2007/11/30 21:44:12
富有柿を食べました。
先日(11月23日)に取ってきた富有柿がおいしそうな固さになったので、今日、初めて食べました。
糖度も高く、例年通りのおいしい富有柿でした。

まだ、固い実もあるので、今年は長く楽しめそうです。
柿を詠んだ句はたくさんありますが、一番有名なのは子規の「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」だと思います。
私は、芭蕉の「里古りて 柿の木持たぬ 家もなし」も好きな句の一つです。
芭蕉のふるさと、伊賀上野(三重県伊賀市)のことを詠んだ句なのでしょうか。
先日(11月23日)に取ってきた富有柿がおいしそうな固さになったので、今日、初めて食べました。
糖度も高く、例年通りのおいしい富有柿でした。

まだ、固い実もあるので、今年は長く楽しめそうです。
柿を詠んだ句はたくさんありますが、一番有名なのは子規の「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」だと思います。
私は、芭蕉の「里古りて 柿の木持たぬ 家もなし」も好きな句の一つです。
芭蕉のふるさと、伊賀上野(三重県伊賀市)のことを詠んだ句なのでしょうか。
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2007/11/29 21:47:29
今日も名古屋は冬曇りの寒い一日でした。天気予報によると、明日は久しぶりに太陽を見ることができるようです。
久しぶりに、夏目漱石の『永日小品』の中から、4番目の短編「柿」を紹介します。
『永日小品』は明治42(1909)年の1月から3月にかけて、朝日新聞に掲載されたもので、25編の短編からなる不思議な味わいのある作品です。
〔これまでの『永日小品』の紹介〕
6月28日 「蛇」
6月29日 「懸物」
「柿」は、銀行の御役人の娘の喜いちゃんと大工の源坊の息子の与吉との間の話です。
漱石は、『けれども喜いちゃんと与吉だから、話の合う訳がない。いつでも喧嘩になってしまう。』と書いていますが、二人は本当は仲良くなりたがっているように思えます。
相手が気になるので、ついついちょっかいを出したり、意地悪したくなるという子どもの頃、誰もが感じたことのある感情を思い出させるちょっとせつない話です。
喜いちゃんと与吉のその後が気になります。
『永日小品・柿』(夏目漱石)
喜いちゃんと云う子がいる。滑らかな皮膚と、鮮かな眸を持っているが、頬の色は発育の好い世間の子供のように冴々していない。ちょっと見ると一面に黄色い心持ちがする。御母さんがあまり可愛がり過ぎて表へ遊びに出さないせいだと、出入りの女髪結が評した事がある。御母さんは束髪の流行る今の世に、昔風の髷を四日目四日目にきっと結う女で、自分の子を喜いちゃん喜いちゃんと、いつでも、ちゃん付にして呼んでいる。このお母さんの上に、また切下の御祖母さんがいて、その御祖母さんがまた喜いちゃん喜いちゃんと呼んでいる。喜いちゃん御琴の御稽古に行く時間ですよ。喜いちゃんむやみに表へ出て、そこいらの子供と遊んではいけませんなどと云っている。
喜いちゃんは、これがために滅多に表へ出て遊んだ事がない。もっとも近所はあまり上等でない。前に塩煎餅屋がある。その隣に瓦師がある。少し先へ行くと下駄の歯入と、鋳かけ錠前直しがある。ところが喜いちゃんの家は銀行の御役人である。塀のなかに松が植えてある。冬になると植木屋が来て狭い庭に枯松葉を一面に敷いて行く。
喜いちゃんは仕方がないから、学校から帰って、退屈になると、裏へ出て遊んでいる。裏は御母さんや、御祖母さんが張物をする所である。よしが洗濯をする所である。暮になると向鉢巻の男が臼を担いで来て、餅を搗く所である。それから漬菜に塩を振って樽へ詰込む所である。
久しぶりに、夏目漱石の『永日小品』の中から、4番目の短編「柿」を紹介します。
『永日小品』は明治42(1909)年の1月から3月にかけて、朝日新聞に掲載されたもので、25編の短編からなる不思議な味わいのある作品です。
〔これまでの『永日小品』の紹介〕
6月28日 「蛇」
6月29日 「懸物」
「柿」は、銀行の御役人の娘の喜いちゃんと大工の源坊の息子の与吉との間の話です。
漱石は、『けれども喜いちゃんと与吉だから、話の合う訳がない。いつでも喧嘩になってしまう。』と書いていますが、二人は本当は仲良くなりたがっているように思えます。
相手が気になるので、ついついちょっかいを出したり、意地悪したくなるという子どもの頃、誰もが感じたことのある感情を思い出させるちょっとせつない話です。
喜いちゃんと与吉のその後が気になります。
『永日小品・柿』(夏目漱石)
