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2008 / 01
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今日は、昨日の岩崎という人の話の続きです。

漱石に『私がこんな人に出会ったのは生れて始めてである』とまで言わしめた『播州の坂越にいる岩崎という人』の話の続きです
偏執狂的ともいえる岩崎という人に対し、漱石の苛立ちは募り、感情が『この男に対してしだいに荒んで来』て、『しまいにはとうとう自分を忘れるように』なってしまいます。
そして、自分の取った行為に対し、『こんな非紳士的な挨拶をしなければならないような穴の中へ、私を追い込んだのは、この坂越の男であると思』い、『こんな男のために、品格にもせよ人格にもせよ、幾分の堕落を忍ばなければならないのかと考えると情な』くなります。

この感情は、しつこい電話によるセールスを断るときに、普段は決して口にしないようなことを言って断ったり、問答無用で電話を切ったりしたときに感じる嫌な思いに似ている気がします。
こうした人の感情に土足で入り込んでくるような人には、どのように接すれば良いのでしょうか。
私の場合、そのような人を軽蔑しながらも、尋常なやり方では拒否できず、結果として自分も同じレベルまで下がってしまったような気がして、やりきれなくなります。


硝子戸の中』(夏目漱石)

十三

 私はこれで一段落ついたものと思って、例の坂越の男の事を、それぎり念頭に置かなかった。するとその男がまた短冊を封じて寄こした。そうして今度は義士に関係のある句を書いてくれというのである。私はそのうち書こうと云ってやった。しかしなかなか書く機会が来なかったので、ついそのままになってしまった。けれども執濃いこの男の方ではけっしてそのままに済ます気はなかったものと見えて、むやみに催促を始め出した。その催促は一週に一遍か、二週に一遍の割できっと来た。それが必ず端書に限っていて、その書き出しには、必ず「拝啓失敬申し候えども」とあるにきまっていた。私はその人の端書を見るのがだんだん不愉快になって来た。



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今日も、漱石を悩ませた人の話です。

それは、『播州の坂越にいる岩崎という人』で、『一番私を不愉快にした』とまで述べているので、漱石は余程、腹に据えかねたようです。
珍しく『岩崎』という実名まで出しています。でも、岩崎という人は、この作品のおかげで21世紀まで名が残ることになったわけですが…。
坂越(さこし)は、兵庫県赤穂市の坂越湾に面する港町で、江戸時代には、赤穂の塩を運ぶ水運の拠点として栄えた町とのことです。

漱石の作品と名古屋といえば、『三四郎』が有名ですが、この作品にもこの岩崎という人が『名古屋から茶の缶』を漱石に送る場面があり、名古屋が登場します。


硝子戸の中』(夏目漱石)

十二

 私に短冊を書けの、詩を書けのと云って来る人がある。そうしてその短冊やら絖やらをまだ承諾もしないうちに送って来る。最初のうちはせっかくの希望を無にするのも気の毒だという考から、拙い字とは思いながら、先方の云うなりになって書いていた。けれどもこうした好意は永続しにくいものと見えて、だんだん多くの人の依頼を無にするような傾向が強くなって来た。
 私はすべての人間を、毎日毎日恥を掻くために生れてきたものだとさえ考える事もあるのだから、変な字を他に送ってやるくらいの所作は、あえてしようと思えば、やれないとも限らないのである。しかし自分が病気のとき、仕事の忙がしい時、またはそんな真似のしたくない時に、そういう注文が引き続いて起ってくると、実際弱らせられる。彼らの多くは全く私の知らない人で、そうして自分達の送った短冊を再び送り返すこちらの手数さえ、まるで眼中に置いていないように見えるのだから。





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阪神・淡路大震災から13年。

13年前、地震が起きたときには名古屋でも大分揺れ、目が覚めた記憶があります。
地震から、1か月たった平成7年2月26日の朝日新聞の朝刊の朝日俳壇が「阪神大震災を詠む」と題して, 俳句特集を掲載しました。その中から何句か紹介します。

国一つ たたきつぶして 寒のなゐ 安東次男
地震(なゐ)に根を 傷(いた)めし並木 下萌(も)ゆる 稲畑汀子
天変も 地異もおさまり 春立てり 伊藤柏翠
白犀に 出合いし神戸 壊えたり 金子兜太
白梅や 天没地没 虚空没 永田耕衣
寒暁や 神の一撃 もて明くる  和田悟朗

