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ハイビスカスとシクラメンの花が

咲き始めました。

11月14日に剪定をして室内に入れたハイビスカスの鉢植えに花が咲き始めました。

ハイビスカスの花04


昨日、1輪咲き、今日も1輪咲いています。まだ、つぼみもいくつかあるので、お正月にも楽しめそうです。
名古屋も昨日から時々雪がちらつく寒い日になっていますので、季節はずれ(原産地は常春なので季節はないのかもしれませんが…)の花ですが、見ているだけでも暖かくなります。
左隣に葉だけが見えているのは、今月初めに我が家にやって来たコーヒーの鉢植えです。

一方、昨年の冬に購入したシクラメンの鉢植えにも花が咲き始めました。
このマンションに引っ越してきてから、シクラメンの夏越しは1年目は成功しますが、2年目はいつも失敗してしまいます。したがって、最近は1年おきに新しい鉢植えを購入しています。

シクラメンの花


この鉢は、今年が1年目の夏越しです。こちらもたくさんつぼみがついているので、しばらく楽しめそうです。


今年の元日にこのブログを始めて、1年が経ちました。
たくさんの皆さんにお越しいただき、ありがとうございました。1年続けられたのも、皆さんのおかげと感謝しています。
最初の日に「できるだけ、毎日更新したいと思っています(…が、たぶん無理だと思います)。」と書きましたが、結果として更新できたのは288日でした。特に3月と4月にあまり更新できませんでした。
最初のうちは、能の話題にこだわっていましたが、徐々に自分が興味を持っていることを書く今のスタイルになりました。
来年も、できるだけ更新したいと思っていますので、よろしくお願いします。





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注連飾りと鏡餅を飾りました。

マンション住まいなので、どちらも略式です。

注連飾り2008


今のマンションに引っ越してきたからは、リース型注連飾りを飾っています。この形は昔からあったのでしょうか?
実家では、名古屋では伝統的な縦型注連飾りを飾っています。

鏡餅2008


ちなみに、鏡餅の後ろにあるのは、20年近く前にエジプトを旅行したときに買ってきた銅皿です。中央に描かれているのは、古代エジプトを代表する美女ネフェルティティ(Nefertiti)です。

これで、一応、我が家の迎春準備は完了しました。



今日の名古屋は、朝のうちは昨日からの雨が

降っていましたが、昼過ぎから雨もやみ、ときおり日がさし、比較的暖かでした。
今日は、樋口一葉の「大つごもり」の後半を紹介します。

お峰は、ご新造に頼み込み、あいまいながら良い返事をもらったと思っていました。そのまま、大晦日になってしまい、やきもきしたお峰が改めて頼むと、放蕩息子の先妻の生んだ長男石之助が帰ってきて大金の無心をするので、不機嫌になったためか、冷たく断ります。
言ふ事もいふ事、金は敵藥ぞかし、現在うけ合ひしは我れに覺えあれど何の夫れを厭ふ事かは、大方お前が聞ちがへと立きりて、烟草輪にふき私は知らぬと濟しけり。
そのうち、三之助が訪ねて来てしまい、お峰は引き出しから2円を盗んで渡してしまいます。
一方、大金を要求する石之助に、主人も困り果て、嫁入り前の妹たちのために、悪い風聞が立たないように、要求どおりお金を渡すと、石之助はさっさと帰っていきます。
その後、大勘定として、家にある金を封印することになり、お峰は2円を盗んだことが露見しそうになり、お峰は許してもらえなければ、舌を噛んで死のうとまで思いつめます。
それほど度胸すわれど奧の間へ行く心は屠處の羊なり。
ところが、引出しを開けると、1円も無く、代わりに「(引出しの分も拜借致し候        石之助)」という紙があるだけでした。お峰の盗みは、石之助の悪事に隠れ、露見しませんでした。

石之助お峰が伯父一家のことで困っていることを知っていたのでしょうか。一葉は、何も説明しません。
作者である一葉の言葉が現れるのは、お峰が2円を盗み、三之助に渡す場面の後の「見し人なしと思へるは愚かや。」と最後の「後の事しりたや。」のみです。


