2011/08/24 22:20:53
あの人のモデルだそうです。
アントニ・ファン・レーウェンフック〔Antoni van Leeuwenhoek〕は、オランダの科学者で、歴史上はじめて顕微鏡を使って微生物を観察したとされ、“微生物学の父”と呼ばれています。
彼は、織物業を営みながら、ひたすら自作の顕微鏡で小さな世界を観察し続けたそうです。
そして、彼は、ヨハネス・フェルメール〔Johannes Vermeer〕の2つの作品『天文学者』と『地理学者』のモデルとされています。
レーフェンフックが、フェルメールの死後、彼の遺産管財人になったことからもわかるように、フェルメールと親交があったこと、年齢、容貌ともに似ていること、この2点がその根拠だそうです。
この『地理学者』は、現在、豊田市美術館に展示されています。
明日、夏休みを取って、この人に会いに行く予定です。
アントニ・ファン・レーウェンフック〔Antoni van Leeuwenhoek〕は、オランダの科学者で、歴史上はじめて顕微鏡を使って微生物を観察したとされ、“微生物学の父”と呼ばれています。
彼は、織物業を営みながら、ひたすら自作の顕微鏡で小さな世界を観察し続けたそうです。
そして、彼は、ヨハネス・フェルメール〔Johannes Vermeer〕の2つの作品『天文学者』と『地理学者』のモデルとされています。
レーフェンフックが、フェルメールの死後、彼の遺産管財人になったことからもわかるように、フェルメールと親交があったこと、年齢、容貌ともに似ていること、この2点がその根拠だそうです。
この『地理学者』は、現在、豊田市美術館に展示されています。
明日、夏休みを取って、この人に会いに行く予定です。
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2010/11/01 23:20:02
今日は、ラジオ体操の始まった日だそうです。
私などは、ラジオ体操というと夏休みのものと思ってしまいますが、ラジオ体操が始まったのは昭和3(1928)年の今日〔11月1日〕だそうです。
ラジオ体操は、大正14(1925)年3月にアメリカで始まったメトロポリタン生命保険会社によるものが最初だそうで、この体操を参考に昭和2(1927)年8月に逓信省簡易保険局が日本でのラジオ体操の実施を決定したとのことです。
翌昭和3(1928)年9月に、簡易保険局と日本放送協会、文部省などが、ラジオ体操第一を制定し、11月1日朝7時から、NHK東京中央放送局が放送したのが最初だそうです。
あくる年の昭和4(1929)年2月から全国放送となったとのこと。
※ラジオ体操の歴史:http://www.jp-life.japanpost.jp/health/radio/hlt_rdo_history.html(かんぽ生命のサイトから)
なお、現在のラジオ体操第一の音楽は3代目とのこと。
ちなみに、“新しい朝が来た 希望の朝だ”で始まるオープニングテーマ・『ラジオ体操の歌』(作詞:藤浦洸、作曲:藤山一郎)も3代目だそうです。
※現在のラジオ体操第一の音楽:http://www.youtube.com/watch?v=FvP4VbBCTyg(YouTubeから)
※現在のオープニングテーマ・『ラジオ体操の歌』:http://www.youtube.com/watch?v=Flz3JWA1o8Q(YouTubeから)
初代のラジオ体操第一の音楽には、後に歌詞も付けられたそうです。
『朝日を浴びて ラヂオ体操の歌』(作詞:武内俊子、作曲:福井直秋)
1 朝風そよそよ ラヂオは響く一、二、三
大人も子供も 輝く太陽仰いで
今 光と大気に
湧き漲る 血潮よ
銃後の護りだ われ等の身体鍛へん
2 元気は溌剌 ラヂオは響く街々
延せよ双手を 勢ひ高く打ち振れ
それ 精神も朗らか
湧き漲る 力よ
興亜の剣だ われ等の腕を固めん
3 草木も明るく ラヂオは響く村々
利鎌を持つ手に 斧振る腕にあはせて
胸 そらせよ 羽ばたけ
湧き漲る 希望よ
みどりの大地だ われ等の国を強めん
4 晴れゆく海原 ラヂオは響く浦々
潮風白波 獲物は躍る舟端
いざ 挙りて 漕ぎ出せ
湧き漲る 歓喜よ
万里の波濤に われ等の意気を試さん
作詞の武内俊子〔明治38(1905)年9月10日~昭和20(1945)年4月7日〕は、広島県出身の童謡詩人、童話作家です。
代表作は、河村光陽の作曲、河村順子の歌で大ヒットした「かもめの水兵さん」〔昭和12(1937)年〕です。
作曲の福井直秋〔明治10(1877)年10月17日~昭和38(1963)年12月12日〕は富山県出身の作曲家です。
昭和4(1929)年に武蔵野音楽大学の前身にあたる武蔵野音楽学校を創設し、昭和24(1949)年、武蔵野音楽大学の初代学長に就任しました。
