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2008 / 04
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今日は空気が澄んだ感じの晴天でした。

今日の名古屋は、昨日の雨が上がり、春にしては珍しく空気が澄んだ感じのする空の青さがまぶしい一日でした。
そしてまさに『みなさん、今夜は、春の宵』です。

春宵感懐』(中原中也)

雨が、あがつて、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
 なまあつたかい、風が吹く。

なんだか、深い、溜息が、
 なんだかはるかな、幻想が、
湧くけど、それは、掴めない。
 誰にも、それは、語れない。

誰にも、それは、語れない
 ことだけれども、それこそが、
いのちだらうぢやないですか、
 けれども、それは、示かせない……

かくて、人間、ひとりびとり、
 こころで感じて、顔見合せれば
につこり笑ふといふほどの
 ことして、一生、過ぎるんですねえ

雨が、あがつて、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
 なまあつたかい、風が吹く。


中也の詩には、忘れられないフレーズがいくつかありますが、この『なまあつたかい、風が吹く』もその一つです。ただ、私には雨の前の南風のように感じられますけど…。

明日から、しばしこのブログをお休みします。



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笠寺や 漏らぬ岩屋も 春の雨

貞亨4(1687)年、芭蕉44歳のときの句です。
名古屋市南区笠寺観音(天林山 笠覆寺)の『笠寺縁起』に感動して芭蕉が贈った奉納の発句とのこと。
現在、笠寺観音には芭蕉の句碑があり、「笠寺やもらぬ岩屋も春乃雨」と記されています。

今日の名古屋は、春雨の一日でした。
芭蕉が春雨を呼んだ句では、次の2句が有名です。

春雨や 二葉に萌ゆる 茄子種

春雨や 蜂の巣つたふ 屋根の漏り


最初の句は、元禄3(1690)年47歳のときに伊賀で、次の句は、元禄7(1694)年51歳のときに、深川の芭蕉庵で詠んだ句です。

春雨を詠んだ句にについて、芥川龍之介が『芭蕉雑記』で、蕪村芭蕉を比較しています。

『芭蕉雑記』(芥川龍之介)

八 同上 〔参考:七 耳

芭蕉の俳諧の特色の一つは目に訴へる美しさと耳に訴へる美しさとの微妙に融け合つた美しさである。西洋人の言葉を借りれば、言葉の Formal element と Musical element との融合の上に独特の妙のあることである。これだけは蕪村の大手腕も畢に追随出来なかつたらしい。下に挙げるのは几董の編した蕪村句集に載つてゐる春雨の句の全部である。

春雨やものかたりゆく蓑と笠

春雨や暮れなんとしてけふもあり

柴漬や沈みもやらで春の雨

春雨やいざよふ月の海半ば

春雨や綱が袂に小提灯


  西の京にばけもの栖みて久しく
  あれ果たる家有りけり。
  今は其沙汰なくて、
春雨や人住みて煙壁を洩る

物種の袋濡らしつ春の雨

春雨や身にふる頭巾着たりけり

春雨や小磯の小貝濡るるほど

滝口に灯を呼ぶ声や春の雨

ぬなは生ふ池の水かさや春の雨


  夢中吟
春雨やもの書かぬ身のあはれなる




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雨が降り出しました。

今日も名古屋は、初夏を思わせる陽気でしたが、午後9時過ぎから雨が降り出しました。
今は、まだ暖かい春の夜の雨という感じですが、天気予報によるとこの雨で気温が下がり、明日は3月の気温に戻るようです。

芥川龍之介に『春の夜』という短編があります。
この小説は、“Nさん”の淡い恋心を描いたものと言われています。しかし、私には、“”の“Nさん”への恋心を描いたもののように思えます。


春の夜』(芥川龍之介)


