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2008 / 09
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道東旅行で食べたご当地グルメを紹介します。

まずは、帯広で食べた豚丼
帯広についた9月4日の夜に帯広駅前の「元祖豚丼のぱんちょう」でいただきました。

豚丼_帯広2008
[2008年9月4日(木):帯広市「元祖豚丼のぱんちょう」にて]

豚肉の量での4種類があります(だんだん肉が多くなります)。
写真は、(1,050円)です。
私には、少し豚肉が多かったですが、本当においしかったです。また、食べたくなったので、翌日も食べに行きました(ただし、注文はにしました)。
ただ、営業時間が午後7時までなので、夜は早く行かないと食べられません。

二つ目は、川湯温泉で食べた蝦夷鹿肉ラーメン

川湯温泉の温泉街にある「お多福食堂」でいただきました。
この店のことは全く知りませんでしたが、9月22日の日記でも紹介したように、9月6日に摩周湖に行ったときが、「弟子屈エコで楽しむ2週間」という摩周湖へのマイカー乗り入れ規制の社会実験中で、その社会実験に参加した人にもらえたガイドブックと割引券で見つけました。

蝦夷鹿肉ラーメン_川湯温泉2008
[2008年9月6日(土):川湯温泉「お多福食堂」にて]

写真は、蝦夷鹿肉ラーメン〔しょうゆ味〕(900円)です。
チャーシューの代わりに蝦夷鹿肉の焼肉になっていました。
エゾシカの肉は、私には炙ったマグロのように感じられておいしかったです。
店のご主人によると、エゾシカの肉は脂身がほとんどない赤肉なので、よく鯨肉のようだと言われるということでした。

最後は、釧路空港で食べた秋刀魚丼
釧路空港ビル3階の「和食 北斗」でいただきました。
釧路沖で獲れた秋刀魚を使っているとのことで、8月1日から10月31日までの限定メニューでした。

秋刀魚丼_釧路2008
[2008年9月7日(日):釧路空港「和食 北斗」にて]

タレにつけて焼いたサンマの丼ですが、この甘ダレが絶妙でした。おいしかったです。


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名古屋城本丸御殿の8分の1模型が完成し、

昨日(9月28日)まで開催されていた「尾張名古屋の職人展」でお披露目されました。
今年1月27日の日記で紹介したように、この模型は昭和20(1945)年5月の空襲で焼失した名古屋城本丸御殿上洛殿・上段の間を、建築当時の技法を用いて8分の1で再現するものです。
名古屋市技能職団体連合会加盟の10組合が名古屋城本丸御殿匠工房を作って、製作に取りかかっていました。

NHK名古屋放送センタービルプラザウェーブ21に展示されていた模型の精巧さに見学の人たちも驚いていました。

名古屋城本丸御殿匠工房200809_01

屋根は、手作業で厚さも8分の1に作ったサワラの木の杮板、約2万枚を1枚1枚張って葺いたそうです。

名古屋城本丸御殿匠工房200809_02

屋根の構造がわかるように、断面がわかる形になっています。また、屋根の棟の部分に葺くも8分の1の大きさで特別に作ったものだそうです。

名古屋城本丸御殿匠工房200809_03

内部の障壁画襖絵なども復元されていました。

こうした職人技がいよいよ来年1月には着工する名古屋城本丸御殿の復元に活かされることを期待しています。



「版」の誘惑展を見に行きました。

午前10時半頃に名古屋市美術館に着きました。
この「版」の誘惑展は、名古屋市美術館の開館20周年記念の展覧会とのことで、今日が最終日でした。最終日の日曜日ということで、もう少し人が多いかと思いましたが、意外と空いていました。

名古屋市美術館200809


まず、入り口で観賞用パンフレットを渡されます。
このパンフレットでは、全体の作品が26のテーマに分類されていて、そのテーマごとに質問が入った説明ページがあります。

例えば、NO.1では、並べて展示してある山本鼎の『ブルトンヌ』[1920年、木版]と『ブルトンヌ画稿』[1913年、水彩]について、次のような質問がされています。
※『ブルトンヌ』:名古屋市美術館のサイトから