喜いちゃんと云う子がいる。滑らかな皮膚と、鮮かな眸を持っているが、頬の色は発育の好い世間の子供のように冴々していない。ちょっと見ると一面に黄色い心持ちがする。御母さんがあまり可愛がり過ぎて表へ遊びに出さないせいだと、出入りの女髪結が評した事がある。御母さんは束髪の流行る今の世に、昔風の髷を四日目四日目にきっと結う女で、自分の子を喜いちゃん喜いちゃんと、いつでも、ちゃん付にして呼んでいる。このお母さんの上に、また切下の御祖母さんがいて、その御祖母さんがまた喜いちゃん喜いちゃんと呼んでいる。喜いちゃん御琴の御稽古に行く時間ですよ。喜いちゃんむやみに表へ出て、そこいらの子供と遊んではいけませんなどと云っている。
喜いちゃんは、これがために滅多に表へ出て遊んだ事がない。もっとも近所はあまり上等でない。前に塩煎餅屋がある。その隣に瓦師がある。少し先へ行くと下駄の歯入と、鋳かけ錠前直しがある。ところが喜いちゃんの家は銀行の御役人である。塀のなかに松が植えてある。冬になると植木屋が来て狭い庭に枯松葉を一面に敷いて行く。
喜いちゃんは仕方がないから、学校から帰って、退屈になると、裏へ出て遊んでいる。裏は御母さんや、御祖母さんが張物をする所である。よしが洗濯をする所である。暮になると向鉢巻の男が臼を担いで来て、餅を搗く所である。それから漬菜に塩を振って樽へ詰込む所である。
2007/11/28 21:07:06
今日の名古屋は一日曇りで、朝の冷え込みはそれほどでもありませんでしたが、肌寒い一日でした。
今日、ホットサンドイッチを食べました。ホットサンドイッチは、寒い日は特においしく感じられます。
冬の日のホットサンドイッチというと思い出すのが、芥川龍之介の短編「わん」です。
ただ、この短編の主人公である保吉はホットサンドイッチがあまり好きではないようです。
芥川は、階級意識の強い傲慢な近代人をしばしば醜く描いていてますが、この主計官もその代表でしょう。
最期の保吉の言葉に多くの読者は溜飲を下げることと思います。
『保吉の手帳から・わん』(芥川龍之介)
ある冬の日の暮、保吉は薄汚いレストランの二階に脂臭い焼パンを齧っていた。彼のテエブルの前にあるのは亀裂の入った白壁だった。そこにはまた斜かいに、「ホット(あたたかい)サンドウィッチもあります」と書いた、細長い紙が貼りつけてあった。(これを彼の同僚の一人は「ほっと暖いサンドウィッチ」と読み、真面目に不思議がったものである。)それから左は下へ降りる階段、右は直に硝子窓だった。彼は焼パンを齧りながら、時々ぼんやり窓の外を眺めた。窓の外には往来の向うに亜鉛屋根の古着屋が一軒、職工用の青服だのカアキ色のマントだのをぶら下げていた。
その夜学校には六時半から、英語会が開かれるはずになっていた。それへ出席する義務のあった彼はこの町に住んでいない関係上、厭でも放課後六時半まではこんなところにいるより仕かたはなかった。確か土岐哀果氏の歌に、――間違ったならば御免なさい。――「遠く来てこの糞のよなビフテキをかじらねばならず妻よ妻よ恋し」と云うのがある。彼はここへ来る度に、必ずこの歌を思い出した。もっとも恋しがるはずの妻はまだ貰ってはいなかった。しかし古着屋の店を眺め、脂臭い焼パンをかじり、「ホット(あたたかい)サンドウィッチ」を見ると、「妻よ妻よ恋し」と云う言葉はおのずから唇に上って来るのだった。
今日、ホットサンドイッチを食べました。ホットサンドイッチは、寒い日は特においしく感じられます。
冬の日のホットサンドイッチというと思い出すのが、芥川龍之介の短編「わん」です。
ただ、この短編の主人公である保吉はホットサンドイッチがあまり好きではないようです。
芥川は、階級意識の強い傲慢な近代人をしばしば醜く描いていてますが、この主計官もその代表でしょう。
最期の保吉の言葉に多くの読者は溜飲を下げることと思います。
『保吉の手帳から・わん』(芥川龍之介)
ある冬の日の暮、保吉は薄汚いレストランの二階に脂臭い焼パンを齧っていた。彼のテエブルの前にあるのは亀裂の入った白壁だった。そこにはまた斜かいに、「ホット(あたたかい)サンドウィッチもあります」と書いた、細長い紙が貼りつけてあった。(これを彼の同僚の一人は「ほっと暖いサンドウィッチ」と読み、真面目に不思議がったものである。)それから左は下へ降りる階段、右は直に硝子窓だった。彼は焼パンを齧りながら、時々ぼんやり窓の外を眺めた。窓の外には往来の向うに亜鉛屋根の古着屋が一軒、職工用の青服だのカアキ色のマントだのをぶら下げていた。
その夜学校には六時半から、英語会が開かれるはずになっていた。それへ出席する義務のあった彼はこの町に住んでいない関係上、厭でも放課後六時半まではこんなところにいるより仕かたはなかった。確か土岐哀果氏の歌に、――間違ったならば御免なさい。――「遠く来てこの糞のよなビフテキをかじらねばならず妻よ妻よ恋し」と云うのがある。彼はここへ来る度に、必ずこの歌を思い出した。もっとも恋しがるはずの妻はまだ貰ってはいなかった。しかし古着屋の店を眺め、脂臭い焼パンをかじり、「ホット(あたたかい)サンドウィッチ」を見ると、「妻よ妻よ恋し」と云う言葉はおのずから唇に上って来るのだった。
2007/11/27 23:02:27
ツワブキの花が咲いていました。
実家の庭でツワブキの花が咲いていました。