 これは近頃Nさんと云う看護婦に聞いた話である。Nさんは中々利かぬ気らしい。いつも乾いた唇のかげに鋭い犬歯の見える人である。
 僕は当時僕の弟の転地先の宿屋の二階に大腸加答児(かたる)を起して横になっていた。下痢は一週間たってもとまる気色は無い。そこで元来は弟のためにそこに来ていたNさんに厄介をかけることになったのである。
 ある五月雨のふり続いた午後、Nさんは雪平に粥を煮ながら、いかにも無造作にその話をした。
       ×          ×          ×
 ある年の春、Nさんはある看護婦会から牛込の野田と云う家へ行くことになった。野田と云う家には男主人はいない。切り髪にした女隠居が一人、嫁入り前の娘が一人、そのまた娘の弟が一人、――あとは女中のいるばかりである。Nさんはこの家へ行った時、何か妙に気の滅入るのを感じた。それは一つには姉も弟も肺結核に罹っていたためであろう。けれどもまた一つには四畳半の離れの抱えこんだ、飛び石一つ打ってない庭に木賊ばかり茂っていたためである。実際その夥しい木賊はNさんの言葉に従えば、「胡麻竹を打った濡れ縁さえ突き上げるように」茂っていた。
 女隠居は娘を雪さんと呼び、息子だけは清太郎と呼び捨てにしていた。雪さんは気の勝った女だったと見え、熱の高低を計るのにさえ、Nさんの見たのでは承知せずに一々検温器を透かして見たそうである。清太郎は雪さんとは反対にNさんに世話を焼かせたことはない。何でも言うなりになるばかりか、Nさんにものを言う時には顔を赤めたりするくらいである。女隠居はこう云う清太郎よりも雪さんを大事にしていたらしい。その癖病気の重いのは雪さんよりもむしろ清太郎だった。
「あたしはそんな意気地なしに育てた覚えはないんだがね。」
 女隠居は離れへ来る度に(清太郎は離れに床に就いていた。)いつもつけつけと口小言を言った。が、二十一になる清太郎は滅多に口答えもしたこともない。ただ仰向けになったまま、たいていはじっと目を閉じている。そのまた顔も透きとおるように白い。Nさんは氷嚢を取り換えながら、時々その頬のあたりに庭一ぱいの木賊の影が映るように感じたと云うことである。
 ある晩の十時前に、Nさんはこの家から二三町離れた、灯の多い町へ氷を買いに行った。その帰りに人通りの少ない屋敷続きの登り坂へかかると、誰か一人ぶらさがるように後ろからNさんに抱きついたものがある。Nさんは勿論びっくりした。が、その上にも驚いたことには思わずたじたじとなりながら、肩越しに相手をふり返ると、闇の中にもちらりと見えた顔が清太郎と少しも変らないことである。いや、変らないのは顔ばかりではない。五分刈りに刈った頭でも、紺飛白らしい着物でも、ほとんど清太郎とそっくりである。しかしおとといも喀血した患者の清太郎が出て来るはずはない。況やそんな真似をしたりするはずはない。
「姐さん、お金をおくれよう。」




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暖かい春の夜です。

名古屋では、今週に入り、日中は初夏を思わせるような陽気が続いていますが、さすがに夜は気温が下がり、まさに春の夜という感じの夜が続いています。
芥川龍之介に『春の夜は』という不思議な味わいの短編があります。

”に出てくるカツフエ・プランタン(カフェー・プランタン)は、明治44(1911)年3月、東京美術学校出身の松山省三が美術学校時代の恩師であった黒田清輝に聞かされたパリの「カフェ」のような、文人や画家達が集い芸術談義をできる場所を作りたいと、友人の平岡権八郎とともに京橋日吉町(現在の銀座8丁目)に開業した飲食店のことで、一般に日本初のカフェーとされているそうです。


春の夜は』(芥川龍之介)




 僕はコンクリイトの建物の並んだ丸の内の裏通りを歩いてゐた。すると何か匂を感じた。何か、?――ではない。野菜サラドの匂である。僕はあたりを見まはした。が、アスフアルトの往来には五味箱一つ見えなかつた。それは又如何にも春の夜らしかつた。



 U――「君は夜は怖くはないかね?」
 僕――「格別怖いと思つたことはない。」
 U――「僕は怖いんだよ。何だか大きい消しゴムでも噛んでゐるやうな気がするからね。」
 これも、――このUの言葉もやはり如何にも春の夜らしかつた。



