酷暑日(猛暑日)

今日の名古屋の最高気温は36℃。

2日連続の酷暑日となりました。
一日の最高気温が35℃以上の日を酷暑日と言います。以前はニュースでも良く使われていましたが、昨年、気象庁が予報用語で猛暑日と呼ぶと定義したため、最近のニュースでは猛暑日と呼ばれています。
でも、やっぱり酷暑日のほうが暑い!という感じが出ているような気がします。

今日は、あまりの暑さに毛皮も脱ぎたくなってしまった猫の気分が良くわかる一日でした。

吾輩は猫である」(夏目漱石) 

六から(冒頭の抜粋)

 こう暑くては猫といえどもやり切れない。皮を脱いで、肉を脱いで骨だけで涼みたいものだと英吉利(イギリス)のシドニー・スミスとか云う人が苦しがったと云う話があるが、たとい骨だけにならなくとも好いから、せめてこの淡灰色の斑入の毛衣だけはちょっと洗い張りでもするか、もしくは当分の中質にでも入れたいような気がする。人間から見たら猫などは年が年中同じ顔をして、春夏秋冬一枚看板で押し通す、至って単純な無事な銭のかからない生涯を送っているように思われるかも知れないが、いくら猫だって相応に暑さ寒さの感じはある。たまには行水の一度くらいあびたくない事もないが、何しろこの毛衣の上から湯を使った日には乾かすのが容易な事でないから汗臭いのを我慢してこの年になるまで洗湯の暖簾を潜った事はない。折々は団扇でも使って見ようと云う気も起らんではないが、とにかく握る事が出来ないのだから仕方がない。それを思うと人間は贅沢なものだ。なまで食ってしかるべきものをわざわざ煮て見たり、焼いて見たり、酢に漬けて見たり、味噌をつけて見たり好んで余計な手数を懸けて御互に恐悦している。着物だってそうだ。猫のように一年中同じ物を着通せと云うのは、不完全に生れついた彼等にとって、ちと無理かも知れんが、なにもあんなに雑多なものを皮膚の上へ載せて暮さなくてもの事だ。羊の御厄介になったり、蚕の御世話になったり、綿畠の御情けさえ受けるに至っては贅沢は無能の結果だと断言しても好いくらいだ。衣食はまず大目に見て勘弁するとしたところで、生存上直接の利害もないところまでこの調子で押して行くのは毫も合点が行かぬ。第一頭の毛などと云うものは自然に生えるものだから、放っておく方がもっとも簡便で当人のためになるだろうと思うのに、彼等は入らぬ算段をして種々雑多な恰好をこしらえて得意である。坊主とか自称するものはいつ見ても頭を青くしている。暑いとその上へ日傘をかぶる。寒いと頭巾で包む。これでは何のために青い物を出しているのか主意が立たんではないか。そうかと思うと櫛とか称する無意味な鋸様の道具を用いて頭の毛を左右に等分して嬉しがってるのもある。等分にしないと七分三分の割合で頭蓋骨の上へ人為的の区劃を立てる。中にはこの仕切りがつむじを通り過して後ろまで食み出しているのがある。まるで贋造の芭蕉葉のようだ。その次には脳天を平らに刈って左右は真直に切り落す。丸い頭へ四角な枠をはめているから、植木屋を入れた杉垣根の写生としか受け取れない。このほか五分刈、三分刈、一分刈さえあると云う話だから、しまいには頭の裏まで刈り込んでマイナス一分刈、マイナス三分刈などと云う新奇な奴が流行するかも知れない。とにかくそんなに憂身を窶してどうするつもりか分らん。第一、足が四本あるのに二本しか使わないと云うのから贅沢だ。四本であるけばそれだけはかも行く訳だのに、いつでも二本ですまして、残る二本は到来の棒鱈のように手持無沙汰にぶら下げているのは馬鹿馬鹿しい。これで見ると人間はよほど猫より閑なもので退屈のあまりかようないたずらを考案して楽んでいるものと察せられる。ただおかしいのはこの閑人がよると障わると多忙だ多忙だと触れ廻わるのみならず、その顔色がいかにも多忙らしい、わるくすると多忙に食い殺されはしまいかと思われるほどこせついている。彼等のあるものは吾輩を見て時々あんなになったら気楽でよかろうなどと云うが、気楽でよければなるが好い。そんなにこせこせしてくれと誰も頼んだ訳でもなかろう。自分で勝手な用事を手に負えぬほど製造して苦しい苦しいと云うのは自分で火をかんかん起して暑い暑いと云うようなものだ。猫だって頭の刈り方を二十通りも考え出す日には、こう気楽にしてはおられんさ。気楽になりたければ吾輩のように夏でも毛衣を着て通されるだけの修業をするがよろしい。――とは云うものの少々熱い。毛衣では全く熱つ過ぎる。



