旭山(ヤエザクラ)

旭山(ヤエザクラ)が満開です。

先日、紹介した実家の鉢植えの八重桜が満開になっていました。

八重桜200803_02



今日の名古屋は夕方以降、急に寒くなりました。
今日の夜桜見物は寒さとの戦いだったのではないでしょうか。

花の香や 嵯峨のともし火 消る時蕪村

こういう風流な気分になれる花見はなかなかできません。

theme : 樹木・花木
genre : 趣味・実用

御幸山の桜

名古屋の桜は満開です。

昨日、気象台からソメイヨシノの満開宣言がありましたので、名古屋市内の多くでが満開になっています。
今日の名古屋は、朝から曇り空で午後3時過ぎから雨になりました。しかし、冷たい雨なので桜を散らす雨にはならないようです。

実家の近くの御幸山の街路樹のも、昨日、日当たりの良い箇所では満開になっていました。昨年より1週間以上早い満開です。

御幸山の桜2008_01


御幸山の桜2008_02


今年は、お花見に行きたいです。

theme : 名古屋・愛知
genre : 地域情報

安宅(7)

謡『安宅』の稽古は、今日が7回目。

名古屋はほぼ満開です。今日の名古屋は、花曇の一日でした。ただ、結構、風は冷たかったので、の花はもう少しの間持ちそうです(早く、花見をしないと…)。

今日は、『勧進帳』の後の部分でクセの前まででした。
すなわち、弁慶義経を打擲することで、関守の疑いを解き、安宅の関をうまく通過する場面と、その後、主君を打擲するこになってしまった弁慶が、そのことを義経に謝罪する場面です。

地謡「かたがたは何故に。かたがたは何故に。
   かほど賎しき強力に。太刀刀抜きたもうは。
   めだれ顔のふるまいは。臆病の至りかと。
   十一人の山伏は。打ち刀抜きかけて。
   勇みかかれる有様は。
   いかなる天魔鬼神も.恐れつびょうぞ見えたる。

ワキ「近頃誤り申して候。とうとうおん通り候え。
太刀持「おお誠の山伏じや御通りやれやれ。
シテ「ただ今は当座をのがし申すべき謀に。
   ふしぎなる振舞申すもなかなか愚かにて候。
   これと申すもひとえに君のご果報ござなきが故に。
   弁慶が杖にも当らせたまえば。
   かえすがえす浅ましうこそ候え。

子方「いかに弁慶。さては悪しくも心得るものかな。
   ただ今の機轉さらに凡慮よりなす所にあらず。
   ただ天のおん加護とこそ覚ゆれ。
   関の者どもわれ我を怪しめ。生涯限りなりつる所に。
   とかくの是非はもんだわずして。
   ただ真の家人のごとく.さんざんに打ってわれを助くる。
   これ弁慶が謀にあらず.八幡の。

地謡「ご託宣かと思えば。かたじけなくぞ覚ゆる。
   それ世は末世に及ぶといえども。日月は地に落ちたまわず。
   たといいかなる方便なりとも。正しき主君を打つ杖の天罰に。
   当らぬ事やあるべき。

子方「げにや視在の果を見て過去未来を知るという事。
地謡「今に知られて身の上に。憂き年月の二月や。
   下の十日の今日の難を逃れつるこそ不思議なれ。

シテ「たださながらに十余人。
地謡「夢の覚めたる心ちして。互に面を合わせつつ。
   泣くばかりなる。有様かな


稽古をしながら、23日の77世家元金春榮治郎三十三回忌・金春晃實七回忌追善西御門金春会別会能の舞台を思い出していました。
今日の穂高先生は、その会の疲れからか、喉の調子があまり良くないということでした。
明日から数日間、オフということでしたので、喉も休めていただきたいと思います。

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theme : 能楽
genre : 学問・文化・芸術

君子蘭の花

クンシランが満開です。

実家には、クンシランの鉢植えが10鉢ほどありますが、その半分が満開になっていました。
昨年よりは2週間程度遅いようです。

君子蘭2008


クンシランは、ヒガンバナ科の多年草で、学名はClivia miniataの仲間ではありません。
原産地は、南アフリカの雨の少ない樹林地帯とのこと。
高貴な花というイメージから 「君子蘭」という名前になったそうです。

夏目漱石の『それから』に君子蘭が出てくるシーンがあります。


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theme : 花と生活
genre : 趣味・実用

白木蓮の花

白木蓮の花が咲き始めました。

実家の庭の白木蓮の花が咲き始めました。
梅とは違い、昨年とほぼ同じ時期に咲き始めました。
ただし、今年はつぼみをヒヨドリに食べられることはなかったとのことです。

白木蓮2008


寺田寅彦は、短文集「柿の種」の中の『木蓮』という文章で、白木蓮ソメイヨシノのように葉が出る前に花が咲き、紫木蓮ヤエザクラ寺田牡丹桜と呼んでいます)のように葉が出た後で花が咲く、そして、どちらも花が先に咲くものが、その品種の中で先に花を咲かせるので、これは植物共通の整理なのだろうかと述べています。