 僕は支那の少女が一人、電車に乗るのを眺めてゐた。それは季節を破壊する電燈の光の下だつたにもせよ、実際春の夜に違ひなかつた。少女は僕に後ろを向け、電車のステツプに足をかけようとした。僕は巻煙草を銜へたまま、ふとこの少女の耳の根に垢の残つてゐるのを発見した。その又垢は垢と云ふよりも「よごれ」と云ふのに近いものだつた。僕は電車の走つて行つた後もこの耳の根に残つた垢に何か暖さを感じてゐた。



 或春の夜、僕は路ばたに立ち止つた馬車の側を通りかかつた。馬はほつそりした白馬だつた。僕はそこを通りながら、ちよつとこの馬の頸すぢに手を触れて見たい誘惑を感じた。





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庭は、新緑の庭になりました。

実家の庭は、すっかり初夏の庭になっていました。
アザレアの花も満開でした。

アザレア2008


アザレアは、半耐寒性の常緑低木で、西洋ツツジとも呼ばれます。
日本や中国原産のツツジが、19世紀にヨーロッパに渡り、品種改良されたもののことをアザレアと呼ぶそうで、多くの園芸品種があり、普通のツツジより早く春に咲くとのことです。
しかし、実家の庭では半日陰に植わっているせいなのか、フジと同じ頃に満開になります。

芥川龍之介に初夏の庭の様子を木々を擬人化して描いた「新緑の庭」という短編があります。

新緑の庭』(芥川龍之介)

 桜 さつぱりした雨上りです。尤も花の萼は赤いなりについてゐますが。

 椎 わたしもそろそろ芽をほごしませう。このちよいと鼠がかつた芽をね。

 竹 わたしは未だに黄疸ですよ。…………

 芭蕉 おつと、この緑のランプの火屋を風に吹き折られる所だつた。

 梅 何だか寒気がすると思つたら、もう毛虫がたかつてゐるんだよ。

 八つ手 痒いなあ、この茶色の産毛のあるうちは。

 百日紅 何、まだ早うござんさあね。わたしなどは御覧の通り枯枝ばかりさ。

 霧島躑躅 常――常談云つちやいけない。わたしなどはあんまり忙しいもんだから、今年だけはつい何時にもない薄紫に咲いてしまつた。

 覇王樹(サボテン) どうでも勝手にするが好いや。おれの知つたことぢやなし。

 石榴 ちよいと枝一面に蚤のたかつたやうでせう。

 苔 起きないこと?
 石 うんもう少し。

 楓 「若楓茶色になるも一盛り」――ほんたうにひと盛りですね。もう今は世間並みに唯水々しい鶸色です。おや、障子に灯がともりました。


よく読むと花が咲いているのはツツジだけ、そして、そのツツジも例年と違う色で咲いてしまっています。



第14回春姫道中が行われました。

名古屋城本丸御殿の復元を訴える「春姫道中」も今年で14回目。
熱田神宮参拝の後、午後1時半から2時半まで大津通をパレード(仕事の帰りに松坂屋名古屋本店のあたりで遭遇しました)。
午後3時からは、名古屋城正門から本丸御殿跡まで名古屋城内をパレードしたとのこと(夕方のテレビのニュースで見ました)。
本丸御殿跡で恒例となった春姫と初代尾張藩主徳川義直公による「御殿はどこじゃ~」が行われ、いよいよ今年着工するため、松原武久名古屋市長は「ようやく今年作るんじゃ」と答えていました(こちらも夕方のニュースで見ました)。
好天に恵まれたため、大津通は(そして、テレビで見た限りでは名古屋城内も)、多くの見学の人でにぎわっていました。

実家の藤棚のフジの花が満開に近づいていました。

フジ2008


フジは、日本原産の豆科のつる性落葉木本です。蔓の巻き方は右巻きで、花は紫色です。フジ属の総称と区別するためノダフジと呼ばれ、学名はWisteria floribunda
日本固有種としては、ヤマフジもあり、こちらは蔓の巻き方が左巻き、花は薄紫色とのことです。
一般に栽培されているのは、ノダフジがほとんどのようです。

