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2017 / 04
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今日は、寺田寅彦の生まれた日です。

このブログでもいろいろと随筆を紹介している物理学者寺田寅彦は、今から131年前の明治11(1878)年の11月28日に東京で生まれました。

寺田寅彦は、物理学者として活躍するかたわら、数多くの随筆を発表しました。
また、夏目漱石の最も古い弟子の一人で、漱石からは友人として扱われていたといわれています。

今日は、俳人でもあった寺田寅彦が、俳句を題材に漱石を思い出している随筆思い出草」を紹介します。

思い出草』(寺田寅彦



 芭蕉の「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」はあまりに有名で今さら評注を加える余地もないであろうが、やはりいくら味わっても味わい尽くせない句であると思う。これは芭蕉の一生涯の総決算でありレジュメであると同時にまたすべての人間の一生涯のたそがれにおける感慨でなければならない。それはとにかく、自分の子供の時分のことである。義兄に当たる春田居士が夕涼みの縁台で晩酌に親しみながらおおぜいの子供らを相手にいろいろの笑談をして聞かせるのを楽しみとしていた。その笑談の一つの材料として芭蕉のこの辞世の句が選ばれたことを思い出す。それが「旅に病んで」ではなくて「旅で死んで」というエディションになっていた。それを、首を左右にふりながら少し舌の滑動の怪しくなった口調で繰り返し繰り返し詠嘆する。その様子がおかしいので子供はみんな笑いこけたものである。しかし今になって考えてみると、かなり数奇の生涯を体験した政客であり同時に南画家であり漢詩人であった義兄春田居士がこの芭蕉の句を酔いに乗じて詠嘆していたのはあながちに子供らを笑わせるだけの目的ではなかったであろうという気もするのである。そうしてそれを聞いて笑いこけていた当時子供の自分の頭にもこの句のこの変わったエディションが何かしら深い印象を刻んだということも今になって始めて自覚されるようである。



 「落ちざまに虻を伏せたる椿かな」漱石先生の句である。今から三十余年の昔自分の高等学校学生時代に熊本から帰省の途次門司の宿屋である友人と一晩寝ないで語り明かしたときにこの句についてだいぶいろいろ論じ合ったことを記憶している。どんな事を論じたかは覚えていない。ところがこの二三年前、偶然な機会から椿の花が落ちるときにたとえそれが落ち始める時にはうつ向きに落ち始めても空中で回転して仰向きになろうとするような傾向があるらしいことに気がついて、多少これについて観察しまた実験をした結果、やはり実際にそういう傾向のあることを確かめることができた。それで木が高いほどうつ向きに落ちた花よりも仰向きに落ちた花の数の比率が大きいという結果になるのである。しかし低い木だとうつ向きに枝を離れた花は空中で回転する間がないのでそのままにうつ向きに落ちつくのが通例である。この空中反転作用は花冠の特有な形態による空気の抵抗のはたらき方、花の重心の位置、花の慣性能率等によって決定されることはもちろんである。それでもし虻が花の蕊の上にしがみついてそのままに落下すると、虫のために全体の重心がいくらか移動しその結果はいくらかでも上記の反転作用を減ずるようになるであろうと想像される。すなわち虻を伏せやすくなるのである。こんなことは右の句の鑑賞にはたいした関係はないことであろうが、自分はこういう瑣末な物理学的の考察をすることによってこの句の表現する自然現象の現実性が強められ、その印象が濃厚になり、従ってその詩の美しさが高まるような気がするのである。




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今日は今年3回目の13日の金曜日です。

13日の金曜日は、年に必ず1回はあるそうで、今年(2009年)は、2月、3月、11月の3回あります。
また、13日の金曜日を不吉な日とするのは、イギリスアメリカなどの英語圏の国ドイツぐらいなようです。
13日の金曜日が不吉な日とされたのは、最後の晩餐に参加したのが13人であったことから、13が不吉な数とされたことと、キリストが磔刑になったのが金曜日であったことから、金曜日も不吉な日とされたことが、合体したという説が有力なようです。

今日は、不吉な金曜日についての寺田寅彦の随筆を紹介します。
ちなみに、文中に出てくる“ノトリアス”は、英語notoriousのことで、この場合“悪名高い”と訳すのが適切だと思います。