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theme : 樹木・花木
genre : 趣味・実用

カロライナジャスミンの花

カロライナジャスミンの花が

咲いています。
今月20日頃から、ベランダのカロライナジャスミンの鉢植えの花が咲き始めました。
昨年は、3月4日にはもう満開でしたので、昨年より1か月以上遅れています。
しかし、桜と同じで、ここ数日急に暖かくなったので、一気に満開になりそうです。

カロライナジャスミン200803


今晩もベランダはカロライナジャスミンの芳香に満ちています。

theme : 花と生活
genre : 趣味・実用

胡蝶蘭

胡蝶蘭の花が咲きました。

今年、初めて我が家で冬を越した胡蝶蘭の鉢植えです。
温度管理に問題があったようで、花は咲いたのですが、本来、1か月以上は持つはずの花が、数日しか持たず、落花してしまいました。
しかし、およそ2か月かけて、ほとんどのつぼみが開花しました。

胡蝶蘭20080210

〔2月10日の様子〕


胡蝶蘭20080303

〔3月3日の様子〕


胡蝶蘭20080325

〔今日の様子〕

胡蝶蘭(コチョウラン)は、学名Phalaenopsisで、東南アジア・インド北部原産の着生ランで、学名からファレノプシスとも呼ばれています。
来年は、花を長く持たせたいと思っています。

theme : 花と生活
genre : 趣味・実用

77世家元金春榮治郎三十三回忌・金春晃實七回忌追善西御門金春会別会能

「77世家元金春榮治郎三十三回忌・

金春晃實七回忌追善西御門金春会別会能」が、



昨日の日曜日(23日)、奈良県新公会堂・能楽ホールで開催されました。
開場の午前11時半の10分ほど前に受付についたところ、すでに100人ほどが列を作っていました。全席自由席なので、良い席を確保したい方だと思います。会の始まる12時半ごろには、見所はほぼ満席になりました。

最初は、金春飛翔さんの初シテとなる能『初雪』です。金春飛翔さんは、後場の初雪の霊のときには俊敏な動きで飛んでいる感じが良く出ていました。ただ、黒くて長い髪の扱いに苦労しているようでした(正確に言うと、本人は気にしていなかったのかもしれませんが、後見の金春穂高師には気になるようでした)。

続いて狂言『無布施経』。私は初めて見る演目でしたが、なかなか面白かったです。なお、この演目は、“ふせないきょう”と漢文のように読むそうです。

次に、仕舞2番『清経キリ』と『角田川』。

そして、能『安宅』。やはり、勧進帳の場面は圧巻でした。ツレワキに迫るところは見ているほうも力が入るほどの熱演でした。義経金春嘉織さんもしっかりと長い謡もしっかりと謡っていました。

休憩の後に仕舞3番『田村キリ』、『芭蕉』、『』。

最後は、八十世宗家金春安明師の能『石橋古式』です。私は、これまで『石橋』は半能でしか見たことがありませんでしたので、前場を見るのは初めてでした。前場の静かな進行が後場の獅子の躍動的な舞を一層引き立てるのだと思いました。しかし、私は、朝からの疲れが出たので、前場は睡魔との闘いになってしまいました。後場では、親子の獅子が、白はどっしりと、赤は敏捷に舞い、豪華さの感じられる能でした。

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theme : 能楽
genre : 学問・文化・芸術

東大寺の大仏

今日は、奈良に行きました。

奈良県新公会堂・能楽ホールで開催された「77世家元金春榮治郎三十三回忌・金春晃實七回忌追善西御門金春会別会能」を見に出かけました。
その前に、東大寺を訪れ、久しぶりに奈良の大仏にお会いしました。
やはり大きかったです。

東大寺大仏01


今日の奈良は薄曇でした。東大寺奈良公園は、春休みということもあり、多くの観光客でにぎわっていました。
77世家元金春榮治郎三十三回忌・金春晃實七回忌追善西御門金春会別会能」の様子は、明日、ご報告します。

theme : 京都・奈良
genre : 旅行

開花宣言

名古屋では、今日、ソメイヨシノ

開花宣言がありました。
今日の名古屋の最高気温は、21.6℃と4月下旬の暖かさでした。
…というわけで、一気に桜のつぼみも膨らみ、最新の予想の23日よりも一日早く開花宣言となったようです。
実家の鉢植えの八重桜も、今日、開花しました。

八重桜200803


この八重桜は「旭山」という品種です。
4月下旬頃開花するはずだったのですが、今日の4月下旬の陽気に誘われたのか、本日、開花しました。

theme : 樹木・花木
genre : 趣味・実用

永日小品・行列

夏目漱石には7人の子どもがいました。

漱石が、『永日小品』を朝日新聞に連載していたのは、明治42(1909)年の1月から3月にかけてです。
そのとき、漱石には4人の娘2人の息子がいました。
6人の子ども達は、
 長女筆子:明治32(1899)年5月生まれ
 次女恒子:明治34(1901)年1月生まれ
 三女栄子:明治36(1903)年10月生まれ
 四女愛子:明治38(1905)年12月生まれ
 長男純一:明治40(1907))年6月生まれ
 次男伸六:明治41(1908)年12月生まれ  です。