この週末はいろいろとあって、少しくたびれてしまいました。

草臥れて 宿かるころや 藤の花芭蕉



今日はアメリカ独立戦争が始まった日です。

1775年4月18日の夜、イギリス軍北アメリカ総司令官トマス・ゲイジ中将は、コンコード (Concord、現在はマサチューセッツ州ミドルセックス郡コンコード)植民地民兵が保管している弾薬を押収するため、イギリス軍部隊を派遣します。部隊が、翌4月19日の朝にレキシントン(Lexington、現在はマサチューセッツ州ミドルセックス郡レキシントン)に入ると、植民地民兵がこれに応戦し、イギリス軍と交戦状態に入ります。さらにイギリス軍はコンコードに移動し、植民地民兵軍と交戦します。このレキシントン・コンコードの戦いアメリカ独立戦争が始まります。

今日は、アメリカ独立戦争の約120年後の日清戦争を描いた芥川龍之介の「首が落ちた話」の3回目です。

首が落ちた話』(芥川龍之介)



 日清両国の間の和が媾ぜられてから、一年ばかりたった、ある早春の午前である。北京にある日本公使館内の一室では、公使館附武官の木村陸軍少佐と、折から官命で内地から視察に来た農商務省技師の山川理学士とが、一つテエブルを囲みながら、一碗の珈琲と一本の葉巻とに忙しさを忘れて、のどかな雑談に耽っていた。早春とは云いながら、大きなカミンに火が焚いてあるので、室の中はどうかすると汗がにじむほど暖い。そこへテエブルの上へのせた鉢植えの紅梅が時々支那めいた匂を送って来る。
 二人の間の話題は、しばらく西太后(せいたいこう)で持ち切っていたが、やがてそれが一転して日清戦争当時の追憶になると、木村少佐は何を思ったか急に立ち上って、室の隅に置いてあった神州日報の綴じこみを、こっちのテエブルへ持って来た。そうして、その中の一枚を山川技師の眼の前へひろげると、指である箇所をさしながら、読み給えと云う眼つきをした。それがあまり唐突だったので、技師はちょいと驚いたが、相手の少佐が軍人に似合わない、洒脱な人間だと云う事は日頃からよく心得ている。そこで咄嗟に、戦争に関係した奇抜な逸話を予想しながら、その紙面へ眼をやると、果してそこには、日本の新聞口調に直すとこんな記事が、四角な字ばかりで物々しく掲げてあった。
 ――街の剃頭店主人、何小二(かしょうじ)なる者は、日清戦争に出征して、屡々勲功を顕したる勇士なれど、凱旋後とかく素行修らず、酒と女とに身を持崩していたが、去る――日、某酒楼にて飲み仲間の誰彼と口論し、遂に掴み合いの喧嘩となりたる末、頸部に重傷を負い即刻絶命したり。ことに不思議なるは同人の頸部なる創にして、こはその際兇器にて傷けられたるものにあらず、全く日清戦争中戦場にて負いたる創口が、再、破れたるものにして、実見者の談によれば、格闘中同人が卓子(テエブル)と共に顛倒するや否や、首は俄然喉の皮一枚を残して、鮮血と共に床上に転び落ちたりと云う。但、当局はその真相を疑い、目下犯人厳探中の由なれども、諸城の某甲が首の落ちたる事は、載せて聊斎志異にもあれば、該何小二の如きも、その事なしとは云う可らざるか。云々。





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今日は、雨の一日でした。

関東地方では春の嵐だったようですが、名古屋では風も強くなく、春の雨の一日でした。

今日は、日清戦争を描いた芥川龍之介の「首が落ちた話」の2回目です。
主人公の何小二は、日本兵に首を切られ、落馬します。空を見ていると、これまでの生涯のできごとが走馬灯のように頭をよぎります。
その中で、何小二の母親が着ていた裙子とは、女性が着用する巻きスカートのようなもので、ズボンにあたる褲子の上に重ねて着用するようです。

