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2007 / 07
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『篭太鼓』の地謡につきました。

第34回名古屋春栄会も、番組どおり順調に進み、舞囃子『難波』の後で休憩となりました。
休憩時間には、見所の皆さんにお茶とお菓子をお配りしました(毎回、恒例です)。
再開後、仕舞『篭太鼓』の地謡につきました。

仕舞・篭太鼓


私は、仕舞の前に座ったときなどに扇が膝から落ちないようにとの注意をしばしば受けますが、この地謡のときも写真で見ると扇が膝から落ち気味です。癖になっているようなので、気をつけなくてはいけないと改めて思いました。




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最初の出番は『花月』でした。

会場の栄能楽堂は、ビルの4階にあります。
初めての方には、能舞台への道順が少しわかりにくいので、エレベータの入り口の横に案内を貼っています。

栄能楽堂の案内


今回の会は、参議院選挙の投票日と重なってしまったことにより、参加できなくなった会員もあったので、参加者は例年になく少ない会となりました。
そのため、一人何役もこなさないといけなくなり、私はビデオの撮影係と写真撮影係を幹事から仰せつかりました(結構、忙しかったです)。
私の最初の出番は、舞囃子『花月』の地謡でした。
この地謡も急用で一人欠席となったので、地謡が4人となり、一列に並ぶことになりました。
私は地謡の先頭でしたが、座る位置が前に出すぎてしまい、隣の佐藤俊之先生から注意を受けました(佐藤先生、ありがとうございました)。
毎回、いろいろと覚えることがあります。




今日、夏の発表会が開かれました。

今日、第34回名古屋春栄会栄能楽堂で開催され、舞囃子『氷室』で始まりました。

舞囃子・氷室


続きは明日から(今日は帰宅が遅くなったので、会の様子は明日以降、順次報告させていただきます)。




『玉ノ段』の稽古をしていただきました。

明日の発表会を前に、仕舞『黒塚』の最後の稽古でした。
やはり、廻り飛びのところと、もじり廻りから後ずさりするところを注意するようにとの指導を受けました。
また、「黒塚に隠れ住みしも」の面を切るところの左腕と左足の動きについても指導を受けました。
明日は何とかうまく舞いたいと思っています。

7月23日にも書いたように、明日の会では『玉ノ段』の仕舞があり、私は地謡にです。
玉ノ段』の地謡の稽古をしていただきました。
かなり以前に一度稽古をしたのですが、すっかり忘れていたので、とても助かりました(でも、これで明日、間違えたときに言い訳できなくなりましたけど…)。




今日、梅雨が明けました。

名古屋でも梅雨明けになりました。
今日の空は真夏を思わせる青空で、気温も34度と夏本番の暑さでした。


『夏の日の歌』(中原中也)

青い空は動かない、
雲片一つあるでない。
  夏の真昼の静かには
  タールの光も清くなる。

夏の空には何かがある、
いぢらしく思はせる何かがある、
  焦げて図太い向日葵が
  田舎の駅には咲いてゐる。

上手に子供を育てゆく、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
  山の近くを走る時。

山の近くを走りながら、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
  夏の真昼の暑い時。



夏の空には何かがある
このフレーズが耳に残り、ふとしたはずみに思い出すことがあります。
夏の空には何があるんだろうか?




夏の月 御油より出でて 赤坂や

延宝4(1676)年、芭蕉33歳のときの句です。
<夏の月の出ている時間の短さは、御油から赤坂の間を過ぎる時間ほどだ。>
この句は、夏の夜の短さと、わずか16町(1.75km)の赤坂宿と御油宿の距離の短さを詠ったものと言われています。
この句については芥川龍之介の『芭蕉雑記』が有名です。

『芭蕉雑記』(芥川龍之介)