大つごもり』(樋口一葉)





 石之助とて山村の總領息子、母の違ふに父親の愛も薄く、これを養子に出して家督は妹娘の中にとの相談、十年の昔より耳に挾みて面白からず、今の世に勘當のならぬこそをかしけれ、思ひのまゝに遊びて母が泣きをと父親の事は忘れて、十五の春より不了簡をはじめぬ、男振にがみありて利發らしき眼ざし、色は黒けれど好き樣子とて四隣の娘どもが風説も聞えけれど、唯亂暴一途に品川へも足は向くれど騷ぎは其座限り、夜中に車を飛ばして車町の破落戸がもとをたゝき起し、それ酒かへ肴と、紙入れの底をはたき無理を徹すが道樂なりけり、到底これに相續は石油藏へ火を入れるやうな物、身代烟りと成りて消え殘る我等何とせん、あとの兄弟も不憫と母親、父に讒言の絶間なく、さりとて此放蕩子を養子にと申受る人此世にはあるまじ、とかくは有金の何ほどを分けて、若隱居の別戸籍にと内々の相談は極まりたれど、本人うわの空に聞流して手に乘らず、分配金は一萬、隱居扶持月々おこして、遊興に關を据ゑず、父上なくならば親代りの我れ、兄上と捧げて竈の神の松一本も我が託宣を聞く心ならば、いかにもいかにも別戸の御主人に成りて、此家の爲には働かぬが勝手、それ宜しくば仰せの通りになりましよと、何うでも嫌やがらせを言ひて困らせける。去歳にくらべて長屋もふゑたり、所得は倍にと世間の口より我が家の樣子を知りて、をかしやをかしや、其やうに延ばして誰が物にする氣ぞ、火事は燈明皿よりも出る物ぞかし、總領と名のる火の玉がころがるとは知らぬか、やがて卷きあげて貴樣たちに好き正月をさせるぞと、伊皿子あたりの貧乏人を喜ばして、大晦日を當てに大呑みの場處もさだめぬ。




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いよいよ今年もあと3日余りです。


今日と明日、大晦日を題材とした短編小説である樋口一葉の「大つごもり」を紹介します。

18歳のお峰は、お金持ちだけどお金に細かい山村家の奉公人となります。しばらくして、両親が死んだ後、自分を育ててくれた伯父の安兵衛が病気になったことを知り、伯父の家へ帰りますが、伯父一家の零落した様子に驚きます。

金持ちだけど、お金に細かい、平たく言えばケチという人は、小説ではよく出てきます。実際、そういう人が多いのかどうか知りませんが、お金に細かいから金持ちになったという側面もあるような気がします。とすると、私が金持ちになる可能性は限りなく0に近いような…。


大つごもり』(樋口一葉)


(上)