首が落ちた話』(芥川龍之介)



 馬の上から転げ落ちた何小二(かしょうじ)は、全然正気を失ったのであろうか。成程創の疼みは、いつかほとんど、しなくなった。が、彼は土と血とにまみれて、人気のない川のふちに横わりながら、川楊の葉が撫でている、高い蒼空を見上げた覚えがある。その空は、彼が今まで見たどの空よりも、奥深く蒼く見えた。丁度大きな藍の瓶をさかさまにして、それを下から覗いたような心もちである。しかもその瓶の底には、泡の集ったような雲がどこからか生れて来て、またどこかへ然と消えてしまう。これが丁度絶えず動いている川楊の葉に、かき消されて行くようにも思われる。
 では、何小二は全然正気を失わずにいたのであろうか。しかし彼の眼と蒼空との間には実際そこになかった色々な物が、影のように幾つとなく去来した。第一に現れたのは、彼の母親のうすよごれた裙子である。子供の時の彼は、嬉しい時でも、悲しい時でも、何度この裙子にすがったかわからない。が、これは思わず彼が手を伸ばして、捉えようとする間もなく、眼界から消えてしまった。消える時に見ると、裙子は紗のように薄くなって、その向うにある雲の塊を、雲母のように透かせている。
 その後からは、彼の生まれた家の後にある、だだっ広い胡麻畑が、辷るように流れて来た。さびしい花が日の暮を待つように咲いている、真夏の胡麻畑である。何小二はその胡麻の中に立っている、自分や兄弟たちの姿を探して見た。が、そこに人らしいものの影は一つもない。ただ色の薄い花と葉とが、ひっそりと一つになって、薄い日の光に浴している。これは空間を斜に横ぎって、吊り上げられたようにすっと消えた。





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今日は、下関条約が調印された日です。

明治28(1895)年4月17日、日清戦争後の講和会議で日清講和条約が調印されました。この条約は、講和会議が開かれた山口県赤間関市(現在の下関市)の別称である馬関をとって、馬関条約と呼ばれました。
戦後、この馬関条約下関条約と呼ばれるようになります。

今日から、日清戦争を描いた芥川龍之介の「首が落ちた話」を3回に分けて紹介します。

首が落ちた話』(芥川龍之介)