今日、紹介する短編が「行列」で仮装行列のような遊びをしているのは、4人の女の子たちでしょう。長男は2歳ですし、次男は生まれたばかりなので、この遊びは無理だと思われます。
この作品は、『永日小品』の19番目の短編です。


永日小品・行列』(夏目漱石)


 ふと机から眼を上げて、入口の方を見ると、書斎の戸がいつの間か、半分明いて、広い廊下が二尺ばかり見える。廊下の尽きる所は唐めいた手摺に遮られて、上には硝子戸が立て切ってある。青い空から、まともに落ちて来る日が、軒端を斜に、硝子を通して、縁側の手前だけを明るく色づけて、書斎の戸口までぱっと暖かに射した。しばらく日の照る所を見つめていると、眼の底に陽炎が湧いたように、春の思いが饒かになる。
 その時この二尺あまりの隙間に、空を踏んで、手摺の高さほどのものがあらわれた。赤に白く唐草を浮き織りにした絹紐(リボン)を輪に結んで、額から髪の上へすぽりと嵌めた間に、海棠と思われる花を青い葉ごと、ぐるりと挿した。黒髪の地に薄紅の莟が大きな雫のごとくはっきり見えた。割合に詰った顎の真下から、一襞になって、ただ一枚の紫が縁までふわふわと動いている。袖も手も足も見えない。影は廊下に落ちた日を、するりと抜けるように通った。後から、――


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theme : 夏目漱石
genre : 本・雑誌

名古屋市美術館 北斎展

名古屋市美術館で開催中の『北斎展』に

行きました。
今回の『北斎展』に行くのは、実は2度目です。前半と後半で展示作品が少し入れ替わるということでしたので、もう一度行くことにしました。
 ※名古屋市美術館特別展 北斎 展示作品一覧(名古屋市美術館のサイトから)

北斎展200802_01


今回の展覧会の目玉は、オランダ商館長やシーボルトから依頼を受けて書いたとされる文政年間(1818年〜1830年)の北斎肉筆画です。日本人の暮らしぶりがオランダの画用紙に描かれており、パリのフランス国立図書館と、ライデンのオランダ国立民族学博物館に所蔵されているとのことで、今回、初めて同時に里帰りしたとのこと。
私は、北斎肉筆画をこれまであまり見たことがありません。今回、展示されている肉筆画は色使いや人物描写など今まで私が持っていた北斎のイメージとはかなり違っていました。
 ※驟雨』(オランダ国立民族学博物館蔵)(名古屋市美術館のサイトから)
この肉筆画、非常に繊細で、緻密です。特に着物の質感などは見事に再現されていて、版画ではわからない北斎の高い技量が伺えます。
私は、「冨嶽三十六景」や「北斎漫画」の方が好きですけど…。

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theme : 美術館・博物館 展示めぐり。
genre : 学問・文化・芸術

夢の色

カラーの夢を見ました。

私はもともとあまりを見ない(正確には見たを覚えていないのかもしれませんが…)方です。
たまに見るでも、の中に出てきた人やもののの記憶はありませんでした。
見ている夢がモノクロなのか、の中でを意識していなかったのかはわかりません。
ところが、先日、の中に青い空を眺めている自分がいました。そして、その空の青さが目に焼き付きました。ただ、の中のその他のもののは全く記憶にないので、カラーではなかったのかもしれません。
カラーは、女性感受性の強い人精神の不安定な人がよく見るという説もあるようです。
芥川龍之介の短編「」も、『夢の中に色彩を見るのは神経の疲れてゐる証拠であると云ふ。』という文章から始まっています。


』(芥川龍之介)


 夢の中に色彩を見るのは神経の疲れてゐる証拠であると云ふ。が、僕は子供の時からずつと色彩のある夢を見てゐる。いや、色彩のない夢などと云ふものはあることも殆(ほとん)ど信ぜられない。現に僕はこの間も夢の中の海水浴場に詩人のH・K君とめぐり合つた。H・K君は麦藁帽をかぶり、美しい紺色のマントを着てゐた。僕はその色に感心したから、「何色ですか?」と尋ねて見た。すると詩人は砂を見たまま、極めて無造作に返事をした。――「これですか? これは札幌色ですよ。」


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theme :
genre : 心と身体

宝引

正岡子規は、3月18日の「墨汁一滴」で

宝引について書いています。(明治34(1901)年3月18日)
宝引とは、束ねた紐を客に引かせ、当たりが付いた紐を引いた者に景品を出す福引の道具のことです。
今では、実物を見ることはほとんどないと思います。

子規宝引の説明を聞いた虹原は、鈴木貞次郎〔明治12(1879)年〜昭和45(1970)年〕のことです。鈴木貞次郎は、山形県生れで、明治39(1906)年にブラジル移民の草分けとして、ブラジルにわたり、戦前は邦字紙を執筆し、戦後も「ブラジル移民の草分け」などの著作を残しました。


