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二つの遺跡を訪ねました。

先月26日の平泉訪問を紹介する5回目です。

毛越寺2011年8月10日の日記参照)の隣には、観自在王院跡が広がっています。

観自在王院跡201107_01
[2011年7月26日(火)撮影]

観自在王院は、奥州藤原氏二代基衡が建立したと言われています。
観自在王院とは阿弥陀堂のことで、大阿弥陀小阿弥陀堂があり、大阿弥陀堂には阿弥陀如来観音菩薩勢至菩薩の三尊を安置し、堂内の四壁には洛陽の名所地を描き、仏壇は銀、高欄は磨金でできていたと伝えられているとのこと。
発掘調査によると、観自在王院は東西約120m、南北約240mで南北に長い長方形で、南門を入ると北には今も残る、東西、南北とも約90mのほぼ正方形の池・舞鶴が池があったことがわかっています。
池の中央南寄りには中島が、池西岸に荒磯風の石組があり、その北側には巨大な川石の石組があり、ここから滝のように水が流れていたとのことです。

観自在王院跡201107_02
[2011年7月26日(火)撮影]

毛越寺の庭園を一回り小さくした浄土庭園であったことがわかります。
なお、観自在王院は天正元(1573)年のの兵火で焼失し、現在の建物は享保年間に大阿弥陀堂跡に再建されたものだそうです。
観自在王院跡は、国の特別史跡に指定されています。

観自在王院跡の北東500mほどのところに、無量光院跡があります。

無量光院跡201107_01
[2011年7月26日(火)撮影]

無量光院は、奥州藤原氏三代秀衡によって、宇治平等院を模して建立されたとされ、阿弥陀堂を中心に伽藍が構成されていたとのことです。
本尊は平等院と同じ阿弥陀如来で、地形や建物の配置も平等院とほとんど同じで、本堂の規模も鳳凰堂とほぼ同じだそうです。
ただし、建物は東向きに作られ、建物の中心線の西に金鶏山があり、庭園から見ると夕日が本堂の背後の金鶏山へと沈んでいくように設計されているとのことです。
この空間構成は平泉独自のものとされ、浄土庭園の最終発展形といわれているそうです。
奥州藤原氏滅亡後、焼失して境内は荒廃し、遺跡のほとんどは近年まで水田となっていましたが、堂跡、池跡等の遺構は良好な状態で保存されており、国の特別史跡に指定されています。

無量光院跡201107_02
[2011年7月26日(火)撮影]

なお、観自在王院跡無量光院跡は共に、世界遺産の登録資産として個別指定されています。

今日で、先月26日に訪ねた平泉の紹介を終わります。
ぜひとも多くの方に、世界遺産となった平泉を訪問して、そのずばらしい文化遺産を堪能していただきたいと思っています。


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毛越寺を訪ねました。

先月26日の平泉訪問を紹介する4回目です。

中尊寺2011年8月8日の日記2011年8月9日の日記参照)から徒歩30分ほどで毛越寺に着きます。
毛越寺の公式サイト:http://www.motsuji.or.jp/
毛越寺〔もうつうじ〕慈覚大師円仁が開山し、奥州藤原氏二代基衡から三代秀衡の時代に多くの伽藍が造営され、往時には堂塔40、僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれているとのことです。
奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失しましたが、現在、大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡特別名勝の二重の指定を受けています。

毛越寺浄土庭園の中心が大泉が池です。
池は東西約180m、南北約90m、池のほぼ中央に東西約70m、南北約30m、勾玉状の中島があり、池の周辺や中島にはすべて玉石が敷かれています。

毛越寺201107_01
[2011年7月26日(火)撮影]

池の西の端に慈覚大師円仁を祀る開山堂があります。
大師像のほか両界大日如来像奥州藤原氏三代清衡基衡秀衡の画像が安置されているとのことです。

毛越寺201107_02
[2011年7月26日(火)撮影]

庭園の北東には遣水〔やりみず〕があります。
遣水とは、池に水を取り入れるための水路で、水流の中に様々な石組みを配しています。
発掘調査により発見、復元されたものだそうです。
この時代の遺構としては全国唯一のもので、毎年5月に平安時代の遊びである曲水の宴が再現されるとのことです。
なお、今年は東日本大震災のため中止されたそうです。

毛越寺201107_03
[2011年7月26日(火)撮影]

遣水の東側にある建物が常行堂です。
現在の常行堂は、享保17(1732)年に仙台藩第5代藩主伊達吉村が武運長久を願って再建したものだそうです。
堂は宝形造で本尊は阿弥陀如来、奥殿には秘仏として摩多羅神が祀られているとのことです。
この秘仏・摩多羅神は、平成12(2000)年に御開帳されましたが、今後は33年に一度の御開帳になったとのことです。
次の御開帳まで生きていられるだろうか?