なゐ」という言葉が出てきますが、古語で「なゐ」は大地のことで、「なゐふる」で大地が震えること、すなわち地震のことだそうです。時代が下ると、「なゐ」だけでも地震のことを表すようになったとのこと。
『方丈記』にも、「なゐ」が表れます。


『方丈記』(鴨長明

また元暦二年のころ、おほなゐふること侍りき。
そのさまよのつねならず。
山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。
土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、なぎさこぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。
いはむや都のほとりには、在々所々堂舍廟塔、一つとして全からず。
或はくづれ、或はたふれた(ぬイ)る間、塵灰立ちあがりて盛なる煙のごとし。
地のふるひ家のやぶるゝ音、いかづちにことならず。
家の中に居れば忽にうちひしげなむとす。はしり出づればまた地われさく。
羽なければ空へもあがるべからず。
龍ならねば雲にのぼらむこと難し。
おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震なりけるとぞ覺え侍りし。


この地震は、元暦2(1185)年7月に発生した元暦大地震のことです。
ちなみに元暦2年の3月、平家が壇ノ浦で滅びます。安徳帝を奉じる平家は、「寿永」から「元暦」への改元をみとめず、「寿永」を使い続けます。したがって、元暦2年=寿永4年となります。この大地震の発生の翌月、「文治」に改元されます。

たった1年半しか使われなかった「元暦」という元号ですが、今日の都の人たちにとっては、戦乱と災害の1年半だったようです。



今日は、やぶ入りです。

やぶ入の 夢や小豆の 煮るうち蕪村
小豆粥の習慣は、小正月の頃なので、子どもが帰ってくる家ではやぶ入りの日にも小豆を煮たのでしょう。

さて、今日も、昨日に続いて漱石のところに原稿を見てもらいにくる人の話です。
ただし、昨日の青年とは違い、今日の話は、知り合いの奥さんから紹介されたです。
今まで私の所へ自分の書いたものを読んでくれと云って来たものは何人となくある。』とあるように、漱石のところに原稿を見てもらいにくる人は非常にたくさんいたようです。
そして、漱石は『知らない人の書いた読みにくい原稿を好意的に読むのがだんだん厭になって来』ています。

この話で、漱石がに話していることは、漱石自身の自戒の言葉のような気がします。
思い切って正直にならなければ駄目』で、『自分さへ十分に開放して見せれば』よいというのは、漱石自身が理想としている他人への接し方なのだと思います。


硝子戸の中』(夏目漱石)

十一

 ある奥さんがある女の人を私に紹介した。
「何か書いたものを見ていただきたいのだそうでございます」
 私は奥さんのこの言葉から、頭の中でいろいろの事を考えさせられた。今まで私の所へ自分の書いたものを読んでくれと云って来たものは何人となくある。その中には原稿紙の厚さで、一寸または二寸ぐらいの嵩になる大部のものも交っていた。それを私は時間の都合の許す限りなるべく読んだ。そうして簡単な私はただ読みさえすれば自分の頼まれた義務を果したものと心得て満足していた。ところが先方では後から新聞に出してくれと云ったり、雑誌へ載せて貰いたいと頼んだりするのが常であった。中には他に読ませるのは手段で、原稿を金に換えるのが本来の目的であるように思われるのも少なくはなかった。私は知らない人の書いた読みにくい原稿を好意的に読むのがだんだん厭になって来た。




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今日は小正月です。

小正月には小豆粥を食べる風習があるようですが、私の家では、同じ小豆でも、鏡餅を入れたぜんざいを食べていました。
今朝の名古屋は、この冬一番の冷え込みとなりました。日中は、空気は冷たいものの冬晴れの一日でした。

今日は、漱石邸の冬のある日から始まる夏目漱石の短編「山鳥」を紹介します。この作品は、『永日小品』の11番目の短編です。

冬のある日、漱石邸を突然、山鳥を持った青年が訪れます。
青年は、小説家志望のようで、その後、何度か漱石に作品を見てもらい、雑誌にも紹介してもらいますが物になりません。そして、夏のある日、漱石青年から借金を申し込まれ、2週間ほどで返すという約束で金を貸します。しかし、…。

この青年は、八戸市出身の市川文丸のことのようです。写真を見ると、この作品から受けるイメージとは少し違うような気がします。
市川文丸の写真:http://www.machi-naka.com/ijin/012.html


