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三人目は放免

放免」とは、犯罪者のうち微罪のものを放免して、逆に検非違使庁の下役として使ったもののことで、下部ともいい、前科者のため卑賤視されていたとのこと。
検非違使は、京の都の警察・裁判を所掌した令外官です。
平安時代の弘仁年間(810-824)の中ごろ創置されたと考えられています。
別当の四等官より構成された。
長官である別当は参議・中納言の兼職であることが多く、実質上のトップであるは左右衛門佐が兼務していた。
は中心を担う役人で、法律に精通した明法家が選ばれ、後に坂上中原両家の者が任用され大尉と呼ばれ、武力に秀でた者は起用され少尉と呼ばれた。にも明法家が起用されることが多かった。
ちなみに、大尉少尉の別名を判官といい、源義経のことを九郎判官と呼ぶのも義経がこの役職についたからです。
平安末期になると院政の軍事組織である北面武士にその役割を取って代わられるようになり、さらに鎌倉幕府が六波羅探題を設置すると次第に弱体化します。
京都に室町幕府が開かれると侍所がその役割を担うようになります。


『藪の中』(芥川龍之介)

検非違使に問われたる放免の物語

わたしが搦め取った男でございますか?
これは確かに多襄丸と云う、名高い盗人でございます。
もっともわたしが搦め取った時には、馬から落ちたのでございましょう、
粟田口の石橋の上に、うんうん呻って居りました。
時刻でございますか?
時刻は昨夜の初更頃でございます。
いつぞやわたしが捉え損じた時にも、やはりこの紺の水干に、打出しの太刀を佩いて居りました。
ただ今はそのほかにも御覧の通り、弓矢の類さえ携えて居ります。
さようでございますか?
あの死骸の男が持っていたのも、――では人殺しを働いたのは、この多襄丸に違いございません。
革を巻いた弓、黒塗りの箙、鷹の羽の征矢が十七本、
――これは皆、あの男が持っていたものでございましょう。
はい。
馬もおっしゃる通り、法師髪の月毛でございます。
その畜生に落されるとは、何かの因縁(いんねん)に違いございません。
それは石橋の少し先に、長い端綱を引いたまま、路ばたの青芒を食って居りました。
この多襄丸と云うやつは、洛中に徘徊する盗人の中でも、女好きのやつでございます。
昨年の秋鳥部寺の賓頭盧の後の山に、物詣でに来たらしい女房が一人、
女の童と一しょに殺されていたのは、こいつの仕業だとか申して居りました。
その月毛に乗っていた女も、こいつがあの男を殺したとなれば、どこへどうしたかわかりません。
差出がましゅうございますが、それも御詮議下さいまし。



この放免の証言で、初めて多襄丸という名の盗人が容疑者として捕らえられていることが明かされます。





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