墨汁一滴』(正岡子規)

宝引といふ事俳句正月の題にあれど何の事とも知らずただ福引の類ならんと思ひてありしがこの頃虹原の説明を聞きて疑解けたり。虹原の郷里(羽前)にてはホツピキと称へて正月には今もして遊ぶなりと。その様は男女十人ばかり(男三分女七分位なるが多く、下婢下男抔もまじる事あり)ある家に打ち集ひ食物または金銭を賭け(善き家にては多く食物を賭け一般の家にては多く金銭を賭くとぞ)くじを引いてこれを取るなり。くじは十人ならば四、五尺ばかりの縄十本を用意し、親となりたる者一人その縄を取りてその中の一本に環または二文銭または胡桃の殻などを結びつく。これを胴ふぐりといふ、これ当りくじなり。親は十本の縄の片端は自分の片手にまとひ他の一端を前に投げ出す。元禄頃の句に

宝引のしだれ柳や君が袖  失名

とあるは親が縄を持ちながら胴ふぐりを見せじとその手を袖の中に引つこめたる処を形容したるにや。かくて投げ出したる縄を各一本づつ引きてそのうち胴ふぐりを引きあてたる者がその場の賭物を取る。その勝ちたる者代りて次の親となる定めにて、胴ふぐり親の手に残りたる時はこれを親返りといふとぞ。


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theme : 俳句
genre : 小説・文学

毎年よ 彼岸の入りに 寒いのは

明治26(1893)年3月に、正岡子規に「彼岸というのに、寒いね」とつぶやくと、は「毎年よ、彼岸の入りに寒いのは」と答えたそうです。
そのとき、子規は、の答えが五七五になっていることを気づき、子規は、そのまま一句にしたとのことです。
この句には、「母の詞自ずから句となりて」という前書きがついています。
また、この句は、口語句のはしりと言われています。

今日は彼岸の入りです。

この季節になると子規のこの句を思い出します。

母の詞自ずから句となりて
  毎年よ 彼岸の入りに 寒いのは


芥川龍之介にも、彼岸の句があります。
  竹の芽も 茜さしたる 彼岸かな

今日も名古屋は、彼岸の入りにふさわしい春の陽気の一日でした。

theme : 俳句
genre : 小説・文学

枝垂れ梅

枝垂れ梅が咲いていました。

今日の名古屋は、最高気温が20℃を超え、4月中旬並みの暖かい一日でした。
実家の庭で枝垂れ梅が咲いていました。この枝垂れ梅は八重咲で、香りも強いです。

枝垂れ梅2008


枝垂れ梅の下で花が咲いているのは、君子蘭の鉢植えです。
枝垂れ梅は、学名Prunus mume form. pendulaで、中国原産の花木です。
枝垂れ梅に限らず、「枝垂れ○○」という樹木は、品種ではなく、遺伝的突然変異で起こるものだそうです。枝垂れの木は幹が木質化するのが遅いので、自らの重さで枝垂れてしまうとのこと。
したがって、重力に反して自立的に生長することができないため、自然界ではめったに成木にならないようです。
園芸種として販売されているのは、ほとんどが接木苗で、苗木のときは幹が木質化するまで支柱など固定して生育させるそうです。

遺伝的異常を持って生まれてきた木を、丁寧に育てることで生まれる、「枝垂れ○○」。
最初に育てた人は、本当にすごいと思います。

theme : 樹木・花木
genre : 趣味・実用

安宅(6)

謡『安宅』の稽古は、今日が6回目。

今日の名古屋は、春本番を思わせる暖かな一日でした。ただ、結構、風は強かったので、スギ花粉もたくさん飛んでいたようです。
前回が1か月ぶり、今回が3週間ぶりと、最近、稽古の間隔が空き気味なので、どうも前の稽古のことを忘れてしまいます(←これは、単に上達しない言い訳です…)。

今日は、『勧進帳』の後半の部分でした。

シテ「かほどの霊場の。絶えなん事を悲しみて。
   俊乗房重源。諸国を勧進す。一紙半銭を。
   奉財の輩は。この世にては無比の樂に誇り当来にては。
   しゅせん蓮華の上に座せん。帰命施主。
   敬って申すと.天もひびけと.読みあげたり。

ワキ「関の人人肝を消し。
地謡「恐れをなして.通しけり。
ワキ「急いでおん通り候え。
太刀持「いかに申し候。判官殿のおん通りにて候。
ワキ「心えてある。
   やああの強力止まれとこそ。