二つの作品を見くらべてください。
よく似ていますが、違うところもあります。
大きな作品(木版画)は、
小さな作品(水彩画)をもとにして作られたものです。

さて、それでは質問です。
◎作者は、どこを、どのように変えて描いていますか。
◎作者は、なぜ、そのように変えたのでしょうか。


このパンフレットにしたがって、全作品を鑑賞すると、版画の種類や技法、歴史などがわかるようになっています。展覧会でこういうタイプのパンフレットというか解説書をもらったのは初めてです。
説明も詳しくて、初心者への鑑賞の補助にはユニークな手法だと感じました。
…が、これを見ながらの作品を見ていくのは、美術の授業のようで、芸術鑑賞とは言えないのではないかという違和感も残りました。

最も印象に残った作品は、製作された昭和38(1963)年当時に使われていた聖徳太子の千円札を本物そっくりに手書きで拡大した赤瀬川原平の『復讐の形態学(殺す前に相手を良く見る)』でした。
※『復讐の形態学(殺す前に相手を良く見る)』:名古屋市美術館のサイトから

10分以上見入ってしまったのが、サイモン・パターソン Simon Pattersonの『大熊座 The Great Bear』[1992年、リトグラフ]。
一見、ロンドンの地下鉄の路線図にしか見えませんが、よく見ると駅名が路線ごとに、哲学者の名前になっていたり、イタリアの美術家の名前になっていたり、科学者の名前になっていたりしています。
レオナルド駅やプラトン駅には複数の路線が乗り入れているなど、結構芸も細かかったです。
※『大熊座 The Great Bear』:イギリス国立海洋博物館のサイトから

残念だったのは、図録が作られていなかったことです。



釧路湿原は霧の中でした。

この日は、12時半に釧路空港に到着する予定でしたので、釧路市湿原展望台に立ち寄ることは考えていませんでした。
しかし、11時50分頃に釧路市湿原展望台の横を通り、せっかくなので展望台だけでも…と気を変え、駆け足で見学しました。

釧路市湿原展望台は、釧路市出身の建築設計家 毛綱毅曠〔もづな・きこう〕の設計で、建物の外観は湿原に群生するヤチボウズをモチーフとしたものだそうです。
一見、西欧の古城風です。

釧路湿原05

昭和59(1984)年1月に開館し、昨年(2007年)の4月にリニューアルオープンしたそうです。
1階には、「水の湿原」のジオラマがありました。
3階には展望室があり、屋上からも湿原が眺められるようになっています。
屋上からは、天気が良ければ釧路湿原の全域を眺められるということでしたが、この日は、湿原全体が霧に包まれており、雄大な景色を見ることはできませんでした。

釧路湿原06

展望台の周囲には、木道やつり橋からなる全長2.5kmの遊歩道がありましたが、時間の都合で散策を断念しました。
ぜひ、もう一度、天気の良い日にゆっくりと訪れてみたい場所です。

[2008年9月7日:北海道釧路市にて]



釧路湿原の木道を歩きました。

この日は美幌峠国道243号弟子屈町方向に戻り、道道53号(釧路居弟子屈線)釧路湿原の西端を通って釧路空港に行く予定でした。
屈斜路湖畔から美幌峠までの道では、往復とも濃い霧のため速度もあまり出すことができませんでした。
しかし、これも濃い霧で何も見えなかったため、美幌峠での滞在時間が短かったことと、道道53号に入ってからは天候も回復し、路面も濡れていなかったので、ほぼ予定どおりに午前11時前には、道道53号沿いにある温根内ビジターセンターに到着しました。
温根内ビジターセンターは、釧路湿原の西側のちょうど湿原と森の接点に位置しており、湿原の中を散策できる全長3.1kmの遊歩道(うち木道2km)が整備されています。

釧路湿原02

釧路湿原は、釧路川とその支流を抱く日本最大の湿原で、昭和55(1980)年6月に、日本で最初のラムサール条約登録湿地となりました。
そして、昭和62(1987)年7月31日に、日本で28番目の国立公園である釧路湿原国立公園に指定されました。
国立公園の面積は26,861ヘクタール、ラムサール条約登録湿地は7,863ヘクタールだそうです。
湿原は、北海道川上郡標茶町阿寒郡鶴居村釧路郡釧路町釧路市にまたがっているとのことでした。

