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2008 / 01
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謡『安宅』の稽古は、今日が4回目

今朝の名古屋は、氷点下の冷え込みとなり、冷たい一日でした。
ただ、天気はよかったので、日当たりのよい室内は暖かかったです。

今日は、安宅の関についた義経弁慶たち一行が、東大寺大仏再興の勧進の山伏と偽って関所を通ろうとしますが、関守山伏は一人も通さないと言われ、斬られるのならば最後の勤めをしたい伝える場面です。

ワキ「いかに客僧関が候。
シテ「これは南都東大寺建立の為に。
   国国をめぐり勧進を申し候。北陸道をばこの聖承つて。
   一紙半銭を選はず。勧め申す勧進聖にて候。
   勧進におん入り候え。

ワキ「なかなかの事勧進には参り候べし。
   ただしこの関に限って山伏を止め申し候。

シテ「その謂は候。
ワキ「語って聞かせ申そう。
   さても頼朝義経ご兄弟のおん中不和にならせたまい。
   義経は都の住居叶わせたまわず。十二人の作り山伏となり。
   奥州秀衡を頼みおん下向のよし頼朝聞こしめし及ばせたまい。
   国国に新関をすえ。
   山伏をかたく選み申せとのおん事にて候ほどに。
   一人も通し申すまじく候。

シテ「しばらく。頼朝よりの仰せには。
   さようの作り山伏をこそ選べとは仰せあるべけれ。
   さてわれら如きの眞のの山伏をもおん留め候べきか。

太刀持「ようのか.わなおしやっそ。
     きのうも山伏を三人まで切ってかけてすは。
シテ「それが判官殿か
ワキ「ご問答は無益。とにかく通し申すまじく候。
シテ「さてはわれらをも止めては誅したもうべきか。
ワキ「なかなかの事。
シテ「ああ粗忽のご沙汰候いてご後悔候な。言語道断。
   かかる不運なる所へ参り逢いて候ものかな。
   さあらば最後の勤めをして尋常に斬らりょうずるにて候。
   皆皆ご覚悟候え。いかに申し候。
   さあらば最後の勤めをして尋常に斬らりょうずるにて候。
   少しの暇をたまわり候え。これにて聴聞申そうずるにて候。


治承4(1180)年、平重衡南都焼き打ちにより、東大寺の大仏殿が焼け落ち、本尊盧舎那大仏が大破します。しかし、平家の滅亡後、大勧進となった俊乗房重源のもと、全国に勧進聖が派遣され、大仏再建のための寄付を募ります。この事業には、後白河法皇頼朝も協力します。だから、弁慶はこの勧進の山伏になりすまそうとしたのでしょう。



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kinkun

Author:kinkun
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