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2007 / 10
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「この髪を抜いてな、鬘にしようと思うたのじゃ。」

今日は、芥川龍之介の『羅生門』の4回目です。

老婆の行為を死者に対する冒涜と思ったのだろうか、下人老婆に「激しい憎悪」を抱きます。
しかし、老婆を捕まえ、老婆の生殺与奪の権を自分が握っているを意識した下人からその憎悪の感情が消えていきます。

今までけわしく燃えていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまった。後に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが円満に成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。

そして、老婆の「『この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘にしようと思うたのじゃ。』」という答えを聞いた下人は……。


『羅生門』(芥川龍之介) その4


その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った。
そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しずつ動いて来た。
――いや、この老婆に対すると云っては、語弊があるかも知れない。
むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。
この時、誰かがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、饑死をするか盗人になるかと云う問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、饑死を選んだ事であろう。
それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片のように、勢いよく燃え上り出していたのである。



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猿のような老婆との出会い

10日ほど間隔があいてしまいましたが、今日は、芥川龍之介の『羅生門』の3回目です(前回は10月21日)。

羅生門の楼の上で、下人と出会います。しかも、「猿のような老婆」と。
下人から嗅覚を奪ってしまった感情とは何なのでしょうか。

ある強い感情が、ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからだ。

それは、「六分の恐怖と四分の好奇心」なのでしょうか。
この老婆との出会いが、下人を変えていくことになります。


『羅生門』(芥川龍之介) その3


それから、何分かの後である。
羅生門の楼の上へ出る、幅の広い梯子の中段に、一人の男が、猫のように身をちぢめて、息を殺しながら、上の容子を窺っていた。
楼の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしている。
短い鬚の中に、赤く膿を持った面皰のある頬である。
下人は、始めから、この上にいる者は、死人ばかりだと高を括っていた。
それが、梯子を二三段上って見ると、上では誰か火をとぼして、しかもその火をそこここと動かしているらしい。
これは、その濁った、黄いろい光が、隅々に蜘蛛の巣をかけた天井裏に、揺れながら映ったので、すぐにそれと知れたのである。
この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、どうせただの者ではない。



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西御門金春会別会能の番組ができました。

来年、平成20年3月23日(日)に奈良新公会堂能楽ホールでかいさいされる西御門金春会別会能の番組ができました。
この会は、七十七世家元金春榮治郎師の三十三回忌と金春晃實師の七回忌の追善の会です。

主な演目は、
 能『初雪』 金春飛翔
 狂言『無布施経』 茂山千之丞
 能『安宅』 金春穂高
 能『石橋 古式』 金春安明
  です。

西御門金春会別会能2008_01


西御門金春会別会能2008_02


初シテとなる金春飛翔さんの『初雪』、現八十世家元の金春安明師が古式で演じられる『石橋』など楽しみな演目が並んでいます。

奈良の桜(ソメイヨシノ)の開花は、平年では4月1日、今年は3月27日だったとのことなので、3月23日は、桜にはまだ少し早いようです。
春の奈良公園も散歩してみたいです。



名古屋市民ギャラリー栄に行きました。

名古屋市民ギャラリー栄で開催中の「手展 vol.15」を見に行きました。
毎年1回開催していて、今年で15年目とのこと。
今年は、
 青沼淳之助スケッチ
 鈴木修三日本画
 青沼玲子布クラフト
 井上のり子パッチワーク
 岩山由佳ハワイアンキルト
 柴田麻里パッチワーク
 溝口紫万子
の7人の方の作品が展示されていました。
メンバーは、もう少しいらっしゃるということで、毎年参加できる人で開催しているそうです。


手展15_青沼玲子

青沼玲子さんの作品の一部


手展15_溝口紫万子

溝口紫万子さんの作品の一部

以前、仕事でお世話になった青沼玲子さんと溝口紫万子さんにお会いすることができました。



謡『橋弁慶』の稽古は、今日が2回目

今日は、午前中に通院し、帯状疱疹の治療のための点滴を受けました。
大分回復したので、点滴による治療は今日で終了し、後はしばらく飲み薬による治療となりました。

午後、稽古に行きました。
今日は、弁慶は五条大橋に出没して人を斬るという少年を退治しようと五条大橋へ向かい、牛若丸も明日は寺に入らないといけないので今日が最後の夜と五条大橋へ向かう場面です。