七 耳

芭蕉の俳諧を愛する人の耳の穴をあけぬのは残念である。
もし「調べ」の美しさに全然無頓着だつたとすれば、芭蕉の俳諧の美しさも殆ど半ばしかのみこめぬであらう。
俳諧は元来歌よりも「調べ」に乏しいものでもある。
僅々十七字の活殺の中に「言葉の音楽」をも伝へることは大力量の人を待たなければならぬ。
のみならず「調べ」にのみ執するのは俳諧の本道を失したものである。
芭蕉の「調べ」を後にせよと云つたのはこの間の消息を語るものであらう。
しかし芭蕉自身の俳諧は滅多に「調べ」を忘れたことはない。
いや、時には一句の妙を「調べ」にのみ託したものさへある。

夏の月 御油より出でて 赤坂や

これは夏の月を写すために、「御油」「赤坂」等の地名の与へる色彩の感じを用ひたものである。
この手段は少しも珍らしいとは云はれぬ。
寧ろ多少陳套の譏りを招きかねぬ技巧であらう。
しかし耳に与へる効果は如何にも旅人の心らしい、悠々とした美しさに溢れてゐる。

年の市 線香買ひに 出でばやな

仮に「夏の月」の句をリブレツトオよりもスコアアのすぐれてゐる句とするならば、この句の如きは両者ともに傑出したものの一例である。
年の市に線香を買ひに出るのは物寂びたとは云ふものの、懐しい気もちにも違ひない。
その上「出でばやな」とはずみかけた調子は、宛然芭蕉その人の心の小躍りを見るやうである。
更に又下の句などを見れば、芭蕉の「調べ」を駆使するのに大自在を極めてゐたことには呆気にとられてしまふ外はない。

秋ふかき 隣は何を する人ぞ

かう云ふ荘重の「調べ」を捉へ得たものは茫々たる三百年間にたつた芭蕉一人である。
芭蕉は子弟を訓へるのに「俳諧は万葉集の心なり」と云つた。
この言葉は少しも大風呂敷ではない。
芭蕉の俳諧を愛する人の耳の穴をあけねばならぬ所以である。



芥川龍之介は、御油、赤坂という字面の色彩感が夏の月を彩っており、調べもいいと言っています。
少し深読みなのでは……







今日の月は半月よりも太っています。

月齢は11のようなので、半月と満月の中間あたりというのが正確なのでしょうか。
名古屋では雲間から時折、月が顔を覗かせています。
名古屋の梅雨明けはまだですが、熱帯夜の日々は近づいてきています。
天気予報では、今晩は24℃には下がるようです。
熱帯夜の蒸し暑い月夜を歩いていると、うつろな気分になりそうです。


『都会の夏の夜』(中原中也)

月は空にメダルのやうに、
街角に建物はオルガンのやうに、
遊び疲れた男どち唱ひながらに帰つてゆく。
--イカムネ・カラアがまがつてゐる--
その脣はひらききつて
その心は何か悲しい。
頭が暗い土塊になつて、
ただもうラアラア唱つてゆくのだ。

商用のことや祖先のことや
忘れてゐるといふではないが、
都会の夏の夜の更--

死んだ火薬と深くして
眼に外燈の滲みいれば
ただもうラアラア唱つてゆくのだ。


イカムネとは燕尾服の下に着るシャツのことだそうです。
形がイカの胸に似ているから名付けられたとのこと。
カラアはカラー(襟)のことで、イカムネはカラーをつけて着用するものだそうです。現在は、プラスチックのカラーが一般的とのことです。
今の日本は、イカムネを着ることが一番多いのは、社交ダンスをしている人のようです。したがって、日本では社交ダンスのユニフォーム専門店で入手するのが一番簡単なようです。




今日、蝉の声を聞きました。

子どもたちは、もう夏休み。今朝は、蝉の声で目覚めました。
ローカルニュースでは、夏の甲子園の地区予選の結果が報じられる季節になりました。
プロ野球の公式戦も今日から再開です。
野球はやっぱり夏のスポーツですね。