※『朝日を浴びて ラヂオ体操の歌』:http://www.youtube.com/watch?v=Q1nnO7s3kgk(YouTubeから)
ラジオ体操のためにNHKに採用されたという元軍人の江木理一アナウンサーの威勢のいい号令が時代を感じさせます。
私などは、ラジオ体操というと夏休みのものと思ってしまいますが、ラジオ体操が始まったのは昭和3(1928)年の今日〔11月1日〕だそうです。
ラジオ体操は、大正14(1925)年3月にアメリカで始まったメトロポリタン生命保険会社によるものが最初だそうで、この体操を参考に昭和2(1927)年8月に逓信省簡易保険局が日本でのラジオ体操の実施を決定したとのことです。
翌昭和3(1928)年9月に、簡易保険局と日本放送協会、文部省などが、ラジオ体操第一を制定し、11月1日朝7時から、NHK東京中央放送局が放送したのが最初だそうです。
あくる年の昭和4(1929)年2月から全国放送となったとのこと。
※ラジオ体操の歴史:http://www.jp-life.japanpost.jp/health/radio/hlt_rdo_history.html(かんぽ生命のサイトから)
なお、現在のラジオ体操第一の音楽は3代目とのこと。
ちなみに、“新しい朝が来た 希望の朝だ”で始まるオープニングテーマ・『ラジオ体操の歌』(作詞:藤浦洸、作曲:藤山一郎)も3代目だそうです。
※現在のラジオ体操第一の音楽:http://www.youtube.com/watch?v=FvP4VbBCTyg(YouTubeから)
※現在のオープニングテーマ・『ラジオ体操の歌』:http://www.youtube.com/watch?v=Flz3JWA1o8Q(YouTubeから)
初代のラジオ体操第一の音楽には、後に歌詞も付けられたそうです。
『朝日を浴びて ラヂオ体操の歌』(作詞:武内俊子、作曲:福井直秋)
1 朝風そよそよ ラヂオは響く一、二、三
大人も子供も 輝く太陽仰いで
今 光と大気に
湧き漲る 血潮よ
銃後の護りだ われ等の身体鍛へん
2 元気は溌剌 ラヂオは響く街々
延せよ双手を 勢ひ高く打ち振れ
それ 精神も朗らか
湧き漲る 力よ
興亜の剣だ われ等の腕を固めん
3 草木も明るく ラヂオは響く村々
利鎌を持つ手に 斧振る腕にあはせて
胸 そらせよ 羽ばたけ
湧き漲る 希望よ
みどりの大地だ われ等の国を強めん
4 晴れゆく海原 ラヂオは響く浦々
潮風白波 獲物は躍る舟端
いざ 挙りて 漕ぎ出せ
湧き漲る 歓喜よ
万里の波濤に われ等の意気を試さん
作詞の武内俊子〔明治38(1905)年9月10日~昭和20(1945)年4月7日〕は、広島県出身の童謡詩人、童話作家です。
代表作は、河村光陽の作曲、河村順子の歌で大ヒットした「かもめの水兵さん」〔昭和12(1937)年〕です。
作曲の福井直秋〔明治10(1877)年10月17日~昭和38(1963)年12月12日〕は富山県出身の作曲家です。
昭和4(1929)年に武蔵野音楽大学の前身にあたる武蔵野音楽学校を創設し、昭和24(1949)年、武蔵野音楽大学の初代学長に就任しました。
※『朝日を浴びて ラヂオ体操の歌』:http://www.youtube.com/watch?v=Q1nnO7s3kgk(YouTubeから)
ラジオ体操のためにNHKに採用されたという元軍人の江木理一アナウンサーの威勢のいい号令が時代を感じさせます。
2009/10/16 23:10:47
今日は、マリー・アントワネットが処刑された日です。
1793年10月16日、既に王政が廃止されていたため、元王妃となっていたマリー・アントワネット(Marie Antoinette)が、パリのコンコルド広場で断頭台の露と消えました。37歳でした。
処刑の前日、「犯罪者にとって死刑は恥ずべきものだが、無実の罪で断頭台に送られるなら恥ずべきものではない」という遺書を書き残しています。
われわれの世代だとやはりマリー・アントワネットといえば、「ベルサイユのばら」(池田理代子)です(年がわかりますが…)。
※池田理代子さんの公式サイト:http://www.ikeda-riyoko-pro.com/
社会現象にまでなった宝塚歌劇団によるミュージカル化で、初代のマリー・アントワネット役を務めた初風諄さんの美しさも忘れられません。
※宝塚歌劇団公式サイト:http://kageki.hankyu.co.jp/
1793年10月16日、既に王政が廃止されていたため、元王妃となっていたマリー・アントワネット(Marie Antoinette)が、パリのコンコルド広場で断頭台の露と消えました。37歳でした。
処刑の前日、「犯罪者にとって死刑は恥ずべきものだが、無実の罪で断頭台に送られるなら恥ずべきものではない」という遺書を書き残しています。