金曜日」(寺田寅彦)〔『時事雑感』から〕

 総理大臣が乱暴な若者に狙撃された。それが金曜日であった。前にある首相が同じ駅で刺されたのが金曜日、その以前に某が殺されたのも金曜日であった。不思議な暗合であるというような話がもてはやされたようである。実際そう言われればだれでもちょっと不思議な気がしないわけには行かないであろう。
 ある特定の事がらが三回相互に無関係に起こるとする。そうしてそのおのおのが七曜日のいずれに起こる確率も均等であると仮定すれば、三度続けて金曜日に起こるという確率は七分の一の三乗すなわち三百四十三分の一である。しかしこれはまた、木曜が三度来る確率とも同じであり、また任意の他の組み合わせたとえば、「木金土」、「月水金」……となるのとも同じである。しかしもしこれがたとえば木金土という組み合わせで起こったとしたら、だれも不思議ともなんとも思わないであろう。それだのに、同じ珍しさの「金金金」を人は何ゆえ不思議がるであろうか。
 三百四十三の場合の中で「同じ」名前の三つ続く場合は七種、これに対して「三つとも同じではない」場合が三百三十六種、従って二つの場合の種別数の比は一対四十八である。人々の不思議はこの対比から来ることは明らかである。
 三つ同じという場合だけを特に取り出して一方に祭り上げ、同じでないというのを十把ひとからげに安く踏んで同じ所へ押し込んでしまうということは、抽象的な立場からは無意味であるにかかわらず人間的な立場からはいろいろの深い意味があるように思われる。これを少し突っ込んで考えて行くとずいぶん重大な問題に触れて来るようである。しかし今それをここで取り扱おうというのではない。
 現在の「金曜三つ」の場合でも、人々は通例同様の事件でしかも金曜以外の日に起こったのは、はじめから捨ててしまって問題にしないのである。そうして金曜に起こったのだけを拾い出して並べて不思議がるのが通例である。この点が科学者の目で見た時に少しおかしく思われるのである。今度の場合が偶然ノトリアスに有名な「金曜」すなわち耶蘇の「金曜」であったので、それで、「曜」が問題になり、前の首相の場合を当たってみると、それがちょうどまた金曜であった。そうして過去の中からもう一つの「金曜」が拾い出されたというのが、実際の過程であろう。




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今日も、また猛暑日

今日も名古屋酷暑日(猛暑日)です。
これだけ暑いと風鈴の音も暑く感じられてしまいます。

今日は、寺田寅彦の随筆「涼味数題」の最終回。
寺田は、『暑さがなければ涼しさはない』と言います。そして、義理人情暑さに、自由涼しさに例え、『義理人情で苦しんだ人にのみ自由の涼風が訪れるのである』と言っています。
また、自由について、『自由はわがままや自我の押し売りとはちがう。自然と人間の方則に服従しつつ自然と人間を支配してこそほんとうの自由が得られるであろう』と述べています。