天気予報によると明日の最高気温は34℃で少し涼しくなるということ。本当に涼しく感じられるだろうか?

theme : お天気
genre : ニュース

「明暗」の連載開始

「明暗」連載、第1回。


大正5(1916)年の今日(5月26日)、夏目漱石の絶筆となる長編小説「明暗」の連載が朝日新聞で始まりました。
この連載は、漱石がこの年の12月9日に49歳で亡くなったため、188回(12月14日)で終了となり、「明暗」は未完の長編小説となります。

この回を読んだだけでは、主人公の津田の病気が何なのかはわかりません(わかる人にはわかるのかも?)が、津田の病気はです。
結核性の痔は、当時では結構重い病気だったそうで、治療に1年以上かかることも多かったようですし、場合によっては、命にかかわることもあったとのことです。
なお、現在では、結核の感染が激減したこともあり、ほとんど見られないそうです。


明暗」(夏目漱石) 



 医者は探りを入れた後で、手術台の上から津田を下した。
「やっぱり穴が腸まで続いているんでした。この前探った時は、途中に瘢痕の隆起があったので、ついそこが行きどまりだとばかり思って、ああ云ったんですが、今日疎通を好くするために、そいつをがりがり掻き落して見ると、まだ奥があるんです」
「そうしてそれが腸まで続いているんですか」
「そうです。五分ぐらいだと思っていたのが約一寸ほどあるんです」


more...

theme : 夏目漱石
genre : 本・雑誌

藤村操

今日は、藤村操が投身自殺した日です。

藤村操〔明治19年(1886年)〜明治36年(1903年)〕は、北海道出身の旧制一高の学生で、明治36年5月22日に日光華厳の滝で、ミズナラの木に「巌頭之感」を書き残して自殺しました。
彼の自殺は、多くの学生、若者に影響を与え、後追い自殺が相次いだそうです。
また、華厳の滝自殺の名所と言われるようになったのは、この後ということです。

「巌頭之感」

悠々たる哉天壤、
遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て比大をはからむとす、
ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ、
萬有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、
胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、
大いなる悲觀は大いなる樂觀に一致するを。


この自殺は、当時、一高で藤村のクラスの英語の担当だった夏目漱石にも大きなショックを与えたと言われています。
漱石は、自殺の直前に、授業中、藤村を叱責していたため、自殺の原因は自分ではないかと思い悩み、神経衰弱になってしまいます。
漱石が、神経衰弱を和らげるために、翌明治37(1904)年の暮れに高浜虚子のすすめで書いた小説が、処女作「吾輩は猫である」です。

なお、自殺の原因は、この遺書から哲学的な悩みとされていましたが、自殺の数か月後に、本当の原因は失恋であったことが明らかになりました。

そのためかどうかはわかりませんが、漱石は「吾輩は猫である」の中でこのことに触れています。

more...

theme : 自殺
genre : 心と身体

永日小品・心

漱石の理想の女性像が、

永日小品』の23番目の短編「」に描かれていると言われています。


永日小品・心』(夏目漱石)