われわれの世代だとやはりマリー・アントワネットといえば、「ベルサイユのばら」(池田理代子)です(年がわかりますが…)。
※池田理代子さんの公式サイト:http://www.ikeda-riyoko-pro.com/
社会現象にまでなった宝塚歌劇団によるミュージカル化で、初代のマリー・アントワネット役を務めた初風諄さんの美しさも忘れられません。
※宝塚歌劇団公式サイト:http://kageki.hankyu.co.jp/
2008/12/16 23:58:06
日本橋に白木屋という百貨店がありました。
昭和7(1932)年の12月16日、百貨店の白木屋で火災が発生しました。この火事は、日本初の高層建築火災と言われているそうです。
この日の午前9時15分頃に4階の玩具売り場で火災が発生し、地下2階、地上8階の建物の4階から8階までを全焼して午後12時過ぎに鎮火しました。
この火事で、逃げ遅れた客や店員ら14人が死亡、500人余りが重軽傷を負い、わが国都市災害史に残る大火災となりました。
この日の白木屋は歳末大売出しとクリスマスセールが重なり、店内は華やかな飾りつけがなされており、開店前の点検でクリスマスツリーの豆電球の故障を発見し、開店直後に男性社員が修理しようとした時、スパークによる火花が飛び散り、クリスマスツリーの金モールに着火し、山積にされたセルロイド人形やおもちゃに燃え移り瞬く間に猛烈な火炎をあげたとのことです。
この社員は消火活動をしているうちに煙に巻き込まれて死亡し、火はエレベータや階段が煙突の役割をして4階から最上階の8階までが猛煙に包まれました。
消防隊は、ポンプ車29台、ハシゴ車3台などを出動させて消火活動にあたったものの、ハシゴ車は4階までしか届かず、ポンプも送水圧力が上がらないため4階以上への放水はできなかったので、パニックに陥った客や店員が雨樋や国旗の綱などを使って降りようとし、途中で転落して死亡しました。
しかし、逃げ遅れ屋上や各階のベランダに避難していた約400名は、消防隊により救助されました。
今日は、この火災を題材に寺田寅彦が火事の翌月に発表した『火事教育』という随筆を紹介します。
『火事教育』(寺田寅彦)
旧臘押し詰まっての白木屋の火事は日本の火災史にちょっと類例のない新記録を残した。犠牲は大きかったがこの災厄が東京市民に与えた教訓もまたはなはだ貴重なものである。しかしせっかくの教訓も肝心な市民の耳に入らず、また心にしみなければあれだけの犠牲は全くなんの役にも立たずに煙になってしまったことになるであろう。今度の火災については消防方面の当局者はもちろん、建築家、百貨店経営者等直接利害を感ずる人々の側ではすぐに徹底的の調査研究に着手して取りあえず災害予防方法を講究しておられるようであるが、何よりもいちばんだいじと思われる市民の火災訓練のほうがいかなる方法によってどれだけの程度にできるであろうかという問題についてはほとんどだれにも見当さえつかないように見える。
白木屋の火事の場合における消防当局の措置は、あの場合としては、事情の許す範囲内で最善を尽くされたもののように見える。それが事件の直前にちょうどこの百貨店で火災時の消防予行演習が行なわれていたためもあっていっそうの効力を発揮したようであるが、あの際もしもあの建物の中で遭難した人らにもう少し火災に関する一般的科学知識が普及しており、そうして避難方法に関する平素の訓練がもう少し行き届いていたならば少なくも死傷者の数を実際あったよりも著しく減ずることができたであろうという事はだれしも異論のないことであろうと思われる。そうしてまた実に驚くべく非科学的なる市民、逆上したる街頭の市民傍観者のある者が、物理学も生理学もいっさい無視した五階飛び降りを激励するようなことがなかったら、あたら美しい青春の花のつぼみを舗道の石畳に散らすような惨事もなくて済んだであろう。このようにして、白昼帝都のまん中で衆人環視の中に行なわれた殺人事件は不思議にも司直の追求を受けずまた市人の何人もこれをとがむることなしにそのままに忘却の闇に葬られてしまった。実に不可解な現象と言わなければなるまい。
昭和7(1932)年の12月16日、百貨店の白木屋で火災が発生しました。この火事は、日本初の高層建築火災と言われているそうです。
この日の午前9時15分頃に4階の玩具売り場で火災が発生し、地下2階、地上8階の建物の4階から8階までを全焼して午後12時過ぎに鎮火しました。
この火事で、逃げ遅れた客や店員ら14人が死亡、500人余りが重軽傷を負い、わが国都市災害史に残る大火災となりました。
この日の白木屋は歳末大売出しとクリスマスセールが重なり、店内は華やかな飾りつけがなされており、開店前の点検でクリスマスツリーの豆電球の故障を発見し、開店直後に男性社員が修理しようとした時、スパークによる火花が飛び散り、クリスマスツリーの金モールに着火し、山積にされたセルロイド人形やおもちゃに燃え移り瞬く間に猛烈な火炎をあげたとのことです。