 何小二(かしょうじ)は軍刀を抛り出すと、夢中で馬の頸にしがみついた。確かに頸を斬られたと思う――いや、これはしがみついた後で、そう思ったのかも知れない。ただ、何か頸へずんと音を立てて、はいったと思う――それと同時に、しがみついたのである。すると馬も創を受けたのであろう。何小二が鞍の前輪へつっぷすが早いか、一声高く嘶いて、鼻づらを急に空へ向けると、忽ち敵味方のごったになった中をつきぬけて、満目の高粱畑をまっしぐらに走り出した。二三発、銃声が後から響いたように思われるが、それも彼の耳には、夢のようにしか聞えない。
 人の身の丈よりも高い高粱は、無二無三に駈けてゆく馬に踏みしだかれて、波のように起伏する。それが右からも左からも、あるいは彼の辮髪を掃ったり、あるいは彼の軍服を叩いたり、あるいはまた彼の頸から流れている、どす黒い血を拭ったりした。が、彼の頭には、それを一々意識するだけの余裕がない。ただ、斬られたと云う簡単な事実だけが、苦しいほどはっきり、脳味噌に焦げついている。斬られた。斬られた。――こう心の中に繰返しながら、彼は全く機械的に、汗みずくになった馬の腹を何度も靴の踵で蹴った。
       ―――――――――――――――――――――――――
 十分ほど前、何小二は仲間の騎兵と一しょに、味方の陣地から川一つ隔てた、小さな村の方へ偵察に行く途中、黄いろくなりかけた高粱の畑の中で、突然一隊の日本騎兵と遭遇した。それが余り突然すぎたので、敵も味方も小銃を発射する暇がない。少くとも味方は、赤い筋のはいった軍帽と、やはり赤い肋骨のある軍服とが見えると同時に、誰からともなく一度に軍刀をひき抜いて、咄嗟に馬の頭をその方へ立て直した。勿論その時は、万一自分が殺されるかも知れないなどと云うことは、誰の頭にもはいって来ない。そこにあるのは、ただ敵である。あるいは敵を殺す事である。だから彼等は馬の頭を立て直すと、いずれも犬のように歯をむき出しながら、猛然として日本騎兵のいる方へ殺到した。すると敵も彼等と同じ衝動に支配されていたのであろう。一瞬の後には、やはり歯をむき出した、彼等の顔を鏡に映したような顔が、幾つも彼等の左右に出没し始めた。そうしてその顔と共に、何本かの軍刀が、忙しく彼等の周囲に、風を切る音を起し始めた。
 それから後の事は、どうも時間の観念が明瞭でない。丈の高い高粱が、まるで暴風雨にでも遇ったようにゆすぶれたり、そのゆすぶれている穂の先に、銅のような太陽が懸っていたりした事は、不思議なくらいはっきり覚えている。が、その騒ぎがどのくらいつづいたか、その間にどんな事件がどんな順序で起ったか、こう云う点になると、ほとんど、何一つはっきりしない。とにかくその間中何小二は自分にまるで意味を成さない事を、気違いのような大声で喚きながら、無暗に軍刀をふりまわしていた。一度その軍刀が赤くなった事もあるように思うがどうも手答えはしなかったらしい。その中に、ふりまわしている軍刀のが、だんだん脂汗でぬめって来る。そうしてそれにつれて、妙に口の中が渇いて来る。そこへほとんど、眼球がとび出しそうに眼を見開いた、血相の変っている日本騎兵の顔が、大きな口を開きながら、突然彼の馬の前に跳り出した。赤い筋のある軍帽が、半ば裂けた間からは、いが栗坊主の頭が覗いている。何小二はそれを見ると、いきなり軍刀をふり上げて、力一ぱいその帽子の上へ斬り下した。が、こっちの軍刀に触れたのは、相手の軍帽でもなければ、その下にある頭でもない。それを下から刎ね上げた、向うの軍刀の鋼である。その音が煮えくり返るような周囲の騒ぎの中に、恐しくかんと冴え渡って、磨いた鉄の冷かな臭を、一度に鋭く鼻の孔の中へ送りこんだ。そうしてそれと共に、眩く日を反射した、幅の広い向うの軍刀が、頭の真上へ来て、くるりと大きな輪を描いた。――と思った時、何小二の頸のつけ根へは、何とも云えない、つめたい物が、ずんと音をたてて、はいったのである。
       ―――――――――――――――――――――――――




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漱石の理想の女性像が、

永日小品』の23番目の短編「」に描かれていると言われています。


永日小品・心』(夏目漱石)


 二階の手摺に湯上りの手拭を懸けて、日の目の多い春の町を見下すと、頭巾を被って、白い髭を疎らに生やした下駄の歯入が垣の外を通る。古い鼓を天秤棒に括りつけて、竹のへらでかんかんと敲くのだが、その音は頭の中でふと思い出した記憶のように、鋭いくせに、どこか気が抜けている。爺さんが筋向の医者の門の傍へ来て、例の冴え損なった春の鼓をかんと打つと、頭の上に真白に咲いた梅の中から、一羽の小鳥が飛び出した。歯入は気がつかずに、青い竹垣をなぞえに向の方へ廻り込んで見えなくなった。鳥は一摶に手摺の下まで飛んで来た。しばらくは柘榴の細枝に留っていたが、落ちつかぬと見えて、二三度身ぶりを易える拍子に、ふと欄干に倚りかかっている自分の方を見上げるや否や、ぱっと立った。枝の上が煙るごとくに動いたと思ったら、小鳥はもう奇麗な足で手摺の桟を踏まえている。
 まだ見た事のない鳥だから、名前を知ろうはずはないが、その色合が著るしく自分の心を動かした。鶯に似て少し渋味の勝った翼に、胸は燻んだ、煉瓦の色に似て、吹けば飛びそうに、ふわついている。その辺には柔かな波を時々打たして、じっとおとなしくしている。怖すのは罪だと思って、自分もしばらく、手摺に倚ったまま、指一本も動かさずに辛抱していたが、存外鳥の方は平気なようなので、やがて思い切って、そっと身を後へ引いた。同時に鳥はひらりと手摺の上に飛び上がって、すぐと眼の前に来た。自分と鳥の間はわずか一尺ほどに過ぎない。自分は半ば無意識に右手を美しい鳥の方に出した。鳥は柔かな翼と、華奢な足と、漣の打つ胸のすべてを挙げて、その運命を自分に託するもののごとく、向うからわが手の中に、安らかに飛び移った。自分はその時丸味のある頭を上から眺めて、この鳥は……と思った。しかしこの鳥は……の後はどうしても思い出せなかった。ただ心の底の方にその後が潜んでいて、総体を薄く暈すように見えた。この心の底一面に煮染んだものを、ある不可思議の力で、一所に集めて判然と熟視したら、その形は、――やっぱりこの時、この場に、自分の手のうちにある鳥と同じ色の同じ物であったろうと思う。自分は直に籠の中に鳥を入れて、春の日影の傾くまで眺めていた。そうしてこの鳥はどんな心持で自分を見ているだろうかと考えた。