 二階の手摺に湯上りの手拭を懸けて、日の目の多い春の町を見下すと、頭巾を被って、白い髭を疎らに生やした下駄の歯入が垣の外を通る。古い鼓を天秤棒に括りつけて、竹のへらでかんかんと敲くのだが、その音は頭の中でふと思い出した記憶のように、鋭いくせに、どこか気が抜けている。爺さんが筋向の医者の門の傍へ来て、例の冴え損なった春の鼓をかんと打つと、頭の上に真白に咲いた梅の中から、一羽の小鳥が飛び出した。歯入は気がつかずに、青い竹垣をなぞえに向の方へ廻り込んで見えなくなった。鳥は一摶に手摺の下まで飛んで来た。しばらくは柘榴の細枝に留っていたが、落ちつかぬと見えて、二三度身ぶりを易える拍子に、ふと欄干に倚りかかっている自分の方を見上げるや否や、ぱっと立った。枝の上が煙るごとくに動いたと思ったら、小鳥はもう奇麗な足で手摺の桟を踏まえている。
 まだ見た事のない鳥だから、名前を知ろうはずはないが、その色合が著るしく自分の心を動かした。鶯に似て少し渋味の勝った翼に、胸は燻んだ、煉瓦の色に似て、吹けば飛びそうに、ふわついている。その辺には柔かな波を時々打たして、じっとおとなしくしている。怖すのは罪だと思って、自分もしばらく、手摺に倚ったまま、指一本も動かさずに辛抱していたが、存外鳥の方は平気なようなので、やがて思い切って、そっと身を後へ引いた。同時に鳥はひらりと手摺の上に飛び上がって、すぐと眼の前に来た。自分と鳥の間はわずか一尺ほどに過ぎない。自分は半ば無意識に右手を美しい鳥の方に出した。鳥は柔かな翼と、華奢な足と、漣の打つ胸のすべてを挙げて、その運命を自分に託するもののごとく、向うからわが手の中に、安らかに飛び移った。自分はその時丸味のある頭を上から眺めて、この鳥は……と思った。しかしこの鳥は……の後はどうしても思い出せなかった。ただ心の底の方にその後が潜んでいて、総体を薄く暈すように見えた。この心の底一面に煮染んだものを、ある不可思議の力で、一所に集めて判然と熟視したら、その形は、――やっぱりこの時、この場に、自分の手のうちにある鳥と同じ色の同じ物であったろうと思う。自分は直に籠の中に鳥を入れて、春の日影の傾くまで眺めていた。そうしてこの鳥はどんな心持で自分を見ているだろうかと考えた。


more...

theme : 夏目漱石
genre : 本・雑誌

永日小品・行列

夏目漱石には7人の子どもがいました。

漱石が、『永日小品』を朝日新聞に連載していたのは、明治42(1909)年の1月から3月にかけてです。
そのとき、漱石には4人の娘2人の息子がいました。
6人の子ども達は、
 長女筆子:明治32(1899)年5月生まれ
 次女恒子:明治34(1901)年1月生まれ
 三女栄子:明治36(1903)年10月生まれ
 四女愛子:明治38(1905)年12月生まれ
 長男純一:明治40(1907))年6月生まれ
 次男伸六:明治41(1908)年12月生まれ  です。

今日、紹介する短編が「行列」で仮装行列のような遊びをしているのは、4人の女の子たちでしょう。長男は2歳ですし、次男は生まれたばかりなので、この遊びは無理だと思われます。
この作品は、『永日小品』の19番目の短編です。


永日小品・行列』(夏目漱石)


 ふと机から眼を上げて、入口の方を見ると、書斎の戸がいつの間か、半分明いて、広い廊下が二尺ばかり見える。廊下の尽きる所は唐めいた手摺に遮られて、上には硝子戸が立て切ってある。青い空から、まともに落ちて来る日が、軒端を斜に、硝子を通して、縁側の手前だけを明るく色づけて、書斎の戸口までぱっと暖かに射した。しばらく日の照る所を見つめていると、眼の底に陽炎が湧いたように、春の思いが饒かになる。
 その時この二尺あまりの隙間に、空を踏んで、手摺の高さほどのものがあらわれた。赤に白く唐草を浮き織りにした絹紐(リボン)を輪に結んで、額から髪の上へすぽりと嵌めた間に、海棠と思われる花を青い葉ごと、ぐるりと挿した。黒髪の地に薄紅の莟が大きな雫のごとくはっきり見えた。割合に詰った顎の真下から、一襞になって、ただ一枚の紫が縁までふわふわと動いている。袖も手も足も見えない。影は廊下に落ちた日を、するりと抜けるように通った。後から、――


more...

theme : 夏目漱石
genre : 本・雑誌

プロフィール

Author:kinkun
名古屋春栄会のホームページの管理人

カレンダー
09 | 2008/10 | 11
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
カテゴリー
カウンター
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

リンク
ブログ内検索
RSSフィード
Powered By FC2ブログ

Powered By FC2ブログ
ブログやるならFC2ブログ