この社員は消火活動をしているうちに煙に巻き込まれて死亡し、火はエレベータや階段が煙突の役割をして4階から最上階の8階までが猛煙に包まれました。
消防隊は、ポンプ車29台、ハシゴ車3台などを出動させて消火活動にあたったものの、ハシゴ車は4階までしか届かず、ポンプも送水圧力が上がらないため4階以上への放水はできなかったので、パニックに陥った客や店員が雨樋や国旗の綱などを使って降りようとし、途中で転落して死亡しました。
しかし、逃げ遅れ屋上や各階のベランダに避難していた約400名は、消防隊により救助されました。
今日は、この火災を題材に寺田寅彦が火事の翌月に発表した『火事教育』という随筆を紹介します。
『火事教育』(寺田寅彦)
旧臘押し詰まっての白木屋の火事は日本の火災史にちょっと類例のない新記録を残した。犠牲は大きかったがこの災厄が東京市民に与えた教訓もまたはなはだ貴重なものである。しかしせっかくの教訓も肝心な市民の耳に入らず、また心にしみなければあれだけの犠牲は全くなんの役にも立たずに煙になってしまったことになるであろう。今度の火災については消防方面の当局者はもちろん、建築家、百貨店経営者等直接利害を感ずる人々の側ではすぐに徹底的の調査研究に着手して取りあえず災害予防方法を講究しておられるようであるが、何よりもいちばんだいじと思われる市民の火災訓練のほうがいかなる方法によってどれだけの程度にできるであろうかという問題についてはほとんどだれにも見当さえつかないように見える。
白木屋の火事の場合における消防当局の措置は、あの場合としては、事情の許す範囲内で最善を尽くされたもののように見える。それが事件の直前にちょうどこの百貨店で火災時の消防予行演習が行なわれていたためもあっていっそうの効力を発揮したようであるが、あの際もしもあの建物の中で遭難した人らにもう少し火災に関する一般的科学知識が普及しており、そうして避難方法に関する平素の訓練がもう少し行き届いていたならば少なくも死傷者の数を実際あったよりも著しく減ずることができたであろうという事はだれしも異論のないことであろうと思われる。そうしてまた実に驚くべく非科学的なる市民、逆上したる街頭の市民傍観者のある者が、物理学も生理学もいっさい無視した五階飛び降りを激励するようなことがなかったら、あたら美しい青春の花のつぼみを舗道の石畳に散らすような惨事もなくて済んだであろう。このようにして、白昼帝都のまん中で衆人環視の中に行なわれた殺人事件は不思議にも司直の追求を受けずまた市人の何人もこれをとがむることなしにそのままに忘却の闇に葬られてしまった。実に不可解な現象と言わなければなるまい。
2008/08/28 20:35:57
今日は、ワシントン大行進の日です。
今から45年前の1963年8月28日、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King, Jr)らによって、人種差別撤廃を求める運動の一環としてワシントン大行進(The March on Washington for Jobs and Freedom)が行われ、20万人以上が参加しました。
その行進の途中で、キング牧師は有名な「I Have a Dream」の演説を行います。
この演説は、即興で行われたとのことですが、“I have a dream”のフレーズを何度も繰り返して、人種平等社会の実現を訴えた20世紀アメリカを代表する名演説として知られています。
また、口に出して読んでみると、“I have a dream”のフレーズの繰り返しが、独特のリズムを生んでいることにも気付かされます。
今日は、この演説の全文を紹介します。
I Have a Dream
(Delivered on the steps at the Lincoln Memorial in Washington D.C. on August 28, 1963)
Five score years ago, a great American, in whose symbolic shadow we stand signed the Emancipation Proclamation. This momentous decree came as a great beacon light of hope to millions of Negro slaves who had been seared in the flames of withering injustice. It came as a joyous daybreak to end the long night of captivity.