永日小品・山鳥』(夏目漱石)


 五六人寄って、火鉢を囲みながら話をしていると、突然一人の青年が来た。名も聞かず、会った事もない、全く未知の男である。紹介状も携えずに、取次を通じて、面会を求めるので、座敷へ招じたら、青年は大勢いる所へ、一羽の山鳥を提げて這入って来た。初対面の挨拶が済むと、その山鳥を座の真中に出して、国から届きましたからといって、それを当座の贈物にした。




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「ボストン美術館浮世絵名品展」に行きました。

名古屋ボストン美術館で開催中の「ボストン美術館浮世絵名品展」は、世界一といわれているボストン美術館の浮世絵コレクションの中から厳選された作品を3回に分けて公開する展覧会の第1回目だそうです。

展覧会は、4つの展示から構成されています。

第1は、「浮世絵初期の大家たち」。
墨一色の墨摺絵丹絵紅絵を経て、多色摺りの紅摺絵に至った初期の浮世絵作品の紹介で、初代、二代の鳥居清倍の作品が中心です。
ここでは、奥村政信(無款)浮絵(透視図法を用いたので、前景が浮かんでいるように見えることからそう呼ばれたとのこと)『駿河町越後屋呉服店大浮絵』が圧巻です。

第2は、「春信様式の時代」。
多色摺りの美しい錦絵で一世を風靡した鈴木春信、その影響を強く受けた磯田湖龍斎の作品が紹介されています。また、菱川師宣版本なども展示されています。
鈴木春信の描く美人は、中性的と言われていますが、今回展示されている『寄菊』の男女の顔を見ると、女二人と見間違うようで、男を女性的に描いたと言った方が正確なのではと思いました。

第3は、「錦絵の黄金時代」。
華やかな錦絵の世界を紹介されます。鳥居清長喜多川歌麿東洲斎写楽など浮世絵黄金時代の画家の作品が展示されています。
特に喜多川歌麿の『柿もぎ』は退色しやすいと言われている赤、橙、黄、紫の発色がすばらしく、保存状態の良い(ボストン美術館でもほとんど展示されたことがないためでしょうか)作品が多いこの展覧会の作品の中でもその美しさは目を引きます。
また、鳥居清長は八頭身の美人画を最初に描き、人気を博したとのことです。『日本橋の往来』では、遠近法も取り入れています。
この作品は、入り口のエスカレーターのところの懸垂幕に使われていました。

名古屋ボストン美術館200801_02


何点か蚊帳を描いた作品がありました。非常に細かく描かれた蚊帳を通して蚊帳の中の人物が描かれており、とても版画とは思えませんでした。掘り師と摺り師の技術の高さに驚きました。

第4は、「幕末のビッグネームたち」。この展示は5階です。
ここでの中心は、葛飾北斎歌川広重、そして、歌川国芳です。
葛飾北斎の「冨嶽三十六景」、「百人一首うばがゑとき」、歌川広重の「東海道五拾三次之内」、「名所江戸百景」などの代表的なシリーズから1~2点ずつ展示されていました。
歌川国芳の三枚連続の『讃岐院眷属として為朝をすくふ図』は見ごたえがあります。
この展覧会のポスターやパンフレットに使われている歌川国政の『市川鰕蔵の暫』も、迫力がありました。

名古屋ボストン美術館200801_01


今回の展覧会で、一番印象に残ったのは、歌川広重の『名所江戸百景 両国花火』。
藍色のブルーがとても美しく、海や空のグラデーションがすばらしかったです。以前見た作品と少し印象が異なりました。これも、保存状態が良いからなのでしょうか。
また、この絵の花火がぼかされているところは、初摺りか初期の摺りだけだそうで、今回の展覧会では初期の摺りが多いのも特徴とのことです。

浮世絵の世界に浸ることができ、心が豊かになった気がします。



今年の奈良金春会の予定を掲載します。

奈良金春会の演目についての問い合わせが私のところにもありますので、掲載させていただきます。
会場は、奈良県新公会堂 能楽ホールで、13時開演です。
料金は、一般が5,000円、学生が2,500円で、全席自由席です。

○4月27日(日)
 能「東北金春憲和
 能「国栖金春穂高
○6月15日(日)
 能「実盛高橋忍
 能「三輪佐藤俊之
○10月19日(日)
 能「柏崎金春穂高
 能「金春安明
○11月16日(日)
 能「立田金春康之
 能「阿漕福井順章