 井戸は車にて綱の長さ十二尋、勝手は北向きにて師走の空のから風ひゆうひゆうと吹ぬきの寒さ、おゝ堪えがたと竈の前に火なぶりの一分は一時にのびて、割木ほどの事も大臺にして叱りとばさるゝ婢女の身つらや、はじめ受宿の老媼さまが言葉には御子樣がたは男女六人、なれども常住内にお出あそばすは御總領と末お二人、少し御新造は機嫌かいなれど、目色顏色呑みこんで仕舞へば大した事もなく、結句おだてに乘る質なれば、御前の出樣一つで半襟半がけ前垂の紐にも事は缺くまじ、御身代は町内第一にて、その代り吝き事も二とは下らねど、よき事には大旦那が甘い方ゆゑ、少しのほまちは無き事も有るまじ、厭やに成つたら私の所まで端書一枚、こまかき事は入らず、他所の口を探せとならば足は惜しまじ、何れ奉公の祕傳は裏表と言ふて聞かされて、さても恐ろしき事を言ふ人と思へど、何も我が心一つで又この人のお世話には成るまじ、勤め大事に骨さへ折らば御氣に入らぬ事も無き筈と定めて、かゝる鬼の主をも持つぞかし、目見えの濟みて三日の後、七歳になる孃さま踊りのさらひに午後よりとある、其支度は朝湯にみがき上げてと霜氷る曉、あたゝかき寢床の中より御新造灰吹きをたゝきて、これこれと、此詞が目覺しの時計より胸にひゞきて、三言とは呼ばれもせず帶より先に襷がけの甲斐甲斐しく、井戸端に出れば月かげ流しに殘りて、肌を刺すやうな風の寒さに夢を忘れぬ、風呂は据風呂にて大きからねど、二つの手桶に溢るゝほど汲みて、十三は入れねば成らず、大汗に成りて運びけるうち、輪寶のすがりし曲み齒の水ばき下駄、前鼻緒のゆるゆるに成りて、指を浮かさねば他愛の無きやう成し、その下駄にて重き物を持ちたれば足もと覺束なくて流し元の氷にすべり、あれと言ふ間もなく横にころべば井戸がはにて向ふ臑したゝかに打ちて、可愛や雪はづかしき膚に紫の生々しくなりぬ、手桶をも其處に投出して一つは滿足成しが一つは底ぬけに成りけり、此桶の價なにほどか知らねど、身代これが爲につぶれるかの樣に御新造の額際に青筋おそろしく、朝飯のお給仕より睨まれて、其日一日物も仰せられず、一日おいてよりは箸の上げ下しに、此家の品は無代では出來ぬ、主の物とて粗末に思ふたら罰が當るぞえと明け暮れの談義、來る人毎に告げられて若き心には恥かしく、其後は物ごとに念を入れて、遂ひに麁想をせぬやうに成りぬ、世間に下女つかふ人も多けれど、山村ほど下女の替る家は有るまじ、月に二人は平常の事、三日四日に歸りしもあれば一夜居て逃出しもあらん、開闢以來を尋ねたらば折る指に彼の内儀さまが袖口おもはるゝ、思へばお峰は辛棒もの、あれに酷く當たらば天罰たちどころに、此後は東京廣しといへども、山村の下女に成る物はあるまじ、感心なもの、美事の心がけと賞めるもあれば、第一容貌が申分なしだと、男は直きにこれを言ひけり。




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第35回名古屋春栄会の番組ができました。

ようやく、来年1月6日に栄能楽舞台で開催される第35回名古屋春栄会の番組ができました。
恒例の初謡・初舞会ですので、お時間のある方はぜひ足をお運びください。

名古屋春栄会では、年に2回、お正月と夏に発表会を開いています。このところ参加者が少ない会が続いていました。今回は、さらに参加者が少なくなってしまいました。




ピンクのバラの花をいただきました。

1週間ほど前にピンクのバラの花を3本もらいました。

ピンクのバラの花


なぜ、ピンクのバラの花だったのかはわかりません。

ピンクのバラの花と言えば、私が思い出すのはマリー・アントワネット(Marie Antoinette d'Autriche)
ピンクのバラの花が好きだったと伝えられています。
パリプチ・トリアノン(Petit Trianon)にある有名な「薔薇をもつマリー・アントワネットの肖像」(エリザベート・ヴィジェ=ルブラン作)でも、手にピンクのバラの花を持っています。
※「薔薇をもつマリー・アントワネットの肖像」:http://www.chateauversailles.fr/en/240_popZoom328.php

理由はともあれ、花をもらうのはうれしいです。




今日はクリスマス。今日、紹介するクリスマスの短編は、芥川龍之介の『クリスマス』です。この作品は、『少年』という連作短編の一つです。

世界中で1000万人以上の12月25日生まれの人たちが、多かれ少なかれ同じような経験をしているのでしょう(365人に1人は、今日が誕生日のはずですから…)。
作品の中に出てくる『パンス・ネエ』は、フランス語(Pince-nez)で鼻眼鏡のことです。 鼻眼鏡は、耳当てがなく、鼻を抑えるパッドが付いているのが特徴で、1840年代に現代的な物が登場し、1880年から1900年にかけて欧米で大流行しました。
また、『Essai sur les ……』もフランス語で、……についての試論という意味なので、宣教師の読んでいた本はそういう題名の本だったのでしょう。