『夏の夜に覚めてみた夢』(中原中也)

眠らうとして目をば閉ぢると
真ッ暗なグランドの上に
その日昼みた野球のナインの
ユニホームばかりほのかに白く――

ナインは各々守備位置にあり
狡さうなピッチャは相も変らず
お調子者のセカンドは
相も変らぬお調子ぶりの

扨、待つてゐるヒットは出なく
やれやれと思つてゐると
ナインも打者も悉く消え
人ッ子一人ゐはしないグランドは

忽ち暑い真昼のグランド
グランド繞るポプラ竝木は
蒼々として葉をひるがへし
ひときはつづく蝉しぐれ
やれやれと思つてゐるうち……眠た



蝉の声はやたらうるさいのに、なぜか哀愁を感じませんか?




能には、段物と呼ばれている

部分があります。〔→6月18日も同じ書き出しでした。〕
段物(だんもの)とは、特定の曲の中で、まとまった謡いどころや舞いどころ、囃しどころのことです。
この部分を「○○ノ段」と呼び、独吟、仕舞、一調を演奏する部分になっています。
1曲の中でも見所となっている一段なので、構造も特殊で、内容も濃く、型も派手なものが多いです。〔ここまで6月18日と同じです。〕

第34回名古屋春栄会でも、仕舞で「玉ノ段」が出ます。

シテ「その時人人力を添え。引きあげ給えと約束し。一つの利剣を.抜きもって。
地謡「かの海底にとび入れば。空はひとつに雲の波。煙の波をしのぎつつ。
   海漫々とわけ入りて。直下とみれども底もなく。ほとりも知らぬ海底に。
   そも神変はいさ知らず。とり得ん事は不定なり。かくて龍宮にいたりて。
   宮中をみればその高さ。三十丈の玉塔に。かの玉をこめおき.香華を供え守護神に。
   八龍なみいたり.その外悪魚鰐の口。のがれがたしやわが命。
   さすが恩愛の.ふる里の方ぞ恋しき。あの波のあなたにぞ。
   我が子はあるらん.父大臣もおわすらん。さるにてもこのままに。
   別れはてなん悲しさよと。涙ぐみて立ちしが。又思い切りて.手を合わせ。
   なむや志渡寺の観音薩埵の.力を合わせてたび給えとて。
   大悲の利剣を額にあて.龍宮の中にとび入れば。
   左右へばっとぞのいたりける.そのひまに宝珠を盗みとって。逃げんとすれば。
   守護神追かく.かねてたくみし事なれば。持ちたる剣をとり直し。
   乳の下をかききり玉をおしこめ.剣を捨ててぞふしたりける.
   龍宮のならいに死人をいめば。辺りに近づく悪龍なし.約束の縄を動かせば。
   人々喜び引きあげたりけり。玉は知らずあまびとは海上にうかみ.いでたり。



玉ノ段」は能『海人』の一部ですが、一般的に番組には「玉ノ段」としか書かれません。
しかし、この表記では能に詳しくない多くの観客は「玉ノ段」が『海人』の一部だと気づかないのではないかと、私はかねてから思っていました。
そこで、よりわかりやすく「海人 玉ノ段」という表記の方が親切なのでは思いましたが、番組の表記にも伝統があるので難しいのだろうと勝手に考えていました。
ところが、最近、金春流以外の能の会の番組で「海士 玉ノ段」という表記を発見しました。
世の中には同じ事を考える人がいるのだと少し嬉しくなりました(よく考えると、私が思いつくようなことは、諸先輩方がとっくに思いつかれているはずだと気づきましたが…)。




誰にも聞かれたくないことがあると思います。
そうしたことを聞かれたときにどうしますか。
「それは答えたくない」とはっきり言えればいいんですが…。

私の場合は、まあよほどのことでない限り、聞かれてしまったら正直に話すことにしています。
やっぱり嘘をつくのははいけないと思うので。
ちょうど、車屋の黒にねずみを捕ったことがるのかと聞かれた我輩のように…。