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今日は春らしい一日でした。

今日の名古屋は、日中の最高気温が22℃を超え、暖かい南風が吹く春らしい一日でした。
まさに今日は「土と草とに新しい汗をかかせる」のような日でした。

』(中原中也)

春は土と草とに新しい汗をかゝせる。
その汗を乾かさうと、雲雀は空に隲る。
瓦屋根今朝不平がない、
長い校舎から合唱は空にあがる。

あゝ、しづかだしづかだ。
めぐり来た、これが今年の私の春だ。
むかし私の胸摶つた希望は今日を、
厳めしい紺青となつて空から私に降りかゝる。

そして私は呆気てしまふ、バカになつてしまふ
――薮かげの、小川か銀か小波か?
薮かげの小川か銀か小波か?

大きい猫が頸ふりむけてぶきつちよに
一つの鈴をころばしてゐる、
一つの鈴を、ころばして見てゐる。


中也の詩には、忘れられないフレーズがいくつかありますが、この『一つの鈴をころばしてゐる』もその一つです。鈴の音が睡魔を誘うようです。


今日はタイタニック号が遭難した日です。

タイタニック号 (RMS Titanic) は、イギリスホワイト・スター・ライン(White Star Line)社が建造した豪華客船で、処女航海の途中、大正元(1912)年4月14日23時40分過ぎに氷山に接触し、翌15日未明にかけて沈没しました。
乗員乗客1,513人が犠牲となり、当時世界最悪の海難事故となりました。
その後、何度か映画化され、世界的に有名なりました。
こうした事故では、事故後よく言われるに陰謀説もあるようです。また、運んでいたミイラによる呪い説も有名です。
名古屋市生れの推理作家・小酒井不木(こさかい ふぼく)〔明治23(1890)年10月8日~昭和4(1929)年4月1日〕は、短編「怪談綺談」の中の『木乃伊の祟り』で、このミイラ説を紹介しています。


怪談綺談・木乃伊の祟り』(小酒井不木)

 エジプトの王朝時代の墓を掘り出すものは必ず祟りを受けて不幸を受けたり死んだりするという言い伝えがある。のみならず発掘されてから諸方へ運ばれた木乃伊(ミイラ)がその行先でいろいろな祟りを起したという例もまた尠くない。かつてロンドンの大英博物館にエジプトのある王妃の木乃伊が陳列された。記録によると西暦紀元前千六百年にテーベスに住んだ人であると分った。
 ところが発掘に加ったド氏は木乃伊発見の二三日を経たある日、何気なく銃を取り上げると突然爆発して右の腕を失った。同じく発掘に携ったド氏の友人の一人は、その同じ年全財産を失い、今一人はやはり同じ年にピストルで打たれて死んだ。




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Author:kinkun
名古屋春栄会のホームページの管理人

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