シテ「さあらば今夜の十禅寺まいりをば思い止まるべし。
トモ「もっともしかるびょう候。
シテ「いやきっとものを案ずるに弁慶ほどの者が。
   聞き逃げしては叶うまじ。今宵夜ふけば橋にいで。
   化生の者を.たいらげんと。

地謡「いうべほどなく.暮れがたの。夕べほどなく暮れがたの。
   雲の気色を引きかえて。風すさまじく更くる夜に。
   遅しとこそは待ちいたれ.遅しとこそは.待ちいたれ。

<中入>
〔間狂言〕
子方「さても牛若は。母の仰せの重ければ。
   明けなぱ寺にのぼるべし。今宵ばかりの名残ぞと。
   川波そえてたちまちに。月の光を待つべしと。
   夕波の。音ふけすぐる夜嵐に。

地謡「声たてそうる。秋のかぜ。面白の.けしきやな。
   面白の気色やな。そぞろ浮き立つわが心。
   波も玉ちる白波の。夕顔の花の色。
   五条の橋の橋板を。とどろとどろと踏みならし。
   風すさまじく更くる夜に.通る人をぞ待ちいたる.
   通る人をぞ.待ちいたる。


仕舞『田村クセ』は、発表会前最後の稽古でした。
今日も姿勢について、前回の稽古のときと同様の指導を受けました。

常に注意していないとすぐうつむき加減になってしまうので、本番では気をつけたいと思っています。



今日はサーカスの日

今日は、午前中に通院し、帯状疱疹の治療のための点滴を受けました。
今日で、4回目です。症状は大分よくなってきました。

ところで、今日はサーカスの日だそうです。
明治4(1871)年の10月26日、東京・九段の招魂社(現在の靖国神社)でフランスのスリエサーカスによる日本初のサーカス興業が行われました。
ただし、これより7年前の元治元(1864)年3月にアメリカのリズリー・サーカスが来日し、横浜の外国人居留地内で公演しています。
リズリー・サーカスは、幕府の許可が下りず、外国人居留地内のみでの公演だったので、スリエサーカスの方を日本最初と考えて、10月26日をサーカスの日としたようです。
しかし、最近ではリズリー・サーカスの公演を日本最初のサーカスの興行とする説が有力です。
(参考)サーカスの夜明け-軽業芸人の海外交流(国立歴史民俗博物館)


『サーカス』(中原中也)

幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
  今夜此処での一と殷盛り
    今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁
  そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒さに手を垂れて
  汚れ木綿の屋蓋のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
  安値いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯
  咽喉が鳴ります牡蠣殻と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

屋外は真ッ闇 闇の闇
夜は劫々と更けまする
落下傘奴のノスタルヂアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん


この「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」という表現が、読む人を不思議な世界に誘うと思います。



「劇場の迷子」を読みました。

「劇場の迷子 中村雅楽探偵全集4」(戸板康二著、創元推理文庫、1470円、2007年9月28日発売)を今日、読了しました。

この本も、これまでの2巻と同様に600ページを超える厚さで676ページ。今回は、通勤の地下鉄で座れなかったときは、別の薄い新書を読んでいました。そのため、2冊、かばんに入れることになり、かばんが重くなりました。

話は、このれまでの3作より、年月が流れたため、中村雅楽は歌舞伎役者を完全に引退しています。しかし、その雅楽のところに懇意の新聞記者・竹野が不思議な事件を持ち込み、雅楽がその謎を解き明かすという基本パターンに変更はありません。
この巻でも、前作同様、表題作の「劇場の迷子」を始め殺人事件はまったく起こりません(雅楽が歴史上の謎を解き明かす「演劇史異聞」を除きます)。
雅楽の魅力的な語り口の推理としゃれたオチは健在です。
この巻の28編の中で、私が一番気に入ったのは、「祖母の秘密」です。
なかなかこうしたしゃれた終わりかたはできないと思います。
「ビールはまだありますか」と、夫人が襖の向うから声をかけた。「もう一本持って来ておくれ」と雅楽は返事したが、チラリと私を見て小声でいった。「あの子のいるあいだ、お茶も出さなかったくせに。まだ、焼き餅を焼くんだからね。ばアさんも、すてたものじゃない」