ツワブキは、キク科の多年草で、日本の本州、四国、九州、琉球列島、朝鮮半島、中国、台湾に自生しているとのこと。
漢字では石蕗、学名はFarfugium japonicum。
葉につやがあり、草丈は50cm程度で、晩秋から初冬にかけて黄色の鮮やかな花を咲かせます。
日陰でもよく育つので、園芸植物として、日本庭園によく使われています。
斑入りのものも多いのですが、実家の庭にあるのは斑入りではありません。
両親に来たところ、植えた記憶はないということなので、もしかすると元々自生していたのかもしれません。庭の隅や、階段の脇など目立たないところで、毎年、花をつけています。
ツワブキの花を詠んだ句としては、
ちまちまと した海もちぬ 石蕗の花(一茶)
咲くべくも 思はであるを 石蕗の花(蕪村)
が有名です。
実家の庭でツワブキの花が咲いていました。

ツワブキは、キク科の多年草で、日本の本州、四国、九州、琉球列島、朝鮮半島、中国、台湾に自生しているとのこと。
漢字では石蕗、学名はFarfugium japonicum。
葉につやがあり、草丈は50cm程度で、晩秋から初冬にかけて黄色の鮮やかな花を咲かせます。
日陰でもよく育つので、園芸植物として、日本庭園によく使われています。
斑入りのものも多いのですが、実家の庭にあるのは斑入りではありません。
両親に来たところ、植えた記憶はないということなので、もしかすると元々自生していたのかもしれません。庭の隅や、階段の脇など目立たないところで、毎年、花をつけています。
ツワブキの花を詠んだ句としては、
ちまちまと した海もちぬ 石蕗の花(一茶)
咲くべくも 思はであるを 石蕗の花(蕪村)
が有名です。
2007/11/26 20:34:35
豊田市美術館に行きました。
豊田市美術館は、豊田市駅から南へ1kmほどの愛知感情鉄道沿いの丘の上にあります。
2階に上がるとテラスの先に大きな人工の池があり、その向こうの林を見通すことができます。私はこの眺めが気に入っているので、豊田市美術館に来るとしばらくここから池とその背後の林を眺めています。ちょうど林の木々の紅葉が始まっていました。

※「豊田市美術館の屋外図」参照
豊田市美術館は、谷口吉生さんの設計です。
谷口吉生さんは、美術館の設計で有名で、豊田市美術館(1995)の他に、
清春白樺美術館(1983)、
長野県信濃美術館東山魁夷館(1989)、
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(1991)、
東京国立博物館法隆寺宝物館(1999)、
ニューヨーク近代美術館新館(2004)、
香川県立東山魁夷せとうち美術館(2004)、
京都国立博物館百年記念館(2007) などを手がけています。
豊田市美術館では、ちょうど「ギュウとチュウ 篠原有司男と榎忠展」が開催中でした。12月24日まで開催中とのことです。

不思議で、そして楽しい感じの展覧会でした。
豊田市美術館は、豊田市駅から南へ1kmほどの愛知感情鉄道沿いの丘の上にあります。
2階に上がるとテラスの先に大きな人工の池があり、その向こうの林を見通すことができます。私はこの眺めが気に入っているので、豊田市美術館に来るとしばらくここから池とその背後の林を眺めています。ちょうど林の木々の紅葉が始まっていました。

