の白壁に身を靠たせて、佇立んでいた事がある。その御蔭で私はとうとう「旅の衣は篠懸の」などという文句をいつの間にか覚えてしまった。




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