前回、気になったこととしていた、雅楽の結婚した年ですが、「祖母の秘密」で、『大正九年に千鶴子という女性と結婚。新橋小峯家と書いてある、花柳界の出身なのである』とあります。
この記述が正しいとすると、雅楽は大正9年に結婚したことになります。したがって、前作「目黒の狂女」収録の、「砂浜と少年」で、大正15年の夏に妻女と葉山に保養に出かけているというのは正しいことになります。
それでは、おなじく「目黒の狂女」収録の「むかしの写真」で、雅楽昭和3年の秋に結婚したと言っているのは再婚なのでしょうか。とすると、「祖母の秘密」で焼き餅を焼いているのは2度目の奥さんということになります。
あるいは、「祖母の秘密」では、『大正九年に千鶴子という女性と結婚。新橋小峯家と書いてある、花柳界の出身なのである』という記述は、『俳優細見』、『大正歌舞伎役者節用』という歌舞伎俳優名鑑からの引用となっているので、その名鑑の記述が誤りなのでしょうか。

この巻の全体の文章は、発表年が1977年から1991年なので、文章の古めかしさは全く感じられません。

短編はこれで全て収録されました。長編2編を収録する最後の1冊が楽しみです。




今日は霜降

今日は24節気の一つ霜降です。
実際に名古屋で霜が降りるようになるのは、1か月後の11月23日の勤労感謝の日の頃が平年とのこと。

昨日は帯状疱疹で仕事を休みましたが、今日から仕事に復帰しました。疱疹はあまり広がっていませんが、右耳の後ろあたりの刺すような痛みは続いています。今日、3回目の点滴を受けました。次の点滴は、金曜日の朝の予定です。

さて、樋口一葉の『十三夜』。今日は、「」です。
お鬨が車夫に零落した幼馴染の録之助に出会い、そして別れます。
最後の一説を読むと、二人の切なさが身にしみます。
其人は東へ、此人は南へ、大路の柳月のかげに靡いて力なささうの塗り下駄のおと、村田の二階も原田の奧も憂きはお互ひの世におもふ事多し。

ところで、明治の前半は、江戸時代に引き続いて、我が国の離婚率の高い状態が続いていましたが、明治の後半から離婚率は急低下します。それは明治31(1898)年の旧民法・家族法の制定が最大の理由だと言われています。
でも、その前から徐々に離婚を良くないものと見る風潮が世間に広まってきていたのではないでしょうか。この明治28(1895)年に書かれた『十三夜』を読んで、そう感じました。

『十三夜』(樋口一葉) 〔下〕



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今日は十三夜

今日の名古屋は良い天気で、きれいな月が見えています。

十三夜2007


私の帯状疱疹は、点滴の効果か、右顎の疱疹は小さくなってきました。しかし、右の耳の後ろあたりから頭頂にかけての頭痛はひどくなったような気がします。
今日、2回目の点滴を受けました。

さて、旧暦九月十三日の十三夜も、旧暦八月十五日の十五夜に劣らぬ美しい月であると昔から言われています。
旧暦八月十五日の十五夜にお月見をする風習は中国から伝わったもののようですが、旧暦九月十三日の十三夜にもお月見をするのは日本独自の風習とのことです。
一般に十五夜に月見をしたら、必ず十三夜にも月見をするものともされていたとのこと。十五夜だけでは、「片月見」といって嫌われていたそうです。
十五夜のときより、今の方が空気が冷えて空が澄みわたっているので、「十三夜に曇りなし」と言われているように晴れる確率が高いようです。

十三夜といえば、樋口一葉の『十三夜』。
お関はどのような思いで、十三夜の月を眺めたのでしょうか?