※「豊田市美術館の屋外図」参照
豊田市美術館は、谷口吉生さんの設計です。
谷口吉生さんは、美術館の設計で有名で、豊田市美術館(1995)の他に、
清春白樺美術館(1983)、
長野県信濃美術館東山魁夷館(1989)、
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(1991)、
東京国立博物館法隆寺宝物館(1999)、
ニューヨーク近代美術館新館(2004)、
香川県立東山魁夷せとうち美術館(2004)、
京都国立博物館百年記念館(2007) などを手がけています。
豊田市美術館では、ちょうど「ギュウとチュウ 篠原有司男と榎忠展」が開催中でした。12月24日まで開催中とのことです。

不思議で、そして楽しい感じの展覧会でした。
2007/11/25 17:40:37
「能楽写真展2007」に行ってきました。
豊田市能楽堂で能楽堂まつりにあわせて開催されていた「能楽写真家協会能楽写真展2007 豊田展」(2007.11.23~25)に行きました。

金春穂高師の能を撮影した作品が、2点展示されていました。
辻井清一郎さんの「『石橋 群勢』(2007年4月9日・八十世金春宗家継承能)」と原田七寛さんの「『野守』(2002年12月18日・春日若宮御祭 後宴之式能」です。
どちらも見に行くことのできなかった能なので、楽しく拝見させていただきました。
作品の中には、1970年の大阪万国博覧会での観世寿夫師の『善知鳥』(今駒清則さん撮影)や1980年の芸術祭での櫻間道雄師の『野宮』(吉越研さん撮影)のように今は亡き名人の舞台姿もありました。
出品作品はこちらです。
昨日の稽古を終わったあたりから、寒気がすると思ったら、昨晩は発熱してしまいました。先週、寒波が来たにもかかわらず、我慢してコートを着ずに通勤していたので風邪を引いたのだと思います。
そんな中、能楽写真展の豊田展が今日までなので、それを見に朝から豊田市まで出かけ、症状をさらに悪化させてしまいました。
今日は早く寝て、明日からの仕事に備えたいと思っています。
豊田市能楽堂で能楽堂まつりにあわせて開催されていた「能楽写真家協会能楽写真展2007 豊田展」(2007.11.23~25)に行きました。