But one hundred years later, we must face the tragic fact that the Negro is still not free. One hundred years later, the life of the Negro is still sadly crippled by the manacles of segregation and the chains of discrimination. One hundred years later, the Negro lives on a lonely island of poverty in the midst of a vast ocean of material prosperity. One hundred years later, the Negro is still languishing in the corners of American society and finds himself an exile in his own land. So we have come here today to dramatize an appalling condition.
In a sense we have come to our nation's capital to cash a check. When the architects of our republic wrote the magnificent words of the Constitution and the declaration of Independence, they were signing a promissory note to which every American was to fall heir. This note was a promise that all men would be guaranteed the inalienable rights of life, liberty, and the pursuit of happiness.
It is obvious today that America has defaulted on this promissory note insofar as her citizens of color are concerned. Instead of honoring this sacred obligation, America has given the Negro people a bad check which has come back marked "insufficient funds." But we refuse to believe that the bank of justice is bankrupt. We refuse to believe that there are insufficient funds in the great vaults of opportunity of this nation. So we have come to cash this check -- a check that will give us upon demand the riches of freedom and the security of justice. We have also come to this hallowed spot to remind America of the fierce urgency of now. This is no time to engage in the luxury of cooling off or to take the tranquilizing drug of gradualism. Now is the time to rise from the dark and desolate valley of segregation to the sunlit path of racial justice. Now is the time to open the doors of opportunity to all of God's children. Now is the time to lift our nation from the quicksands of racial injustice to the solid rock of brotherhood.
今から45年前の1963年8月28日、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King, Jr)らによって、人種差別撤廃を求める運動の一環としてワシントン大行進(The March on Washington for Jobs and Freedom)が行われ、20万人以上が参加しました。
その行進の途中で、キング牧師は有名な「I Have a Dream」の演説を行います。
この演説は、即興で行われたとのことですが、“I have a dream”のフレーズを何度も繰り返して、人種平等社会の実現を訴えた20世紀アメリカを代表する名演説として知られています。
また、口に出して読んでみると、“I have a dream”のフレーズの繰り返しが、独特のリズムを生んでいることにも気付かされます。
今日は、この演説の全文を紹介します。
I Have a Dream
(Delivered on the steps at the Lincoln Memorial in Washington D.C. on August 28, 1963)
Five score years ago, a great American, in whose symbolic shadow we stand signed the Emancipation Proclamation. This momentous decree came as a great beacon light of hope to millions of Negro slaves who had been seared in the flames of withering injustice. It came as a joyous daybreak to end the long night of captivity.
But one hundred years later, we must face the tragic fact that the Negro is still not free. One hundred years later, the life of the Negro is still sadly crippled by the manacles of segregation and the chains of discrimination. One hundred years later, the Negro lives on a lonely island of poverty in the midst of a vast ocean of material prosperity. One hundred years later, the Negro is still languishing in the corners of American society and finds himself an exile in his own land. So we have come here today to dramatize an appalling condition.
In a sense we have come to our nation's capital to cash a check. When the architects of our republic wrote the magnificent words of the Constitution and the declaration of Independence, they were signing a promissory note to which every American was to fall heir. This note was a promise that all men would be guaranteed the inalienable rights of life, liberty, and the pursuit of happiness.
It is obvious today that America has defaulted on this promissory note insofar as her citizens of color are concerned. Instead of honoring this sacred obligation, America has given the Negro people a bad check which has come back marked "insufficient funds." But we refuse to believe that the bank of justice is bankrupt. We refuse to believe that there are insufficient funds in the great vaults of opportunity of this nation. So we have come to cash this check -- a check that will give us upon demand the riches of freedom and the security of justice. We have also come to this hallowed spot to remind America of the fierce urgency of now. This is no time to engage in the luxury of cooling off or to take the tranquilizing drug of gradualism. Now is the time to rise from the dark and desolate valley of segregation to the sunlit path of racial justice. Now is the time to open the doors of opportunity to all of God's children. Now is the time to lift our nation from the quicksands of racial injustice to the solid rock of brotherhood.