この日は曇天で少し蒸し暑い感じでしたが、木道を歩いていると湿原を渡る風が心地よかったです。

釧路湿原03



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美幌峠は霧の中でした。

美幌峠〔びほろとうげ〕は、北海道網走郡美幌町川上郡弟子屈町との境にある峠です。
屈斜路湖畔の霧雨は、峠道を登るにつれて深い霧となり、峠の駐車場は霧に包まれていました。
標高525mこの峠からは、屈斜路湖中島が真横に展開する、まさに天下の絶景が展望できるという説明がありましたが、この日は、何も見えませんでした。

美幌峠01

展望台に行く坂道に美空ひばりの歌『美幌峠』の歌碑があり、その歌声が流れていました。でも…、知らない歌でした。
なお、『美幌峠』は、志賀貢作詞、 岡千秋作曲で、昭和61(1986)年9月1日発売とのこと。

美幌峠02

濃い霧の中で気温も下がり、半袖では肌寒いほどでした。

[2008年9月7日(土):北海道網走郡美幌町にて]



朝、屈斜路湖畔をドライブしました。

屈斜路湖畔の林の中の道道52号線(屈斜路摩周湖畔線)は、霧というか、非常に細かい雨が降っていました。
しばらく走ると、この道路沿いで湖畔に接している砂湯に着きました。
屈斜路湖では、砂湯和琴半島には露天風呂があり、砂湯は、その名のとおり湖畔の砂浜を掘るとたちまちに温泉が出て露天風呂になるとのことです。

屈斜路湖_砂湯

屈斜路湖は、藻琴山サマッカリヌプリなどを外輪山とする日本最大の屈斜路カルデラ(長径約26km、短径約20km)内にできた日本最大のカルデラ湖(周囲57km、面積79.7平方km、最深117.5m、透明度20m)とのことです。
日本で6番目の面積を有し、南端から釧路川として流れ出しており、この流出部付近の集落がアイヌ語で“クッチャロ(喉・口の意味)”と呼ばれていたのが名の由来だそうです。
湖の中央部には、淡水湖では、日本最大の湖中島である中島(周囲12km、面積5.7平方mkm)があります。
屈斜路湖は独特の青い美しい水の色で知られていますが、この日は曇っていたのでその美しさは実感できませんでした。

[2008年9月7日(日):北海道川上郡弟子屈町にて]



夕暮れの硫黄山は少し不気味でした。

日も暮れてきたので、摩周観光文化センターからその日の宿泊地の川湯温泉に直行する予定でしたが、途中、川湯温泉の3kmほど手前にある硫黄山の駐車場がまだ開いていたので、硫黄山に立ち寄りました。

硫黄山〔いおうざん〕は、標高は512mの活火山で、アイヌ語では“アトサヌプリ”と呼ばれています。
アトサヌプリの名は、アイヌ語の“アトゥサ(裸であるの意味)”と“ヌプリ(山)”に由来するとのことです。
溶岩と硫黄に覆われて、木が生えていない姿はまさに、裸の山でした。

車を降りると、硫黄の独特な匂いが駐車場を覆っており、山では硫黄の噴煙がゴウゴウと音を立ててあちこちから立ち上っていました。

硫黄山01

現在、落石の危険性があることから立ち入り禁止となっているとのことですが、山の中腹には、安政年間に小噴火した跡があり、アイヌの人たちがこの崖に熊を追い落としたことから「熊落とし」と呼ばれている深さ約50メートルにもなる火口跡があるそうです。
数か所噴気を上げている場所に近寄ることができました。

硫黄山02

なお、硫黄山では、明治時代に大規模な硫黄の採掘が行われていたそうです。
明治10(1877)年、明治政府の許可を得た釧路の網元・佐野孫右エ門が採掘に乗りだしたことが発端とされ、その後、採掘権は、函館の銀行家を経て、安田財閥の祖・安田善次郎に移ったそうです。
明治19(1886)年には約14,000tを採鉱して北海道一の硫黄鉱山になり、明治20(1887)年には硫黄山から標茶町までの38kmの間に、北海道で2番目の安田鉱山鉄道が開通し、大量採鉱、大量輸送を実現したそうです。
しかし、その大量採掘の結果、たちまち硫黄資源は枯渇してしまい、明治29(1896)年7月には採掘を休止し、鉄道も同年8月1日に幻のように消えてしまったとのことです。