金春穂高師の能を撮影した作品が、2点展示されていました。
辻井清一郎さんの「『石橋 群勢』(2007年4月9日・八十世金春宗家継承能)」と原田七寛さんの「『野守』(2002年12月18日・春日若宮御祭 後宴之式能」です。
どちらも見に行くことのできなかった能なので、楽しく拝見させていただきました。
作品の中には、1970年の大阪万国博覧会での観世寿夫師の『善知鳥』(今駒清則さん撮影)や1980年の芸術祭での櫻間道雄師の『野宮』(吉越研さん撮影)のように今は亡き名人の舞台姿もありました。
出品作品はこちらです。
昨日の稽古を終わったあたりから、寒気がすると思ったら、昨晩は発熱してしまいました。先週、寒波が来たにもかかわらず、我慢してコートを着ずに通勤していたので風邪を引いたのだと思います。
そんな中、能楽写真展の豊田展が今日までなので、それを見に朝から豊田市まで出かけ、症状をさらに悪化させてしまいました。
今日は早く寝て、明日からの仕事に備えたいと思っています。
2007/11/24 17:50:18
謡『橋弁慶』の稽古は、今日が4回目
連休二日目の今日も名古屋は良い天気でした。
今日で、謡『橋弁慶』の稽古は一通り終了しました。今日は、弁慶と牛若丸が五条大橋で渡り合い、弁慶が降参して、牛若丸と主従の契りを結ぶ場面です。
地謡「長刀やがて取り直し。いでもの見せん手なみのほどと。
切ってかかれば牛若は。少しも騒がずつっ立ちなおって。
薄衣引きのけつつ。しづしづと太刀抜きはなち。
つっ支えたる長刀の。きっさきに太刀打ちあわせ。
つめつ開いつ戦いしが。なにとかしたりけん。
手もとに牛若寄るとぞ見えしが。たたみ重ねて打つ太刀に。
さしもの弁慶合わせかねて。橋桁を二三間.しさって。
肝をぞ消したりける。ものものしあれほどの。小姓一人をさればとて。
手もとにいかで洩らすべきと。長刀柄長おっ取りのべて。
走りかかってちょうど打てば。
そむけて右に飛びちごう.取りなおして裾を薙ぎ払えば。
躍りあがって足もためず。宙を払えば頭を地につけ。
ちぢに戦う大長刀。打ち落とされて力なく。
組まんとすれば切り払う.すがらんとするも便りなし。
せん方なくて弁慶は。希代なる少人かなとて。
あきれはててぞ立ったりける。ふしぎやおん身誰なれば。
まだいとけなきおん身にて。
かほどけなげにましますぞ委しく名乗り.おはしませ。
牛若「今はなにをか包むべき。われは牛若源の.
シテ「義朝のおん子か.
牛若「さて汝は。
地謡「西塔の武蔵弁慶なりと。互に名乗りあい。互に名乗りあいて。
降参申さんご免あれ.少人のおん事。われは出家。
位も氏もけなげさも。 よき主なれば頼むべしや。
粗忽にやおぼし召すらんさりながら。これまた三世の奇縁の始め。
今よりのちは主従ぞと。契約堅くつかまつり。
薄衣かずかせ奉り.弁慶は長刀うちかずいて。
九条の御所へぞ参りける。
来月7日に、『橋弁慶』の半能の地謡をすることになりました。
今日、稽古していただいた箇所は、ちょうどその部分でした。
『橋弁慶』は、半能だと30分ぐらいということなので、足は大丈夫だと思います。
なお、半能(はんのう)とは、能の前場の大半を省略し、見せ場である後場を主体に演ずるもののことです。
仕舞の稽古は、『東北クセ』の2回目。
今日は上羽の後、最期まで稽古をしました。
シテ「見仏聞法の数数。
地謡「順逆の縁はいやましに。
日夜朝暮におこたらず.九夏三伏の夏たけて秋きにけりと驚かす。
澗底の松の風.一声の秋を催して。
上求菩提の機を見せ.池水に映る月陰は。
下化衆生の相を得たり。
東北陰陽の.時節もげにと.知られたり。
私は、動きの速い舞では動きが遅いと指摘され、動きのゆったりといた舞では動きが早すぎると指摘されることに、ようやく気付きました。
私は、自分の舞いやすい速度の範囲の中で、演目に合わせて速度を調節しているようです。そして、その範囲がそもそも狭いため、速いものでは速度が足りず、遅いものでは速度がありすぎるということになっているようです。
今頃になって、このようなことにやっと気付くとは恥ずかしい限りです。
連休二日目の今日も名古屋は良い天気でした。
今日で、謡『橋弁慶』の稽古は一通り終了しました。今日は、弁慶と牛若丸が五条大橋で渡り合い、弁慶が降参して、牛若丸と主従の契りを結ぶ場面です。
地謡「長刀やがて取り直し。いでもの見せん手なみのほどと。
切ってかかれば牛若は。少しも騒がずつっ立ちなおって。
薄衣引きのけつつ。しづしづと太刀抜きはなち。
つっ支えたる長刀の。きっさきに太刀打ちあわせ。
つめつ開いつ戦いしが。なにとかしたりけん。
手もとに牛若寄るとぞ見えしが。たたみ重ねて打つ太刀に。
さしもの弁慶合わせかねて。橋桁を二三間.しさって。
肝をぞ消したりける。ものものしあれほどの。小姓一人をさればとて。
手もとにいかで洩らすべきと。長刀柄長おっ取りのべて。
走りかかってちょうど打てば。
そむけて右に飛びちごう.取りなおして裾を薙ぎ払えば。
躍りあがって足もためず。宙を払えば頭を地につけ。
ちぢに戦う大長刀。打ち落とされて力なく。
組まんとすれば切り払う.すがらんとするも便りなし。
せん方なくて弁慶は。希代なる少人かなとて。
あきれはててぞ立ったりける。ふしぎやおん身誰なれば。
まだいとけなきおん身にて。
かほどけなげにましますぞ委しく名乗り.おはしませ。
牛若「今はなにをか包むべき。われは牛若源の.
シテ「義朝のおん子か.
牛若「さて汝は。
地謡「西塔の武蔵弁慶なりと。互に名乗りあい。互に名乗りあいて。
降参申さんご免あれ.少人のおん事。われは出家。
位も氏もけなげさも。 よき主なれば頼むべしや。
粗忽にやおぼし召すらんさりながら。これまた三世の奇縁の始め。
今よりのちは主従ぞと。契約堅くつかまつり。
薄衣かずかせ奉り.弁慶は長刀うちかずいて。
九条の御所へぞ参りける。
来月7日に、『橋弁慶』の半能の地謡をすることになりました。
今日、稽古していただいた箇所は、ちょうどその部分でした。
『橋弁慶』は、半能だと30分ぐらいということなので、足は大丈夫だと思います。
なお、半能(はんのう)とは、能の前場の大半を省略し、見せ場である後場を主体に演ずるもののことです。
仕舞の稽古は、『東北クセ』の2回目。
今日は上羽の後、最期まで稽古をしました。
シテ「見仏聞法の数数。
地謡「順逆の縁はいやましに。
日夜朝暮におこたらず.九夏三伏の夏たけて秋きにけりと驚かす。
澗底の松の風.一声の秋を催して。
上求菩提の機を見せ.池水に映る月陰は。
下化衆生の相を得たり。
東北陰陽の.時節もげにと.知られたり。
私は、動きの速い舞では動きが遅いと指摘され、動きのゆったりといた舞では動きが早すぎると指摘されることに、ようやく気付きました。
私は、自分の舞いやすい速度の範囲の中で、演目に合わせて速度を調節しているようです。そして、その範囲がそもそも狭いため、速いものでは速度が足りず、遅いものでは速度がありすぎるということになっているようです。
今頃になって、このようなことにやっと気付くとは恥ずかしい限りです。
2007/11/23 20:45:29
柿取りに出かけました。
岐阜県本巣市(旧糸貫町)の友人のところに、柿取りに出かけました。
毎年、11月23日に数名で柿取りにお邪魔しています。
今年は、暖かく実るのが遅れていると聞いていましたので、例年通りの日程で大丈夫かと心配していましたが、このところの冷え込みで大分色付いてきたということでしたので、今年も今日出かけました。
ここ数年、毎年天候には恵まれており、今日も朝方は冷え込みましたが、雲一つない晴天となり、柿畑からも遠く雪の積もった伊吹山を見ることができました。

