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今日も、漱石の家に入った泥棒の話です。

今日は、漱石が生まれる前後に夏目家に入った泥棒の話です。
漱石は、慶応3(1867)年2月9日の生まれですから、まさに『何しろ勤王とか佐幕とかいう荒々しい言葉の流行ったやかましい頃』のことです。
この年の10月14日には、将軍徳川慶喜が大政を奉還し、12月9日には、王政復古の大号令でて、形の上では江戸幕府が滅亡します。

漱石は、本名金之助で、江戸牛込馬場下横町(現在の新宿区喜久井町)で数代前からの名主の夏目小兵衛直克の末子として生まれます。
江戸は、明治維新による混乱の最中で、夏目家も没落しつつあったためか、生後4か月で四谷の古具屋(八百屋という説も)に里子に出されますが、夜中まで品物の隣に並んで寝ているのを見たが不憫に思い実家へ連れ戻したと言われています。
その後、1歳の時に父親の友人である塩原昌之助の養子に出されます。しかし、養父昌之助の女性問題で養父母が不和になり、7歳の時、養母とともに一時生家に戻ります。そのため、漱石は一時、実父母のことを祖父母と思い込んでいたと言われています。養父母の離婚により、9歳の時、生家に戻るが、実父養父の対立により21歳まで夏目家への復籍が遅れます。
この漱石を不憫に思って連れ戻したが、この話に出てくる御沢さんなのでしょうか。

私の家では柱を切り組にして、その中へあり金を隠す方法を講じた』とのことですが、どのようにして隠したのでしょうか。
切り組とは、柱や梁、桁など、2つ以上の部材を組み合わせ、接合する際に、木材の仕口部分に、ほぞ(差し込む側の木材の小口の部分を細くして、合わせる相手側の材に差し込めるようにした凸の部分)とほぞ穴(合わせる側の凹の部分)を設け、隙間なくあわせて連結することです。以前は、建築現場で職人が手作業でほぞほぞ穴を刻んでいましたが、現在では事前に工場で加工され、現地では組み立てるだけのことが多いいそうです。
このほぞ穴を深く作って、お金の隠し場所にしたということかもしれません。

「どうしても宅にはありません、裏の夏目さんにはたくさんあるから、あすこへいらっしゃい。」』と言って、『とうとう金は一文も奪られ』なかった、角の酒屋の小倉屋の半兵衛さんは、よく考えるととんでもない人ですが、なぜか憎めないキャラクターです。

硝子戸の中』(夏目漱石)

十四

 ついこの間昔し私の家へ泥棒の入った時の話を比較的詳しく聞いた。
 姉がまだ二人とも嫁づかずにいた時分の事だというから、年代にすると、多分私の生れる前後に当るのだろう、何しろ勤王とか佐幕とかいう荒々しい言葉の流行ったやかましい頃なのである。




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