立衆「すはわが君を怪しむるは。
   一期の浮沈きわまりぬと。みな一同に立ち帰る。

シテ「あああわてて事をし損ずな。
   やああの強力なにとて通らぬぞ。

ワキ「強力をばこなたより止めて候。
シテ「その謂は候。
ワキ「ちと人に似たると申す者の候ほどに止めて候。
シテ「人が人に似たるが不審に候か。さて誰に似申して候ぞ。
ワキ「判官殿に似申したつと申す者の候ほどに止めて候。
シテ「判官殿に似申したる強力めは。日本一の思い出かな。
   腹立ちや日高くば能登の国まで指そうずるに。
   わずかまる笈負うて後にさがればこそ人も怪しむれ。
   このほどにっくし憎しと思いつるに。
   いでもの見せてくれんとて。金剛杖をおっ取って。
   さんざんに打擲す。立てこそ。


前回(2月24日)金春流には、「木曾」がないので、三読物はどうなっているのかを、次回(今日のこと)、穂高先生に尋ねようと思っていたのに、今日はそのことはすっかり忘れてしまいました。

また、3月1日宗次ホールで開催された「愛知県芸術大学大学院学生によるコンサート」の様子を穂高先生に報告するのもすっかり忘れてしまいました。

最近、物忘れがひどくなったような……。

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theme : 能楽
genre : 学問・文化・芸術

マルクス忌

今日は、マルクスの命日です。

ソビエト連邦の崩壊で共産主義国家が次々と消滅し、マルクス主義もすっかり過去のもののように感じられる最近ですが、カール・ハインリヒ・マルクス(Karl Heinrich Marx)〔文政元(1818)年5月5日〜明治16(1883)年3月14日〕は20世紀において、世界に最も影響を与えた思想家だったと思います。
カール・ハインリヒ・マルクスは、フランス国境に近いドイツトリーア(Trier)出身のユダヤ系ドイツ人です。

一つの妖怪がヨーロッパにあらわれている、――共産主義の妖怪が。』で始まり、『万国のプロレタリアよ、団結せよ!』で終わるフリードリヒ・エンゲルス(Friedrich Engels)との共著「共産党宣言(共産主義者宣言)」は、弘化5(1848)年2月にロンドンで出版されます。
この12,000語あまりのパンフレットは、ロンドンの秘密結社“共産主義者同盟”の幹部のカール・シャッパー(Karl Schapper)から依頼を受けた“共産主義者同盟”のための綱領文書です。

日本においては、明治37(1904)年11月13日発行の週刊『平民新聞』第53号に幸徳秋水堺利彦が共訳して掲載したものが最初の翻訳です。なお、この号はただちに発売禁止措置をうけました。
一方、マルクスの代表的な著作である「資本論」は、特に共産主義について書いた著作ではないので、発禁処分は受けませんでした。

資本主を最初に定義したのが、マルクスの「資本論」だったというのも、皮肉ですね。

theme : 歴史
genre : 学問・文化・芸術

天王星

今日は天王星が発見された日です。

天王星(Uranus)は、安永10(1781)年の3月13日にイギリスの天文学者ウィリアム・ハーシェル(Friedrich Wilhelm Herschel)により発見されました。
天王星は、太陽系太陽から7番目の惑星(太陽からの平均距離:28億7500万km)で、太陽系の惑星の中で3番目に大きいガス状惑星(半径:2万5559km)です。
名前のUranusは、ギリシア神話の天の神ウーラノスのラテン語形だそうです。
直径は約5万1100kmと地球の約4倍の大きさ。質量は地球の約14倍ですが、ほとんどが軽いガスと氷でできているため密度は水の1.27倍に過ぎず、重力は地球の9/10しかないそうです。
昭和52(1977)年、カイパー空中天文台(Kuiper Airborne Observatory)からの観測で9本のが発見されました。

天王星

(1998年、ハッブル宇宙望遠鏡(Hubble Space Telescope)により撮影)

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theme : 宇宙
genre : 学問・文化・芸術

日曜日

今日は日曜日が休みになった日です。

明治9(1876)年3月12日、明治政府は欧米にならい、4月1日から日曜日を休日とすることを決めました。あわせて、土曜日を半ドンとすることも決めています。
この“半ドン”と言う言葉も週休2日制の普及に伴い、死語になりかけています。
週休2日制は、平成元(1989)年1989年2月4日から金融機関で、平成4(1992)年5月1日から国家公務員で、平成14(2002)年度から公立学校で採用され、今では土曜日が半ドンのところはほとんどなくなりました。

明治9年3月12日太政官達第27号
院省使廳府縣


從前一六日休暇ノ處來ル四月ヨリ日曜日ヲ以テ休暇ト被定候條此旨相達候事
但土曜日ハ正午十二時ヨリ休暇タルヘキ事


今日は、運動会の日曜日の少年を描いた夢野久作の童話、「寝ぼけ」を紹介します。
この作品は、大正11(1922)年11月28日に“九州日報”に、久作無署名で発表した童話です。


寝ぼけ』(夢野久作)


 太郎さんはしじゅう寝ぼけてしくじるので、口惜しくてたまりません。明日は運動会だから、決して寝ぼけずにちゃんと自分で支度をして、みんなを驚かしてやろうとかたく決心をして寝ました。
 あくる朝大へん早く起きたものがありますから、太郎さんは飛び起きますと、お母さんが坐って、
「太郎さん、今日は雨がふって運動会がお休みになったのだよ。さっき先生がお寄りになったから本当です。ゆっくりお休みなさい」
 と言われました。太郎さんは昨日先生が「雨が降ったら運動会はおやめ」と言われた事を思い出して、安心して眠りました。