それにしても、多くの切支丹物の作品を書き、キリスト教とのかかわりの深かった芥川が、どうして、この作品の中で保吉に、『宣教師は巧みにクリスト教の伝道へ移るのに違いない。コオランと共に剣を執ったマホメット教の伝道はまだしも剣を執った所に人間同士の尊敬なり情熱なりを示している。が、クリスト教の伝道は全然相手を尊重しない。あたかも隣りに店を出した洋服屋の存在を教えるように慇懃に神を教えるのである。あるいはそれでも知らぬ顔をすると、今度は外国語の授業料の代りに信仰を売ることを勧めるのである。殊に少年や少女などに画本や玩具を与える傍ら、ひそかに彼等の魂を天国へ誘拐しようとするのは当然犯罪と呼ばれなければならぬ。』と言わせているのでしょう。
芥川は、実はキリスト教について懐疑的だったという説もあるようです。芥川とキリスト教との関係については、多くの研究がされていますが、未だ統一的な見解はないようです。


クリスマス』(芥川龍之介)〔「少年」から〕


一 クリスマス


 昨年のクリスマスの午後、堀川保吉は須田町の角から新橋行の乗合自働車に乗った。彼の席だけはあったものの、自働車の中は不相変身動きさえ出来ぬ満員である。のみならず震災後の東京の道路は自働車を躍らすことも一通りではない。保吉はきょうもふだんの通り、ポケットに入れてある本を出した。が、鍛冶町へも来ないうちにとうとう読書だけは断念した。この中でも本を読もうと云うのは奇蹟を行うのと同じことである。奇蹟は彼の職業ではない。美しい円光を頂いた昔の西洋の聖者なるものの、――いや、彼の隣りにいるカトリック教の宣教師は目前に奇蹟を行っている。




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クリスマス・イブの今日は、世界で一番有名な短編のクリスマスストーリーと言われているオー・ヘンリーの「賢者の贈り物」を紹介します。
愛する人へのプレゼントのために、自分の一番大切なものを売ってしまう二人。そして、二人が買ったプレゼントとは…。あまりにも有名なストーリーですね。
さて、この作品の最後にあるように、東方の賢者が生まれたばかりのキリスト聖母マリアに贈り物を贈ったのがクリスマスプレゼントの始まりです。
東方の賢者、日本では東方の三博士と訳される方が多いようですが、新約聖書の『マタイによる福音書』で、マリアイエスに、乳香没薬黄金を贈り物としてささげたと記されています。

私が、今日もらったクリスマスプレゼントです。

クリスマスプレゼント2007_01


中身は、ネクタイでした(どんな柄かは秘密です)。

クリスマスプレゼント2007_02



『賢者の贈り物』(オー・ヘンリー作・結城浩訳)


 1ドル87セント。それで全部。しかもそのうち60セントは小銭でした。小銭は一回の買い物につき一枚か二枚づつ浮かせたものです。乾物屋や八百屋や肉屋に無理矢理まけさせたので、しまいに、こんなに値切るなんてという無言の非難で頬が赤くなるほどでした。デラは三回数えてみました。でもやっぱり1ドル87セント。明日はクリスマスだというのに。
 これでは、まったくのところ、粗末な小椅子に突っ伏して泣くしかありません。ですからデラはそうしました。そうしているうちに、人生というものは、わあわあ泣くのと、しくしく泣くのと、微笑みとでできており、しかも、わあわあ泣くのが大部分を占めていると思うようになりました。




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今日、紹介するクリスマスの短編は、岡本かの子の『伯林の降誕祭(ワイナハト・イム・ベルリン)』です。
岡本かの子は、明治32(1889)年3月1日生まれ。大正~昭和期の歌人、仏教研究家として有名です。夫は、漫画家の岡本一平。長男は、画家の岡本太郎
昭和4(1929)年12月から一家をあげてヨーロッパへ外遊。太郎を絵の勉強のためパリに残し、かの子らはロンドンベルリンなどに半年ずつ滞在し、昭和7(1932)年アメリカ経由で帰国しました。