涼味数題』(寺田寅彦) 〔下〕

「涼しい顔」というものがある。たとえば収賄の嫌疑で予審中でありながら○○議員の候補に立つ人や、それをまた最も優良なる候補者として推薦する町内の有志などの顔がそれである。しかしまた俗流の毀誉を超越して所信を断行している高士の顔も涼しかりそうである。しかしこの二つの顔の区別はなかなかわかりにくいようである。また、少し感の悪いうっかり者が、とんでもない失策を演じながら当人はそれと気がつかずに太平楽な顔をしているのも、やはり涼しい顔の一種に数えられるようである。これなどは愛嬌のあるほうである。自分なども時々だいじな会議の日を忘れて遊びに出たり、受け持ちの講義の時間を忘れてすきな仕事に没頭していたり、だいじな知人の婚礼の宴会を忘れていて電話で呼び出されたりして、大いに恥じ入ることがあるが、しかたがないからなるべく平気なような顔をしている。これも人から見れば涼しい顔に見えるであろう。
 友人の話であるが、百貨店の食堂へはいって食卓を見回し、だれかの食い残した皿が見つかると、そこへゆうゆうとすわり込んで、残肴をきれいに食ってしまって、そうして、ニコニコしながら帰って行くという人もあるそうである。これもだいぶ涼しいほうの部類であろう。
 義理人情の着物を脱ぎ捨て、毀誉褒貶の圏外へ飛び出せばこの世は涼しいにちがいない。この点では禅僧と収賄議員との間にもいくらか相通ずるものがあるかもしれない。
 いろいろなイズムも夏は暑苦しい。少なくも夏だけは「自由」の涼しさがほしいものである。「風流」は心の風通しのよい自由さを意味する言葉で、また心の涼しさを現わす言葉である。南画などの涼味もまたこの自由から生まれるであろう。
 風鈴の音の涼しさも、一つには風鈴が風に従って鳴る自由さから来る。あれが器械仕掛けでメトロノームのようにきちょうめんに鳴るのではちっとも涼しくはないであろう。また、がむしゃらに打ちふるのでは号外屋の鈴か、ヒトラーの独裁政治のようなものになる。自由はわがままや自我の押し売りとはちがう。自然と人間の方則に服従しつつ自然と人間を支配してこそほんとうの自由が得られるであろう。
 暑さがなければ涼しさはない。窮屈な羈絆の暑さのない所には自由の涼しさもあるはずはない。一日汗水たらして働いた後にのみ浴後の涼味の真諦が味わわれ、義理人情で苦しんだ人にのみ自由の涼風が訪れるのである。
 涼味の話がつい暑苦しくなった。
 きょう、偶然ことし流行の染織品の展覧会というのをのぞいた。近代の夏の衣装の染織には、どうも一般に涼しさが欠乏しているのではないかと思う。しかし大通りでないその裏通りの呉服屋などの店先には、時たま純日本的に涼しい品を見かけることがある。江戸時代から明治時代にかけての涼味が、まだ東京の片すみのどこかに少しは残っているものと見える。



クールビズとは言ってもやはり、寺田が言うように、『近代の夏の衣装の染織には、どうも一般に涼しさが欠乏しているのではないか』と思えてなりません。



今日は、再び猛暑日

今日の名古屋は、立秋というのに酷暑日(猛暑日)に逆戻りです。

今日は、寺田寅彦の随筆「涼味数題」の2回目。
寺田は、涼しさについて、『われわれ日本人のいわゆる「涼しさ」はどうも日本の特産物ではないかという気がする』と言い、『少なくも日本の俳句や歌に現われた「涼しさ」はやはり日本の特産物で、そうして日本人だけの感じうる特殊な微妙な感覚ではないかという気がする』と語っています。
そして、涼しさだけでなく、日本人の気候に対する感覚は、『東京ロンドン間を一昼夜に往復できるようになっても』、『いつのまにか俳諧の季題になってしまう』と結論付けています。