2時間ほどで6本の富有柿の木に生っていた800個ほどの実を収穫しました。
富有柿は、安政4(1857)年、岐阜県瑞穂市居倉(旧巣南町)の小倉初衛が栽培を始めた御所系統の柿の木がその起源とのこと。明治31(1898)年に福島才治により富有柿と名付けられ、品評会に出されたそうです。
カキノキ(柿の木)は、カキノキ科の落葉樹で、長江流域に自生している東アジアの固有種です。学名は、Diospyros kaki。
学名にkakiの名が使われているのは、日本から1789年にヨーロッパへ、1870年に北アメリカへ伝わったことからとのこと。
今日、収穫した富有柿は、少し固めなので、長く味わうことができそうです。
岐阜県本巣市(旧糸貫町)の友人のところに、柿取りに出かけました。
毎年、11月23日に数名で柿取りにお邪魔しています。
今年は、暖かく実るのが遅れていると聞いていましたので、例年通りの日程で大丈夫かと心配していましたが、このところの冷え込みで大分色付いてきたということでしたので、今年も今日出かけました。
ここ数年、毎年天候には恵まれており、今日も朝方は冷え込みましたが、雲一つない晴天となり、柿畑からも遠く雪の積もった伊吹山を見ることができました。

2時間ほどで6本の富有柿の木に生っていた800個ほどの実を収穫しました。
富有柿は、安政4(1857)年、岐阜県瑞穂市居倉(旧巣南町)の小倉初衛が栽培を始めた御所系統の柿の木がその起源とのこと。明治31(1898)年に福島才治により富有柿と名付けられ、品評会に出されたそうです。
カキノキ(柿の木)は、カキノキ科の落葉樹で、長江流域に自生している東アジアの固有種です。学名は、Diospyros kaki。
学名にkakiの名が使われているのは、日本から1789年にヨーロッパへ、1870年に北アメリカへ伝わったことからとのこと。
今日、収穫した富有柿は、少し固めなので、長く味わうことができそうです。
2007/11/22 21:20:42
木立ダリアが咲きました。
実家の庭で木立ダリアが咲き始めました。
数年前に知人に苗をいただき、鉢植えで育てていたようですが、毎年花が咲く前に枯れてしまうので、今年の春に思い切って庭に植えたところ、今年は4メートルほどの高さに成長し、花が咲き始めました。
植えたのが庭の北の端なので、北隣の8階建てのマンションの3階あたりで咲いています。

木立ダリア(コダチダリア)は、別名皇帝ダリア、学名はDahlia imperialis。
原産地は中南米の標高900~2700mの高原とのこと。
日が短くなる晩秋(11月上旬から下旬)にと開花し、花が咲いた後、冬は地上部が枯れ、春に新芽が芽吹きます。
花の少なくなる時期に咲く花で、丈も大きいので、晩秋の庭ではひときわ目立ちますが、霜にあたると枯れてしまうので、花の期間は意外と短いです。
実家の庭で木立ダリアが咲き始めました。
数年前に知人に苗をいただき、鉢植えで育てていたようですが、毎年花が咲く前に枯れてしまうので、今年の春に思い切って庭に植えたところ、今年は4メートルほどの高さに成長し、花が咲き始めました。
植えたのが庭の北の端なので、北隣の8階建てのマンションの3階あたりで咲いています。