毛越寺201107_04
[2011年7月26日(火)撮影]

園中最も美しい景観の一つと言われているのが、出島石組池中立石です。
池の東南岸にあり、水辺から水中へと石組が突き出した荒磯風の出島で、その先端の飛び島には約2.5mの立石が据えられています。
この立石が東日本大震災の4月7日の余震で傾いたとのことで、ちょうど修復工事中でした。

毛越寺201107_05
[2011年7月26日(火)撮影]

30年近く前に訪れたときは何もなかったのに、立派な平安時代の浄土庭園に復元されていて驚きました。

なお、毛越寺浄土庭園と平安時代の伽藍遺構世界遺産の登録資産として個別指定されています。

震災を乗り越えての世界遺産の登録、本当におめでとうございます。

金色堂を訪ねました。

先月26日の平泉訪問を紹介する3回目です。
昨日(2011年8月8日の日記参照)に続き、中尊寺を紹介します。
中尊寺の公式サイト:http://www.chusonji.or.jp/

本堂を過ぎ、少し坂道を下ると右手に讃衡蔵があります。
讃衡蔵は、平成12(2000)年に中尊寺に伝わる文化財・宝物を永く後世に伝える宝物館として、新築されたものだそうです。
確かに30年近く前に訪れたときにはありませんでした。
館名の讃衡蔵は、“奥州藤原氏三代清衡基衡秀衡の衡)の偉業をたたえ(讃)る宝蔵”という意味とのことでしたす。
なお、讃衡蔵金色堂の拝観券は共通で、ここで販売されていました。

そして、讃衡蔵の隣にあるのが、中尊寺金色堂です。
金色堂は、中尊寺創建当初の姿を唯一、今に伝える建造物で天治元(1124)年に完成しています。
一辺が3間(5.46m)の宝形造、木瓦葺の小堂で、柱、壁、床、天井、扉など総漆塗りの上に布を張りさらにその上に金箔が張られています。
屋根を支える4本の柱には1本当り4体の仏が3段、合計12体、金色堂全体では48体が漆の絵として描かれています。
4本の巻柱須弥壇長押にいたるまで、白く光る螺鈿、透かし彫りの金具・漆の蒔絵など絢爛豪華の一語に尽きます。
仏像は、須弥壇の上に本尊阿弥陀如来、その右前に観音菩薩と左前に勢至菩薩、左右に3体ずつ地蔵菩薩が1列に並び、最前列には右に持国天、左に増長天が配置されています。
この配置は他に例を見ない金色堂独特のものだそうです。
中央の須弥壇の中には、初代清衡、左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の遺体と四代泰衡の首級が安置されているとのことです。
金色堂は国宝に指定されています。

中尊寺201107_06
[2011年7月26日(火)撮影]

覆堂の中は撮影禁止なので、こちらでご覧下さい。
金色堂http://www.chusonji.or.jp/guide/precincts/images/spotphoto_konjikido_01.jpg中尊寺の公式サイトから)
金色堂・内部(左前から):http://www.chusonji.or.jp/guide/precincts/images/spotphoto_konjikido_02.jpg中尊寺の公式サイトから)
金色堂・内部(正面から):http://www.chusonji.or.jp/guide/precincts/images/spotphoto_konjikido_03.jpg中尊寺の公式サイトから)

金色堂を出て、左へ歩いて行くと旧覆堂があります。
経蔵は、間口3間、屋根は宝形、金属板葺きの建物で、重要文化財に指定されています。
もともと2階建てで、建武4(1337)年の火災で上層部を焼失し、平屋建てに改修されたと言われています。

中尊寺201107_07
[2011年7月26日(火)撮影]

旧覆堂は、金色堂を風雪から護るため正応元(1288)年に鎌倉幕府によって建てられたと伝えられているそうです。
5間四方の堂で、かつては鞘堂と呼ばれていたそうです。
昭和38(1963)年に現在の覆堂が建設されて、この位置に移築されたものです。この建物も、重要文化財に指定されています。

中尊寺201107_08
[2011年7月26日(火)撮影]

500年を超えて金色堂を風雪から守ってきたものなので、芭蕉がこの地を訪問した折も、この堂内で金色堂を参拝しことになります。
金色堂の横には、芭蕉中尊寺を訪れた57年後の延享3(1746)年に建てられた句碑があり、「五月雨の 降のこしてや 光堂」の句が刻まれていました。

中尊寺201107_09
[2011年7月26日(火)撮影]

また、旧覆堂の横には芭蕉像もありました。こちらは平成元(1991)年に設置されたもので、この像も、以前訪れたときにはありませんでした。

中尊寺201107_10
[2011年7月26日(火)撮影]