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theme : 歴史
genre : 学問・文化・芸術

夢野久作

今日は、夢野久作が47歳で亡くなった日です。

夢野久作(ゆめの きゅうさく)〔明治22(1889)年1月4日〜昭和11(1936)年3月11日〕は、本名は杉山泰道(すぎやま たいどう)と言い、福岡市出身の小説家です。
日本探偵小説三大奇書の一つに数えられる奇書『ドグラ・マグラ』で有名です。

久作は、能楽と非常に縁が深かったことでも知られています。3歳のときに、元黒田藩能楽師範、喜多流梅津只圓師に入門し、大正7(1918)年、29歳のときに喜多流謡曲教授になります。
この久作の師匠、梅津只圓は、明治維新後の福岡を代表する名人として知られ、喜多流宗家千代造の指導者の一人として請われて上京し、千代造に芸を伝授したといわれています。
この千代造が後に名人中の名人と言われた第十四世喜多六平太能心です。

今日、紹介する『能の起源』という評論は、大正15(1926)11月1日から、当時勤めていた“九州日報”に杉山萠圓の筆名で連載した長篇評論「能とは何か」(発表当時は、「能とは何ぞや」の中の一編です。
なお、この年の、10月に雑誌“新青年”に発表した「あやかしの鼓」で、初めて夢野久作の筆名を用いています。


能の起原』(夢野久作)


 能は今から数百年前……たしかな事は記憶しないが、日本が今の王政でなく、その前の徳川幕府以前の、戦国時代のモウ一ツ以前の足利将軍時代に出来たもので、その当時はこれを猿楽と云っていた。この猿楽が能の初まりである事は確実らしいので、能の曲目に選ばれている伝説や史実に、その以前の鎌倉時代以後の事がないのを見てもわかる。


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theme : 能楽
genre : 学問・文化・芸術

東京大空襲

今日は、東京大空襲の日です。

昭和20(1945)年3月10日午前0時7分過ぎから、アメリカ軍のB-29爆撃機325機による爆撃が始まり、2時間半近く続きました。
この爆撃で投下された爆弾は約38万発、1,700tにのぼったとされ、10万人以上が犠牲になり、約28万戸の家屋が焼失し、東京の3分の1以上にあたる約40平方kmが焼失しました。
3月10日は、明治38(1905)年の日露戦争・奉天大会戦での日本軍の勝利を記念した陸軍記念日(休日)で、アメリカ軍は意図的にこの日を狙ったとも言われています。

12年後のこの事態を想定していたわけではないでしょうが、昭和8(1933)年8月の9、10、11日の3日間、関東防空大演習が実施されました。
防空演習は、昭和3(1928)年7月に大阪で初の演習が行われたのを皮切りに、昭和4(1929)年には名古屋で、昭和6(1931)年には北九州静岡などで、昭和7(1932)年には佐世保舞鶴横須賀などで、そして、昭和8(1933)年8月に東京を中心に一府四県にわたる関東全域で実施されました。

先日(2月26日)紹介したように、桐生悠々は、昭和8(1933)年8月11日、信濃毎日新聞にこの防空演習を批判した社説『関東防空大演習を嗤ふ』を執筆し、陸軍の怒りを買って、9月に退社に追い込まれます。

今日は、その『関東防空大演習を嗤ふ』をを紹介します。


関東防空大演習を嗤う』(桐生悠々)


 防空演習は、曾て大阪に於ても、行われたことがあるけれども、一昨九日から行われつつある関東防空大演習は、その名の如く、東京付近一帯に亘る関東の空に於て行われ、これに参加した航空機の数も、非常に多く、実に大規模のものであった。そしてこの演習は、AKを通して、全国に放送されたから、東京市民は固よりのこと、国民は挙げて、若しもこれが実戦であったならば、その損害の甚大にして、しかもその惨状の言語に絶したことを、予想し、痛感したであろう。というよりも、こうした実戦が、将来決してあってはならないこと、またあらしめてはならないことを痛感したであろう。と同時に、私たちは、将来かかる実戦のあり得ないこと、従ってかかる架空的なる演習を行っても、実際には、さほど役立たないだろうことを想像するものである。

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煙草と悪魔(3)

今日、名古屋国際女子マラソンが

行われ、見事、初マラソンの中村友梨香選手(天満屋)が優勝しました。
今日の名古屋は、3月下旬の気温でしたので、マラソンには少し気温が高めだったかもしれません。

今日は、芥川龍之介の「煙草と悪魔」の3回目です。

文中のいわゆるキリシタン用語は、いずれもポルトガル語で、『ぢやぼ』はdiablo(悪魔)のこと、『はうすちも』はbatismo(洗礼)のこと、『因辺留濃(いんへるの)』はinferno(地獄)のこと、『泥烏須(でうす)』はDeus(神)のことです。
また、『毘留善麻利耶(びるぜんまりや)』は、ポルトガル語virgem(処女)Maria(マリア)を続けたもので、処女懐胎した聖母マリアという意味です。