『我輩は猫である』(夏目漱石)から

或る日例のごとく吾輩と黒は暖かい茶畠の中で寝転びながらいろいろ雑談をしていると、
彼はいつもの自慢話しをさも新しそうに繰り返したあとで、吾輩に向って下のごとく質問した。
御めえは今までに鼠を何匹とった事がある
智識は黒よりも余程発達しているつもりだが腕力と勇気とに至っては到底黒の比較にはならないと覚悟はしていたものの、
この問に接したる時は、さすがに極りが善くはなかった。
けれども事実は事実で詐る訳には行かないから、
吾輩は「実はとろうとろうと思ってまだ捕らない」と答えた。
黒は彼の鼻の先からぴんと突張っている長い髭をびりびりと震わせて非常に笑った。



私は、他人にもその人のことを聞くときに、こんなことを聞くと迷惑だろうかと気にするところがあります。
だから、他人にプライベートなことを聞くことはあまりありません。
そのため、私のことに興味がないのかと思ったと言われたことは何度かあります。




稽古に2時半頃に行きました。

今日は2時まで誰も稽古に来なかったということでしたが、私が稽古場についた直後に3人やって来たので、突然、混み合いました。
今日の名古屋は、午前中は結構雨が降っていたからでしょうか(少なくとも私が2時半になったのは、雨が理由です)。
謡は『小督』の3回目。
仲国が小督の局の住まいを訪れ、御諚の趣旨を小督の局に伝える場面です。

ツレ「うつつなやかかるいやしき賎が屋に。何の宣旨の候うべき。
   門たがえにてましますか。

シテ「いやいかに忍ばせ給うとも。人目づつみももれいづる。
   袖の涙の玉琴の調べはかくれなきものを。

ツレ「げに恥かしや仲國は。殿上の御遊のおりおりは。
シテ「笛つかまつれと召しいだされて。
ツレ「馴れし雲井の月もかわらず。人もといきてあいにあう。
   その糸竹の.夜の声。

地謡「ひそかに傳え申せとの。勅諚をば何とさは。
   隔て給うや中垣の。むぐらが下によしさらば。
   今宵はかたしきの.袖ふれて月に明かさん。
   所を知るも嵯峨の山。所を知るも嵯峨の山。
   御幸たえにし跡ながら。千代の古道たどりこし.ゆくえも君の恵みぞと。
   ふかきなさけの色香をも。知る人のみそ花鳥の。
   音にだに立てよあずまやの。主はいさ知らず。
   しらべはかくれ.よもあらじ。


仕舞『黒塚』の稽古では、両手を広げるときや裏指し廻しのときに腕がちぢこまらないようにとの指導を受けました。知らずしらずにうちに肘が曲がってしまうので、注意する必要があると感じました。




7月20日はアポロ11号が月に着陸した

日です。

今から、38年前の昭和44(1969)年7月20日20時17分40秒(標準時)(アメリカ東部時間20日16時17分40秒、日本時間21日5時17分40秒)、アポロ11号のオルドリン飛行士アームストロング船長が、月の“静かの海”に着陸しました。
そのときのアームストロング船長の第1声が
Houston, Tranquility Base here the Eagle has landed.
ヒューストン、こちら静かの海基地、鷲は舞い降りた。
そして、着陸の約6時間半後、月面に立ち、
That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind.
これは一人の人間には小さな一歩だが、人類にとって大きな飛躍だ。
という有名な発言をします。

先日(7月12日)、この中継を同時通訳した翻訳家の西山千さんが95歳で亡くなられました。
恥ずかしながら、まだご存命だったことも知りませんでしたが、歴史の生き証人がまたお一人旅立たれたと感じました。


私は、月と言うと中原中也の『湖上』という詩を思い出します。




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Author:kinkun
名古屋春栄会のホームページの管理人

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