さらに奥に中尊寺鎮守白山神社があります。
この白山神社には能舞台があり、重要文化財に指定されています。
この能舞台は、舞台橋掛鏡の間楽屋からなり、正統的かつ本格的な規模と形式の近世能舞台としては東日本で唯一現存しているものだそうです。
現在の能舞台は、嘉永2(1849)年の焼失後、嘉永6(1853)年に再建されたものとのことです。

中尊寺201107_11
[2011年7月26日(火)撮影]

趣のある野外舞台なので、一度舞ってみたいと思いました。

白山神社では、被災地の一日も早い復興を祈りました。

なお、中尊寺では、金色堂金色堂旧覆堂経蔵白山神社能舞台世界遺産の登録資産として個別指定されているとのことです。



中尊寺を訪ねました。

先月26日の平泉訪問を紹介する2回目です。

高館義経堂2011年8月7日の日記参照)から徒歩10分ほどで中尊寺に着きます。
中尊寺の公式サイト:http://www.chusonji.or.jp/

中尊寺の表参道は、月見坂と呼ばれています。
月見坂の両側には江戸時代に仙台藩主伊達家が植えた樹齢300年を超える杉並木が続き、厳粛な雰囲気を醸し出していました。

中尊寺201107_01
[2011年7月26日(火)撮影]

月見坂を上っていくと左手に弁慶堂が見えてきます。
案内板によると、奥州藤原氏時代に五方鎮守のため、火伏の神として本尊軍地蔵菩薩を祀った社に義経弁慶の木造を安置したことから弁慶堂と呼ばれるようになったそうです。
また、現在の建物は、文政9(1826)年に再建されたものとのことです。

中尊寺201107_02
[2011年7月26日(火)撮影]

その少し先の参道の右手にある東物見の一角に西行歌碑がありました。
奥州藤原氏時代に西行平泉を訪れて詠んだ「聞きもせず たばしね山の 桜ばな 吉野の外に かかるべしとは」という歌が刻まれていました。

中尊寺201107_03
[2011年7月26日(火)撮影]

さらに参道を上っていくと右手に地蔵堂が、左手に薬師堂が見えてきます。

中尊寺201107_04
[薬師堂:2011年7月26日(火)撮影]

月見坂を上ること約15分で、中尊寺本堂に到着します。
本堂は建武4(1337)年に焼失し、現在の本堂は明治42(1909)年に再建されたものだそうです。
また、山門一関城から万治2(1659)年に移築されたものだそうです。

中尊寺201107_05
[本堂:2011年7月26日(火)撮影]

このあたりですっかり汗だくになってしまいました。

中尊寺の紹介は、明日に続きます。



平泉を訪ねました。

先月、岩手県陸前高田市を訪ねた(2011年7月28日の日記参照)帰りに、世界遺産に登録されたばかりの平泉を訪ねました。
今日から5回にわたり、そのときの模様を紹介します。

平泉駅から歩いて30分ほどの丘の上に高館義経堂があります。
高館義経堂の公式サイト:http://www.motsuji.or.jp/gikeido/

入口を入り、階段を上って丘の上に立つと眺望が開けます。
高館北上川に面した丘陵で、この一帯は奥州藤原氏の初代清衡の時代から、要害地とされていたそうです。
高館からの眺望は平泉随一と言われているとのことで、この日も束稲山を望むことができました。

高館義経堂201107_01
[2011年7月26日(火)撮影]

兄の源頼朝に追われ、平泉に再び落ち延びた源義経は、奥州藤原氏三代秀衡の庇護を受け、高館に居館を与えられたそうです。
しかし、文治5(1189)年閏4月30日、頼朝の圧迫に耐えかねた秀衡の子・泰衡の急襲にあい、この地で妻子とともに自害したと伝えられています。
丘の頂上には、天和3(1683)年、仙台藩第4代藩主伊達綱村義経を偲んで建てた義経堂があり、中にはの木造が安置されていました。

高館義経堂201107_02
[2011年7月26日(火)撮影]

また、元禄2(1689)年6月29日(旧暦5月13日)に、曽良を伴って平泉を訪れた松尾芭蕉は、この地に立ち、眼下に広がる夏草が風に揺れ光る様を眺めて、有名な「夏草や 兵共が 夢の跡」の句を詠んだと伝えられています。
丘の上には、その句を刻んだ芭蕉句碑も立っていました。

高館義経堂201107_03
[2011年7月26日(火)撮影]

緑に覆われた北上川の河川敷のを見ていて、少しだけですが、芭蕉の気分を味わうことができました。

今回、平泉を訪れたのは、平泉では震災以降、観光客が激減しており、先月、世界遺産に登録されてから少し持ち直してきているものの例年の夏休みに比べるとまだまだなので、ぜひ帰りに立ち寄り、地元に帰って宣伝してほしいと岩手の多くの人から言われたからです。
このブログで少しでもPRできれば良いと思っています。



kinkun

Author:kinkun
名古屋春栄会のホームページの管理人

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