木立ダリア(コダチダリア)は、別名皇帝ダリア、学名はDahlia imperialis。
原産地は中南米の標高900~2700mの高原とのこと。
日が短くなる晩秋(11月上旬から下旬)にと開花し、花が咲いた後、冬は地上部が枯れ、春に新芽が芽吹きます。
花の少なくなる時期に咲く花で、丈も大きいので、晩秋の庭ではひときわ目立ちますが、霜にあたると枯れてしまうので、花の期間は意外と短いです。
2007/11/21 20:42:37
白川公園にうさぎがいます。
白川公園の伏見通側(西北)の入り口から入ったところにバリー・フラナガン(BARRY FLANAGAN)の「ボールをつかむ爪の上の野兎」が立っています。

作者のバリー・フラナガン(1941~)は、イギリスに生まれ。1979年に最初の野兎をモチーフにした「跳ねる野兎」を制作。その後、それまでの抽象作品から、野兎や馬など動物の具象作品を多く手がけているとのことです。
恥ずかしながら、これまで何度もこの前を通っていたはずなのに、初めてその面白さに気付きました。
ところで、フラナガンのうさぎは日本国内にもたくさんいるようです。
福岡市美術館には、「三日月と鐘の上を跳ぶ野うさぎ」が、箱根の彫刻の森美術館には「ボクシングをする二匹のうさぎ」が展示されています。
どちらも擬人化された野兎のしなやかで、伸びやかな肢が特徴的です。
他に、群馬県立舘林美術館や宇都宮市立美術館にも展示されているようです。
フラナガンのうさぎを巡る旅をしたくなりました。
白川公園の伏見通側(西北)の入り口から入ったところにバリー・フラナガン(BARRY FLANAGAN)の「ボールをつかむ爪の上の野兎」が立っています。

作者のバリー・フラナガン(1941~)は、イギリスに生まれ。1979年に最初の野兎をモチーフにした「跳ねる野兎」を制作。その後、それまでの抽象作品から、野兎や馬など動物の具象作品を多く手がけているとのことです。
恥ずかしながら、これまで何度もこの前を通っていたはずなのに、初めてその面白さに気付きました。
ところで、フラナガンのうさぎは日本国内にもたくさんいるようです。
福岡市美術館には、「三日月と鐘の上を跳ぶ野うさぎ」が、箱根の彫刻の森美術館には「ボクシングをする二匹のうさぎ」が展示されています。
どちらも擬人化された野兎のしなやかで、伸びやかな肢が特徴的です。
他に、群馬県立舘林美術館や宇都宮市立美術館にも展示されているようです。
フラナガンのうさぎを巡る旅をしたくなりました。
2007/11/20 20:57:38
「特別展 河口龍夫」に行ってきました。
名古屋市美術館で開催中の「特別展 河口龍夫」を見に行ってきました。

現代美術作家の河口龍夫を取り上げた今回の展覧会は、兵庫県立美術館と名古屋市美術館との同時開催とのこと。
河口龍夫の出身地である神戸の兵庫県立美術館の特別展では、1970年代の作品から、光と闇をテーマにした作品、さらには蓮をモティーフにした作品群が展示されているそうです。
名古屋市美術館の特別展では、種子と鉛による作品を中心に、それぞれ知覚の問題や時間の観念、生命についての考察を誘う作品が展示されていました。
一番印象に残ったのは、ひまわりの種をモチーフとして使った「関係」というテーマの作品の一つ「関係ー無関係・落下、集積、命の形態」でした。
吹き抜けのスペースを使って展示されており、1階の床にピアノが置かれていて、上からひまわりの種をピアノの上に落とすというものです。吹き抜けの2階部分に透明パイプが設置されてていて、観客が自由に銅のスコップでひまわりの種をパイプに流します。すると、パイプを伝ってちょうどピアノの上にひまわりの種が落ちるようになっており、ピアノがひまわりの種で埋まっていくという展示です。
ほとんどの人がひまわりの種を落としていました。
ひまわりの種を落とすときの音が癖になり、何度も落としたくなる展示です。
ひまわりの種を落とすところには、大量のカナダ産のひまわりの種が用意されていました。
1階では、既にひまわりの種がこんもり山になってて、この先どのくらいのひまわりの種の山ができるのか、ピアノは完全に埋まってしまうのか、最終日にもう一度見に来たくなる展示でした。
森国枝さんのブログに11月5日時点の様子が掲載されています。
http://blogs.yahoo.co.jp/bluerose9k/50309261.html
ピアノのだけでなく、椅子もあったようです。今日は、既に椅子は全く見えませんでした。
白川公園の入り口にもひまわりの種をモチーフにした展覧会の看板がありました。
紅葉の始まった公演の木々を背景に浮かぶひまわりの種、不思議な感じのする看板でした。