したがって、作品の中に出てくる『旧独逸』は、第1次世界大戦前のドイツ帝国のことです。

作品中に二つの百貨店が出てきます。
一つ目の『世界的百貨店、ウェルトハイム』というのは、当時、ヨーロッパ最大の百貨店ヴェルトハイム百貨店のこと。しかし、ユダヤ系だったため、ナチスドイツにおいて、ユダヤ人の資本をナチスに近いドイツ人に強制的に格安で売却させるアーリア人化により昭和12(1937)年に売り渡され、経営者一族はアメリカに移住しました。第2次世界大戦後、ヴェルトハイム百貨店のあったライチプヒ広場の真ん中にベルリンの壁が築かれます。その結果、東ベルリン側は、ソ連が接収し、その後、東ドイツで国有化され、西ベルリン側は売却され、現在はドイツの小売業大手のカールシュタット・クヴェレ社が所有しています。1990年の東西ドイツ統一後、政府から一族に土地が返還されるはずでしたが、カールシュタット・クヴェレ社の異議により裁判となり、今年の春になって、ようやく和解金8800万ユーロ(約140億円)をカールシュタット・クヴェレ社が払うことで決着したようです。

二つ目の『ヘルマン・チェッツ百貨店』というのは、明治40(1907)年に開店し、昭和2(1927)年にユダヤ人経営者ヘルマン・ティーツが、その経営を引き継いだ、今年100周年を迎えた高級デパートKaDeWe(カーデーヴェー)のことです。KaDeWeとは、Kaufhaus des Westens(西のデパート)の頭文字をとったものとのこと。
こちらも、ナチスドイツにより経営権を剥奪され、さらに、第2次世界大戦中の昭和18(1943)年には、アメリカ軍の戦闘機が激突し、建物が崩壊します。昭和25(1950)年に再開し、昭和36(1961)年にベルリンの壁ができた後は、西ベルリンで豊かな西側を象徴するデパートとなり、名前のとおり西の百貨店として有名になりました。


伯林の降誕祭』(岡本かの子)


独逸でのクリスマスを思い出します。
雪が絶間もなく、チラチラチラチラと降って居るのが、ベルリンで見て居た冬景色です。街路樹の菩提樹の葉が、黄色の吹雪を絶えずサラサラサラ撒きちらして居た。それが終ると立樹の真黒な枝を突張った林立となる。雪がもう直ぐに来るのです――そしてクリスマス。バルチック海から吹き渡って来る酷風が、街の粉雪の裾を斜に煽る。そして行き交う厚い外套と雪靴の街、子供達の雪合戦の街、橇の其処にも此処にも散ばる街――その街はクリスマスの仕度の賑わう街なのです。処々どっしりした旧独逸の高級品屋が在り、柵を引しめる棒柱のように見えるので、下品には決して墜さないで、あとは軒並みの戦後独逸の安物屋、街のかみさんや、あんちゃん、ねえちゃんといった処へ、時々素晴らしい毛皮の令嬢奥様も交った調和が、かえって淋しく品の好い高級品屋の店頭より綺麗なのです。電燈までが安値に心易い光をそれらの人達にきらきら浴びせる美しさ、そして暖かさ、みなクリスマスの買物の人達を見せる光景です。それが殆ど軒並みなのです。




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今日の名古屋は、昼前から雨になりました。
今日は、自宅で友人クリスマスパーティを開きました。

友人S夫妻料理を、友人K.Sつまみとデザートを、飲み物を用意しました。
午後5時すぎからスタートし、午後10時半頃まで楽しいひと時を過ごしました。
このメンバーによるクリスマスパーティは、最近、毎年クリスマス直前の土曜日に開くのが恒例になっています。
来年も開くことを約束して、散会しました。
友人たちが帰る頃には、雨はさらに強く降っていました。土砂降りと言うほどではありませんが、この時期の名古屋としては、珍しいほどの強い雨です。


冬の雨の夜』(中原中也)