涼味数題』(寺田寅彦) 〔中〕

 われわれ日本人のいわゆる「涼しさ」はどうも日本の特産物ではないかという気がする。シナのような大陸にも「涼」の字はあるが日本の「すずしさ」と同じものかどうか疑わしい。ほんのわずかな経験ではあるが、シンガポールやコロンボでは涼しさらしいものには一度も出会わなかった。ダージリンは知らないがヒマラヤはただ寒いだけであろう。暑さのない所には涼しさはないから、ドイツやイギリスなどでも涼しさにはついぞお目にかからなかった。ナイアガラ見物の際に雨合羽を着せられて滝壺におりたときは、暑い日であったがふるえ上がるほど「つめたかった」だけで涼しいとはいわれなかった。
 少なくも日本の俳句や歌に現われた「涼しさ」はやはり日本の特産物で、そうして日本人だけの感じうる特殊な微妙な感覚ではないかという気がする。単に気がするだけではなくて、そう思わせるだけの根拠がいくらかないでもない。それは、日本という国土が気候学的、地理学的によほど特殊な位地にあるからである。日本の本土はだいたいにおいて温帯に位していて、そうして細長い島国の両側に大海とその海流を控え、陸上には脊梁山脈がそびえている。そうして欧米には無い特別のモンスーンの影響を受けている。これだけの条件をそのままに全部具備した国土は日本のほかにはどこにもないはずである。それで、もしもいわゆる純日本的のすずしさが、この条件の寄り集まって生ずる産物であるということが証明されれば、問題は決定されるわけであるが、遺憾ながらまだだれもそこまで研究をした人はないようである。しかし「涼しさは暑さとつめたさとが適当なる時間的空間的週期をもって交代する時に生ずる感覚である」という自己流の定義が正しいと仮定すると、日本における上述の気候学的地理学的条件は、まさにかくのごとき週期的変化の生成に最もふさわしいものだといってもたいした不合理な空想ではあるまいかと思うのである。
 同じことはいろいろな他の気候的感覚についてもいわれそうである。俳句の季題の「おぼろ」「花の雨」「薫風」「初あらし」「秋雨」「村しぐれ」などを外国語に翻訳できるにはできても、これらのものの純日本的感覚は到底翻訳できるはずのものではない。
 数千年来このような純日本的気候感覚の骨身にしみ込んだ日本人が、これらのものをふり捨てようとしてもなかなか容易にはふりすてられないのである。昔から時々入り込んで来たシナやインドの文化でも宗教でも、いつのまにか俳諧の季題になってしまう。涼しさを知らない大陸のいろいろな思想が、一時ははやっても、一世紀たたないうちに同化されて同じ夕顔棚の下涼みをするようになりはしないかという気がする。いかに交通が便利になって、東京ロンドン間を一昼夜に往復できるようになっても、日本の国土を気候的地理的に改造することは当分むつかしいからである。ジャズや弁証法的唯物論のはやる都会でも、朝顔の鉢はオフィスの窓に、プロレタリアの縁側に涼風を呼んでいるのである。
 この日本的の涼しさを、最も端的に表現する文学はやはり俳句にしくものはない。詩形そのものからが涼しいのである。試みに座右の漱石句集から若干句を抜いてみる。

顔にふるる芭蕉涼しや籐の寝椅子
涼しさや蚊帳の中より和歌の浦
水盤に雲呼ぶ石の影涼し
夕立や蟹這い上る簀の子縁
したたりは歯朶に飛び散る清水かな
満潮や涼んでおれば月が出る



寺田が言うように、『数千年来このような純日本的気候感覚の骨身にしみ込んだ日本人』には、『これらのものをふり捨てようとしてもなかなか容易にはふりすてられない』ので、立秋と聞いただけで何となく涼しく感じてしまうのかもしれません。



今日は雷雨があったので、少し涼しいです。

名古屋では、昼過ぎから雷雨があったので、昨日までに比べ少し涼しい夕方でした。

今日から寺田寅彦の随筆「涼味数題」を紹介します。
やはり、寺田は、真夏に涼しさを見つける天才です。
寺田に言わせると、夕立の後の一滴の水滴海岸で食べた豆腐涼しい思い出になるだけでなく、何と、納涼場で食べた熱いぜんざいまでも涼しい思い出になってしまいます。