今日の名古屋は冬晴れの良い天気でしたが、寒い一日でした。
今日は、名古屋港ガーデン埠頭で開催される名古屋市消防出初式を見に行く予定でしたが、朝起きて「のどが痛いなあ。風邪かな」と思って、体温を計ったら、38.5℃だったので、外出を中止し、風邪薬を飲んで、一日、室内でゆっくりしていました。でも、まだのどは痛いです。
明日の朝は、この冬一番の冷え込みになるという予報なので、今晩は暖かくして寝たいと思っています。



謡『安宅』の稽古は、今日が3回目

今日の名古屋は、昼過ぎまで雨という予報でしたが、9時ごろには雨も一応上がりました。しかし、その後も晴れることなくときおり冷たい小雨のぱらつく一日でした。

今日は、安宅に新しい関所が作られ、山伏を特に詮議しているということを知った弁慶が、義経強力に変装して、関所を通るよう進め、義経も同意して、義経強力に変装し、、安宅の関所に向かうところです。

ツレ「われらが心中には。関の者ども何ほどのことの候べき。
   ただ打ち破っておん通り候え。

子方「ともかくも弁慶計らい候え。
シテ「畏って候。これは御意にて候ほどに。
   愚意のとおりを申しあぎょうずるにて候。
   まずわれらを始めてにっくき山伏にて候。
   なにと見申せどもおん姿隠れなきように見えさせたまい候。
   恐れながらおん篠懸を。強力の篠懸に召しかえられ候いて。
   笈をおん肩にかけられ。
   われらよりちと引きさがっておん通り候わば。
   ただまことの強力とこそ人は見候べけれ。
   あっぱれさようにおん身をやつされよかしと存じ候。

子方「さらば篠懸を取り候え。
シテ「いかに強力。
狂言「おん前に候。
シテ「汝が負いたる笈を。
   おん肩に懸けらりょうずるとのおん事にてある。
   なんぼう冥加に叶いたる事にてはなきか。

狂言「げにげに冥加おそろしきおん事にて候。
シテ「かようの事には必ず雑説もあるものにてある間。
   汝は立ち越え関のようを見て来たり候え。

狂言「畏って候。いかに申し候。関の様体を見て候えば。
   櫓かいたてをあげ。中々鳥も通わぬ体にて候。
   又こなたなる木の下に。黒きものが四ツ五ツ見え候ほどに。
   尋ねて候えば。山伏のここぢゃと申し候。
   あまりにいたわしく存じ。一首つらねて候。
シテ「何と連ねてあるぞ。
狂言「山伏は。貝吹いてこそにげにけれ。
   たれ追いかけてアビラウンケンとつらね申して候。
シテ「近頃汝はこざかしき者にてある。おん跡より来たり候え。
狂言「畏って候。
シテ「さらばおん立ちあらうずるにて候。
   げにや紅は園生に植えても隠れなし。

立衆「強力にはよも目をかけじと。おん篠懸を脱ぎかえて。
   麻の衣をおん身にまとい。

シテ「あの強力の負いたる笈を。
子方「義経とって肩にかけ。
立衆「笈の上には雨皮肩箱取りつけて。
子方「綾菅笠にて顔をかくし。
立衆「金剛杖にすがり。
子方「足痛げなる強力にて。
地謡「よろよろとして歩みたもうおん有様ぞ痛わしき。
太刀持「いかに申し候。山伏の大勢おん通りにて候。
ワキ「心得てある。




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愛知県美術館の所蔵作品展を

ロートレック展に引き続き見てまわりました。
現在開催中の所蔵作品展は、
 展示室4:20世紀の西洋美術
 展示室5:日本の近代洋画/近・現代の日本画
 展示室6:テーマ展「廣田 緑:交換プロジェクト’07 ~アジアの記憶~」
 展示室7:日本の彫刻家による女性像
 展示室8:木村定三コレクション 現代の人間像:異相の中のユーモア
で、構成されています。
この中では、展示室5川合玉堂の『湖畔晩帰』(1928年)が印象に残りました。
最近、以前にも増してこういう墨の絵に惹かれるようになりました。
作品の画像:http://search-art.aac.pref.aichi.jp/dat/pic/1998/obj199800041l.jpg