なお、『体も魂も、「亡ぶることなき猛火」に、焼かれなければ、ならない』というのは、新約聖書・マタイによる福音書の『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。』(マタイのによる福音書26.43)からの引用と思われます。


煙草と悪魔』〔3〕(芥川龍之介)


 牛商人は、うつかり、悪魔の手にのつたのを、後悔した。このままで行けば、結局、あの「ぢやぼ」につかまつて、体も魂も、「亡ぶることなき猛火」に、焼かれなければ、ならない。それでは、今までの宗旨をすてて、波宇寸低茂(はうすちも)をうけた甲斐が、なくなつてしまふ。
 が、御主耶蘇基督(エス・クリスト)の名で、誓つた以上、一度した約束は、破る事が出来ない。勿論、フランシス上人でも、ゐたのなら、またどうにかなる所だが、生憎、それも今は留守である。そこで、彼は、三日の間、夜の眼もねずに、悪魔の巧みの裏をかく手だてを考へた。それには、どうしても、あの植物の名を、知るより外に、仕方がない。しかし、フランシス上人でさへ、知らない名を、どこに知つてゐるものが、ゐるであらう。……

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煙草と悪魔(2)

今日は、芥川龍之介の「煙草と悪魔

の2回目です。

タバコの語源は、スペイン語やポルトガル語の 「tabaco」と言われています。
タバコは、ナス科タバコ属の一年草で、現在栽培されているものではピンク色の花をつけるものが多いようです。
〔参考〕アダムとイブの末裔(JTのサイト内「タバコの“アダム”と“イブ”」から)
ただ、栽培農家では、葉に十分な栄養を行き渡らせるため、花は咲くと同時に切り落とされるのが普通のようです。
〔参考〕「タバコ」という植物(JTのサイト内「たばこの基礎知識」から)

黄牛( あめうし)とは、飴色の毛をした牛で、古くは、上等な牛として尊ばれたそうです。
清少納言も、「枕草子」の第42段で『にげなきもの(似合わないもの)』で、『月のいとあかきに、やかたなき車にあひたる。又さる車にあめうしかけたる。(月がとても明るい夜に、屋根もないような質素な牛車に、あめ色の牛をつけているとき)』と述べています。


煙草と悪魔』〔2〕(芥川龍之介)

 それから、幾月かたつ中に、悪魔の播いた種は、芽を出し、茎をのばして、その年の夏の末には、幅の広い緑の葉が、もう残りなく、畑の土を隠してしまつた。が、その植物の名を知つてゐる者は、一人もない。フランシス上人が、尋ねてさへ、悪魔は、にやにや笑ふばかりで、何とも答へずに、黙つてゐる。
 その中に、この植物は、茎の先に、簇々として、花をつけた。漏斗のやうな形をした、うす紫の花である。悪魔には、この花のさいたのが、骨を折つただけに、大へん嬉しいらしい。そこで、彼は、朝夕の勤行をすましてしまふと、何時でも、その畑へ来て、余念なく培養につとめてゐた。
すると、或日の事、(それは、フランシス上人が伝道の為に、数日間、旅行をした、その留守中の出来事である。)一人の牛商人が、一頭の黄牛をひいて、その畑の側を通りかかつた。見ると、紫の花のむらがつた畑の柵の中で、黒い僧服に、つばの広い帽子をかぶつた、南蛮の伊留満が、しきりに葉へついた虫をとつてゐる。牛商人は、その花があまり、珍しいので、思はず足を止めながら、笠をぬいで、丁寧にその伊留満へ声をかけた。
 ――もし、お上人様、その花は何でございます。


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煙草と悪魔(1)

今日は、未成年の喫煙が禁止された日です。

今から100年以上前の、明治33(1900)年3月7日に未成年者喫煙禁止法が制定されました。
これは、明治中期以降、社会問題化した青少年逸脱問題に対応する法整備の一つだそうです。

煙草は戦国時代に日本にやってきたようですが、その直後から喫煙を悪習と考える人はいたようです。
中でも、徳川幕府の2代将軍徳川秀忠は、喫煙に批判的で、慶長12(1607)年に世界最初の禁煙令を出します。しかし、翌慶長13(1608)年、14(1609)年にも同じ内容の禁煙令を出していますので、この禁煙令にはあまり効き目がなかったようです。そして、ついに慶長17(1612))年8月の禁煙令では、喫煙はもちろん、煙草を栽培するのも、売買するのも禁止と、煙草の全面的に禁止します。にもかかわらず、なかなか喫煙がなくならないので、元和元(1615)年に5度目の禁煙令を出し、キセル狩りというキセルの没収運動まで行います。これによって、さすがに喫煙をやめる者が続出したそうです。しかし、幕府の取り締まりも最初の2・3年だけだったので、喫煙の習慣はすぐに復活したようです。
この禁煙令は、形式的には明治時代になるまで存続していたとのことです。