名古屋市美術館で開催中の「特別展 河口龍夫」を見に行ってきました。

現代美術作家の河口龍夫を取り上げた今回の展覧会は、兵庫県立美術館と名古屋市美術館との同時開催とのこと。
河口龍夫の出身地である神戸の兵庫県立美術館の特別展では、1970年代の作品から、光と闇をテーマにした作品、さらには蓮をモティーフにした作品群が展示されているそうです。
名古屋市美術館の特別展では、種子と鉛による作品を中心に、それぞれ知覚の問題や時間の観念、生命についての考察を誘う作品が展示されていました。
一番印象に残ったのは、ひまわりの種をモチーフとして使った「関係」というテーマの作品の一つ「関係ー無関係・落下、集積、命の形態」でした。
吹き抜けのスペースを使って展示されており、1階の床にピアノが置かれていて、上からひまわりの種をピアノの上に落とすというものです。吹き抜けの2階部分に透明パイプが設置されてていて、観客が自由に銅のスコップでひまわりの種をパイプに流します。すると、パイプを伝ってちょうどピアノの上にひまわりの種が落ちるようになっており、ピアノがひまわりの種で埋まっていくという展示です。
ほとんどの人がひまわりの種を落としていました。
ひまわりの種を落とすときの音が癖になり、何度も落としたくなる展示です。
ひまわりの種を落とすところには、大量のカナダ産のひまわりの種が用意されていました。
1階では、既にひまわりの種がこんもり山になってて、この先どのくらいのひまわりの種の山ができるのか、ピアノは完全に埋まってしまうのか、最終日にもう一度見に来たくなる展示でした。
森国枝さんのブログに11月5日時点の様子が掲載されています。
http://blogs.yahoo.co.jp/bluerose9k/50309261.html
ピアノのだけでなく、椅子もあったようです。今日は、既に椅子は全く見えませんでした。
白川公園の入り口にもひまわりの種をモチーフにした展覧会の看板がありました。
紅葉の始まった公演の木々を背景に浮かぶひまわりの種、不思議な感じのする看板でした。

2007/11/19 20:39:08
名古屋で初霜、初氷。
今朝の名古屋は、この秋一番の冷え込みとなり、初霜と初氷が観測されました。
初霜は、平年より5日早く、昨年より15日早い観測、初氷は、平年より13日早く、昨年より30日早い観測とのこと。
初霜の歌といえば、
心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花
が有名です。
この歌の作者は、平安時代、9世紀から10世紀にかけて活躍した歌人凡河内躬恒(おおしこうちのみつね、生没年不詳)。三十六歌仙の一人で、古今集の撰者の一人です。
この歌は、古今集に収録されており(秋下・277)、小倉百人一首の29番でもあります。
また、この歌は、正岡子規が『五たび歌よみに与ふる書』の中で、「此躬恒の歌百人一首にあれは誰も口ずさみ候へども一文半文のねうちも無之駄歌に御座候。此歌は嘘の趣向なり、初霜が置いた位で白菊が見えなくなる気遣無之候。」と酷評したことでも知られています。
古今集嫌いの子規らしい評価です。
私は、初冬の風流を感じさせる歌だと思います。
今朝の名古屋は、この秋一番の冷え込みとなり、初霜と初氷が観測されました。
初霜は、平年より5日早く、昨年より15日早い観測、初氷は、平年より13日早く、昨年より30日早い観測とのこと。
初霜の歌といえば、
心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花
が有名です。
この歌の作者は、平安時代、9世紀から10世紀にかけて活躍した歌人凡河内躬恒(おおしこうちのみつね、生没年不詳)。三十六歌仙の一人で、古今集の撰者の一人です。
この歌は、古今集に収録されており(秋下・277)、小倉百人一首の29番でもあります。
また、この歌は、正岡子規が『五たび歌よみに与ふる書』の中で、「此躬恒の歌百人一首にあれは誰も口ずさみ候へども一文半文のねうちも無之駄歌に御座候。此歌は嘘の趣向なり、初霜が置いた位で白菊が見えなくなる気遣無之候。」と酷評したことでも知られています。
古今集嫌いの子規らしい評価です。
私は、初冬の風流を感じさせる歌だと思います。