[2008年9月6日(土):北海道川上郡弟子屈町にて]

霧の摩周湖ではありませんでした。

今回、摩周湖を訪れた9月6日は、「弟子屈エコで楽しむ2週間」(平成20年8月25日~9月7日)という摩周湖へのマイカー乗り入れ規制の社会実験の最中でした。
そのため、弟子屈町摩周観光文化センターの駐車場に車を止め、30分間隔で運行される摩周湖バス(大人1日700円、18歳未満無料)に乗って、摩周湖展望台に向かいました。
せっかくレンタカーまで借りてきたのに…とも感じましたが、オンネトー阿寒湖でのんびりし過ぎたため、既に午後4時を過ぎており、少し疲れてもいたので、自分で運転しなくてすむバスは意外と心地良かったです。
今回乗ったバスは、次のとおりです。
 摩周観光文化センター16:00 → 16:14摩周第一展望台
 摩周第一展望台16:15 → 16:20摩周第三展望台
 摩周第三展望台16:35 → 16:40摩周第一展望台
 摩周第一展望台17:15 → 17:29摩周観光文化センター

摩周湖は、阿寒国立公園内にある湖で、日本でもっとも透明度の高い湖として知られています。
急激に深くなっていることとその透明度から青以外の光の反射が少なく、よく晴れた日の湖面の色は、摩周ブルーと呼ばれているそうです。
湖の透明度の記録では、摩周湖の41.6mが1位(1931年調査)、バイカル湖の40.5mで2位(1911年調査)となっているとのことです。
ただし、その後、摩周湖の透明度は低下し、昭和55(1980)年の調査では35.8mだったそうです。
しかし、バイカル湖はその後調査されておらず、周辺の開発も進んでいるため、現在も透明度では摩周湖が世界一と推定されているそうです。

摩周湖は、周囲20km、面積19.6平方km、最深212m、海抜351mの約7000年前の巨大噴火によって生成された窪地に水がたまったカルデラ湖で、日本で20番目に大きい湖だそうです。
アイヌ語では、“キンタン・カムイ・トー(山の神の湖という意味)”と呼ばれており、“ましゅう”という名の由来は不明とのことです。
湖の周囲は、300~400mの切り立ったカルデラ壁に囲まれ、南東端に標高858mの摩周岳アイヌ語では“カムイヌプリ(神の山という意味)”)がそびえ、川の出入りは全くないとのことです。
湖の中央には、カムイシュ島(中島)があります。この島は、周囲260~300m、高さ25~31mで、溶岩ドームの先端が湖面上に表れたものだそうです。

摩周湖には、摩周温泉に近い第一展望台川湯温泉に近い第三展望台清里町側の裏摩周展望台という3つの展望台があります。
今回、最初に向かった第三展望台からは、険しい男性的な感じの摩周岳を正面に、カムイシュ島を間近に見ることができます。

摩周湖02





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ゆめつくり狂言会に行きました。

昨夜(2008年9月20日)、名古屋能楽堂で行われた名古屋城本丸御殿復元着工記念の「ゆめつくり狂言会 夜の部」に行きました。
「昼の部」では、佐藤友彦師により本丸御殿の新作狂言『夢つくり(ゆめつくり)』が演じられたようですが、私がみた『夜の部』では、次の3曲が演じられました。

末広かり(すえひろがり)
    果報者 野村万蔵   太郎冠者 野村扇丞
                  都の者 野村萬


※あらすじ(番組の曲目解説から)
天下納まり目出度いお正月。一族の節会の引出物として、召使いの太郎冠者に、都へ末広かりを買いに行かせる。しかし都へ着いた太郎冠者。末広かりが何処にあるのか聞かずに来てしまった事に気付く。「末広かり買おう・末広かり買おう」と大声で呼び歩く太郎冠者を、都のすっぱ(小悪人)が見逃すはずもなく、言葉巧みに古い唐傘を売りつける。
良い末広かりが手に入ったと喜んで帰る太郎冠者だが…。「傘をさすなる春日山・是も神の誓いとて・人が傘をさすなら・我れも傘をさそうよ・げにもさありやようがりもそよの」。この囃子物が楽しく目出度い脇狂言を代表する曲目。