今日から、煙草は悪魔が日本に持ち込んだという伝説を描いた芥川龍之介の「煙草と悪魔」を3回に分けて紹介します。

煙草と悪魔』〔1〕(芥川龍之介)

 煙草は、本来、日本になかつた植物である。では、何時頃、舶載されたかと云ふと、記録によつて、年代が一致しない。或は、慶長年間と書いてあつたり、或は天文年間と書いてあつたりする。が、慶長十年頃には、既に栽培が、諸方に行はれてゐたらしい。それが文禄年間になると、「きかぬものたばこの法度銭法度、玉のみこゑにげんたくの医者」と云ふ落首が出来た程、一般に喫煙が流行するやうになつた。――
 そこで、この煙草は、誰の手で舶載されたかと云ふと、歴史家なら誰でも、葡萄牙(ポルトガル)人とか、西班牙(スペイン)人とか答へる。が、それは必ずしも唯一の答ではない。その外にまだ、もう一つ、伝説としての答が残つてゐる。それによると、煙草は、悪魔がどこからか持つて来たのださうである。さうして、その悪魔なるものは、天主教の伴天連か(恐らくは、フランシス上人)がはるばる日本へつれて来たのださうである。
 かう云ふと、切支丹宗門の信者は、彼等のパアテルを誣ひるものとして、自分を咎めようとするかも知れない。が、自分に云はせると、これはどうも、事実らしく思はれる。何故と云へば、南蛮の神が渡来すると同時に、南蛮の悪魔が渡来すると云ふ事は――西洋の善が輸入されると同時に、西洋の悪が輸入されると云ふ事は、至極、当然な事だからである。
 しかし、その悪魔が実際、煙草を持つて来たかどうか、それは、自分にも、保証する事が出来ない。尤もアナトオル・フランスの書いた物によると、悪魔は木犀草の花で、或坊さんを誘惑しようとした事があるさうである。して見ると、煙草を、日本へ持つて来たと云ふ事も、満更嘘だとばかりは、云へないであらう。よし又それが嘘にしても、その嘘は又、或意味で、存外、ほんとうに近い事があるかも知れない。――自分は、かう云ふ考へで、煙草の渡来に関する伝説を、ここに書いて見る事にした。
        *      *      *


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菊池寛忌

今日は、菊池寛が亡くなった日です。

菊池寛[明治21(1888)年12月26日〜昭和23(1948)年3月6日]は、「父帰る」、「恩讐の彼方に」、「忠直卿行状記」などで知られる小説家、劇作家です。
また、文藝春秋社を創設し、芥川賞直木賞を設立しました。
大正11年に発行された「菊池寛全集」の序文で芥川龍之介は、菊池リアリズムの人と呼んでいます。


「菊池寛全集」の序』(芥川龍之介)

 スタンダアルとメリメとを比較した場合、スタンダアルはメリメよりも偉大であるが、メリメよりも芸術家ではないと云う。云う心はメリメよりも、一つ一つの作品に渾成の趣を与えなかった、或は与える才能に乏しかった、と云う事実を指したのであろう。この意味では菊池寛も、文壇の二三子と比較した場合、必しも卓越した芸術家ではない。たとえば彼の作品中、絵画的効果を収むべき描写は、屡、破綻を来しているようである。こう云う傾向の存する限り、微細な効果の享楽家には如何なる彼の傑作と雖も、十分の満足を与えないであろう。
 ショオとゴオルスウアアズイとを比較した場合、ショオはゴオルスウアアズイよりも偉大であるが、ゴオルスウアアズイよりも芸術家ではないと云う。云う心の大部分は、純粋な芸術的感銘以外に作者の人生観なり、世界観なり兎に角或思想を吐露するのに、急であると云う意味であろう。この限りでは菊池寛も、文壇の二三子と比較した場合、謂う所の生一本の芸術家ではない。たとえば彼が世に出た以来、テエマ小説の語が起った如きは、この間の消息を語るものである。こう云う傾向の存する限り、絵画から伝説を駆逐したように、文芸からも思想を駆逐せんとする、芸術上の一神論には、菊池の作品の大部分は、十分の満足を与えないであろう。
 この二点のいずれかに立てば、菊池寛は芸術家かどうか、疑問であると云うのも困難でない。しかしこの二つの「芸術家」と云う言葉は、それぞれ或限定に拠った言葉である。第一の意味の「芸術家」たる資格は、たとえばメリメと比較した場合、スタンダアルにも既に乏しかった。第二の意味の「芸術家」たる資格は、もっと狭い立ち場の問題である。して見れば菊池寛の作品を論ずる際、これらの尺度にのみ拠ろうとするのは、妥当を欠く非難を免れまい。では菊池寛の作品には、これらの割引を施した後にも、何か著しい特色が残っているか? 彼の価値を問う為には、まず此処に心を留むべきである。


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