『十三夜』(樋口一葉) 〔上〕



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帯状疱疹になりました。

土曜日の夕方頃から右の顎におできのようなものができ、最初は痛くもかゆくもなかったのですが、昨夜から少しかゆくなり、かゆみ止めを塗っても良くならず、今日はだんだん大きくなってくるようので、医者に行ったところ、『帯状疱疹』という診断でした。
30分以上かかる点滴を受けました。そして、安静にして、明日から今週いっぱい、毎日、点滴を受けに来るようにと言われました。

もらったリーフレットによると、『帯状疱疹』になるきっかけとして、
強いX線、外傷、疲労、老化、ステロイドなどの免疫抑制剤で体の抵抗力が落ちる
と列挙してあります。
60歳以上の人が発症することが多いと聞いていたので、少しショックでしたが、最近はストレスから20~30歳代の人の発症も増えているとのことでした。

今週は安静にしていたいと思っています。



Sentimentalisme(サンチマンタリスム)

なぜ、芥川龍之介は、『羅生門』の中で唯一この言葉だけフランス語を使ったのでしょうか。
しかも、「平安朝の下人の Sentimentalisme 」という表現で。
この物語の主人公である下人のこうした性格が、物語の主題と密接な関係があるのは間違いないでしょう。芥川龍之介は、そのことを強調したかったのかもしれません。
前回も書きましたが、私は下人20代半ばぐらいの青年だと思っていましたが、それは「永年、使われていた主人から、暇を出された」という箇所から感じたことです。
しかし、主人から暇を出されたら「『盗人になるよりほかに仕方がない』」と考える短絡的なところは、やはり思春期の少年と考える方がしっくりくるように感じます。


『羅生門』(芥川龍之介) その2


作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。
しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。
ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈である。
所がその主人からは、四五日前に暇を出された。
前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微していた。
今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。
だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。
その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。
申の刻下りからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。
そこで、下人は、何をおいても差当り明日の暮しをどうにかしようとして――云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。




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今日から『橋弁慶』の稽古を始めました

今日から謡の稽古は『橋弁慶』になりました。
『橋弁慶』は有名な五条大橋での弁慶と牛若丸の話です。
今日は、弁慶が従者から五条大橋に出没して人を斬るという少年の話を聞く場面です。

シテ「これは西塔の武蔵坊弁慶にて候。
   われ宿願の子細あるにより。
   この間北野へ一七日参篭申して候。
   また今夜より十禅寺へ参らばやと存じ候。
   いかに誰かある。

トモ「おん前に候。
シテ「宿願の子細ある間。
   今夜より十禅寺へ参ろうずるにてあるぞ。

トモ「今夜の十禅寺参りをばおぼし召しおんとまり候え。
シテ「それはなにとてさようには申すぞ。
トモ「さん候きのう夜ふけて五条の橋を通りて候えば。
   年の頃十二三ばかりなる幼き者の。
   小太刀をもって切ってまわり候は。
   さながら蝶鳥のごとくにござ候。

シテ「などさようの者あらば討たざりけるぞ。
トモ「討たんとすれば追っぱらい。手もとに敵を寄せつけず候。
シテ「たとい手もとへ寄せつけずとも。大勢にては討つべきに。
トモ「おっ取りこむればふしぎにはずれ。
シテ「ま近く寄れば。
トモ「目にも見えず。
地謡「神変ふしぎ.奇特なる。神変ふしぎ奇特なる。
   化生の者に寄せあわせ。かしこうおこと討たすらん。
   都ひろしというとも。
   これほどの者あらじげに.奇特なる.者かな。


仕舞『田村クセ』は、3回目の通しの稽古になりました。
今日も姿勢について、左右のときなどはつま先に重心を乗せ、腰を前に出して、胸を張るようにという指導を受けました。
姿勢については、これまでも何度か指摘をされていますが、なかなか直らないのでより具体的な説明をしていただいたようです。

師匠に教え方を考えさせてしまう弟子って……




kinkun

Author:kinkun
名古屋春栄会のホームページの管理人

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