この『末広かり』は、太郎冠者文字色を騙す都の者の口上のコンゲームconfidence gameの面白さが一つの見どころです。
さすがに野村萬師の演じる都の者の口上には円熟味と軽妙さが感じられました。
また、もう一つの見どころである太郎冠者の謡に引き込まれて、怒っていたはずの果報者(主人)も一緒に謡い、踊りだす場面では野村万蔵師と野村扇丞師の息もぴったりで楽しさが身体全体から感じられました。

井杭(いぐい)
    算置 野村小三郎   何某 野口隆行
                  井杭 野村信朗


※あらすじ(番組の曲目解説から)
何某を訪れる度に、扇で頭を張られる子どもの井杭。清水の観世音にお願いすると、お告げにより頭巾を賜わった。この頭巾を持って何某を訪ねる井杭。何とこの頭巾は、これをかぶると透明人間になるという不思議な頭巾であった。急に姿を消した井杭を何某が探し求める所へ、折良く算置(占師)が通り掛る。何某は算置を招じ入れ、「失せ物を探してほしい」と頼む。「この曇りのない鏡のようなお座敷に失せ物とは…」といぶかりつつ算木を置く占師だが…。勿体ぶって算を置く算置。いたずらを重ねる井杭。子方の井杭が活躍するファンタスティックな曲。

井杭』では、井杭を演じた野村信朗(のむら・のぶかた)君の演技が光っていました。
この狂言は、被ると姿が見えなくなる頭巾をもらった井杭が大人たちにいたずらするという話なので、いかにして姿が見えていないことを、実際には観客に姿が見ている中で演じるかが重要で、井杭役の子方の演技力に全てがかかっている演目といっても言い過ぎではないと思います。
今回は、野村信朗君の7歳(もしかするともう8歳かも?)とは思えない芸達者な演技に魅了されました。



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今日の謡の稽古は『柏崎』の2回目。

今日の名古屋は、台風一過の青空が広がり、30℃を超える残暑の厳しい一日でした。

の稽古は、『柏崎』の2回目ですが、名古屋金春会まで稽古日があまりないので、今日は地謡の部分だけの稽古でした。
今日の場面は、柏崎某の死と我が子花若の遁世を知った柏崎某の妻が悲しみのあまり心を狂わせ、越後国柏崎を迷いでて信濃国善光寺までやってくる場面です。

シテ「さてや最期のおり節に。いかなる事かのたまいし。
   委しく語りおわしませ.せめては聞いて慰まん。

ワキ「ただ古里の御事を。おぼつかなく思しめし。
   ご最期までも人知れず。常には御諚ありしなり。

シテ「げにやさこそはおわすらめ。三とせ離れてその後は。
   われも御なごり.いつの世にかは忘るべき。

ワキ「御理りとおもえども。歎きをとどめおわしまし。
   かたみをごらん候らへ。

シテ「げにや歎きても。甲斐なき世ぞと思へば。
シテ、ワキ「かたみを見るからに。すすむ涙は.せきあえず。
シテ「甲斐なき形見とは思えども披いてみうずるにて候。
   さてもさても父御前いたわりつかせ給い。
   ほどなく空しくなり給う。心のうちの悲しさは。
   唯おぼしめしやらせ給え。われも帰りて御すがた。
   見まいらせたくは候えども。思い立ちぬる修業の道。
   もしやとめられ申さんと。思う心にさえられて。
   心づよくもいずるなり。命つれなく候らわば。
   三年のうちに参るべし。さまざまの形見をごらんじて。
   御心を慰みおわしませと。書いたる文のうらめしさよ。
   なからん父が名残りには。子ほどの形見.あるべきか。

地謡「父が別れは.いかなれば。父が別れはいかなれば。
   悲しみ修業にいずる身の。などや生きてある。
   母に姿を見みえんと。思う心のなかるらん。
   うらめしのわが子や。うき時はうらみながらもさりとては。
   わが子のゆくえ安穏に。守らせ給え神佛と。
   祈る心ぞあわれなる。祈る心ぞ.あわれなる。