涼味数題』(寺田寅彦) 〔上〕

 涼しさは瞬間の感覚である。持続すれば寒さに変わってしまう。そのせいでもあろうか、暑さや寒さの記憶に比べて涼しさの記憶はどうもいったいに希薄なように思われる。それはとにかく、過去の記憶の中から涼しさの標本を拾い出そうとしても、なかなか容易に思い出せない。そのわずかな標本の中で、最も古いのには次のようなものがある。
 幼い時のことである。横浜であったか、神戸であったか、それすらはっきりしないが、とにかくそういう港町の宿屋に、両親に伴なわれてたった一晩泊まったその夜のことであったらしい。宿屋の二階の縁側にその時代にはまだ珍しい白いペンキ塗りの欄干があって、その下は中庭で樹木がこんもり茂っていた。その木々の葉が夕立にでも洗われたあとであったか、一面に水を含み、そのしずくの一滴ごとに二階の燈火が映じていた。あたりはしんとして静かな闇の中に、どこかでくつわ虫が鳴きしきっていた。そういう光景がかなりはっきり記憶に残っているが、その前後の事がらは全く消えてしまっている。ことによると夢であったかもしれないと思われるほどおぼつかない記憶である。この、それ自身にははなはだ平凡な光景を思い出すと、いつでも涼風が胸に満ちるような気がするのである。なぜだかわからない。こんな平凡な景色の記憶がこんなに鮮明に残っているには、何かわけがあったに相違ないが、そのわけはもう詮索する手づるがなくなってしまっている。
 中学時代に友人二三人と小舟をこいで浦戸湾内を遊び回ったある日のことである。昼食時に桂浜へ上がって、豆腐を二三丁買って来て醤油をかけてむしゃむしゃ食った。その豆腐が、たぶん井戸にでもつけてあったのであろう、歯にしみるほど冷たかった。炎天に舟をこぎ回って咽喉がかわいていたためか、その豆腐が実に涼しさのかたまりのように思われた。
 熱い食物で涼しいものもある。小学時代に、夏が来ると南磧に納涼場が開かれて、河原の砂原に葦簾張りの氷店や売店が並び、また蓆囲いの見世物小屋がその間に高くそびえていた。昼間見ると乞食王国の首都かと思うほどきたないながめであったが、夜目にはそれがいかにも涼しげに見えた。父は長い年月熊本に勤めていた留守で、母と祖母と自分と三人だけで暮らしていたころの事である。一夏に一度か二度かは母に連れられて、この南磧の涼みに出かけた。手品か軽業か足芸のようなものを見て、帰りに葦簾張りの店へはいって氷水を飲むか、あるいは熱い「ぜんざい」を食った。この熱いぜんざいが妙に涼しいものであった。店とはいっても葦簾囲いの中に縁台が四つ五つぐらい河原の砂利の上に並べてあるだけで、天井は星の降る夜空である。それが雨のあとなどだと、店内の片すみへ川が侵入して来ていて、清冽な鏡川の水がさざ波を立てて流れていた。電燈もアセチリンもない時代で、カンテラがせいぜいで石油ランプの照明しかなかったがガラスのナンキン玉をつらねた水色のすだれやあかい提燈などを掛けつらねた露店の店飾りはやはり涼しいものであった。近年東京会館の屋上庭園などで涼みながら銀座へんのネオンサインの照明を見おろしているときに、ふいとこの幼時の南磧の納涼場の記憶がよみがえって来て、そうしてあの熱い田舎ぜんざいの水っぽい甘さを思い出すと同時になき母のまだ若かった昔の日を思い浮かべることもある。この磧の涼味にはやはり母の慈愛が加味されていたようである。
 高知も夕なぎの顕著なところで正常な天気の日には夜中にならなければ陸軟風が吹きださない。それに比べると東京の夏は涼風に恵まれている。ずっと昔のことであるが、日本各地の風の日変化の模様を統計的に調べてみたことがある。この結果によると、太平洋岸や瀬戸内海沿岸の多くの場所では、いわゆる陸軟風と季節的な主風とが相殺するために、夕なぎの時間が延長されるのであるが、東京では、特殊な地形的関係のおかげでこの相殺作用が成立しない。そのために、正常な天候でさえあれば、夕方の涼風を存分に発達させているということがわかったのであった。それはとにかく、こういう意味で、夕風の涼しさは東京名物の一つであろう。夕食後風呂を浴びて無帽の浴衣がけで神田上野あたりの大通りを吹き抜ける涼風に吹かれることを考えると、暑い汽車に乗って暑い夕なぎをわざわざ追いかけて海岸などへ出かける気になりかねるのである。
 もっとも、東京でも蒸し暑い夜の続く年もある。二十余年の昔、小石川の仮り住まいの狭い庭へたらいを二つ出してその間に張り板の橋をかけ、その上に横臥して風の出るのを待った夜もあった。あまり暑いので耳たぶへ水をつけたり、ぬれ手ぬぐいで臑や、ふくらはぎや、足のうらを冷却したりする安直な納涼法の研究をしたこともあった。しかし近年は裏の藤棚の下の井戸水を頭へじゃぶじゃぶかけるだけで納涼の目的を達するという簡便法を採用するようになった。年寄りの冷や水も夏は涼しい。



寺田が『年寄りの冷や水も夏は涼しい』と語る頭に水をかけるという納涼法は、エコなだけでなく熱中症対策としても、なかなか良い方法かもしれません。



kinkun

Author:kinkun
名古屋春栄会のホームページの管理人

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