 冬の黒い夜をこめて
どしやぶりの雨が降つてゐた。
――夕明下に投げいだされた、萎れ大根の陰惨さ、
あれはまだしも結構だつた――
今や黒い冬の夜をこめ
どしやぶりの雨が降つてゐる。
亡き乙女達の声さへがして
a ao, a ao, o, ao o!
 その雨の中を漂ひながら
いつだか消えてなくなつた、あの乳白の嚢たち……
今や黒い冬の夜をこめ
どしやぶりの雨が降つてゐて、
わが母上の帯締めも
雨水に流れ、潰れてしまひ、
人の情けのかずかずも
竟に蜜柑色のみだつた? ……



今日は、どうしてもはずせない用事ができてしまったので、今年最後の稽古はお休みしました。
用事に出かける途中で、稽古場を訪ね、稽古舞台を借りている佐藤さん穂高先生に年末のあいさつをさせていただきました。
1月6日の舞台は大丈夫だろうか???



クリスマスの短編の2作目も竹久夢二の童話です。

…と言っても、この作品が、クリスマスの話というわけではありません。しかし、作品の中で大きな役割を果たす映画「街の子」(作品のタイトルにもなっています)のクリスマスのシーンが印象的なので、クリスマスの短編として紹介することにしました。

映画の登場人物の少年ジャッキイにあこがれる春太郎
映画やテレビドラマ、小説や漫画の主人公にあこがれて、自分がその主人公になったような気になることは、子どもの頃、誰もが経験したことだと思います。
そんな子どもの心の動きが、率直に描かれている作品です。


街の子』(竹久夢二)


それは、土曜日の晩でした。
春太郎は風呂屋から飛んで帰りました。春太郎が、湯から上って着物をきていると、そこの壁の上にジャッキイ・クウガンが、ヴァイオリンを持って、街を歩いている絵をかいた、大きなポスターが、そこにかかっているのです。

                   十二月一日より
ジャッキイ・クウガン 街の子
                   キネマ館にて

と書いてあるのです。それを見た春太郎は、大急ぎで帯をぐるぐる巻きにして、家へ飛んでかえりました。
春太郎は、ジャッキイ・クウガンが大好きで、ジャッキイの写真はたいてい見ていました。だからもう今では、ジャッキイの顔を見ると、長い間のお友達のような気がするのでした。


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名古屋市博物館で「トプカプ宮殿の至宝展」

を見ました。
現在、名古屋市博物館では、「トルコ・イスタンブール紀行 トプカプ宮殿の至宝展~オスマン帝国と時代を彩った女性たち~」が開催されています。

まず、入り口で出品リストといっしょにバラの香りのするシートを渡されます。トルコ産のバラ天然精油が染み込ませてあるようですが、結構強い香りがします。今、机の上にありますが、バラの香りがパソコンの周りに漂っています。

展覧会は、4つのパートに分かれています。
1 世界帝国に君臨したスルタンたち」では、スルタンの肖像画やスルタンの花押入り文書、馬印、旗印などが展示されていました。
象嵌細工の『コーラン書見台』の上品な美しさが目を引きました。

2 宮廷生活と優雅なハレムの世界」では、ハレムで使われていた宝石がちりばめられた食器や豪華な装身具、カフタンなどが展示されていました。
象嵌細工の『ゆりかご』がありました。トルコではゆりかごを横に揺らすんですね。

3 輝くオスマン王朝の栄華」が、この展覧会の目玉のようです。とにかく豪華なターバン飾りや団扇に驚きました。
チェスの駒』の豪華さに驚きました。駒は偶像崇拝が禁じられているイスラムの国だからなのか、おなじみの人の形ではなく抽象的なデザインでした。駒は水晶でできていて、どちらの駒かを見分けるために、駒のてっぺんに、一方にはエメラルド、もう一方にはルビーが嵌められていました。

4 スルタンが愛した東洋の美」では、中国の宋代の青磁や元代の染付がたくさん展示されていました。
青磁欄干文水注』という名の長頸の壺に銀で蓋や注ぎ口、取っ手をつけて水差しとして使われていたものがありました。この使い方は、中国人が見たらきっと驚くだろうと思いました。

展覧会は、来年2月11日まで開催されていますので、興味のある方はぜひお出かけください。



kinkun

Author:kinkun
名古屋春栄会のホームページの管理人

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