<中入>
ワキヅレ「これは信濃の國善光寺如来堂の聖にて候。
   又これにわたり候御方は。
   ゆくえも知らぬ人にて御入り候が。
   愚僧をたのむ由仰せ候ほどに。
   師弟の契約をなし申して候らえば。
   利根第一の人にてわたり候。
   またこのほど如らいへ日参させ申し候。
   今日満参にて候ほどに。同道申し。
   如来へ参らばやと思い候。

シテ「わらんべどもは何を笑うぞ。
   なに物狂いなるほどにおかしいとや。
   いや心があらば訪ろうてこそ慰むべけれ。
   それをいかにというに。夫には死しての別れとなり。
   今ひとり忘れ形見とも思うべき。子のゆくえをも。白いとの。

地謡「乱れごころや。狂うらん。
<カケリ>
シテ「げにや人の身のあだなりけりとは誰か言いけん空言や。
   まった思いには死なれざりけりと言いけんも理りかな。
   これもひとえに夫と子の。故と思えば恨め

地謡「しやうき身はなにとならの葉や。柏崎をも狂い出で。
   越後の國府に.つきしかば。越後の國府につきしかば。
   人目もわかぬわが姿。いつまで草のいつまでと。
   知らぬ心は麻ごろも。うらはるばるとゆくほどに。
   松かげ遠くさみしきは。ときわの里の夕べかや。
   われにたぐえて。あわれなるはこの里。
   子ゆえに身をこがししは。野辺の木島の里とかや。
   ふれども積もらぬ淡雪の。淺野と言うはこれかとよ。
   桐の花さく井の上の。山を東に見なして。
   西に向えば善光寺。
   正身の弥陀如来.わが狂乱はさておきぬ。
   死して別れし。夫を導き.おわしませ。




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マリモ展示観察センターでマリモを見ました。

マリモ展示観察センターは、天然のマリモが生息しているチュウルイ湾の沖合いにある阿寒湖の4つの島の一つチュウルイ島にあるマリモの展示施設です。
この施設は、特別天然記念物のマリモをじっくり観察でき、詳しい生態についても学べる施設ですが、遊覧船などの船を利用しないと行くことができません。
阿寒湖湖上遊覧では、チュウルイ島に15分止まるので、その間に見学するのが最も一般的なようです。
私も湖上遊覧の途中で見学しました。

阿寒湖05

巨大マリモが展示されていて驚きました。

阿寒湖06

ここで見学できるマリモは、春に阿寒湖で採取され、秋には湾に戻されるとのことでした。

阿寒湖07

なお、阿寒湖の湖面の凍結する冬には、このセンターは閉鎖されるそうです。

阿寒湖08

マリモ(毬藻)は、学名はAegagropila Linnaeiで、球状の集合体を作ることで知られている淡水性の緑藻の一種だそうです。
特に阿寒湖に生育するマリモは、美しい球状体を作るため、大正10(1921)年に天然記念物、昭和27(1952)年に国の特別天然記念物に指定されています。
マリモは、球状の集合体を形成していますが、球状体一つがマリモの一個体というわけではないそうで、この球状体を構成する細い繊維(糸状体の一つ一つがマリモの個体とのことです。
したがって、一般的に目にする球状のマリモは、マリモの集合体だそうです。
日本では明治30(1897)年に札幌農学校川上瀧彌〔かわかみ・たきや〕阿寒湖シュリコマベツ湾で発見し、その形から“マリモ(毬藻)”という名をつけたととのこと。
なお、カール・フォン・リンネ Carl von Linneが、スウェーデンダンネモーラ湖からマリモ(linnaei)を採取して、学名をつけたのは1753年だそうです。

阿寒湖では、現在、大型マリモは北部の二つの湾に生息しているだけとのことです。
そのうちの一つがチュウルイ島のある阿寒湖で、大型マリモが多く、直径20~30cmのマリモもいるそうです。
もう一つが、キネタンベ湾で、この二つの湾は現在立ち入り禁止になっているとのことでした。
なお、最初にマリモの発見されたシュリコマベツ湾マリモは、昭和20年代に絶滅したそうです。

でもなぜ丸くなるのでしょう。不思議ですね。

[2008年9月6日(土):北海道釧路市阿寒町にて]


kinkun

Author:kinkun
名古屋春栄会のホームページの管理人

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