また、展示室8桂ゆき(本名:雪子、1913-1991)の『』と『新天新地』という2作品が並んで展示されていました。
寡聞にして、私は知りませんでしたが、戦前から活躍されていた女流画家だそうです。
現代的なタッチで描かれた作品で、印象に残りました。

外に出ると冬晴れの空を背景に、オアシス21の水の宇宙船とテレビ塔がきれいに見えました。

オアシス21_200801


この日は最高気温が13。7℃と暖かい一日だったので、外のベンチに座っている人も見かけました。

***
今日の名古屋は、夕方から雨になりました。明日の昼過ぎまで降り続くようです。
日曜日には晴れるようですが、寒波がやって来るという予報です。



「ロートレック展」に行きました。

一昨日(8日)に、愛知県美術館で開催中の「ロートレック展 パリ、美しき時代を生きて」を見ました。

この展覧会は、美しき時代(ベル・エポック)と呼ばれた19世紀末のパリで活躍したトゥールーズ=ロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec:1864.11.24 - 1901.9.9)の日本初公開を含む油彩画、版画、ポスターの他に当時の写真や映像など総点数300点を展示しています。

ロートレック展01


入口を入ると最初に展示されているのが、サントリーミュージュアム[天保山]所蔵の『ムーラン・ルージュ、ラ・グリュー』(1891年)です。これはロートレックが手がけた最初のポスターでだそうです。
名古屋展では、オルセー美術館所蔵で日本初公開の『黒いボアの女』(1892)が、チラシやポスターに使われていて街のあちこちで見かけます。でも本物が厚紙に描かれていたことを知り、驚きました。

ロートレック展02


最後に見たビデオで、ロートレックが少年時に大腿骨を骨折して下半身の発育が止まったため、152cmしか身長がなかったことを知りました。



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連吟の後、仕舞2番で会は終了しました。

その次に、女性会員3人による連吟橋弁慶」があり、このときは、私はビデオを担当しました(人数が少ないと忙しい!)。
そして、最後の仕舞2番「老松」と「高砂」の地謡につきました。
どちらもお正月の会にふさわしいおめでたい曲です。

写真は、「高砂」の最初のシテ謡の場面です。

春栄会35_高砂


今回の会は、参加者が少なかったので、途中に休憩を入れず、終了後、見所の皆さんにお茶とお菓子をお出ししました。途中で帰られた方がいなかったので、お越しになられた方全員に出すことができて、良かったです。
見所にお越しいただいた皆さん、本当にありがとうございました。

次の第36回名古屋春栄会は、8月3日(日)の予定です。多くの皆さんのご来場をお待ちしております。


仕舞「東北クセ」となりました。

続いて、仕舞「東北クセ」となりました。
最初のシテ謡所は九重の。」は、自分としてはきちんと謡えたと思いますが、その後の「王城の鬼門を守りつゝ。」のところの二つ目の拍子にところで早く右足を上げてしまいました。上げた瞬間に気付いたのですが、そのまま待っている訳にもいかないので、足を下ろして拍子を踏みましたので、踏むタイミングが早くなってしまいました。
その後の「水上は山陰の鴨川や。」のあたりは、前日の稽古の指摘に注意していたので、ちゃんとできたと思います。
そして、四つ目の拍子僧は敲く月下の門。」のところでは二つ目の拍子の時とは逆にタイミングが遅くなってしまいました。右足で踏む拍子を二つとも失敗してしまいました。
上羽シテ謡見仏聞法の数数。」は少し声がうわずってしまいました。最初の声が出た途端、自分でも驚きました。緊張していたのでしょうか。
その後は、テンポが速くならないように気をつけながら舞いましたので、そんなに速くはならなかったと思います。(それでも最後は少し速くなってしまいましたが…)。

写真は上羽前の左右のところです。


春栄会35_東北クセ



失敗はこんなにあったのに、自分としては結構満足感がありました(この甘い自己評価が上達しない原因かも…)。
熱心にご指導していただいた先生をはじめ、地謡の皆さん、本当にありがとうございました。

***
今日の名古屋の最高気温は13℃を超えて、暖かい一日でした。
昨年1月31日のブログにも書きましたが、同じ気温でも12月までのニュースでは11月下旬の気温と表現されますが、年が明けると、3月中旬の陽気という表現に変わります。
陽気という語感からも暖かさが感じられるようになります。今日は、その語感どおりの暖かな一日でした。





kinkun

Author:kinkun
名古屋春栄会のホームページの管理人

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